6.1. Story 5 理解の限界

2 真相へのアプローチ

 

シゲの報告

 シゲは鼻歌交じりで大きなバッグから何冊かのバインダとタイプライターのようなコンピュータ端末を取り出した。
「大体の事はこの資料とコンピュータの中に入ってるんだけど……ああ、そうか。映写機がないと全員にコンピュータの画面が見えないか。困ったわ」

 リチャードが立ち上がり、シゲの席につかつかと近づいた。
「これがそのコンピュータか。ずいぶんと――なあ、オンディヌ。ポータバインドで繋げるか?」
 オンディヌも近づいてリチャードが手に取った端末を眺めた。
「通信機能はなさそうだけどやってみるわね」
「ちょっとちょっと。何言ってんのよ。これ最新よ。RS-232Cボード入ってるんだから」
「なるほど。接続はできるみたいね」

 オンディヌがコンピュータをテーブルに置いて「コネクト」と言うと右腕から光が溢れ出てコンピュータを包み込んだ。
「OK。そっちの壁に映せばいいかしら」
 呆気にとられる一同を尻目にオンディヌは「ヴィジョン」と言い、壁に大きなスクリーンが浮かび上がった。
「……えっ……えっ、どういう事よ。何が起こってるの?」
 シゲは絶叫して周囲に助けを求めたが、皆、ぽかんと口を開けたままだった。

 
「さて、シゲさん」
 リチャードがおもむろに話し出した。
「何を映せばいい?」
「あ、ええと、その中に『調査記録』っていうファイルがあるはずなんだけど――」
 オンディヌが「調査記録」と言い、空間には文字の羅列が浮かび上がった。

 
「じゃあ、気を取り直して」
 ようやく冷静さを取り戻したシゲが言った。
「ご存じの方もいるかもしれないけど、あたしは内閣調査室で働いていた時期があったの。今もそうだろうけど内部には色々とタブーがあって……つまり触れちゃいけない事件や人物ね、その中にはある伝説的な人物がいるのよ。この人物は関東大震災、今から六十年前ね、の直後にひょっこりと登場し、震災復興院で目覚ましい業績を上げた。どこで生まれ、どこで育ち、どこの大学を出て、どこで働いていたかは一切不明、写真も残ってないけど当時四十歳くらいだったんじゃないかって言われてる。その人物の名は藪小路了三郎」

 
「『触れちゃいけない』、NFIの最上位ランクですね」
 蒲田がため息交じりに呟くとシゲは小さく笑った。
「NFI。そうよ、そのリストは遡れば明治時代の戸籍整備に行き着くの。当時は戸籍作成自体が初めてだったから、血縁がはっきりしないなんてのはザラ、中には何百年も生きてる計算になったケースもあったらしいの。で、そんな極めて不自然な人物だけを集中的に調査した物好きがいたのよ。ある日突然に村に現れ、住みついたが、何十年経っても容貌が変わらない、そんなのを長い時間をかけて情報を収集していったんでしょうね。しまいには『雪山で遭遇した』、『野原の一軒家で人を喰らってる』……もうこうなると妖怪よ。いつの日からかそのリストは『人外帳』と呼ばれるようになったの」
「それがNFIのルーツ?」
「実際に藪小路のように大正から昭和になっても全く変わらぬ容貌のままの人間がいるから『人外帳』って名前も捨てたもんじゃないわ。最近じゃあ狐狸妖怪の類は滅多に登録されないけど、その代わりに登録されるのは他所から来た人たち」
「それはどういう意味でしょう?」
「そのまんまよ。私たちと変わらない外見だけどこの地球の人間ではないって意味」
 これを聞いたリチャードは小さく咳払いをしてから、リンにウインクした。

 
「……あの、数年前のA県の雪山遭難事故は、『雪山で遭遇した』に似たケースですか?」と蒲田が尋ねた。
「『人外帳』によればびっくりするくらい美しい女性だって話。NFIにはアンタッチャブルランクとして名前が記されてるはずよ」
「僕はとてつもなく恐ろしい部署に所属してるんですね」

 
「今日はNFIの歴史を話しに来た訳じゃないのよ。藪小路の続き――表向きは、戦時中、陸軍の研究所の責任者として幾つもの怪しい実験を行って、戦後間もなく亡くなった事になってるわ。でも今から二十年近く前、東京でオリンピックが開催された年だった、あたしの所に情報が舞い込んだの。それが壁に映っている内容――

【シゲの調査記録:『ネオポリス計画』の顛末】

 ――『ネオポリス計画』とは昭和35年(1960年)1月より官学共同で開始された「首都東京の新しい姿を再設計するプロジェクト」を指す。
 震災、空襲と二度に渡る壊滅的な被害から不死鳥の如く立ち上がった東京において、四年後のオリンピック開催に向けて首都高速道路網等の整備が急ピッチで進んでいるが、斯様な付け焼刃の施策ではなく、もっと根本的な首都東京のあるべき姿のリデザインが必須であり、そのためには地下に眼を向ける事が肝要と考えられる――(以下略)
 プロジェクトの座長は衆議院議員村雲仁助、副座長を都議会議員八十原統が務め、藪小路了三郎は特別顧問として発起人に名を連ねた。
 プロジェクト推進に当たり、藪小路がかねてから注目していた以下の新進気鋭の研究者たちが参画する運びとなった。
・糸瀬優(都市工学研究者。新しい東京のグランドデザイン)
・文月源蔵(農学者。地下での食物育成に関するエキスパート)
・須良大都(物理学者。地下における移動手段、『転移装置』の研究者)

 
 シゲが壁に映った内容を読み進めているとリチャードが突然に立ち上がり、テーブルの上の水の入ったグラスをこぼした。
「どうしたの、リチャード。血相変えて?」とリンが尋ねた。
「いや、後で言う。続けてくれ」

 これら若手の研究者たちは東京都N区にある専用の研究所に集められ、1960年1月から1962年9月まで研究が継続したが、1962年9月に起こった研究所内の事故によってプロジェクトは中断、そのまま中止となった。
 尚、その後、藪小路了三郎は再び所在不明、発起人の村雲と八十原も名前を貸しただけでプロジェクトの中身については一切関与していないと言明した――

 

静江の記憶

 シゲの話が終わった所でカウンターにいた静江が、わなわなと震えながら口を開いた。
「あたし、あたし……その事故について源蔵さんから聞いたわ」
「えっ、ママ、本当?」
「ええ、研究所での生活の様子も伺ってたし――」
「ちょっと待ってよ。いつになっても話が核心に近づいてないよ」とリンが不満そうに言った。「ねっ、リチャード」
「いや、そうではない」
 リチャードは険しい顔でリンの言葉を否定した。
「どうやら二十年越しのいきさつがあるようだ。静江ママにも話をしてもらおうじゃないか」
 リチャードに促され、今度は静江がぽつりぽつりと思い出話を始めた。

【静江の回想:源蔵との会話】

 ――えっ、静江さん、研究所の話を聞きたいんですか。別に面白くも何ともありませんよ」
 喫茶『都鳥』のテーブルを挟んで座った源蔵が困ったような表情で言った。
「いいじゃない。ねえ、三人は仲良くやってるの?」
「ええ、三人とも同世代ですしね。研究所内に他の人間がいないんで、互いの研究内容を勉強し、実験を手伝ったりもして上手くやってますよ」
「本当に三人しかいないの?」
「いや、寮の舎監の無愛想な老人と賄いのおばさんがいますけど……実質は三人ですね」
「あたしだったら息が詰まっちゃうな。勝手に研究所を抜け出す事もできないんでしょ?」
「糸瀬が舎監に掛け合ってくれたおかげでこうして三人が交替で外出できるようになったんですよ。それまでは外出自体禁じられてたんです」
「交替?じゃあこの間の夏休み、三人揃ってあたしや真由美に会ったのは?」
「奇跡ですね。早目の盆休みだったんですけど三人とも帰る故郷がない。私は岩手に戻っても肩身が狭い。糸瀬は大陸生まれだし、大都は身寄りがない」
「ふーん、皆、似たような境遇ね。まさかそういう人を意図的に集めたのかしら。何か起こっても大きな問題にならないように、なんてね」
「ははは。よく三人で同じ事言ってますよ――

 あたしの予想は当たった。
 底冷えのする寒い日、源蔵さんから電話がかかってきた。
「源蔵さんから連絡してくるなんで珍しいわね」
「ん、ああ」
「どうしたの。声が沈んでる」
「静江さん、落ち着いて聞いてほしい。研究所で事故が起こって、大都が……大都が」
「大都さんがどうかしたの?」
「実験装置が燃えて……大都はその中にいたのだろう。行方不明だが恐らく生きてはいまい」
「……真由美は知ってるの?」
「いや、今朝まで研究所内に留め置かれていたから外部への連絡はこれが初めてなんだ」
「――わかったわ、源蔵さん。真由美にはあたしから伝えておく……その、言い難い事だけどお葬式とかも出さなくちゃでしょ。あたしに全部任せて」
 何度も礼を言う源蔵さんの電話を切って、あたしは途方に暮れた。真由美にどう伝えればいいだろう。だって真由美は――

 

「あたしが話せるのはここまで」
 静江は話を終えたがその表情は悲しげだった。
「シゲ。補足情報があるんじゃない?」
「……いやだ、ママ。あたしに振らないでよ。まあ、いいわ。文月さんの話は初めて聞いたけど、あたしが独自に調査した所、研究所の事故について妙な噂を聞き付けたのよね。研究成果を欲しがった藪小路が事故に見せかけて須良大都を陥れたんだって」
「えっ、シゲさん。それはおかしくない?」とリンが言った。「だって藪小路博士はプロジェクトの主催者でしょ。研究成果なんて自ずと手に入るじゃないか」
「確かにそうよね。藪小路にはリスクを冒すメリットは何もない――でも次の資料を見てほしいの。オンディヌさん、『須良大都』ってファイル、見つかるかしら?」
 オンディヌが首を横に振ったのを見てシゲは慌てた。
「いやだ、ファイルを落してくるの忘れちゃった。紙の資料しかないわ。どうしましょ」
 オンディヌはにっこり微笑んでシゲのバインダを手に取り、腕から出ている青い光をバインダに浴びせた。
 すると店の壁の前の空間にシゲのバインダの立体映像が浮かび上がり、パラパラとページがめくれていった。
「――ちょっと、本当に何よ、これ。後でちゃんと説明してよね」
 シゲはそう言ってから再び説明を始めた。

 

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