目次
4 夏の小旅行
蒲田との対面
8月8日朝、リンはリチャードとオンディヌと共に『都鳥』に戻った。リチャードとオンディヌはそれぞれイギリスとスウェーデンからの夏季留学生で、合宿から直行で東京の観光案内をしていた、と適当な説明をつけて紹介した。
「ハジメマシテ、シズエ、ミチ」
「よろしく。リチャードさんはイギリスなの、ふーん、どことなく王族っぽい。オンディヌさんはスウェーデン、まるで女優さんみたいにきれい」
静江も未知も外国人が来たというだけでテンションが高かった。
皆で歓談しながらコーヒーを飲んでいる時に、静江が思い出したように口を開いた。
「そうだ、リンちゃん。蒲田っていう警視庁の刑事さんが会いたいって、合宿に出かけた日から毎日来るのよ」
「蒲田さん、知らないなあ」
リンは沙耶香にそっと目配せしたが沙耶香は首を横に振った。これを見つけた未知がちょっかいを出した。
「何、二人で合図しあってんの、いやらしい。ねえねえ、リンもあの大事故に巻き込まれたんでしょ?」
「大事故?」
「中央高速よ。車が百台以上衝突、炎上したってニュースでやってたじゃない。巻き込まれたんじゃないかって皆で心配してたんだから」
「……ああ、あれね。そうだ、シゲさんに車を返すの待ってもらわなきゃ。おばさん、シゲさんは何か言ってました?」
「あら、昨日シゲと話したけど、もう車は戻ってるって。リンちゃんが返したんだとばかり思ってた」
「あ、あれ、そうでしたっけ。結局、おみやげは買えなかったなあ」
「何、言ってるの。あんな大事故に巻き込まれて無事だったのを感謝しなくちゃ。シゲも車が無傷だったのは奇跡だって喜んでたわ」
「リン様、お疲れなんじゃありません。ここのところ立て続けに、その、事件に巻き込まれて――」
たまらず助け舟を出した沙耶香もしどろもどろになっていた。リンは嘘をつき通すのが難しいのを感じ、いっそのこと真実を打ち明けてしまおうかと悩んだ。
「おはようございます」
元気な声が店内に響き、蒲田刑事が『都鳥』のドアを開けた。短髪に日焼けした顔、決して二枚目ではないが愛嬌のある目をした好青年だった。蒲田は妙な外国人たちまでその場にいる事にたじろいだが、気を取り直してリンに話しかけた。
「文月凛太郎くんだね?」
「はい」
静江が気を利かして、未知を連れて店の奥に引っ込んだ。
「早速だけど8月6日はD坂のサービスエリアにいたよね。自衛隊のヘリの乗客名簿にも名前が書いてあったし」
「はい、夜中に東京まで戻ったんですけど、ここにいる留学生の友達を観光に連れて行く約束があったんで――」
蒲田はリチャードたちを若干胡散臭そうに眺めた。
「君たち日本語は大丈夫?ああ、そう、君たちはどこの国から来た留学生なの?」
「ワタシハ、リチャード・センテニア、イギリスカラキマシタ」
「アタシハ、オンディヌ、スウェーデンカラ」
「ああ、そう、ちょっと待っててね、メモするから」
「彼らは夏休みの短期留学プログラムで……日本に来たんですよ」とリンが付け加えた。
「ふぅん、そうなんだ。8月5日はどこにいたか覚えてる?」
「ええ、リチャード、オンディヌ、僕で、そこにいる沙耶香さんと会ってました」
「糸瀬沙耶香さん、やはり、ここにいらしたんですか。いや、何ね、お宅の中原さんがこっそり打ち明けてくれたんで、いらっしゃるのは知っていたんですよ。糸瀬さんには後で伺う事もあるでしょう」
「すみませんでした」
「皆、素直で調子狂うなあ。ここは僕も素直にいきましょう」
そう言ってから蒲田は居住いを正した。
「警察としては何が何やら、皆目、検討がつかんのです。どんな些細な事実でもいい、説明さえつくなら、と必死に捜査を続けていますが、今のところ目ぼしい成果はありません。ただ5日と6日、その両日に関係する人物が一人だけいる、それが文月凛太郎君、君なのではないかと」
「蒲田さん、糸瀬邸や中央高速の様子、ご覧になりましたか?」
リンは逆に質問した。
「いや、中央道の方はテレビのニュースだけさ。でも糸瀬邸の現場は見たよ。あの壊れっぷりはどう考えても――」
「人間業ではない……でしょ」
「うん、その通りなんだ。何もかもわからない事だらけさ。まず何故、屋敷に池袋修蛇会がいたか、糸瀬氏が何者かに狙われていたという所まではわかったが、何故、警察ではなく彼らに警護を依頼したのか、氏は彼らとどういう関係があるのか、そして最大の謎は誰が彼らを襲ったか、捜査本部は対立する大陸系の飛頭蛮を念頭に置いて捜査しているけれども、生身の人間にあんな破壊を行えるはずがない」
「そしてD坂SAですね?」
「ああ、これが又大変だ。たった一人の男が五十台以上の車両を破壊し、ぶ厚いコンクリート製の三車線道路まで破壊した。しかもその男を一人のTシャツ姿の青年が倒した……県警には手に余る事件だね」
「事故って事になってるって聞きましたけど」
「説明がつけられないから、そう発表しておかないとまずいだろ?」
「確かにそうですね」
「ところで文月君、山坂哲郎、この名前知ってるよね?」
「知ってます。道場にお邪魔した時に良くして頂きました」
「山坂とは警察学校の同期でね、奴に君の事を訊いたんだ。去年の稽古で君と初めて手合わせした時にはほんの一瞬だけ君の気配が消えたのだそうだ。ところが去年の暮れ、山坂がここに押しかけて再戦した時には、立ち合い中のほぼ全ての時間を通して、君の気配が全く感じられなかったという。山坂は君に理由を尋ねた。君は、剣技を突き詰めているうちにそうなった、集中さえすれば、相手だけでなく周りの人間にも長時間気配を感じさせない事が可能なのだと言ったそうじゃないか。本当かい?」
「本当です」
「君のその力はある意味、人間離れしてるよね」
「……蒲田さんは僕を疑ってるんですか?」
「いや、地面に大きな穴を開けたり、石灯籠を一撃で破壊したり、そんなの不可能だと思ってるよ。ただ君は事件の核心に関わる何かを知ってるんじゃないかと思ってさ。例えば、山梨県警が必死になって捜したけど、見つからなかった『Tシャツの男』、あれは君じゃないかな?」
蒲田は何も答えられずにいるリンの肩をぽんと叩いて、にこりと微笑んだ。
「いいよ。君にも色々と事情がある。嘘をつくのが苦手なんだよなあって顔してるよ」
「すみません」
「仮に『はい、僕です』って言われたら、逆にこちらが困るよ。君が関係していたとしても、最初に言ったみたいに説明をつけられる自信がないからね。けど、しばらくの間、君にまとわりつかせてもらうよ。思わぬ発見があるかもしれない」
その場の重い空気を振り払うように沙耶香が口を開いた。
「リン様、これまでリチャードさんたちをどこかにお連れしたんですか?」
「あ、ええとね、いかにも皆が行くような場所……かな」
「もしよろしければこれから皆で伊豆の別荘に出かけませんか?もちろん蒲田様もご一緒に」
漁港にて
リン、リチャード、沙耶香、オンディヌ、蒲田という奇妙な顔ぶれで、急遽、伊豆に向けて出発した。東海道線の車内では沙耶香とオンディヌ、リチャードと蒲田が楽しそうに話に興じたが、リンだけは窓の外を見ながら一昨日の夜の出来事を考えていた。
――あの時、僕は息をしない沙耶香さんを助けられるなら自分の命を差し出しても構わないと思った。
周囲がまぶしい光に包まれ、そして願い通りに彼女は息を吹き返し、代わりに僕の心臓が止まったとリチャードは言った。
何を起こしたのか自分自身でもよくわかってないけど、リチャードやオンディヌさんでも説明できない、とてつもない事らしい。
心臓の止まった僕はオンディヌさんのシップに運び込まれて蘇生したけど、それも普通の事じゃないらしい。
一旦死んだ人間が蘇るなんてありえない。進んだ文明においてもその法則は曲げられない事で、それを曲げて死者を蘇らせるネクロ何とかの儀式は固く禁じられているらしい。
死んだ者は『死者の国』という極めてクラシカルな名前の特別な場所に行くと言われていて、そこから戻って来る事はほぼ不可能なのだそうだ。
一昨日の夜、僕は大切な人の魂を救った。そして代わりに自分の魂が失われたけど、何故か復活した。
はっきりしているのはそれだけだった――
別荘は熱海と伊東の間、網代の近くの海が見える高台にあるらしく、熱海から伊東線で網代に向かった。オンディヌが海を見たいと言うので、別荘に向かう前に昼食を取ってから海まで散歩しようという手筈になった。
漁港の近くの魚料理屋では蒲田がてきぱきと注文をしてくれた。
料理を待つ間、沙耶香が別荘は元々、沙耶香の母、佐倉家の持ち物で、子供の頃には執事の中原老人が内緒で沙耶香を連れ出して、魚のフライを食べたり、射的をしたのだという話を楽しそうにした。
やがて料理が運ばれてきた。
「いやあ、頼みすぎちゃいましたかねえ」
すっかり打ち解けた蒲田が頭をかいた。
「あら、動いてる」
オンディヌが鯵のお造りに目を丸くした。
「鯵の生き造りです」
「大吾、これは駄目だ。その魚の目をこちらに向けないでもらえるか」
リチャードが困ったような声を出した。
「リチャードにも苦手があるんだね」
リンもようやく笑顔になって、鯵の目をわざわざリチャードの方に向け直した。
惨劇の幕開け
賑やかな食事を終え漁港まで散歩していると、漁港がざわついていた。
「ここは港ね。海の香りがするし賑やかだわ」
オンディヌの感想に蒲田が首を傾げた。
「こんな昼下がりに騒がしいってのも妙ですね。何かあったのかもしれません。ちょっと聞いてみますよ」
駆け出した蒲田を追ってリンたちも早足で騒ぎの中心に向かうと、頭から血を流した地元の漁師らしき中年男が大声で叫んでいた。
「化物だ。サメの化物が出た」
蒲田は警察官の習性で男に近づき、警察手帳をかざした。
「サメだって。もう少し詳しく話してもらえますか」
恐怖のあまり半狂乱状態の男をなだめすかしながら蒲田が状況を整理した所、沖合いで仲間の漁師と漁の最中、突然サメの化物に襲われ、一人で命からがら港まで逃げ帰ってきたという事だった。
「落ち着いて。化物って言うからにはかなりの大きさなんですか?」
「そうじゃねえよ。上半身がサメで下半身は人間なんだ」
「何だって。どのあたりで襲われたんです?」
男は声にならない声で沖の方を指差した。
「H島の近くですか?」
男が震えながら頷き、蒲田は冷静にその場を取り仕切り始めた。すぐに静岡県警と消防署に電話をかけさせ、別の漁師に漁船を一隻手配してもらうように頼んだ。
「文月くん、ご覧の通りだ。やっぱり君といると事件が起こる……でもさすがにこれは君には関係ないか。すぐに戻るからここにいてくれよ」
用意のできた漁船に乗り込んで、蒲田は沖に出ていった。
援軍
蒲田が港を出てから十分近くが経とうとしていた。港の桟橋付近でリチャードが険しい表情で言った。
「嫌な予感がするな」
「うん、二度あることは三度ある、って言うしね」
「何だそれは、この星の諺か――大吾の所に行ってみるか」
「でも船とかないし」
「冗談言うな。空を飛ぶに決まってるだろ」
「そんな真似したら蒲田さんに――」
「いいんだ。今日一日、大吾と付き合ってみたがいい男だ。奴にはいつか真実を告げねばならない」
「わかったよ。オンディヌ、沙耶香……さんをよろしく頼みますね」
「ふふ、坊やったら『さん』だって。大丈夫よ、任せて」
沙耶香は恥ずかしそうに俯いたが、すぐに顔を上げた。
「リン様、気をつけて下さいね」
「ところでリン、適性どころか、まだ耐性も身についていない、などという事はないだろうな」
「まあ、見ててよ」
リンとリチャードは桟橋から飛び出し、波の上を滑るように蒲田の下へと向かっていった。
「あ、リチャード、あそこ」
「うむ、大吾が苦戦している。助けるぞ」
漁師たちが乗っていた漁船、そして蒲田が乗った漁船が見えた。
蒲田の乗った船は上半身がサメ、下半身が人間の化け物と、上半身がタコ、下半身が人間の化け物に左右から襲われて、船上には拳銃を構えた蒲田一人しか残っていないようだった。
「助太刀するぞ」
あっけにとられる蒲田を尻目にリチャードがサメ、リンがタコに突っ込んだ。
リチャードはサメの化け物を船に引き上げるとその腹に強烈なキックを見舞い、サメは悶絶して気を失った。
リンはタコの化け物の足をひものように結わい付け、これもまた船に蹴り上げた。
猛烈な速さで海を飛ぶように渡ってきて、一瞬で怪物を片付けた二人を、蒲田は驚愕の表情で見つめた。
リチャードは言葉が見つからず黙ったままの蒲田に言った。
「大吾、この件が片付いたら全て話す。ところでこいつの着ている服の切れ端、これは何だ?」
蒲田は気絶したサメの怪物をこわごわ覗き込んだ。
「これは『H島リゾートホテル』の縫い取りです。あの島のホテルの制服だと思いますよ」
蒲田が指差す先にH島が見えた。
「行ってみる必要があるな」
人体改造
蒲田の乗ってきた漁船でH島に向かう途中、甲板に打ち上げられたサメとタコの怪物を調べていたリチャードが首を横に振りながら言った。
「人体改造か、虫酸が走る」
それを聞いて、リンが「人体改造?」と聞き返した。
「ネクロマンシーと並んで唾棄すべき術だ」
「リチャードさん」と蒲田が大声を上げた。「ではこの化物は元々は人間ですか?」
「ああ、おそらく元はこの星の善良だった人々だ」
「やったのは帝国?」とリンが尋ねた。
「帝国の本流にそんな奴はいない。別系統の人間だ」
「元に戻す方法はあるんでしょ?」
「……リン。この甲板に打ち上げられた二体、ぴくりとも動かないだろ?」
「うん。死んだの?」
「生きていても仕方ないからな。『死者の国』に送った」
「そんな」
「リン。人の命を弄ぶ事が何故、罪か。それは取り返しがつかないからだ。こうやって改造された者は元の人間に戻る事はできず、怪物として生きていくしかない。だがこの星ではそのような事は許されない。つまりは死ぬしかないんだ」
「リチャードさん。これはれっきとした刑事事件です。この国の秩序が脅かされるような事態は断じて避けないとなりません」
「その通りだ、大吾。だが秩序の担い手であるお前ならわかるはずだ。秩序を守るためには説明のできない事象をどう理由付ける?」
「……NFI……人外……そういう事ですか」
「何と呼ばれているかは知らぬが、『知らないままの方が良い事もある』、そういう事だ」
「文月くん、君は納得できたかい?」
「……」
答えないリンに代わってリチャードが言った。
「ソルジャーとなる人間には頭で理解するよりも実際の現場で感じ取らせる。然るべき時に頭でっかちで迅速に動けないのは自殺行為だ」
船はH島の岸壁に静かに乗りつけた。