6.1. Story 4 闇が遣わし者たち

3 ライフカプセル

 

オンディヌ

 リチャードはリンと沙耶香を両脇に抱え、空へ飛び立った。近くの海域に停泊中の自分専用のシップ、ジルベスター号にリンたちを押し込むように乗せると猛烈なスピードで宇宙空間に出た。

 
 木星にほど近い宇宙空間に巨大なシップが停まっていた。シップのゲートが開き、ジルベスター号は中に滑り込んだ。
 シップの主らしき女性が、リンたちを抱えたリチャードがメインデッキに現れるのを出迎えた。血管が透けるほど薄い肌の色に薄いブルーの目、長い髪もブルーがかっていて、西洋のおとぎ話に出てくる妖精を連想させた。

 
「あら、リチャード。帰ったばかりなのにまた来たの?」
「オンディヌ、力を貸してくれ」
「そっちの男の子、さっき言っていた運命の――」
 オンディヌと呼ばれた女性が尋ねた。
「そうだ。銀河を変える運命の男かもしれないリンだ」
「でも息がないじゃない?女の子の方は無事みたいだけど」
「違う。最初は女性が死んで男は生きていた。それが途中で入れ替わった」
「リチャード。落ち着きなさいよ。『最初は死んで』とか『入れ替わった』とか、訳がわからないわ」
「すまん――オンディヌ、頼む。ライフカプセルに入れてもらえないだろうか」
「無理よ。ライフカプセルは弱った者、傷ついた者のための装置。女の子はともかく、男の子の方みたいに死んでいたら手の施しようがないわ」
「無理を承知で頼んでいる」
「わかったわよ」

 オンディヌはぐったりしたリンと沙耶香を不思議なブルーの液体で満たされた全長2メートルほどの楕円形のプールの中にゆっくりと滑り込ませた。リンの体は一旦沈んだ後、液体に満たされたカプセルの中にぷかぷかと浮かんだ。
「あくまでも気休めよ。死んだ人間が蘇るなんてネクロマンシーの領域だから……あ、ごめん。サラちゃんも蘇らせようとしているのよね」
「ここでリンが蘇生すれば、次はサラが蘇る可能性も……」
「この子が仮に息を吹き返したとしても耐性や適性はあるの?」
「わからない。ただのひ弱な生物なのかもしれない。私にできるのはサラの予言を信じる事だけだ」
「サラちゃんが言ったのなら仕方ないわ。やるだけやってみましょう」

 
 およそ一時間後、オンディヌが興奮した面持ちでリチャードの下にやってきた。
「リチャード。坊や、息を吹き返したわよ。びっくりだわ。仮死状態って訳でもなさそうだったのに」
「やはり――サラの予言ははずれた試しがないからな」
「ねえ、リチャード。一つお願いがあるんだけど。この子、私の研究材料にしてもいい?」
「何?」
「耐性がないかもって言ってたでしょ。どれくらいの期間で耐性を習得するか観察したいのよ」
「構わんが時間はないぞ。今日がアダーニャの15日、この星では8月の8日だ、10日までの二日間で仕上げてほしい」
「そんなんじゃ実験にならないわよ。まあ、いいわ。文明レベルの低い星の人間は耐性の習得も遅いのか、興味あるテーマだわ」

 
 会話の切れ目で突然にオンディヌが大切な事を思い出したらしく、目を大きく見開き言った。
「そうそう。妹から連絡があった。近々、辺境の星に行くから会おうって。それもあってこのへんにシップを停泊させてたのよ」
「第二部隊も来るか。賑やかになるな」
「まずはこの子に復活してもらわないとね」
「感謝する」

 

謎の女 氷の魔女

 リンがナラドにより倒された一件の少し前、伊豆の観光地の港の沖合に一隻のクルーザーがライトを消し、エンジンを切り、漆黒の夜の海に漂っていた。

 一人の女が甲板に顔を出した。女は細身のタバコを手に取って火をつけ、煙を空に向けて吐いた。
 糸瀬は忠告に従ってこの近くにある別荘に逃げ込んだだろうか。
 くだらない、別にどうでも良かった。

 やがて船内からもう一人の人物が姿を現した。手術着のような服を着た白髪の老人は女に話しかけた。
「色々と世話になったの――はて、ここは海の上だ」
「もう少し待ちなさい。日付が変わると同時にあそこに見える島に横付けするから」
「すまんの」
「お礼なんか要らないわ。あなたがやろうとしている事にも興味ないし」
「これは手厳しい――しかし大丈夫か?」
「小さな島よ。あなたの助手も含めた五人、それにこ十人ほど手練れがいるみたいだからあっという間に制圧できる」

 女はそれきり何もしゃべらず、時間が過ぎていった。
 五分後に女は船内に戻り、クルーザーは夜の海の上を滑り始めた。

 
「さあ、早く上陸して」
 港ではなく、小さな島の反対側の岸壁にクルーザーを横付し、女は言った。
「では行ってくる」
 老人に率いられた一団は島に降り立ち、装備を確認した。

「ああ、言い忘れたけど、日付が変わったのを境にこの島は電話も通じず、本土との連絡船も途絶える。完全な孤島になるそうよ」
「それもあのお人の力か?」
「知らないわ。警察にも手を回してあるみたいだし、まあ、ご勝手に」
 女はそれだけ言って船内に戻った。

 
 クルーザーを操船する優羅は不機嫌だった。
 これからあの島で繰り広げられるであろう悪趣味な見世物に対する嫌悪感もあったが、それよりも警察無線を傍受して聞いた高速道路の百台以上の車の事故の件、そちらに関与する事ができなかったのが悔しかった。
 糸瀬に関わっていればしばらくの間は飽きないと思ったからこそあんな死にぞこないの老人の世話まで引き受けてやったのに、全く関係のない所でとてつもない事が起こったのだ。
 東京に戻って状況を再度分析する必要があった。

 自分がこれまで関わってきた壮大なエンターテインメント、全ては都の御所の屋根の上にヌエを呼び出した時が始まりだった。
 あれに匹敵するこの国を混乱に陥れる大スペクタクルが間もなく始まろうとしている、その予感は確かなものだった。
 トリガーは糸瀬、そう考え、接近したのにとんだ期待はずれかもしれなかった。

 
 優羅は誰の所有物かもわからないクルーザーをマリーナに滑り込ませた。
 エンジンを止め、自らの冷気で作った氷のキーを抜くと真っ暗な海に投げ捨てた。

 マリーナに停めていた赤いジャガーに体を滑り込ませ、今度は金属製のキーで車のエンジンをかけた。
 そう言えばあの子はどうしただろう。
 子供の頃は時折、様子を見に行っていたけど、最近はご無沙汰していた。
 闇とは対極にあるあの屈託のない笑顔が久しぶりに見たかった。
 愛しい子、リン――

 

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