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4 D坂SA
名車S6
シゲは東中野のアパートの前で待っていた。寝起きなのかナイトキャップをかぶったままでひげも剃っていない姿は見られたものではなかった。
「リンちゃん、おはよう。忙しそうね。『ナイトが悪漢の手からお姫様を守って連れ帰った』ってママが言ってたけど『どこの国のおとぎ話よー』って感じよね」
リンは昨夜の話を適当にかいつまんで話した。にやにやしながら話を聞いていたシゲの顔が途中から強張り、今までに見た事のない思い詰めた表情に変わった。
「あんた、糸瀬優には会ってないんだね」
シゲは太い男の声でリンに尋ねた。
「うん、行き違い。シゲさん、知ってるの?」
「まあね……昔、警察関係のお仕事してたって言ったでしょ。辞めた原因に糸瀬優も少し関係あるのよ」
「父さんの古くからの知り合いだって」
「お父様も調査したの。邪心のない本当にいい方で嫌な事件に巻き込まれた被害者よ。でも糸瀬は野心家だわ」
「ちょ、ちょっと待って。シゲさん、何を言ってるの?」
「あら、ごめんなさい。そうよね、いきなり何って話よね、忘れてちょうだい。知らない方がいい場合もあるものよ。ま、糸瀬には気をつけときなさい」
「池袋修蛇会が来てたけど」
「色々あんの――それよりあんた、急いでんでしょ。駐車場に案内するからいらっしゃい」
「うん、シゲさん、父さんの事も調べたって言ったよね。今度、色々教えてくれない?」
「国家機密に関わらない範囲であればお安い御用よ。いやあねえ、冗談よ。あんたのお父様が大それた事に一枚噛んでる訳ないじゃない……もしかしてリンちゃん、あんた、お母様の事知りたいの?」
「……」
「残念だけどお母様は探し出せなかった。この国で最高の調査機関をもってしても手掛かりすら見つからないなんてどっかおかしいんだけど――ほらほら、これが愛車、S6でござーい」
車を覆っていたシートをはずすと小さな白いスポーツカーが姿を現した。
「かっこいい。これ動くの?」
「当たり前じゃない。二十年も前の車だけど立派に現役よ。最近、遠乗りする機会がなかったからちょっと転がしてきてよ。はい、これがキー。じゃあ、おみやげよろしくねえ」
シゲはそう言った後で一言付け加えた。
「帰ったら色々話してあげる。ややこしい話になるだろうからあたしも準備しとくわ」
ガインはリンが車に乗って出発する様子を上空から見下ろしていた。
「絶対に勝負する。おれをコケにしやがって」
D坂
夏休み中のせいもあってか、中央高速はなかなかに渋滞していた。車の状態は素晴らしくオーバーヒートの心配はなさそうだった。シゲがS6に愛情を注いでいるのがよくわかった。
リンは途中のD坂のサービスエリアで休憩した。もう昼を過ぎていたし、ラーメンでも食べてコーヒーを飲みながら色々と考えたかった。
コーヒーを飲んだのに無性に眠くなった。昨夜ほとんど寝ていなかったし、車に戻って少し仮眠を取ろうと思った。
空から追っていたガインはリンがサービスエリアに車を停めるのを見た。
「ここでやるか」
ガインは地上に降り立ってサービスエリアの手前の下り車線に向かった。
危うくガインを轢きそうになった車のドライバーが激しくクラクションを鳴らした。ガインが表情も変えずにその車のボンネットに飛び乗ると車内の若い男女は目を丸くした。
ガインが目で「降りろ」と合図した。両側のドアが開き、怯えた表情の男女が降りた。
「ふんっ!」
気合と共に拳が車の屋根を貫通し、車は一瞬で原型を留めない鉄の塊に変形した。乗っていた男女は腰が抜けたような無様な恰好で後方に逃げ去った。
「やわなシップに乗りやがって」
のろのろ運転の三車線に響き渡る悲鳴と状況を理解できない後続の車のクラクションの鳴り渡る中、ガインは隣の車線の車のボンネットに飛び移った。一斉に四つのドアが開き、家族連れと思われる人々が意味不明の言葉を叫びながら転がり出た。ガインはこの車も拳の一撃でぺしゃんこにして、続いて追い越し車線の車に向かった。
車列の人々は、早く目的地に着くよりも、エアコンの効いた車内で快適に渋滞をやり過ごすよりも、我が身の安全が最優先だという事にようやく気付いた。後続車の一人が車外に出て「逃げろ、殺されるぞ」と叫んでサービスエリアに向かって走った。これがきっかけとなり、三車線を埋めた車から一斉に人々が逃げ出し始めた。ガインの降り立った地点よりも前をのろのろ進んでいた車は、一刻も早くこの場を遠ざかろうとしてあちらこちらで接触事故を起こした。
「とっとと逃げるがいい」
ガインは乗る人間のいなくなった後続の車を次々と破壊し始めた。およそ三分の間に三車線、十五列、五十台近くの車を破壊するとさらに後続の車列に向かって声をかけた。
「良かったな、ここから先はセーフだ」
そう言ってガインが道路に拳を数発叩き込むとアスファルトが裂け周囲三メートルほどの穴が開いた。サービスエリアの先の車道にも同じように大きな穴を開け、次に渋滞していない上り車線に移り、やはりそこの全ての車線に穴を開けた。これでサービスエリアを挟んだ下り車線の周囲数十メートルは完全に周囲から孤立した。
十分弱で作業を完了したガインは破壊した車の残骸を道路に積上げ始め、ぺろっと指を舐め、顔をしかめた。
間もなく百台近くの車を高さ五メートルほどずつに積上げて、およそ十メートル四方の車の壁に囲まれたスペースが出来上がった。
「リングは完成だ」
ガインは鼻歌交じりでサービスエリアに向かって歩き出した。
その頃、リンは夢の中にいた――
【リンの夢:夏の疾走 1】
夏空の下、少年のリンがいるのは山の中だ。目の前にはアスファルト舗装された道路が曲がりくねりながらどこまでも続いている。
数えきれないほどよく見る夢だったが、いつもとどこかが違っていた。
自転車に腰掛けてペダルを漕ぐ後ろの荷台には知らない女性が座っていて、リンはその人を助けるためどこに続いているかもわからない道を疾走する、それがいつもの夢だった。
リンはずっとその女性を自分の母親だと思い込んでいたが、今、荷台に座っているのは昨日会ったばかりの沙耶香だった。少年のリンと同じく沙耶香も少女の姿だった。
何故、振り向きもしないのに、この少女が沙耶香だとわかるのかは謎だった。でもこの少女をここから連れ出してやらないと死んでしまうだろう事は確かだった。
リンはペダルを踏む足に力を込め、背後で呼吸が細くなりつつある少女を気遣いながら走った――