6.1. Story 2 邂逅

2 リチャード

 

襲撃

 半月を背にして三人の男たちが話をしていた。トーラとバフはあまり気乗りがしていない様子だった。
「どうした?」と背の高い隊長と呼ばれる男が尋ねた。
「昨夜よりも警護が増えてます。あのひ弱な生き物たちをまた傷つけるのは辛いですな」
「うむ。雑魚を締め上げても情報の出所はわかりそうにないな」
「隊長は後で来てくれよ。おれらだけでぱっぱっと片付けるから」
 糸瀬邸に向かうトーラとバフの後姿に隊長と呼ばれた男が声をかけた。
「トーラ、バフ、話を聞けそうな人間がいたなら生かしておいてくれ。後で私から事情を聞く」

 
 屋敷内の日本庭園を強烈に照らしていたサーチライトや屋敷内の電気が一斉に落ち、辺りが暗闇に包まれると、邸内や外にいたやくざ者たちは恐慌に陥った。
 暗闇の中で風を切る音がした。悲鳴が聞こえたかと思うとしばらくして悲鳴の主が地上にいる男たちの上に落ちた。
 男たちは更にパニックの度合いを増した。悲鳴が聞こえ、また悲鳴の主が空から降った。残った男たちは半月の薄明りの中で拳銃を取り出し、空からの襲撃に備えた。しかし上にばかり注意を払っていた男たちは、いつの間にか地面にぽっかりと開いた穴の中に引きずりこまれていった。
 二十人以上いた男たちは空と地下からの襲撃になすすべなく倒されて、後には静寂だけが残った。

 
 屋敷の中では、停電になるとすぐに中原老人が蝋燭を点けた燭台を持って沙耶香の部屋までやってきた。部屋の前で待機していたリンは中原と一緒に沙耶香の部屋に入った。
「沙耶香さん、できるだけ音を立てないで。中原さんはお手伝いさんを連れて裏口から安全な場所まで避難して下さい」
 中原が出ていき、リンは蝋燭の灯りの中で息を殺し外の気配に集中した。
「きゃ」
 庭から聞こえる悲鳴に驚いた沙耶香がテーブルの上に置かれた燭台を倒して、リンの持参してきた中原の書状に火が燃え移った。リンは急いで手で叩いて火を消したが、書状は半分近く燃えかすに変わった。

 

異形

 停電からわずか五分弱で再び静まり返った外の様子が気になり、リンはたまらず立ち上がった。
 ここにいて――リンは目で合図をして、沙耶香を部屋に残したまま階段の踊り場に出た。踊り場の大きな丸窓をそっと開け、体を乗り出して外を覗くと、空に漂う一人の男と目が合った。細身で青白い顔をしていて眉毛がない上に耳がびっくりするくらい大きかった。

 
「おや、もう一人残っていましたか」
 黒い細身のスーツを着た男は蝙蝠のような翼を広げて素早く丸窓に近づいた。
「私は、『空を翔る者』、灰色の翼のトーラです」
 トーラは両腕でリンの肩をつかみ窓から引きずり出した。不意打ちにリンは背後から羽交い絞めにされた状態のまま空中に連れ去られた。
「すぐに楽にしてあげますから。何、地上に落ちるだけです」
 羽交い絞めにされたままの状態だったリンは空中で自然を発動させた。気配が消え、トーラがひるんだ一瞬の隙にリンは羽交い絞めを解き、背後に回って、足をがっちりとトーラの胴にからみつけ、腕をかんぬきにしてトーラの首を締め上げた。
「……ぐっ……」
 トーラの頭ががくんと落ちると同時に、トーラとトーラに組みついたままのリンは地上に向かって猛スピードで落下していった。
 リンは馬乗りのような形になり、トーラの体をクッション代わりにした。もつれ合ったままの二人の体は庭園の池に落ちた。ものすごい水しぶきが上がり、池の鯉が地上に跳ね上げられ、びちびちと地上で暴れた。
 ずぶぬれになったリンが最初に池から這い上がり、しばらくして意識を失ったトーラが水面に仰向けに浮かんだ。

 
 リンは池を出て屋敷に向かって玉砂利の上を歩いた。
 屋敷内から空中に連れ去られたので裸足のままだった。
 玄関のドアに手をかけようとした瞬間、背後でぼこっと音がした。リンが振り向くと、地面に大きな穴が開き、そこから何かが這い出してきた。
 動物の毛皮でできた腰蓑だけを身に纏い、全身が毛むくじゃらで水牛のような男だった。

「おれは『地に潜る者』、《獣の星》のバフ。お前、少しは骨があるみてえじゃねえか」
 バフはヴァイキングの帽子のような両脇に二本の大きな湾曲した角の付いた金属製のヘルメットを頭にかぶったまま、リンに向かって突進した。リンは二本の角を両手でつかんでバフの突進をがしっと受け止めた。
 踏ん張って押し返そうとしたが、裸足の踵が玉砂利の下の地面を削って足がめり込んだ。
 一旦、足を上げて体制を立て直す手もあったが、おそらくその瞬間に一気に押されてしまう。リンはそのままの姿勢で相手の突進を受け止めながらじりじりと押されていった。

「へへへ、このまま押せば後がないぞ。そこの石の塔に叩きつけてやるよ」
 リンは集中を高め、再び自然を発動させた。
 いきなり気配が消え、押す力を弱めたバフの一瞬の隙を見逃さず、リンは角を押さえていた腕をはずし背後に回った。

 リンは渾身の力でバフを背後から抱え上げた。
「あれは石の塔じゃなくて石灯籠って言うんだ」
 リンはバフを抱え上げたまま、よろよろと石灯籠に向かい、そこにバフを思い切り投げつけた。
 バフは二メートル近くありそうな大きな石灯籠に頭から激突した。石灯籠は真っ二つに割れ、バフは昏倒して地面に大の字に横たわった。

 
 トーラとバフを倒したリンは二階の丸窓から息を殺して様子を伺っていた沙耶香に気付いて声をかけた。
「沙耶香さ――」
 言葉の途中で、リンは突如これまでに経験した事のない恐ろしい何かが近づくのを感じ取った。
「沙耶香さん、隠れて」

 

真の恐怖

 足音を立てずに屋敷内に入ってきたその男は、荒れ果てた庭、倒れている男たち、倒れている自分の部下たちを一通り見廻し、たった一人立っているリンの所で視線を止めた。
 肩まである長い金髪をなびかせた容貌は哀愁に満ちた中世貴族のようだった。男は不思議な素材で作られた薄い青色の服を身に付けていた。首から足までを覆ったその衣装はぴたりと体にフィットしていたがゴムの質感ではなかった。男の持つ高貴な雰囲気にリンが錯覚しただけだったかもしれないが、繊細な上質のシルクを連想させた。

 
「お前がトーラとバフを倒したのか?」
 驚くほど静かで優しい声だったが、リンは男から発される圧倒的な気迫に押しつぶされそうになるのを堪えるのに精一杯になった。
「君たちは何者?」
 ようやくリンの口から言葉が出た。
「私はリチャード・センテニア、こいつらの隊長だ。お前は?」
「リン、文月リン」
「ふむ、部下が倒されたからには私が始末をつけるのが道理だ――だがその前に聞いておかねばならない事がある。お前は今回の作戦を事前に知らされていたか?」
 目の前のリチャードという男の問いかけの意味がわからず、リンが首を捻ったのを見てリチャードは小さく笑った。
「何も知らぬか。それに糸瀬ももうここにはいないようだ」

 
 リチャードはもう一度ゆっくりと邸内を見回してから、軽く膝を落とし、構えを取った。
 リンも構えを取ったが、普通に闘ったのでは勝ち目がないどころか、一瞬で仕留められてしまうのが痛いほどわかった。リンは最初から自然を発動させ、気配を消した。
 リチャードは一瞬だけ目を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべたが、すぐに隙のない構えに戻った。

「……なるほど。お前が……そうなのか」
 そう言ったリチャードの体、続いて手足、そして頭、最後に口元と全身が鈍色に輝く鉄の鎧に包まれていった。
「我がセンテニア家では空気中、体内中の鉄分を集めて、自らの鎧として装着する能力を持つ者が稀に輩出される。レベル1は体のみ、レベル2では手足までが覆われる。レベル2までは『自動装甲』と呼ばれ、攻撃を受ければ自動的に発動する。さらにレベル3で頭、レベルマックスで口元まで覆われる。ここまでいけば完全な防御だ。トーラとバフを倒したお前に敬意を表して装甲レベルマックスで相手しよう」

 
 構えを取ったままでの対峙が続いた。一向に隙を見せないリチャードに対してリンはあせりを隠せなかった。
(長い時間は自然を続けていられない。一発で決めなきゃ)
 リンはじりじりとリチャードの背後に回り込んだ。呼吸を整えてからリチャードの延髄付近に一撃を見舞おうと拳を振り上げた。
 リチャードが一瞬早く反転し、見えないはずのリンの腹のあたりに強烈なキックを浴びせた。
「ごふっ!」
 内臓をえぐるような猛烈な痛みがリンを襲った。
「甘いな。攻撃の瞬間には殺気がだだ漏れだ」
 薄れる意識の片隅で、リチャードが装甲を解き元の静かな表情に戻ったのが微かに記憶された。

 
 リチャードは池の周りに倒れる自分の部下たちと目の前に倒れているリンを見比べながらしばらく考え込んでいた。やがて意識のないリンを背中に背負い外に向かって歩き出したが、門を出る前に屋敷を振り返り、踊り場の陰で息を殺して震えていた沙耶香に向かって声をかけた。
「心配しなくていい。この男は無事に帰す」

 

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