目次
2 送別会
リチャードたちの《巨大な星》滞在も一週間を残すのみとなった。
週末には四人で再びアンフィテアトルに繰り出した。目的地は郊外にある連邦大学アンフィテアトル校だった。
夏休みのせいか人の数はまばらで、グラウンドでは学生たちがスペースボールの練習を行っていた。
「同じ連邦大学でもダレン校とは違った雰囲気だな」とコメッティーノが言った。
「うむ、自分も先週ここを訪れて同じ事を感じた」と答えたゼクトの言葉を聞いて水牙が質問をした。
「そう言えば某はゼクトの話をまだ聞いていなかった。首尾はどうだったのだ?」
「それがな、確かにバスキア・ローンという大学院生はいたがすでに退学届を出していた。何でも《森の星》に向かったらしいと事務の方が言っていた。担当教授が連絡を取ったらしいのだが、その時には『ウォール』の向こう側に行かなくてはならないと言っていたという話だ」
「『ウォール』の向こう側……それではポータバインドが繋がらないのも無理はないな」
「ああ、だがバスキアは強い人だからきっと無事で暮らしている。心配はしていない」
「ゼクトは呑気だなあ」
コメッティーノが茶化すように言うとゼクトは少しむっとしたような顔になった。
「どこが呑気なものか。自分はお前らと違って壮絶な人生を歩んできたのだぞ。例えば命の恩人を挙げただけでも三人はいるが、そう簡単に会う事すら叶わんのだ」
「へえ、そりゃ誰だい?」
「一人目は今言ったバスキア、自分を《戦の星》から救い出してくれた。二人目は『空を翔る者』、パパーヌ、この方は宇宙を放浪していた自分と父を救ってくれた。そして今の親父、トポノフだ」
「確かに『ウォール』の向こう側や空を翔る者じゃあ、会うのは難しいな」
「そうだろう。無論、自分が呑気なのは認めるが」
「何だよ、認めてるじゃねえか」
「さあ、先生の部屋はそこだ」
リチャードが静かに言い、ドアをノックすると「どうぞ」と中から声が返ってきた。
四人がドアを開けて入ると部屋はあらかた片付けられていた。荷造りの終わった荷物、残っているのは備え付けの机と数脚の椅子だけだった。
アレクサンダー先生がこちらを向いて座っており、来客らしき大柄の人物が背中を向けて相対して座っているのが見えた。
「ああ、先生。お客さんがいらしてたんだね。後で寄るよ」
コメッティーノが言うと、背中を向けて座っていた人物が何かを言おうとしたアレクサンダーを制して立ち上がった。
立ち上がった人物はドアの所に立つ四人の方に向き直った。身長が二メートル近くあるだろうか、全身黒ずくめの出で立ちをしていた。思慮深そうな顔立ちに熱の宿った目をした中年に差しかかろうかという男だった。
しかし目を引いたのは、男の顔の左の額の生え際から右の顎まで顔全体を横断するように刻まれた傷跡だった。傷跡はそれだけでなく左の頬と右の目の上にもあった。浅いものも合せれば、顔中が傷跡に覆われていた。
男は四人を興味深そうに眺めながら無言で部屋を出ていこうとした。目が合った四人は男の発する圧倒的な迫力に息を呑み、普段なら気軽に言葉をかけるコメッティーノでさえ黙ったままだった。
「まあまあ、せっかくだから私の教え子たちを紹介させてはくれないか」
アレクサンダーがドアに手をかけた男に声をかけ、男の動きが止まった。
「まず、君の隣のもしゃもしゃ頭がコメッティーノ、トリチェリ議長のご子息だ」
男はドアノブにかけた手を上げ、再び四人に向き直った。コメッティーノに近付き、握手を求めた。
「よろしく」
「あ、ああ。よろしく」
「紹介を続けるかな。コメッティーノの右にいる金髪の長い髪の青年、トーグル王の長男、リチャード・センテニアだ」
男は部屋の中央に戻り、元から座っていた椅子をアレクサンダーの方向から四人に向け直して座った。
「短髪の男、彼はトポノフ将軍の養子、ゼクト・ファンデザンデ。黒髪が公孫転地の長男、公孫水牙だ」
男はアレクサンダーの説明を聞くと満足そうに微笑み、自ら口を開いた。
「私はこの星の大帝と呼ばれる者だ」
四人とも言葉を発せず、沈黙を破ったのは再び大帝だった。
「先生、うらやましい限りですな。これだけの優秀な生徒たちと日々接していらして」
「うむ、教師としては否定するべきだが、実際に優秀だ」
「コメッティーノ君に関しては、いずれは連邦の中枢を担うのでしょうな」
質問されたコメッティーノはようやく緊張が解けたのか、普段通りに喋り出した。
「いや、どうするか決めてねえよ」
「お父上が残念がる」
「そんな事はねえよ。それより大帝ともあろう人間が未だ連邦民になってない。連邦が今一番必要としてるのはあんたなんじゃないかい?」
「私は流れ者だ。連邦民になる資格などないのだよ」
リチャードが口を開いた。
「私もコメッティーノの意見に賛成です。大帝のようなお方が連邦の内部に入って腐敗した輩を追い出して下さればトリチェリ議長も助かるでしょう」
「ほぉ、連邦はそんなに酷いかね?」
「父の受け売りですので実際にこの目で見た訳では。いい加減な事を申し上げて失礼致しました」
「リチャード君の家はデルギウスを輩出した名門。連邦は我が子のようなものだ。『全能の王』の再来と呼ばれる君のような若者がきっと銀河を正しい方向に導いてくれる。素晴らしいですな、先生」
「……うむ、本人はその呼び名をあまり気に入っておらんようだがな」
「当り前です、先生。私はまだ何も成し遂げていないのです。大門の儀式すら……」
「ん、それは何の事でしょう?」
大帝の問いかけに再び沈黙が訪れ、ゼクトが恐る恐る口を開いた。
「軍務の面からも大帝の評判は大変なものです。うちの親父は『ホルクロフトもオサーリオも大帝にぞっこんだ』とやっかみ半分に申しておりました」
水牙が続けた。
「《武の星》や《将の星》でも評判になっています。現在、軍紀が最も高いのは《巨大な星》に常駐する連邦軍だと」
「おやおや、連邦軍は私に関係ない」
「ウワサじゃ、連邦の将軍がメロメロになってる理由は銀河最強の男、ゲルシュタッドを倒したからだって聞いてるぜ。しかもそのゲルシュタッドを登用したって話じゃねえか」とコメッティーノが言った。
「もし仮に今、大帝、あなたが新たな銀河秩序を宣言されたら連邦などひとたまりもありません」
リチャードが言うと大帝は楽しそうに笑った。
「若者というのは実に想像力が豊かで楽しいものだ。残念ながら私にそのような大それた考えなどない」
「では大帝の建国目的は何ですか?」
「聞くまでもない――『銀河の叡智』の再現に少しでも尽力できればいい、それ以外に何があるかね?」
大帝の当然の答えに三度、沈黙が訪れ、大帝自らがその沈黙を破った。
「今度は私から質問をさせてもらおう。もし仮に、万が一、私が立ち上がったとしたなら君たちは腐敗しているという連邦に付くか、それとも私と行動を共にするかね?」
「自分は」とゼクトが口を開いた。「大恩あるトポノフを裏切る事はできません」
「某も」と水牙も言った。「星の長老の決定に従うのみです」
「ふむ、武人らしい答えだ。リチャード君はどうする?」
「私は――わかりません。現在の連邦秩序を維持し続けていても叡智が再現するとは思えません。『銀河の叡智』の再現こそが全てに優先されるという大帝のお考えには正直、心動かされます」
「おい、リチャード」とコメッティーノが言った。「お前、問題発言だぞ。連邦を否定してもいいのかよ」
「ははは、あくまでも仮定の話じゃないか。コメッティーノ君ならどうする?」
「おれかい。おれはめんどくさいのは好きじゃねえ。勝手にやらせてもらうってのじゃ答えになってないかな?」
「いや、立派な答えだよ――さて、若い英雄たちと話ができて良かった。せっかくの送別会の邪魔をしてはいけないから私はお暇しよう。先生、また五時間後くらいに寄らせて頂きますが、よろしいですか?」
「おお、構わんとも」
コメッティーノが予約を入れたアンフィテアトルのレストランで送別会が行われた。
生演奏の音楽が流れる静かな雰囲気の店だった。
「先生、《牧童の星》に帰っちまうんだろ。何するんだい?」とコメッティーノが尋ねた。
「ああ、家畜を飼い、その恵みで暮らす。暇な時間には本を読み、星を見る。そんな暮らしだな」
「アンタゴニス先生のように私を助けてほしいと思ったのですが」
リチャードが残念そうに言うとアレクサンダーは少し顔を引きつらせた。
「リチャード、もう限界なのだ。その理由は……お前には想像がつくだろう」
「はい」
「なかなか穏やかじゃねえが、おれの親父にも責任あんだろうな」
「いや、トリチェリ議長はよくやられているぞ。腐り切った連邦内部は足の引っ張り合い、あのような雰囲気で力を発揮するのは難しい」
「さっきリチャードが大帝に尋ねられた時に答えられなかったが、本当に腐ってんだな」
それまで四人は今しがた会ったばかりの大帝の話を意識して避けていたが、コメッティーノが「大帝」の一言を口にした途端、雰囲気が一変した。
「その大帝だが」とアレクサンダーが言った。「君たちはどう思う?ゼクトの言ったようにこの星の将軍たちは皆、大帝に心酔している。軍事においてはラカ・ジョンストン提督、内政においては会った事はないがジノーラという切れ者、それにこの星で絶大な人気を誇る宗教家のマンスールまで大帝を支持している。これが意味する所は何だ?」
「……大帝、いや、この星は連邦を離脱する?」
「その通りだ。だが私がわからないのは、その時期はとうに過ぎていると思われるのに大帝が行動を起こさない事だ」
「本当に連邦に対する忠誠心があるって事かい?」
「実は私も大帝と話をしたのは初めてだったがあの男は秘密が多い。連邦に対する忠誠心などこれっぽっちも持ち合わせていないだろう」
「大帝は先生とどんな風に知り合ったんだい?」
「それが妙な話でな。昨日ふらっとオフィスにやってきて『デズモンド・ピアナを知っているか』と訊いたのだ」
「またデズモンドかよ……で、先生は何て答えたんだい?」
「もちろん『知っている』と答えた。私を《牧童の星》から表舞台に連れ出してくれたのはデズモンドだからな。すると大帝は『私はデズモンドを知っている人間と話をするのが趣味だ』と言ったのだ」
「そりゃまたどうして?」
「今日それを尋ねるつもりだったが、君たちが来て詳しく聞けなかった。だがどうやらデズモンドに育てられたようだ」
「えっ、すると大帝は《巨大な星》の生まれか。連邦に加盟してないどこかの星から来たって噂だったが」
「いや、そうとは限らんぞ。デズモンドは様々な星を旅しているからな。現に私がデズモンドに会ったのは、彼が《青の星》に滞在中だった」
「《青の星》?」
コメッティーノが驚いたような声を上げた。
「そりゃあねえだろう。シップもない原始的な星だって聞くぜ。そもそもどうやってここまで来るんだよ」
「いや、シップ技術がないのであれば自分の生まれた《戦の星》も同じだぞ。誰かのシップに乗って来たのではないか」とゼクトが反論した。
「まあ、大帝がどこの生まれかはどうでもいいや。ここでああだこうだ言ってても始まらねえ。先生、この後、大帝と又会うんだろ。何か事を起こすつもりなのか、直接聞いてくれよ」
「コメッティーノらしいな。まあ、聞いてみよう」
四人と別れたアレクサンダーが大学のオフィスに戻るとすでに大帝が待っていた。
「やあ、お待たせしてしまったかな」
「優秀な教え子と充実した時間は過ごせましたかな?」
「ああ、実に興味深い会合だった。話題の中心は専ら君だったがな」
「どういう意味でしょうか?」
「ずばり聞こう。君は連邦を離脱し、新たな勢力を形成するつもりか?」
「確かに直球の質問ですな。ですが引退される先生がそれを聞いた所でどうする事もできないでしょう」
「うむ、私自身にはそんな力は残っていないが可愛い教え子たちがいる。彼らを辛い目には遭わせたくないのでな」
「なるほど。美しき師弟愛ですな――正直にお答えしましょう。私は先生と同じ考えです」
「私と……どういう意味かな?」
「先生は連邦にご自分の主張が聞き入れてもらえなかったから引退という形を取られた。私は今のままの連邦であれば、いっそ潰してしまった方が良いと思っています」
「それにしては行動が遅いな。君が建国宣言をしてからもう数年経っているではないか?」
「先生。先ほども申し上げました通り、今一度銀河の秩序を作り出すには叡智の再現が不可欠です。私はそのための最良の時を待っているのです」
「はて、君は預言者か。言っている意味がわからん」
「叡智を発現させるためにはそれなりの人材が必要だと申し上げているのです」
「……さてはリチャードを担ごうとしているな。それはいかん、絶対にいかんぞ」
「何故ですか。欲を言えば今日会ったコメッティーノ、ゼクト、水牙も是非欲しいが、まずはリチャードです。それとも先生は手塩にかけた教え子がどこの馬の骨ともわからぬ私に取られるのが惜しいのですか?」
「そんな事ではない。リチャードだけは……絶対にいかんのだ。そもそも考えてみるがよい。センテニア家もブライトピア家も連邦創始者の家系、連邦を離脱するはずがない」
「いざとなれば力づくでも奪います」
「ふふふ、連邦を甘く見ない方がいい。腐ったとは言え、連邦の軍は強力だ。たとえ名のある将軍たちが君に付いていても、そう簡単には落とせんよ。センテニア、ブライトピアの若き兄弟たちは強いぞ」
「存じ上げております。私もできる限り平和裏に事を進めたい。必ずどこかに綻びはある、そこを日夜考えておりますが、今の先生の慌てぶりを見ると案外脆い『何か』があるのかもしれませんね」
「……そこまで私に打ち明けるとは大した自信家だな。君との話の内容を彼らに伝える約束をしているのだが構わんね」
「一向に構いませんよ。来年リチャード君が卒業をしてから行動を起こそうと考えていましたが、時期が少し早まるだけです」
「ふふん、それでは私は外からじっくりと見物させてもらうよ。せいぜい元気で暮らす事だ」
「先生もお元気で」
大帝は立ち上がり、アレクサンダーと握手を交わした。
大帝と握手した瞬間にアレクサンダーは自分の中で突然何かが目覚めるのを自覚した。
これは――あの赤い雨の日の……
次の瞬間、アレクサンダーは自分で思ってもみない事を口走りそうになり、慌てて手で口を塞いだが間に合わなかった。
「私がただ見物しているだけだと思うなよ。帝国だけが新秩序を目指す勢力ではないぞ」
大帝は怪訝そうな表情でアレクサンダーを見つめたが、やがて何かを察したように、にやりと笑った。
「これは先生、今、先生の本音が聞こえました。早く行動を開始しないと私が先に連邦を滅ぼしますよ」
「……わかっている。まずは君のお手並み拝見、私の行動はそれからだ」