目次
3 帰還者
アンフィテアトルの町をやや北に行った所に静かな高級別荘地域があった。裕福な人々の避暑地として栄えていたが、気まぐれな住人達は今では大陸を離れた小島や南のショコノに心変わりして、かつての栄華はどこにも見当たらなかった。
まだ春を迎えたばかりだった。この地域を訪れる物好きの姿は街中に見当たらず、町の中心を流れる小川に沿って植えられた木々がまるで桜のような淡いピンクの花を付け、さやさやと風に音を立てていた。
ダイトはこの場所が好きだった。
名前らしきもの以外の記憶を一切なくしていたので理由はわからなかったが、もしかすると昔暮らした場所に似ているのかもしれない。
小川の土手に腰を降ろし、咲き誇る淡いピンクの花を見上げていると、不思議と懐かしい気持ちがこみ上げた。
アンフィテアトルの人々は今日の赤い空を見て恐慌に陥っていた。「世界の終り」が来たと言う者もいたがそんなのはどうでも良かった。
このまま終わってしまうのであればそれでいい、自分がどこの誰で、何を為すためにこの世に生を受けたのかがわからないままであれば、世界に意味などなかった。
最近ではエテルの研究所にもあまり顔を出さなかった。エテルは色々と良くしてくれたが、彼の研究を手伝い、それが完成した所で自分の手の中に何が残るというのだ。
小さく風が吹き、花びらがダイトの頬に舞い落ちた。彼は静かに目を閉じ、終末を待とうと思った。
「ずいぶんと物騒ね」
ダイトは突然背後から声をかけられて居住いを正し、土手の上を振り返った。
「……貴女は?」
「あたしはチエラドンナ。あなたが終わって欲しいと願うこの世界を終わらせる事も、また始める事もできるのが、創造主であるあたし」
チエラドンナは土手の草の上に座ったまま何も答えないでいるダイトの隣に、赤いドレスの裾をふわりとはためかせて座った。
「でもまだこの世界は終わらせないわ。あなただって自分が何者か知らないままで死にたくないでしょ?」
「あなたはArhatですか?」
「鈍いわね。そう言ったじゃない」
「何故ここに?」
「あなたに一暴れしてもらいたくてわざわざ来たのよ」
「どういう意味でしょう?」
「追々わかるわよ。ところであなた、この景色好きなんでしょ?」
「――はい」
「つい最近、あなたの生まれ育った星を訪ねたの。ちょうどこんな風に花が咲き乱れていたわ」
「……私をご存じなのですか?」
「言ったでしょ。あたしはあなた達の母親のようなものよ。何でも知ってるに決まってるじゃない。直接あなたの意識に働きかけてもいいんだけど特別にこうして話してあげているの」
チエラドンナは嬉しそうに言って自分の手をダイトの手に重ねた。
「あなたの名前はダイト・スラ。生まれ育ったのはここから遠く離れた《青の星》よ。下等な星だけれども、あなたは抜きん出た武術の腕前と明晰な頭脳を持っていた。もっともあまりにも優秀だったために悲劇が起こった訳だけれど」
顔と同じく傷だらけになった手をチエラドンナに握られたままで、大都は黙って話を聞いた。
「あなたはこれまでの生涯で四人の重要な人物に出会っている。一人目はあなたの父、ケント・スラ。思い出した?」
「――思い出しました。父は教師をしていたが戦死しました。優しい人でした」
「良かったわ。二人目、三人目は一旦置いておいて、あなたがどうやってここに来たかを話しましょう――
――あなたはとてつもなく優秀な成績で大学を卒業して、ある人物との約束を果たすため、ある研究に没頭した。その研究とは転移装置。何と言う偶然かしらね、エテルとほぼ同じ時期にあなたも転移装置の研究をしていたなんて。
あなたの研究はほぼ完成に近付いた。ところが姑息な企みにより、自ら作り上げた装置で戻る当てのない片道旅行に送り出されてしまったのよ――
「ここまではいい?」
いつの間にかチエラドンナの手の下で大都は拳を固く握りしめていた。
「――企み。事故ではなかったのか。スイッチを入れれば二台の装置に同時に電源が入る仕組みだったが、一台はショートした。しかしそんな事ができるのは……源蔵も糸瀬もそんな人間ではない」
「犯人探しはもう少し待ちなさい。話を続けるわよ――
――片方の転移装置で勢いをつけて異次元に飛び出したのはいいけれど、肝心の受け止める側の装置が動いていないから、あなたは次元の狭間を彷徨う羽目になった。
普通の人間であれば精神に変調をきたし、やがて肉体も滅び、帰らぬ人、つまり『神隠し』という奴ね、になるのだろうけれど、あなたは違った。
信じられない強固な精神力で次元の狭間をただただ出口を求めて歩き続けた――
「ちょっと待って下さい」と言って大都が話を遮った。「装置のからくりがおわかりなんですね?」
「当り前じゃない。力を加えて別次元に行き、またそこから強大な力でこちらに戻ってくるだけのものでしょ。『上の世界』の者であるあたしにはごくありきたりの事、特にあたしの友達のギーギなんて、まるで息をするように次元を繋ぐわ」
「……そうでしたか。ものすごい発明だと思っていたのですが」
「そんなに卑下する必要はないわ。上出来よ。ただ制御ができない内は使用したらだめね」
「するとエテルが今行っている研究も?」
「さあ、確かなのは皆から拒絶されるだろうって事。仕方ないわね。話、続けていいかしら?――
――傷だらけになりながらもあなたはある場所にたどり着いた。そこは異世界にある『死者の国』と呼ばれる場所――
「『死者の国』?」
「そう、『地獄』と呼ぶ人もいる、全ての魂が浄化され、転生を待つ場所よ」
「私は死んだのですか?」
「ううん、そうじゃないわ。生きながらにして『死者の国』に辿り着いてしまったの。これに喜んだのが『死者の国』の主、マックスウェル大公。ぼろぼろになったあなたを一目見てその特異さに気付いたのよ」
「特異さ?私はただの科学者でしょう?」
「その特異さはまだ話していない二人目と三人目の人物によるものが大きかったの。あなたに興味を持ったマックスウェルはあなたを生かしたまま元の世界に帰そうと考えた。そして《巨大な星》におあつらえ向きのエテルの転移装置を発見し、そこにあなたを送り込んだって訳よ。こんなのはサフィ・ニンゴラント以来、あなたは生きたまま『死者の国』から帰還した二人目の人間」
「――今ある話を思い出しました。ノカーノの妻ローチェは『死者の国』から蘇っていませんか?」
「ぷっ、変な話、知ってるのね。でもそれはワンデライの石の力を借りたジュカが無理矢理に蘇らせたケース。マックスウェルは関係ないわ――普通は生きたままで『死者の国』に足を踏み入れた者は悲惨、浄化されずに悪鬼となった魂に食い尽くされてしまうのだそうよ」
「では私は?」
「死んではいない。マックスウェルに救われ、そして今あたしに選ばれた。話はまだ終わってないわ――
――マックスウェルをそこまで引き付けたのはあなたが子供の頃に関係があった二人目と三人目の男。三人目の男は銀河一の武術の使い手。あなたは彼に出会い、剣術を習った
――ケイジ、私の師匠のワンガミラです」
――二人目の男はあなたの学問の師、あなたが研究の道に進んだのもその男との約束を果たすため。その男、『クロニクル』の編者、その名は――
――デズモンド・ピアナ!」
大都はチエラドンナの手を握ったまま立ち上がった。
「チエラドンナ。デズモンドは今どこに、どこにいますか?」
「ケイジはまだ《青の星》にいるようだけど、デズモンドはずっと遠い場所――行方不明って事にしておきましょう」
「ああ、私は何故それを思い出せなかったのだろう。デズモンドとの約束、『今度会う時は銀河のどこかで』。それだけを信じて研究に勤しんでいたんだ――そうだ、連邦民申請をしてインプリントしてもらい、連絡を取らないと」
「折角の所悪いけど、あなたにはそんなつまらない事してもらいたくないのよ」
「……どういう意味ですか?」
「今更あんな弱体化した銀河連邦なんかにすがってどうするの。それよりもあなたには銀河の新しい秩序を作り上げてほしいのよ」
「新しい秩序とは?」
「あなたが銀河の王となるのよ」
「私にはそんな大それた野望など」
「あら、いいのかしら。あなたをこんな目に遭わせた糸瀬とその背後の組織に一泡吹かせるためには強大な力を持つ事が必要じゃない?」
「――何と言いました。糸瀬が私を陥れたと」
「口が滑っちゃった。でも今のあなたじゃ、遠い《青の星》に行くのさえ難行よ」
「……糸瀬が私を」
「あなたの大切な物を全て奪った憎い男よ。復讐したいでしょ。でもあなたにはもっと大きな事を成し遂げて欲しいの。さあ、座りなさい」
大都はチエラドンナに手を引かれたまま、再び土手に腰を降ろした。
「あなたの研究だけでなく、素敵な婚約者もそのお腹にいた娘も、糸瀬とその黒幕は全て奪っていったの」
「……私の娘?」
「憎いでしょ。でもその黒幕はとても強大よ。今のあなたでは到底敵わない。だから力が必要なの」
大都は俯いたままでしばらく黙っていたが、ゆっくりと顔を上げた。
「チエラドンナ、私は立派な男たちに育てられました。そんな彼らを見て、自分もいつかはああなりたい、子供たちに尊敬される大人になりたい、ずっとそう思ってきました。若い世代を守るために自分を犠牲にして死んでいった父、どんな困難に直面しても笑い飛ばしていたデズモンド、氷の様に冷静だったケイジ。もしも私怨に囚われ、復讐に生涯をかけたとしたら、彼らはどう思うでしょうか?」
「復讐を目的としない、という意味?」
「はい。しかし銀河の王にはなってみせます。王になった私の姿を見れば糸瀬も何かを感じ取るはずです。それが私なりの示しの付け方です」
「ダイト、あなた、あたしが思っていた以上の男ね。よくわかったわ。ちょっと目を閉じていてくれる?」