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3 天の子
女はホテルの喫茶室で紅茶を飲んでいた。
これから久しぶりに様子を見に行くリンの事を思い、思わず笑顔がこぼれるのだった。
「上機嫌だな」
突然に声をかけられて、サングラスをしたままの女は顔を上げた。
そこには黒眼鏡をかけた男が立っていた。
「あら、久しぶりね」
「そうだな。戦争が終わる前にあんたはとっとと大陸から姿を消していた」
男は女の向かいの席に腰かけてコーヒーを注文した。
「そっちこそ。偽りの名前と共に死んでいくような事言ってなかった?」
「気が変わったのだ――あんたと同じで見届けるべき事ができた」
「あら、そう。で今日は何の用?」
「どうしてもあんたに聞きたい事があってな。その上機嫌と関係あるのではないかと睨んでいるんだが」
「あなたに関係あろうとなかろうとあたしの邪魔は困るわよ。あの子はあたしの最高傑作、そのために長年準備してきたんだから」
「そんな事はしないさ。ただ私に関係があるのであれば私にも知っておく権利があるとは思わんか」
「やっぱり一枚噛んでこようとしてるじゃない。そう簡単には教えられないわよ」
「だったら交換条件だ。こちらの最新情報を教えてやってもいいのだが……きっとあんたの最高傑作とやらの今後に関わってくるのではないかと思ってわざわざここに来たんだからな」
「嘘をつくためだけにここに来るほどの暇人じゃないでしょうし……いいわ。話してちょうだい。そうしたらこちらもあなたの知りたい事を教えてあげるから」
「よし、では話そう。『シンクロニシティ』だ」
「共時性?」
「そうだ。あんたはあんたの最高傑作が順調に成長している事に夢中になっているだろうが、それはあんたに限った事じゃない。他の場所でも同じ事がほぼ同じタイミングで起こっている」
「具体的には?」
「私が知っている限り二か所、一つは南、九州だ」
「九州……矢倉?」
「その通り。矢倉衆にも最高傑作が誕生した。彼らはこの『死王』と呼ばれる頭領を押し立てていずれは体制に弓を弾くつもりだと言っていた」
「へえ、もう一つは?」
「詳しい場所までは知らないが、『蜃』と呼ばれている」
「北陸沿岸の『海の人』ね?」
「知っていれば話は早い。散り散りになっていた彼らを再びまとめ上げる新しい旗印、それが蜃だそうだ」
「関係ないわね。だって『遠野』は今更この島国の体制を転覆させる企てなんてないもの。この銀河を救う救世主を生み出すのが使命なんだから、他の『奉ろわぬ者」は好きにすればいいじゃない」
「そうもいかない。矢倉は当面遠野のやる事を静観するようだが、蜃はそうではなかった。そちらの最高傑作を亡き者にしようと息巻いている」
「バカバカしい。そんな話になるのも全部あなたが各地で吹き込んでいるからでしょう。とんだマッチポンプ、いえ、火は消さずに火を付けて回っているだけか」
「仕方がないんだ。何しろ全方位外交なものでね」
「で、いつ頃から攻勢が始まると見ておけばいいの?」
「そうだな。来年の万博前後ではないかな。警察も多忙で一般人の生き死にには構っていられなくなる」
「でもあの子のバックには銀河一の剣士が付いてるのよ」
「ケイジか。須良大都で打ち止めかと思っていたが新たな弟子を取るとはな。まあ、それも最高傑作の最高傑作たる所以か」
「……須良大都。勿体ない事したわね。デズモンド・ピアナとケイジの薫陶を受けた男。ラボで会った時に忠告したんだけど防げなかったわ」
「やむを得んさ。彼はこの星には納まり切らん。企画外だった」
「……あなたが知りたい話、これからしてあげてもいいけどそこが心配なのよ。あの人に知れたら須良大都の時と同じように又とんでもない悲劇を招くかもしれない」
「決して他言はしない。それにもうあんな事は起こらないと断言できる」
「だったら話してあげるわ。今まで誰にも話した事のなかった銀河の最高傑作を生みだすに当たっての秘密を――
「――私にも大いに関係のある話だな」
「気持ちは変わった?」
「こうなると蜃なぞにちょろちょろ動き回られるのはうっとおしい。釘を刺しておくか」
「いっその事潰してしまえば。時代遅れの体制に弓弾く者なんて」
「手厳しいな」
「当たり前でしょ。銀河の救世主を出現させようという時に雑音でしかないわ」
「まあ、矢倉や他の奉ろわぬ者の手前もあるし、遠野の一存だけで荒っぽい真似はできない」
「博愛主義者なのね」
「とにかく全力を挙げてその子を守らねばならないな。何か手立てはあるのか?」
「特に何もしてないわ。あの子なら乗り切れる」
「大した自信だな。まあ、蜃には釘を刺しておくさ」