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2 転送されてきた男
アンフィテアトルのバー”Le Reve”でエテルとユサクリスがよもやま話に花を咲かせていた。
「エテル、実験の方はどうだい?」
「ユサクリス、順調だよ。今週から連邦の人間を招いての第一回プレゼンテーションに移行した。これで上手くいけば予算がつき、そこからは一気に加速するはずだ」
「素晴らしいな。ますます君の名声は高くなり――」
サロンのドアが開いた。
「エテル様、ここにいらしたのですか?」
「どうした、ギンモンテ。そんなに慌てて」
「これはユサクリス様……」
「ギンモンテ、ユサクリスの前だ。秘密にする事は何もない。遠慮せずに言ってみろ」
「はい、転移装置に人間が転送されてきました――」
「……もう一度言ってくれないか」
「装置が人間を受信しました」
エテルはギンモンテと一緒に急いで実験場に戻った。
実験場ではバンバが心配そうにうろうろしていた。
「バンバ、何かの間違いではないだろうな?」
「ああ、先生。大変な事が起こっちまったよ。やっぱり罰が当たったんだよ」
「馬鹿げた事を言うな。それで、その人間は――生きているのか、それとも?」
「まだ息があったからベッドで寝かしてる。でも素っ裸で全身傷だらけ」
「本当か。ギンモンテ」
「はい。事故が起こる少し前に急に場内の電圧が下がったので、一旦電源を停止しました。その後、再び電源を入れた所、転移装置が目を開けていられないほどの白い光に包まれたのです。装置に近づくと、”Receive”のサインが点灯していました。急いで装置を開けると、そこに傷だらけの裸の男が倒れていたのです」
「ギンモンテ、こういう時こそ冷静になろう。話を整理するぞ。まず、君はもう一基の装置に人を入れたか、いや、何者かが侵入するのを見たか?」
「いえ、絶対にそんな事はありません。私もバンバも今日はずっとこの場所におりました。誰かが入って来たらすぐにわかるはずです」
「その人間はどこからやって来たか、当人に聞いてみるしかないか――バンバ、話はできそうか?」
「わからない。もう目を覚ましてるかもしれない」
「では行こう――ギンモンテ、実験場の様子は録画してあるな」
「もちろん、常時、複数個所から撮ってます」
「後で確認するとしよう。映像は消去するなよ」
エテルたちが実験場の隣の仮眠室に入っていくと男はベッドの上に上半身を起こして座っていた。
バンバの言葉通り、まだ若いその男の顔にも体にも全身の至る場所に大小無数の傷跡があった。
戦場で受けた傷だろうか、でないとしたらどれだけ苛烈な人生を送ればこれほど傷だらけになるのだろう、エテルは秘かに身震いを覚えた。
「やあ、君。具合はどうかね。無理しちゃいかん。辛かったら寝ていた方がいい」
「……ありがとうございます」
「もし調子が良いなら少し話をしたいのだが構わんかね?」
「はい。大丈夫です」
「聞いた事があるかもしれないが私の名前はエテル。今はここに実験場を設けている」
「……エテル?」
「まあいい。で、君の名は?連邦民IDは?どこで何をしている人間だ?」
男はしばらく考えていたが、やがてベッドの上で頭を抱えた。
「……だめだ。思い出せない」
「ふむ、仕方ないな。まあ、時が経てば思い出すだろう。ここで好きなだけゆっくりしていくがいい。何しろ君は転移装置を使用した最初の栄誉ある人間だからな」
エテルは去り際にギンモンテを呼び付けた。
「よいか。医者に見せてもいけないぞ。この件は当分の間、三人だけの秘密だ」
翌日、エテルが実験場に赴くと先に来ていたギンモンテが近寄ってきた。
「ギンモンテ、あの男に変わった所があったか?」
「はい。今朝は大分調子が良さそうだったので実験場を見せて回りました。転移装置の所まで来ると、装置に手を触れ、ずいぶん長い間考え込んでいましたが――」
「何があった?」
「どうやら自分の名前だけは思い出したようです」
「何という名だ?」
「はい。『ダイト』とだけ」
「ダイト、聞き覚えのない名だな――後で街に出てさりげなく聞いてみよう」
エテルはギンモンテを伴い、ダイトのいる仮眠所に向かった。
ダイトは窓際に椅子を運んで、それに座り、ぼぉっと外を見ていた。
「やあ、名前を思い出したようだね、ダイト君。ご機嫌は如何かね?」
「ああ、エテルさん、ありがとうございます。おかげで大分良くなりました――ところで隣の部屋にある、あの一対の大きな装置は何でしょう。あれを見ていたら、突然に自分の名前だけ浮かんだのです」
「ふむ。あの装置こそ私の現在取り組んでいる研究そのものなのだよ。君はあの装置の中に倒れていた」
「そうだったんですか――ところでここはどこですか?」
「アンフィテアトルのはずれにある研究所だが」
「アンフィテアトル――聞いた事のない地名です。上手く説明できませんが、ここは私が暮らしていた場所とは何かが違うという気がしてならないのです」
「ダイト君。言いたいのはこういう事だろうか。君はこの《巨大な星》のアンフィテアトルの住人ではなく、どこか別の場所から来た」
「……おそらくそうだと思います。昨夜、夜空に四つの月が見えました。私はあのような景色を見た事はなかった」
「エテル様」とギンモンテが驚いた声を上げた。「そうするとダイト君は別の場所から、その、装置に」
「そう考えるのが妥当だろう。昨夜実験場の映像を見たが誰も侵入者はなかった。つまり別の場所から受信したのでないと説明がつかない――だが新たな疑問が湧く。誰かが別の場所で送信をしたのか、それとも単なる事故か、もしも別の場所での送信となると、私以外にも装置の研究をする人物がいるという事になる。事故となればこの研究は危険過ぎて実用化できないと断定されてしまうかもしれない」
「エテル様、それを明らかにするには?」
「ダイト君の記憶が戻ってさえくれればいいのだが」
「申し訳ありません」
ダイトが弱々しい声を上げた。
「よくはわかりませんが、ご迷惑をおかけしているのですね」
「いや、気に病む事はない。まだ二日目ではないか――そうだ、ダイト君。しばらく私の研究を手伝ってはくれないか。その、ここを出ていっても、住む場所もないだろう」
「エテル様、ここはやはり然るべき機関に身柄を委ねた方がよろしくありませんか?」
ギンモンテの問いかけにエテルは黙って首を横に振った。
「いや、ギンモンテ。あくまでも私の勘だがダイト君はこの星の人間ではない。彼の腕をご覧。インプリントの跡がない、つまり連邦民ではないという証拠だ。言葉が通じるのは、彼の話す言葉がポリオーラルの言語体系に属しているものだからだ」
「あっ、本当だ。しかし事情があってインプリントしていない可能性もありますし、デプリントする場合だってあります」
「確かにそうだ。だがデプリントしている場合は履歴を照会すれば何かヒットするだろう。その辺も含めて調査しようじゃないか――ダイト君、私たちは君の身許を明らかにするために全力を挙げよう。心配せずに私とギンモンテ、それにバンバを頼ってくれればよい」
「お言葉に甘えさせて頂きます」
ダイトはエテルの実験場で働くようになった。通常は当たり障りのない記録作業を手伝っていたが、時折、出力調整の不具合や回路不良を誰に教えられる事もなく直してしまった。
これを見たエテルは、いよいよダイトがどこか別の星で転移装置と似た装置の研究に関わっていたに違いないと睨んだ。
ある日、実験場で二人きりになった時を見計らい、エテルはダイトに話しかけた。
「ダイト君、君が来てくれたおかげで助かっているよ。ところで君は以前にもこれに似た装置を見た事があったのではないかね?」
「……それが良く思い出せないのです。でも勝手に体が動いてしまうのでそうなのかもしれませんね」
「更に言うならば、君はこれと似た装置を使った。そして何らかのトラブルに巻き込まれ、ここで受信された。その全身の傷はその時に付いたものではないかな」
「私がこの装置と同じものを使った……やはり何も思い出せないです」
「無理はせんでいいよ。何、もしかすると君もこの装置の研究者で、だとしたら私の研究も君の助言を受けて飛躍的に捗るのになどと横着な考えをしただけだ」
その日、ダイトは早い時刻に実験場を出た。エテルが世話してくれた、独り身の老人が管理人をしているアパートメントにまっすぐ戻る気分になれず、散歩をする事にした。
自分は誰なのか、考え事をしている内にいつの間にかアンフィテアトルの北のはずれに来たらしかった。
そこは人影もまばらな高級別荘地域だった。おそらく裕福な人々の避暑地なのだろうが、どこか侘しく見えた。
季節は春の盛りだった。別荘地域の中心を流れる小川に沿って植えられた木々が淡いピンクの花を付け、風に揺れていた。
ダイトはその景色に無性に郷愁を覚えた。
何故だろう、自分はこうしたピンクの花が咲き乱れる景色の中で暮らしていたのかもしれない、ダイトは土手に座って一人物思いにふけった。
文京区M、佐倉家の屋敷では真由美が死の床につこうとしていた。
枯れ木のように細くなった真由美の腕を幼い紗耶香が握り、使用人の中原は一歩退いた位置で直立しながらこの光景を眺めていた。
「……紗耶香。あなたの名前はあるお方が決めて下さったのよ」
どこから入ってきたのか、真由美横たわるベッドの上に桜の花びらが一枚、はらはらと舞い落ちた。
「……大都さん」
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