目次
3 トポノフ
「おい」
ゼクトは声を聞いたような気がした。嫌な夢の続きだろうか。
「おい」
また声がした。今度は肩を軽く揺さぶられた。
とすると、これは現実で呼ぶ声だ。ゼクトは目をこすりながらゆっくりと動いた。
「――子供の方は無事だ。すぐに来てくれ」
何の話をしているのだろう、ようやく視界に入るものがはっきりと見えた。
先ほどから自分を揺り起こしていたのは体格の良い、黒い顎鬚の中年男性だった。
「どうやら起きたようだな」
男性はほっとしたような表情を浮かべてから、ベンチに座るゼクトにぐいっと顔を近付けた。と同時に大きな両手でゼクトの頬を押さえたので、ゼクトは身動きが取れなくなった。
「隣の男性は君の知り合いか」
尋ねられたゼクトは横のロイを見ようとしたが、男の両手が力強く押さえるので首を曲げる事もできなかった。
「ぼくの父さんです」
ゼクトが押さえられた状態のまま答えると、男はゼクトの目を真正面から見据えたままで続けた。
「――いいか、よく聞け。君の父上は死んだ。昨夜の内に息を引き取ったのだろう」
そこまで言ってようやくゼクトを押さえていた両手が離れた。
ゼクトは機械仕掛けの人形のようにベンチから飛び降りて、昨夜と同じ姿勢のままで寝ているロイに近寄った。
恐る恐るロイの頬に手を触れた――ひどく冷たい。
「……父さん、父さん。起きてください。これから一緒にバスキアのおじさんを探すって約束したじゃないですか」
男はゼクトを悲しげに見てぽつりと言った。
「見れば連邦民ではない旅人のようだ。何があったかは聞かぬが辛い思いをしてきたのだろう。だが今のお父上の表情はひどく穏やかだ。何かから解放されたようにな」
ゼクトは男の言葉を聞かずに背中を向けたままロイに取りついてその体を揺すった。
男は少し時間が必要だと感じ、ベンチに立てかけてあった皮袋に納まった大剣を何気なく見た。
「ほぉ、この大剣はお父上の得物かな。なかなかの――」
男が大剣に手を触れようとした瞬間、ゼクトが突然に振り返って鬼気迫る表情で叫んだ。
「触るな」
「――おお、すまん。この剣を見る限り、お父上は名のある剣士だったのだな」
「その剣は、ぼくのだ」
「あ、ああ。そういう事か。だが今の君には無理だ。第一、剣が大き過ぎる」
するとゼクトが脱兎のようにベンチを降り、男のそばにあった大剣を皮袋ごとひったくった。そして男の前で大剣を皮袋から引き出し、そのまま構えに入った。
「――これは驚いた。君のような子供が」
男がしゃべっているのも聞かずにゼクトはそのまま広場の脇に置いてあった屋台に向かって剣を振り下ろした。
早朝の空気を切り裂いて真空剣が唸りを上げ、約五十メートル離れた場所で幌をかけてあった屋台は木端微塵に吹っ飛んだ。
「何という――だが、いかん」
男は素早い身のこなしでゼクトに近付き、大剣を取り上げた。
「何をする」
悲しみと怒りに震える声でゼクトが叫んだ。
「君の剣の腕はわかった。しかし今の君にこの剣を持たせる訳にはいかない」
「貴様、剣を返せ」
二人の下に数人の兵士たちが走り寄った。
「これはトポノフ将軍、連絡ありがとうございました」
一人の兵士が最敬礼をした。
「いや、朝の散歩は日課なのでね」
トポノフと呼ばれた男はそう言って、ロイが眠るように座っているベンチを目で示した。
「ああ、こちらが――お気の毒に」
兵士たちはロイの前で一斉に敬礼をした。そして年長者らしき兵士がトポノフに言った。
「後はこちらで対応致します。そこのお子さんがこの方の息子さんですな。そして将軍のお持ちになっている大剣が遺品という事になりますかな?」
トポノフはちらっとゼクトを見てから答えた。
「うむ、この大剣は私に預からせてもらえないか――ああ、それともう一つ、あそこの屋台が一台破壊されているので、その分の弁済をしてやってくれ」
兵士たちはトポノフの答えに怪訝そうな表情を見せたが、すぐに任務に取りかかった。
「ご遺体を運び出す。それから子供は保護する。落ち着けば身内の方が判明するだろう。では開始」
兵士たちはトポノフに再び敬礼をして各自の作業に移った。ゼクトを保護する係の兵士はトポノフを睨み付けたままのゼクトを抱きかかえるようにして去った。
後には大剣を持ったままのトポノフだけが残った。
「さて、どうしたものか」
その日の昼過ぎ、遺体安置場となっている連邦軍のダレン防衛本部を制服姿のトポノフが訪れた。
「これはトポノフ将軍」と兵士が敬礼をした。「わざわざお出で下さったのは、今朝の行き倒れの件に関してでしょうか」
「うむ。身元はわかったかね?」
「は、それがインプリントを受けていないので連邦民ではないのは明白ですが、子供の方が何もしゃべろうとはしません」
「ふーむ。ちょっと彼と話をさせてもらえないか。どうせこの大剣を返して上げなければいけない」
トポノフが現れた瞬間、ゼクトは席を蹴ってトポノフに飛びかかろうとして兵士に押さえつけられた。
「おい、子供に乱暴を働いてはいかんぞ」
「は、将軍。しかしこの子供、何も答えないものですから」
「無理もない。お父上を失くしたばかりなのだ――私に話をさせてもらえないだろうか」
担当の兵士が座っていた椅子にトポノフが座り、大剣を机の上に置いた。兵士はいる場所を失くして、いそいそと部屋を出ていき、部屋にはテーブルを挟んでトポノフとゼクトだけになった。
「先ほどの剣、見事だったぞ。だがどうして私が剣を取り上げたかわかるか?」
トポノフが尋ねたが、ゼクトは下を向いたまま答えようとしなかった。
「君の悲しみ、怒り、それは私にも痛いほど感じられた。しかし武人としては許されぬ行為だ。だから剣を取り上げた」
ゼクトはようやく顔を上げたが何も言わなかった。
「あのように一時の感情に任せて剣を振るったのでは武人として尊敬はされない。時として人を殺さねばならない仕事だが、人として失ってはいけないものがあるのだ――言っている事が難し過ぎるかな?」
「……そんな事ありません」
「君がこのまま成長すればさぞや立派な剣士となる。但し心も同時に磨く事ができればの話だがな」
「……」
「おお、そう言えば自己紹介もしていなかったな。私はトポノフ。銀河連邦の将軍をしている」
「……ゼクト・ファンデザンデ、《戦の星》から参りました」
「《戦の星》、聖エクシロンの地だな。それはずいぶんと遠い所からやって来たな。ゼクト、君は幾つだ?」
「四歳です」
「四歳にしてこの大剣を使いこなすとは。銀河は広いな。誰かに稽古をつけてもらったのか。お父上か?」
「父さんではありません」
「君とお父上は何をしにここに来たのかな?」
「人に会うためです」
「ふむ、何と言う名だ?」
「……バスキア、バスキア・ローンです」
「バスキア・ローン、聞いた事がないな。後でポータバインドを使って照会をかけておこう。近くにいればすぐに会いに来てくれるだろう」
「……ありがとうございます」
「ところで、お父上の体にはいくつも戦いで受けた傷があり、そのうちの腹に受けた傷が悪化したのだろうという話だ。《戦の星》とはその名の通り、戦いに明け暮れているのか?」
「言いたくありません」
「そうか。済まなかった――いや、君がそのバスキアという方と会えたとしても、又すぐにそちらに戻って、戦いに巻き込まれるのはあまりに悲しいと思ったのでな」
「……悲しい?」
「実は私にも息子がいた。息子は五つの時に私の妻と一緒に海賊に誘拐され、殺された。海賊共は妻と子供を人質にして私を脅迫しようと企んだのだな。だが私は屈しなかった。海賊の本拠に乗り込むとそこには見るも無残な二人の姿があった。私は一躍、銀河連邦の英雄となったが、夫として、父親としては最低の行為をしたと今でも思っている」
「どうして、そのような話を?」
「――君に亡き息子の面影を見たのかもしれない。立派な武人に成長してくれるよう、いつも近くでその姿を見守っていたいからかもしれない」
「……」
「ゼクト・ファンデザンデ、ここからは独り言と思って聞いてほしい。もし仮に君がバスキアと会う事が叶わなかったとしたならば、君は天涯孤独の身の上だ。良ければ私の養子になってもらいたい」
「そんな……」
「今すぐ答えを聞こうとは思わない。それに不正をするつもりは毛頭ない。バスキア・ローンを全力で探す事を約束する」
「ありがとうございます」
「お父上の埋葬もしなくてはならないし、私が当面、君の世話をしよう。男の一人暮らしだから大したもてなしはできんがな」
「《戦の星》でもそうでしたから、慣れてます」
「そうか。では早速、今夜から私の家に来るがよい。後でまた寄る」
トポノフは満足そうに部屋を出ていった。