目次
2 ダレンの月
ロイの容体は一進一退を繰り返した。
ある日、父親の看病をするゼクトの下をパパーヌが訪れた。
「感心だな。だが毎日そうやって父親の枕元に張り付いていても仕方あるまい」
「パパーヌ様、こうして私たちをここに置いて下さるのは感謝しております。しかし看病以外に何ができるでしょう?」
「あの枕元に置いてある大剣はお前の父親のものだろうが、お前はあの剣を使えるか?」
「私にはまだ無理でございます。重くて持ち上げるのもままなりません」
「話にならんな。自在に振り回せぬ大剣など足枷と同じ――せっかく太刀筋を見てやろうと思ったのにな」
「パパーヌ様、もしも扱える事ができたならば稽古をつけて下さいますか?」
「いいだろう。『持たざる者』ごときがどこまでできるか見せてもらおうではないか」
その日からゼクトは看病の合間にロイの大剣を使いこなすための訓練を開始した。
初めのうちはびくともしなかったが、やがてコツがあるのがわかり、ようやく自分の体よりも大きな剣の剣先が一瞬だけ地面をわずかに離れるようになった。
次は持ち上げた大剣を自在に振る事だったが、なかなか上手くいかなかった。
父の眠るベッドの脇でどうすれば剣を我が物にできるかを考えていると、目を覚ましたロイが声をかけた。
「どうした、ゼクト。険しい顔をして――父なら心配ないぞ。すぐに良くなるからな」
「父さん、心配なんかしてないです。父さんは強い人だから」
「……では、何を――ははーん、お前、私の大剣を持ち出して稽古をしているな。で、どうだ?」
「持ち上げるのはできるようになったのですが、自在に振り回すのは」
「それだけでも大したものだ。コツを掴んだのだな。振るのも同じ、タイミングを考え、重力に逆らってはいかん、腕ではなく腰から剣が生えているのをイメージするのだ。そうすれば振れるようになる」
「父さん、早速やってみます。父さんも早く良くなって下さい」
「うむ――」
それから一週間後、パパーヌが再びロイの下を訪れた。パパーヌは部屋の外にいたゼクトの姿を見て「ほぉ」と声をもらした。
「小僧、少しはましになったようだな」
「はい。約束の稽古はつけていただけますか?」
「よかろう。剣を構えるがよい」
ゼクトが大剣を構えた。
「ふん、隙のない良い構えだ」
パパーヌはそう言って地面に落ちていた木の枝を一本拾った。
「小僧、空気を切り裂く、この意味がわかるか?」
「いえ、わかりません」
「我々を取り巻く大気には流れがある。この流れは寄せては返す波のようなものだ。空気を切り裂くというのはこの波の狭間に剣を突き立て、大気を二つに叩き割る――つまり、こういう事だ」
パパーヌは手にしていた木の枝を頭の上に構え、少し離れた所の木に向かって振り下ろした。
すると手に持った枝から「ごぉっ」という音と共に衝撃波が発せられ、目標の木に向かって走った。衝撃波をまともに受けた木は轟音とともに真っ二つに裂けた。
「す、すごい」
「どうだ、これが空気を切り裂くという事だ。この細い木の枝でさえ大気の流れを見切ってしまえばこれほどの威力がある。お前の大剣でできたなら見物であろうな」
「これは何と言う剣技でしょうか?」
「名などないが、敢えて言うのであれば『真空剣』だな。どうだ、極めてみるか?」
「はい、もちろんです。でもどうして私に」
「戯れだ。気にするな」
その日からパパーヌが毎日ゼクトに稽古をつけてくれるようになった。
ゼクトは驚くべき集中力で稽古をこなし、数か月後には大剣で木を粉砕できるまでに成長した。
ある日、パパーヌがゼクトに言った。
「さて、教えられるのはここまでだ」
「いえ、まだまだです」
「幸いにして父親の具合も快方に向かっている。そろそろここを出て行ってもらわねばならん。後はお前自身の研鑽だ」
「は、はい。わかりました。パパーヌ様、ありがとうございます」
「大した事ではない」
そう言ってパパーヌは去った。
翌日、歩けるほどに回復したロイとゼクトは《守りの星》の人々に別れを告げた。ロイの大剣はゼクトが背中に背負っていた。
パパーヌは硬い表情のままだったが、アナスタシアは淋しそうな顔をしていた。
「パパーヌ様、アナスタシア様、お世話になりました」
ロイが礼を述べた。
「うむ。これからどこに向かう?」
「友人が待つ《牧童の星》に行こうと思っています」
「その件だが、先日この星と交流のある商人が《牧童の星》に立ち寄ると言っていたので尋ねさせた。バスキアなる人物は数か月前まで滞在していたが、その後『人を探す』と言ってどこかへ行ったらしい。おそらく人が集まりそうな《商人の星》か《巨大な星》ではないか」
「そうでしたか。では私たちは《商人の星》を目指します」
「であれば、近くの《鉄の星》まで送っていこう。そこで定期シップに乗るがよい。何、そこでポータバインドを持つ人間に頼めばすぐに友人の行方は知れる」
「何から何までありがとうございます」
「うむ。友人に会えるといいな」
「ゼクト、お前もお礼を言いなさい」
ロイに促されてゼクトも口を開いた。
「パパーヌ様、お世話になりました」
「――父を助け、立派な戦士になるのだな。お前であれば未来を切り開ける」
「アナスタシア様、お世話になりました」
「……」
何も言わないアナスタシアをパパーヌが叱ると、アナスタシアは「お兄様のわからず屋」と言って去っていった。
「遊び相手がいなくなるので機嫌が悪いようだ。まだ子供だ、許されよ」
「アナスタシア様にも良くして頂きました。許すも許さないもございません」
ロイが笑って答えた。
「ロイ、くれぐれも体を大事にな。ゼクト、父親を助けるのだぞ」
ロイとゼクトが《鉄の星》まで付き添ってくれる『空を翔る者』たちとの待ち合わせ場所に行ってしまうとアナスタシアが戻った。
「お兄様、ひどいですわ。ここにいさせてあげればいいのに」
「本気で言っているのか。持たざる者がこの星で死んで、それで本望だと思うか」
「せっかくこの星に馴染んでこられていたのに」
「アナスタシア、これはあの男、ロイの希望だ。奴は自らの死期が近いのを悟っている。だから無茶を承知で友人に会おうとしているのだ」
「もしご友人の方にお会いできなくて……ゼクトが一人残されたらどうしますか?」
「ゼクトなら自分の運命を自分で切り開ける。それだけの男になるはずだ」
ロイとゼクトは《鉄の星》のプラにあるポートまで送ってもらった上にチケットと当座のルーヴァをもらい、連邦府ダレン行のシップに乗り込んだ。
「父さん、パパーヌ様がどなたかのポータバインドを借りてバスキアのおじさんと連絡を取った方が良いとおっしゃってましたが」
「ああ、そうだったな――それは着いてからにしよう」
シップの中でロイは一言もしゃべらなかった。ゼクトはそんな父を気遣ってシップの窓から見える宇宙空間をずっと眺めていた。
「間もなくシップがダレンのポートに着陸する」というアナウンスが聞こえ、ゼクトは慌てて目を覚ました。いつの間にか眠ってしまったようだ、ひどく嫌な夢を見た気がして頭がぼんやりした。
隣を見ると、ロイも気が付いてゼクトに微笑みかけた。
ゼクトはいつも通りの優しい父親がそばにいてくれて、嫌な夢の事など忘れてしまった。
連邦府ダレンのポートにロイとゼクトは降り立った。
自動で動く歩道、そびえ立つ建物、建物の間を静かに行き来する乗り物、全て初めて見る景色だった。
「これほどの都会とは」とロイが言った。
「こんなのはおとぎ話の世界だと思ってました」
ゼクトも言ってため息をついた。
ポートから市街につながる歩道の切れ目で二人は立ち止まった。
「ゼクト、お腹が空いただろう。飯にしないか」
ロイの問いかけにゼクトは大きく頷いて、二人は一際立派な建物が建っている市街に伸びる歩道に乗り換えた。
ダレンの中心部の広場のそばに小さなレストランを見つけ、二人はそこで食事を取った。
「ゼクト、何でも好きな物を食べるといい。父さんはあまりお腹が空いてない」
「えっ、でも」
「育ち盛りが遠慮してはだめだ。店の人は連邦員だから私たちの言葉を理解してくれるだろう。この店のお薦めを食べなさい」
食事はこの上なく美味しかった。ロイとゼクトが店を出ると空には青白く輝く月が出ていた。
「父さん、見て。あんな色の月が出ています」
「……本当だ。美しいな――ゼクト、今夜の宿を決める前に広場に寄っていこう」
ゼクトは、はしゃぎながら広場に向かった。美しくライトアップされた巨大な噴水池の周りでは家族連れやカップルが語らっていた。
「父さん、こっち、こっち。ここに座りましょう」
ゼクトは遅れてやってくるロイを手招きして噴水の周りの空いているベンチを指差した。
「父さん、この世界にはこんな都会もあるんですね」
ゼクトが興奮した面持ちで切り出した。
「ああ、そうだな。戦に明け暮れる故郷とは別世界だ」
「このままここに住んでも楽しいかもしれません」
「――なあ、ゼクト」
「はい?」
「いや、何でもない。父さんは少し疲れたようだ。ちょっと居眠りをしてもいいかな?」
「えっ、じゃあ、ぼく、噴水を近くで見てきてもいいですか?」
「ああ、池に落ちないように気を付けるんだぞ」
ゼクトは背中から大剣をはずし慎重にベンチに立てかけると、噴水に向かって走った。
ゼクトは色取り取りのライトに照らされ、ある時は空高く舞い上がり、またある時は円を描くように横に広がる噴水を飽きる事なく見つめた。
気が付けばあれほど賑やかだった広場の人の数が大分減っていた。
ゼクトもようやく噴水を見るのを止め、ロイの座るベンチへ引き返した。
「父さん、そろそろ――」と途中まで言いかけてゼクトは言葉を止めた。「よっぽど、疲れてるんだな。このまま寝かせておいてあげよう」
ゼクトはロイの隣にちょこんと座った。青白い月はこうこうとゼクトとロイを照らしていた。