5.4. Story 1 ニトの乱

 Story 2 流浪の父子

1 焼け落ちた教会

「では、これで失礼します」
 部屋を出たロイとバスキアは固い表情だったが、教会を一歩出た瞬間に互いに顔を見合わせ、相好を崩し、大きくハイタッチを交わした。
「ようやくここまで漕ぎ付けたな」
 バスキアの言葉にロイは満足そうに頷いた。
「ああ、ここからが本番だ。メテラクの平定に向けて休む暇はないぞ」
「そのためのニトの和平か――まだ先は長いな」
「バスキア、本当に君には感謝している。君がいなかったらここまで来れなかった」
「止せよ、ロイ。さっき君が言ったばかりじゃないか。ここからが本番だ」
「その通りだ。皆が平和に暮らせる星にしないとな」
「君の息子、ゼクトが大人になった時には戦がなくなっているといいな――ゼクトは幾つになった?」
「そろそろ四歳になる」
「あいつは偉いな。母がおらず、父がこのように忙しくしていても泣き言一つ言わない」
「……君がゼクトを気にかけてくれるからだよ」
「今夜は久しぶりに三人でゆっくりと飯でも食おうじゃないか」
「そうだな。今夜くらいはのんびりしてもいいだろう」

 
 家の前で細い木の枝を使って地面に落書きをしていたゼクトが、港から歩いてくるロイたちに気付いて駆け寄った。
「お帰りなさい。父さん、バスキアさん」
「何だ、ゼクト。外で待ってたのか?」
「帰って来る頃かなと思って」
「ご近所に迷惑をかけずにいい子にしてたか?」
「うん」
「なあ、ゼクト」とバスキアが笑いながら言った。「男の子はやんちゃなくらいがいいんだぞ。お前は行儀良すぎる」
「バスキア。こいつなりに気を遣ってるんだ。これ以上厄介事を増やさんでくれ」
「おお、すまない。さあ、ゼクト。これからおじさんが腕によりをかけてご馳走をこしらえてやるからな。楽しみにしてろよ」
「わーい」と歓声を上げ、家に入っていくゼクトの姿をロイとバスキアは微笑みながら見送った。
「バスキア、君が料理上手で本当に助かったよ。何しろ戦いに明け暮れ、色々な事を学べなかった。妻が亡くなった時には幼いゼクトをどうやって育てていこうか、途方に暮れたんだ」
「こっちは気楽な独り者の風来坊だ。一人で生きる術は身に付けてる」
「思わぬ長居をさせてしまったな。《狩人の星》に帰らないといけないのだろう?」
 ロイの一言にバスキアの料理をする手が止まった。

「おい、どうした。バスキア?」
「実はな。君も気付いていたと思うが、この星に来た当初のような力が発揮できなくなっている」
「そう言われればそうだな――体調でも悪いのか?」
「いや、精霊たちが力を貸してくれなくなりつつあるようなんだ。昨日、雷獣に相談に行った」
「えっ、現れたかい?以前、デズモンドが来た時にも姿を現さなかったのに」
「出てきてくれた。自分の力の弱まっている理由を尋ねると彼はこう言ったんだ――

 ――そりゃあ、お前。「未だその時にあらず」だからだ。精霊ってのはそのへんを敏感に感じ取る。もうこの星ではお前の力は存分に発揮できないだろうな――

「そんな事が」
「銀河一のハンターだと自負していたが、それは地の利、時の利によるものだったんだ。情けないよ」
「卑下するな」
「だがこれでメテラクに平和が訪れれば戦わなくて済む。ようやく大学で学んだ知識が役に立つ日が来るんだ――それに正直に言えば、もうアラリアの件はどうでもいい」
「どういう意味だ?」
「考えてもみろ。この銀河には幾万もの民族が暮らしていて、そんな中で多くの民族が滅亡してきたんだぜ。アラリアもその一つのケースにしか過ぎなかったのさ」
「そんな事を言うが、誰だっけ、お前と同じアラリアの末裔の女性……」
「ミネルバか」
「そう、ミネルバ・サックルローズ嬢の見解では、アラリアはこの銀河の他民族とは大きく異なっているんじゃなかったか」
「それは言語学の世界だけさ。現に君と私でどこがどう異なるっていうんだ――さあ、ゼクトを待たせても仕方ない。家の中に入ろう」

 
 三人での穏やかな夕食を済ませ、床に着いたのは深夜だった。
 眠りに着こうとしたロイの部屋のドアがノックされた。
「ロイ、まだ寝てないよな」
「バスキアか。君も気付いていたか」
 バスキアが音を立てないように静かに部屋の中に入った。
「灯りをつけるなよ――かなりの数に囲まれているな」
「一体誰が……トビアス卿の手の者か」
「わからん。だが今日トレーマ神父の下に赴いたのと無関係ではなさそうだ。今からニトに行って神父に確かめるんだ」
「そんな事を言ったって。この真夜中に船を出しても……そうか。君のシップを使うんだな」
「こういう時のために村の崖下に隠してある。さあ、早く着替えろ。ゼクトも一緒に連れて行くぞ」
「あ、ああ。一人で置いていく訳にもいかんからな」

 ロイは隣の子供用ベッドですやすや寝ているゼクトを静かに揺り起こした。目覚めたゼクトは目をこすりながら不思議そうな顔をした。
「よいか、ゼクト。これからバスキアのシップでニトに向かう。いい子にしているんだぞ」
「良かったじゃないか。ゼクト」
 バスキアがゼクトの頬を指で突いた。
「あれほど乗りたがっていたシップに乗るチャンスが来たぞ」
「うん」
 シップに乗れる嬉しさからか、ゼクトはピクニックにでも行くような表情で文句一つ言わずに身支度をした。
「準備はできたな。いいか、ゼクト。お前は外に出たらバスキアと一緒に急いで崖下まで走れ。そこでバスキアがシップに乗せてくれる」
「父さんは?」
「私は外で待っている人たちと話し合いをする。すぐにシップまで行くから待ってるんだぞ」

 
 ロイが大きな音を立てて家の扉を開けた。大剣を背負い、片手にはこうこうと燃える松明をかざしていた。
「そこにいるのは誰です。この夜中に何の用でしょうか」
 ロイの声に意表をつかれたのか、しばらく間があってから暗闇の中でごそごそと動き回る音がして二十人以上の男が姿を現した。
「あなたたちは何者ですか?」
 ロイの問いかけに全身黒づくめで目だけを出した男たちの一人が答えた。
「あんたが余計な事をやってるようなんで成敗しに来ただけさ」
「ほぉ、ずいぶんと大人数だ。トビアスに頼まれたか?」
「余計な詮索するんじゃねえ」
 男たちは剣を抜き、ロイも松明を投げ捨て、背中の大剣に手をかけた。
(バスキア、今のうちにゼクトを連れて逃げてくれ)
 地面に落ちた松明が消え、再び訪れた闇の中でロイの大剣の風を切る音が響いた。

 
 バスキアはゼクトの手を引きながら走った。ロイが敵を引き付けてくれたおかげで裏口から外に出ても追手が来る気配はなかった。
「ゼクト、絶対に手を離すなよ」
「うん、でも父さんが」
「大丈夫だ。早くシップにたどり着いて父さんを助け出そう」

 二人は海に転落しないように慎重に崖を降りた。途中の平らな場所でバスキアが顔を近付けて言った。
「いいか。今からシップを取りに海に潜るからお前はここで待っていろ。すぐに戻る」
 バスキアが海に飛び込む音がかすかに聞こえた。ゼクトにとっては闇の中で待つ時間が何時間にも感じられたが、実際はわずか一、二分の出来事だった。
 目の前の海上に浮かぶ不思議な物体に声を失ったゼクトの手をバスキアが掴んだ。
「ゼクト、シップでロイの所に行くぞ」

 
 ゼクトを乗せたシップは空中に舞い上がり、すぐにロイの家の上空に到達した。
 バスキアはシップをロイの家の庭の辺り目がけて強引に突っ込ませた。
 それまで争っていたらしき物音がぴたりと止み、バスキアの声だけが響き渡った。
「ロイ、こっちだ」
 暗闇の中で伸ばしたバスキアの手にロイの手が触れ、バスキアはそのままロイをシップに引っ張り上げた。
「よし、ニトに出発だ」

 
 バスキアのシップがニト上空に差しかかった。
「おい、あれを見ろ」
 操縦席のバスキアの言葉を聞いてロイが地上を見下ろした。
「……あれはトレーマ神父のいる教会じゃないか。バスキア、もっと近寄ってくれ」
「ああ」
 昼間立ち寄ったトレーマ神父のいる教会が炎に包まれていた。バスキアはすぐにシップを地上に降ろすと、ゼクトを船内に残して、ロイと二人で教会に走った。
 ロイがいち早く燃え盛る教会の中に飛び込み、バスキアも続いた。

 しばらくしてロイがトレーマ神父を抱えて教会から現れた。バスキアもすぐにロイの下に走り寄った。
「どうだ?」
「まだ息はあるが……」
 ロイの腕に抱えられていたトレーマ神父がゆっくりと目を開けた。
「……おお、あなた方でしたか」
「神父、しゃべっちゃだめだ」
「……いいえ。話させて下さい。聖エクシロンの罰が下ったのです」
「家にトビアス卿の手の者が来たが――」
「……そうです。私がドン・トビアスからの融資の誘惑に負けて……あなた方の計画を全て話してしまった」
「そうだったのか。でも何故?」
「……孤児院の運営には金が必要です」
「大丈夫だ。神父、誰もあなたを責めやしない。あなたは正しい事をしたんだ。罰なんか下ってないさ」
「ありがとう……ですがドン・トビアスは本気です。この教会に火を放ち、あなた方も亡き者にしようと。ここにいては危険……執念深い男ですから」
「そんな事言われてもな。私たちも尻尾を巻いて逃げ出す訳にはいかないんだ」
「……あなた方はこの星に残されたかすかな希望……これ以上孤児を増やさないためにも、ここはひとまず……逃げて……」

 
 ロイとバスキアは物言わなくなったトレーマ神父の体を地上に横たえ、祈りを捧げた。
「どうする、ロイ?」
「神父はああおっしゃったが、今逃げれば全てが無に帰してしまう」
「何を成し遂げたって言うんだ。この状況では何もかも初めからやり直しだぞ。地下にでも潜るか」
「……確かにその通りだ」
「ロイ、決断の時は迫っているぞ。この星をしばらく離れるのも手だと思うがな」
「そんな事をすれば二度と戻ってこられなくなる」

「実はな、これも雷獣に言われたんだ――

 ――バスキア、言ってる意味がわかるか。お前が力を発揮できないのはこの星だけで、他の星に行きゃあ元通りだ。つまりはこの星を離れる時って事だよ――

「そうか。どうせこの火事も私たちの仕業になってしまう――わかった、バスキア、君のシップで一旦外に出よう。よろしく頼む」
「ああ、任せておけ」

 シップに戻るとゼクトが心配そうに待っていた。
「ゼクト、もう大丈夫だ。これから――」
「父さん、その血」
 ゼクトに言われロイは自分の腹を見た。血が滲んで服をどす黒く染めていた。
「暗闇の中で斬り合いをして傷を受けたようだな。何、心配ない。かすり傷だ――それよりもゼクト、よく聞け。これから三人で宇宙に出るぞ。目的地はデズモンドのいる《青の星》だ」
「は、はい」
「いい返事だ。少し眠れ」

 

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