目次
2 呪われた子
《鉄の星》ではトーグル王の世継ぎ誕生が発表され、お祭り騒ぎとなっていた。
《銀の星》も状況は同じだったが、ただ一か所だけ異質な緊張に包まれた場所があった。
ディーティウスヴィルの『煌きの宮』の玉座の間では、今しがた回廊を通って戻ったばかりのナジール王とスハネイヴァ王妃が話をしていた。
スハネイヴァの腕の中では真っ黒な毛布に包まれた赤ん坊が眠っていた。
「しかし、あの医術師が言った通りになるとは思わなかった」
ナジールが頭を抱えながら言った。
「あなた、何をおっしゃるのです。ただでさえ祝福されぬ子、せめて私たちだけでもこの子が世に出て来た事を祝って差し上げませんか」
「むう、この子には名前すらないのだぞ」
「決めてあります。ロック、ロック・ブライトピアです」
「子供たちに何と説明すればいいだろう」
「頭の良い、優しい子たちです。話せばわかってもらえますわ」
エスティリとノーラが玉座の間に呼ばれた。
いち早く母親の抱く赤ん坊に気付いたエスティリが声を上げた。
「母上、その子はリチャードではありませんか?」
「エスティリ、ノーラ、よくお聞きなさい。この子の名はロック。今日からあなたたちの弟となる者です」
スハネイヴァの言葉に二人の子供はぽかんとした表情になった。
「しかし、さっきヴィジョンで見たリチャードに本当にそっくりですね――はっ、もしかすると精霊触媒で生まれた――」
エスティリの言葉にナジールの顔色が変わった。
「エスティリ、そちは何故それを」
「……広間での会議を立ち聞きしました。もしそれが真実であれば、この赤ん坊は――」
エスティリの言葉を遮るようにノーラが尋ねた。
「父上と母上は出産に立ち会われましたよね。そこにカザハナという女性はおりませんでしたか?」
ナジールはノーラの問いかけにぶるぶると震え出し、何も答えなかった。スハネイヴァも俯き黙った。
しばらくしてからようやくナジールが言葉を絞り出した。
「知らんな。それよりもロックの件は領民には他言無用、もちろんあちらの領民にもだ、よいな」
「望まれない悪の子……を何故ブライトピアが引き取らないといけないのですか?」
スハネイヴァはエスティリの言葉に耐え切れなくなったのか、ロックを抱いたまま俯いた。
「エスティリ、この世界に望まれずに生まれた子などいないのよ。だからお願い、もうそれ以上は言わないで」
ナジールは大きくため息をつき、言った。
「……子供だ、子供だ、と思っていたがどうやらお前たちは騙せないようだ。確かにロックは摩訶不思議な因縁によって生み出された子――」
「あなた、やめて」
「決して弟などと思う必要はない。私も我が子とは思っておらん……この子は塔に幽閉する」
「いいえ、お父様」とノーラが言った。「どんな事情があろうと可愛い弟ですわ。だってロック・ブライトピアなんでしょ?」
「おお、ノーラ、何て優しい子」
スハネイヴァは泣きながらノーラを抱き寄せた。
「私はな――恐ろしいのだ。この子が将来どんな災厄をこの世界にもたらすのか」とナジールが言った。
「ではいっそこの場で殺してしまえばよいではありませんか?」
「エスティリ。それはできん。そんな事をしたら『全能の王』の再来、リチャードに何が起こってしまうか」
ブライトピア家にとっての地獄の日々が始まった。
リチャードと同じ顔をした赤ん坊は乳を求めて、最早乳の出ないスハネイヴァの胸をまさぐった。それがスハネイヴァの母性に火を灯したのだろうか、スハネイヴァはロックを我が子のように愛おしんだ。
ノーラも同じだった。何かあると母か乳母に抱かれているロックの下に行き、楽しそうに過ごした。
一方、エスティリの態度は冷やかだった。
よほど腹に据えかねたのか、ロックを徹底的に無視し続けた。ロックだけでなく定期的にヴィジョンで知らされるリチャードの成長記録に対しても、不愉快な表情を浮かべ、目をそむけた。
父のナジールはロックの成長を恐れ、またエスティリの怒りを恐れているように見えた。
アレクサンダーは以前と同じように勉強を教えに来たが、ロックの存在には決して触れようとしなかった。
ロックが一歳になった時、それはリチャードも一歳を迎えた時だが、ナジールが家族を集めて話をした。手には小さな銀色の仮面を持っていた。
「今日からロックは約束通り、塔に幽閉する――そしてこの銀の仮面をかぶらせる」
スハネイヴァとノーラはこうなる事を予期していたのか、悲しそうな顔をするだけで文句を言わなかった。
「わかってくれ。リチャードと同じ顔をした子がもう一人いるのを公にする訳にはいかないのだ」
「お父様」とノーラが尋ねた。「この子を正式な皇子とする訳にはいかないのでしょうか?」
ナジールは黙って首を振るだけだった。
その後しばらくして、リチャードとエスティリ、ノーラの兄妹が初めて顔を合わせた。プラで催された新年の祝賀会の席上だった。
トーグルがよちよち歩きのリチャードを連れて登場した。
「ようやく話をできるようになったのでな。これが王子リチャードだ」
「初めまして、リチャードです」
リチャードは実に利発そうな、それでいて子供の無邪気さを持ったまっすぐな瞳をしていた。
何も答えないエスティリを見て、ノーラが口を開いた。
「よろしく、私はノーラ、こっちが兄のエスティリよ。仲良くしましょうね」
「はい、よろしくお願いします」
「エスティリ、ノーラ」とナジールが声をかけた。「よろしく頼むぞ。リチャードには銀河の命運を担う子になってもらわないといけないのだからな」
エスティリはノーラの腕を振り払い、宴会場から出ていった。
リチャードは順調に成長した。世間では「稀に見る天才」、「ドグロッシを凌駕する武術の才能」と言われ、『全能の王』の出現はすぐそこに迫っていると思われた。
ディーティウスヴィルで事件が持ち上がったのは、リチャードとロックが五歳になった年だった。世間は《鉄の星》の第二皇子、ジャンルカの誕生に浮かれ、幸か不幸か煌きの宮で起こった事件は話題にならなかった――
朝、見回りの兵士が巡視をしていると王宮の塔から妙な物がぶら下がっているのが見えた。
はて、あの塔には誰も住んでいないはずだが、不思議に思った兵士は塔が近くに見える場所まで移動して、腰を抜かさんばかりに驚いた。
それは塔の窓枠に一方をくくり付けた毛布で首を巻かれ、吊るされた女性の姿だった。どうやら王宮に来ているスハネイヴァの身の回りの世話をする乳母の一人のようだった。
どうしてあんな所に――兵士は急いで上長に報告した。上長からその上長に、その上長から大臣に、繁栄の宮始まって以来の残虐な事件の報は瞬く間に王宮内を駆け巡った。
ナジールは頭を抱えた。とうとう悪魔が目覚めてしまったのだ。
側近に命じて塔からぶら下がる乳母の死体を片づけ、塔の小部屋で何もなかったように眠っていたロックを取り押さえた。
ナジールはロックを訊問した。
「貴様、何故こんな事をした?」
ナジールが顔を朱に染めて問い質すと、仮面をかぶったロックは笑いながら答えた。
「昨夜、あいつはスープをこぼしたんだよな。だからお仕置きだよ」
ナジールは急いで鉄の鎖を用意させ、ロックを塔の部屋に縛り付けた。
「おい、何しやがんだ」
鎖で手足の自由を奪われるとロックは聞くに堪えない呪いの言葉をまき散らした。
ナジールは思わず耳を塞いだ。
まだ五歳なのにこれでは先が思いやられる。いっそこの場で殺してしまえば――
エスティリも同じ事を考えていた。ロックさえいなければ、だがロックを殺すとリチャードにどんな影響があるかわからないと言う。だったらリチャードも殺してしまえばいいではないか。
エスティリの心の中にある計画が芽生えた。何故、自分がリチャードを嫌うのか、何故、死んでほしいとまで願うのか、その理由を知らないままでリチャードがのうのうと生きているのは不公平だ。だったらリチャードにロックという陰の存在を、ロックにはリチャードという光の存在を互いに知ってもらうしかないだろう。
あんな素敵なカザハナを犠牲にして、何が『全能の王』の再来だ。あいつにはそんな資格がないのを教えてやるのが自分の務めだ、そう考えてエスティリは機会を窺った。
七歳になったリチャードが二歳になる弟のジャンルカを連れて王宮に遊びに来た。
エスティリはここぞとばかりリチャードに言った。
「なあ、リチャード、ジャンルカはノーラにでも預けておいて男同士で探検をしようじゃないか」
日頃エスティリにすげなくされていたリチャードは目を輝かせて答えた。
「うん。やりましょう」
エスティリはリチャードを塔の小部屋に案内した。
「ここさ。私は扉の外で待っているからお前一人で行ってこい」
「はい」
リチャードは何も知らずに塔の小部屋の扉を開けようとしていた。
遂にこの時が来た――だがエスティリは急に恐ろしくなった。
父や母、そして叔父や叔母がひた隠しにする秘密を自分がぶち壊しにしてしまう、エスティリはその場にいられなくなり、扉の向こうに消えるリチャードを見る事なく走って逃げだした。
エスティリが爪を噛みながら広間でうろうろしているとリチャードが戻った。
「エスティリ、どこに行ったのかと思ってたよ」
「……どうだった?」
「ロックの事だね。互いに自己紹介をしてからしばらく話をしたんだ。私たちはとてもよく似ているのがわかったよ」
エスティリは「当り前だ」という言葉が喉元まで上がるのを押さえるのに必死だった。
「でもロックは可哀そうな子だ――私とは違った意味でね」
エスティリは自分の耳が信じられなかった。
可哀そう、違った意味で――お前は自分の置かれている境遇が可哀そうだと、そう言うのか。
エスティリは何も考える事ができなくなって大声を上げながら王宮の外に飛び出した。
ディーティウスヴィルの広場の中央の噴水まで一気に走り、そこで大きく息を吐いた。
あいつはあいつなりに苦しんでる?
のうのうと暮らしているのであれば現実を見せてやろうと思ったが、勝手が違った。
作られた『全能の王』はこれから茨の道を歩まねばならないのを自覚しているという事なのか。
そう考えるとリチャードが少し気の毒になった。
これからどう接すればいいのだろう――