目次
3 毒
いつもと変わらぬ朝だった。
目覚めたハルナータは王宮の窓から市街の様子を見下した。
少し煙っているようだが、いつものように人々が営みを開始しているのが見て取れた。
ハルナータは安心して王の間に向かった。
玉座で考え事をしている内に違和感が襲ってきた。
大臣を始め、家臣たちは忙しく動き回っている。ひどく見慣れた光景のはずなのにどこかが違っていた。
やがて一つの事実に気付いた――音が全くしないのだ。
ハルナータは試しに大臣の一人を呼び付けた。
だが呼ばれた大臣は全くこちらを見ようともせず行ってしまった。当然だ。自分にも自分の声が聞こえなかったのだから。
ハルナータは急いで王宮を飛び出て、市街の四つ角に立った。
人々は忙しそうにすれ違っていたが、やはり何の音もしなかった。
よく目を凝らすと、どことなく彼らの体もぼやけて見える。
さっきよりも霧が濃くなっているせいだろうか――霧?ハルナータはある事に気付いて、王宮に戻り、地下に向かった。
王家の墓にはアカボシに始まる代々の王の亡骸が安置されていた。ハルナータ以外は入る事のできない秘密の部屋だった。
ハルナータは王家の墓に通じる隠し扉を開け、一目散にアカボシの墓を目指した。
広大な墓所の中央で一心不乱に祈りを捧げていると、どこからか声が響いた。
(ハルナータよ。とうとう起こってしまったな)
「その声は……アカボシ様?」
(代々の王の声だと思い、聞くがよい。『死の霧』はすでに放たれた)
「ああ、やはり……」
(この霧が星全てを覆う頃、全ての者が死に至った事に気付く)
「……民は死に無自覚だと?」
(お前も含めてだ。肉体はすでに滅びたが精神はそれに気付いていない。『死者の国』に行く事もなく、この地に縛り付けられ、永遠に彷徨う運命だ)
「私も……当然アスタータもボイセコもですね?」
(全てが滅びた。仕掛けた者も応じた者も例外ない。『愚者の選択』だ)
「……終わってしまったのか」
(いや、まだだ。王たる者にはやるべき事が残っている)
「それは?」
(救済の日に備えるのだ。これからこの星を狙って様々な者が浮かばれない魂の静寂を乱そうとするであろう。そういった不届き者が近寄れないようにしなくてはならない)
「どうやって?」
(水路に毒を放て。空には死の霧、地上には毒、さらには王宮の前の大樹を『怨嗟の毒樹』という名の守護者に変える。さすれば人が近づく事はできない)
「この状況は永遠に続くのでしょうか?」
(言ったであろう。救済者がこの地を踏むその日までだ。我が姉、ユウヅツの血を引く者が魂を解放してくれるのを待て)
「おお、やはりアカボシ様……どうやら私の意識も混濁して参りました。他になすべき事はございますでしょうか?」
(『鎮山の剣』をこの墓所の奥深くに隠すのだ。救済者は鎮山の剣でこの星の霧を払い、再生が始まる)
「……至らぬ王であった私ですが最後の仕事、何億もの哀しき魂を守り抜いてみせます――では水路に毒を流しに行って参ります」