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Record 3 フィールドワーク
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深夜、わしらは岩手に向かって旅立とうとしていた。
「大都、お前、今更、空が飛べねえなんて言わないよな?」
わしの質問に大都はくすっと笑った。
「すぐにわかるよ」
「じゃあ一気に行こう。五月になるとは言え、まだまだ冷え込むが平気か?」
「OK」
人通りのない美術館の裏手から空に飛び立った。
三十分近く空を飛んで東の空が白み始めた。
「そろそろ目的地だ。さっさと降りるぞ。人に見つかるとめんどくさい」
「うん、わかった」
降り立ったのは山を背にした小さな町だった。
「さてと、まずは腹ごしらえだが、こんな時間だし、この町じゃ大したもんも食えそうにない。山に行かねえか?」
「いいけど……デズモンドの調査っていつもこんな感じなの?」
「ああ、だが『調査』じゃねえぞ。フィールドワークってんだ」
「ふーん、食糧調達も含めて考える訳だね」
「そういうことだ。行こうぜ。美味い魚がいそうだ」
山道から少しはずれた渓流で言葉通りきらきら青く光る川魚を捕まえ、その場で調理をし、大都に振る舞った。
大都は嬉しそうにこんがりと焼かれた魚を頬張り、渓流の水で喉を潤した。
「ああ、何だか生き返るよ――それにしてもずいぶんと山の中に来たけど建物も何もないね?」
「以前、高野山に行ってわかったんだがな。出入口に結界を張っちまえば普通の人間には見えやしねえ。だからまずはその出入口を探すんだ」
「ぼくにも見えるかな?」
「お前なら大丈夫だ」
そこから五時間近く山を歩き回って、ようやく道を大きくはずれた山奥で結界を発見した。
「これが結界?」
「どうやらそのようだな。中に入らしてもらおうぜ」
「えっ、どうやって?」
「俺の拳でもいいんだが、大都、お前の力を見せてくんねえか」
「剣を持ってくれば良かった。でもやってみるよ」
大都は結界の前に立ち、精神を集中した。大都の体から力が波動となって周囲に伝わっていくのがわかった。わしはその力に押しつぶされそうになり、慌てて足を踏ん張り直した。
山々の木々がざわめき、地中深くから奇妙な音が聞こえてきた。
「もう十分だ。結界の中の住人も気が付いてやってくるはずだ――それにしてもその力は」
「ふぅ、デズモンドの前だから緊張したよ。ぼくの力って?」
「お前、自分の力をよくわかってないのか……ならば、そのまんまでいいよ」
結界が音もなく解け、毛皮を来た数人の女性たちが顔を出した。
「今の鳴動はお主らの仕業か?」
「わかってもらえりゃ話は早いや。ちょっくら、ノカーノの事を聞きたいんだ」
「な、お主ら――まあ、よい。お館様はお主らを通すように申されておる。付いて来るがよい」
「話がわかる親分で助かるよ。大都、中に入ろうぜ」
不思議な景色だった。外の山々の桜はまだ蕾もつけていなかったが、結界の中のまっすぐ続く小道には桜が咲き乱れていた。
桜だけではなく視線を下に向ければ山百合の花や向日葵の花、およそ季節を無視した状態で花々が咲き誇っていた。
驚きを隠せない大都とわしは揃って小道を歩き、やがて真新しい木で建てられた砦の門に到着した。
「ずいぶんと新しいな」
「昨年、立て替えたばかりだ」
わしらを迎えに来た女性は振り返りもせずに砦の中に消えた。
砦の中には玉砂利を敷き詰めたお白洲のような中庭があり、一段高い本殿のような場所に一人の老女が座っていた。
「久しぶりの客人じゃが、それにしてもちいと乱暴じゃな」
しわくちゃの老女は頭の先から出ているような高い声で話した。
「悪かったな。俺の名は《オアシスの星》の歴史学者デズモンド・ピアナ、こっちはこの星で二番目に強い男、大都だ。実はノカーノについて聞きたくてわざわざ来たって訳さ」
老女は眠ったのかと思えるくらい長い間沈黙した後に言葉を発した。
「……タマユラの言った通りじゃ。どうやってこの場所を知った?」
「ん、タマユラってのは誰だ?」
「気にせんでよい。タマユラがおんしに教えたのではないのじゃな?」
「恰好つけて言えば空海さんの足跡を辿ってようやくここまで来たんだが、実際はこいつの親父が戦地からの手紙でヒントをくれたんだ」
「……空海か。始宙摩にも行ったか?」
「もちろんさ。『無限堂』にはできたての俺の絵が飾られてたよ」
「空海も認める男か。歓待せねばならんな」
「いや、空海さんはすでに銀河の真理に気付いてるが俺はまだまださ。足元にも及ばねえよ」
「おんしがただ者ではないのはわかる。それにその隣の少年もな――恐ろしいほどの力を持ち、まだその半分も目覚めさせておらん」
「へへえ、さすがだね。ところで婆さん、名前は何て言うんだ?」
「忘れとったわ。年甲斐もなく興奮してな。わしの名はモミチハ、年は四百を越えておるかの」
「えっ、戦国時代ですか?」
大都の質問にモミチハはくしゃくしゃの顔をさらに歪めた。
「そうじゃ。信長も秀吉も家康も皆、知っておるぞ」
「腰を落ち着けて話を聞く必要がありそうだな。モミチハさんよ、しばらく厄介になってもいいかい?」
「もちろんじゃ。おんしらがここに来たのは運命。婆あの戯言を嫌というほど聞いてもらおう――誰か、コザサとシメノを呼んで来ておくれ」
着物を着た娘たちが姿を現し、モミチハの隣に座った。一人の年の頃は二十代だろう、来る途中の小道に咲いていた山百合のようなたくましい美しさを備えた女性だった。もう一人はまだ少女だったが、また違った美人になるのが予想された。
「娘のコザサとシメノじゃ。せっかくじゃから娘たちにも聞かせてあげようと思ってな」
「構わねえぜ」
「では早速、おんしの聞きたいノカーノが来た時の話をしようかの――
【モミチハの語り:ノカーノの来訪】
――ノカーノは大陸で勉強をしていた空海と共にこの山にやってきた。
その時一緒だったのはローチェじゃった。
おんしならわかるじゃろうが『死者の国』から呼び戻されたのじゃ――
「いきなり話の腰を折っちまって悪いな」
わしは興奮した面持ちで口を開いた。
「それはつまり、ネクロマンシーって呼ばれる邪法かい?」
「いや、ローチェはそうではないようだ。もっと上の存在、羅漢の力で蘇ったのではないかという事じゃ」
「ふぅ、こんな場所でArhatsの話を聞くとは思わなかったぜ。悪かったな、邪魔して」
「さて、続けるぞ――
――空海は大陸に戻り、残されたノカーノは魂の抜けたローチェを懸命に介抱した。
その甲斐あってほどなくローチェは元に戻ったが、ノカーノと恋に落ちたのじゃ――
「度々すまねえ。何でノカーノはそんなにローチェさんに執着したんだ。ただ美人だったからって訳じゃあるめえ」
「おや、おんしはそれを知ってるもんじゃと思ってたわ。ノカーノがこの星に来たのは『全能の王』の命を受けての事。最初にローチェを見初めたのはデルギウスじゃ」
「そういう事か。色々つながったぜ――大都、そんな顔するな。後でちゃんと説明してやるから」
――ノカーノとローチェの間には双子が生まれた。男の子はアカボシ、女の子はユウヅツ。
子供たちが五歳の時にローチェは『死者の国』に帰っていった。
そして山の掟、ここは男子禁制の地じゃから男の子は五歳になったら山を降りねばならない。
ノカーノとアカボシはデルギウスの下に戻り、ユウヅツがここに残ったのじゃ――
「そっから先のアカボシがどうなったかは俺に話させてくれ。推測でしかねえが、アカボシを連れて帰ったノカーノはデルギウスに正直にローチェさんとの事を打ち明けたんだと思う。デルギウスは全てを許し、アカボシに《賢者の星》を治めさせたが、内心はひどく傷ついたんだろうな。ノカーノと再会した直後に慌てて結婚を決めた」
「ほぉ、『全能の王』ともあろう者が嫉妬したか。世の中わからんもんじゃ」
「そりゃそうだ。この星に来て覚えたんだが、物凄い美人を『傾国』とか『傾城』って呼ぶんだろ。銀河が揉める事だってありうるぜ」
「ほっほっほ、おんし、面白い男じゃの」
「ありがとよ。モミチハさん、疲れちゃいねえかい?」
「大丈夫じゃ。もう少しだけ話させてもらおうか――
――この山に残ったユウヅツは山の掟に従い、年頃になり、山を降りて目ぼしい男と契ったのじゃ。確か、源頼朝じゃったかな――
「母様」
ずっと黙っていたコザサが透き通った声を出した。
「それでは計算が合いません。織田信長にございます」
「おお、そうじゃった。父を忘れるとはわしも耄碌したかな」
「えっ、何ですって?」
大都が素っ頓狂な声を出し、モミチハは笑った。
「驚くのも無理はない、じゃがそこにいるコザサはわしと信長の間の子じゃぞ」
「母様、それも違います。私は――」
「ああ、そうじゃそうじゃ。お前の父は確か、坂本――」
「そうでございます」
「ようやく生まれた女の子じゃったからなあ。婆あも若作りするのは大変じゃったぞ。で、シメノの方は――」
「なあ、モミチハさんよ。話を聞いてるとあんたはノカーノとローチェさんの子孫って事になるのかい?」
「その通り。わしはユウヅツの子。銀河を変える力を持った男と『死者の国』から蘇った美女の間に生まれた世にも稀なる血筋じゃ」
「あ、ああ、驚いたな。確かに銀河を変えるくらい朝飯前に違いねえや」
モミチハはくしゃくしゃの顔でにやりと笑ったように見えた。
「残念ながらここにいる年頃の娘、コザサは未だこれという男に巡り会っておらん」
「ふーん、そりゃ大変だ」
「しかし、おんしたちが来た。拳と言葉で世界を渡り歩いてきた男と底知れぬ力を秘めた少年、どっちでもええぞ。コザサと契ってはくれぬか?」
「あん、何言ってんだ。大都はまだ十四歳だ」
「ならばおんしという事になるな」
「ちょっと待ってくれ。そんなつもりで来たんじゃねえんだ。色々と聞かなきゃならねえ事があるって言ったろ。その話はまた別の時にしてくれよ」
「ほっほっほ、思ったより晩生じゃ。まあええ。で、他に聞きたい事は?」
「ヌエについて」
「その話か。ヌエは空海とノカーノが大陸から連れ帰った。元は何とかいう悪人の家の番犬代わりだったそうじゃ」
「ああ、この星の生き物じゃねえんだろうな。俺が聞きたいのは都を襲ったのは空海さんの仕業なのか、それともあんたたちなのかって事さ」
「何じゃ、おんし。この星の歴史もそこそこ知っておるではないか」
「いや、これはある人間の受け売りだよ」
「なるほど――少し疲れたわ。その話は又の機会にしてくれんか?」
「そんな事言って、俺たちを引き留めようとしてねえか」
「疑り深い男じゃな。嘘はつかん。まあ、二、三日ここで遊んでいくがええ」
モミチハはそれだけ言うと、コザサに手を引かれ、さっさと下がった。
その夜、あてがわれた部屋で山の幸尽くしの歓待を受けながらわしは大都に尋ねた。
「なあ、あのコザサって娘の父親は坂本何とかなんだろ。一体誰なんだ?」
「多分だけど、幕末の偉人、坂本龍馬だと思うよ。そうなるとあのコザサさんは今八十五歳くらいになる計算だね」
「ちょっと待て。あんな娘みてえな八十五歳がこの星にいるもんか。何かの間違いだろ」
そこに当人のコザサがお茶の用意をして部屋に入ってきた。
「ならば本人に聞いてみれば?」
大都はいたずらっぽく笑い、わしの脇腹を突いた。
「何でしょうか?」
コザサは不思議そうに小首を傾げ、わしはその美しい姿にどきりとした。
「いや、何でもねえよ。気にしないでくれ」
「うふふ、大方、私の年齢の事でも話されていたのでしょう。確かに私の父は坂本龍馬、年齢は八十五になりますわ」
「とてもそんな風には見えねえなあ」
「あら、幾多の星を旅されているデズモンドさんのお言葉とは思えない。ものすごく長命な方やいつまでも年を取らない方、この宇宙にはそんな方がたくさんいらっしゃるでしょう」
「ん、まあな。でもこの星であんたみてえな人に会ったのは初めて……いや、初めてでもねえか」
「それは私が普通の地球人ではなくノカーノと死者の血を受け継いでいるからではないでしょうか」
「ああ、そうだよな。そうだそうだ、何でそんな事に気付かないんだ、俺は。どうかしちまってるな」
「お茶を置いていきますから、どうぞ。何かあったら呼んで下さいね」
コザサが去ると大都はあきれたようにわしを見つめていた。
「どうしたの。あんなデズモンド、初めて見たよ。いくらきれいな人の前だからって舞い上がっちゃってさ」
「いや、違う。違うんだ、大都。確かにコザサは美しいが、俺は舞い上がってなんかいねえよ。本当にどうかしちまってる」
「そんな――」
「本当だって。今だって『いつまでも年を取らない』って言葉に反応して、何かの言葉が喉元まで登ってきてんだ。ところがそいつが一向に出てきやしねえ。この俺が言葉に詰まるなんてそうはねえぜ」
「ふーん、あ、待てよ、そう言えばぼくも『長生き』って言葉で何かを言おうとしてたんだけどそれが何だか思い出せない。どうしたんだろう?」
「――大都、ひょっとするとひょっとするぞ」
「何を言いたいのかわかんないよ」
「ああ、悪い。つまりはな、あのモミチハって婆さん、本気で俺たちを骨抜きにしてこの山に留めておこうって魂胆かもしんねえって意味だ」
「わっ、そりゃ大変だ。ぼくは来年から日比谷高校に行きたいんだ」
「こいつは早いとこ逃げ出した方が良さそうだな」
「今すぐ?」
「そりゃ、あまりにも失礼だ。明日の朝、堂々と挨拶をして正門から帰ろうじゃねえか」
「わかった――でもやっぱりデズモンドは楽しい人だなあ」
「急に何言い出すんだ、お前」
「あははは、こんなに笑ったの久しぶりだよ」
再会の約束
翌朝、わしらがモミチハに別れの挨拶をしようとして砦の中をうろうろちしているとコザサが現れた。
「おはようございます。どうされました?」
「いや、実は急な用事を思い出したんだよ。帰らなきゃいけなくなったんだが婆さんは?」
「まだ眠っておりますが、起こしてまいりますわ」
「いや、それには及ばねえよ。失礼なのは承知だが、あんたからよろしく言っておいてくれよ」
「まあ、母様は残念がりますわ。昨日、はしゃぎ過ぎたせいで今朝は起きてこられなくなったくらいですから」
「まあ、そういう事だ。またな」
「さようなら、コザサさん」
「……あの、デズモンドさん……いえ、何でもありません。どうかお気をつけて」
わしらは遠野の町で時間をつぶし、日が沈んでから空を移動して東京に戻った。
「まったく。話を聞けたのは良かったが最後の方は訳がわからなかったな」
「――デズモンド、良かったね」
「ん、何が?」
「だって、これでこの星に来た目的を達成したでしょ。家に帰れるじゃない?」
「あ、ああ」
大都とわしは再会した上野公園の芝生に座り込み、星空を眺めた。
「ぼくなら心配要らないよ。一人で生きていける」
「……」
「言ったよね。来年には日比谷高校を受験して、それから東京大学で物理学を学んで理研に進むんだ。そしてぼくは研究を完成させて宇宙に飛び立つ。その時が再会の時だよ」
「……」
「ぼくはすぐに連邦民申請をしてポータバインドを手に入れるから。そうしたら、そうしたら……あ、ごめん。真っ先にデズモンドにヴィジョンを入れる。びっくりするだろうね」
「……バカヤロウ、びっくりなんかするもんか」
「また今回みたいに旅に行きたいね。今度は《オアシスの星》、デズモンドの故郷に行ってみたいなあ」
「ああ、行こうじゃねえか。砂漠だらけのつまらねえ星だけどな」
「うん、約束だよ……」
「何だよ、まだあんのかよ。何もなけりゃ行けよ」
「ううん、何もないよ。デズモンド、色々とありがとう。あなたがいなかったらぼくはこうして生きていない。父さんが死んだ後はデズモンドを父さんだと思って生きてきた。でもそれも終わり。明日からデズモンドは自分の道を進んでよ」
「生意気言うんじゃねえよ」
「本当にありがとう。じゃあ行くね」
星が流れる夜空の下で立ち上がった大都のシルエットに、座ったまま声をかけた。
「次に会う時は宇宙だかんな。こんな貧乏くせえ星にいつまでもしがみついてんじゃねえぞ」
「うん、わかった」
大都のシルエットはゆっくりと小さくなっていった。
わしは芝生に仰向けに寝転がったまま、動かなかった。
どのくらいそうしていただろう、空が段々と明るくなってきた。
ゆっくりと起き上がり、パンツに付いた芝をぱんぱんと払った。
「さてと、挨拶に行くか」
ゆっくりと時間をかけながら門前仲町に向かった。これから復興しようという活気のある商店街と昔ながらの静かな雰囲気を漂わせる住宅街の境目に目指す屋敷はあった。
立派な黒塀に囲まれた屋敷の玄関で声をかけると若い男が飛んできた。「大都の親代わりだ」と告げると、すぐに屋敷の中に通された。
客間で茶を啜りながら待つ事しばし、現れたのはまだ若く、青年とも言える男だった。
「わざわざ来て下さって。市邨伝右衛門です。あんたがデズモンドさんですかい。まだこちらにいらっしゃるとわかっていたら出向くべきだったんですが、肝心の大都が『もういないに決まってる』とか言うもんで。無礼をお許し下さい」
「いや、気にしねえでくれよ。こっちこそ大都を助けてくれた礼をもっと早く言わなきゃなんねえのに、こんなに遅くなっちまった」
「しかしこうしてここを訪ねられた所を見ると大都にお会いになられたんで?」
「ああ、ほんの数日前にな。たった今、あいつと別れたばっかりなんだよ」
「そうですかい。そいつは良かった。これで大都もデズモンドさんの下で安心して勉学に励めるってもんだ」
「ところがよ、そうもいかねえんだ。今度こそ俺は遠くに旅立たなきゃならねえ。東京にいるのは大都が見つかるまでって決めてたようなもんだからな」
「……デズモンドさん、どんな事情があるのかよく知りやせんが、そいつはあんまりにも薄情ってもんじゃないですかね。大都はデズモンドさんを父親みてえに思ってんだ」
「それはわかってる。だがあいつも俺がこれ以上ここに留まるのを良くは思ってねえ。『俺には俺のやるべき事がある』って、さっきも説教された」
「詳しくは聞きませんが、さぞお忙しいご身分なんですね。でもたまに会うくれえはできるんでしょ?」
「いや、無理だな。俺の行くのは気が遠くなるくれえの遠い場所だ。滅多な事じゃ会えねえのは大都も承知の上だ」
「そりゃあ大人の都合ってもんじゃねえんですか?」
「わかった。あんたには本当の事を言うよ――俺はこの星の人間じゃねえ。地球を出て行くんだ」
「えっ――でもわかる気がしやす。こんな時に冗談を言うようなお人には見えねえから本当なんでしょう。宇宙人、この呼び方でいいんですかい、に育てられたんなら、大都の強さも頷けるってもんだ」
「わかってくれるかい。そうなるとあんたにもう一回頼み事をしなきゃならねえ」
「最後まで言わねえで下さいよ。大都の事は責任を持ちます」
「成人するまでなんて言わねえよ。来年、高校に上がればあいつは一人で暮らし始める。何かあった時にはあいつの相談相手になってやってほしいんだ」
「なーに、うちはこんな商売だ。若い奴の一人や二人、どうってことありやせん」
「伝右衛門さん、本当はあいつに跡目を継いでほしいんじゃねえのかい?」
「それも考えました。けど大都はこんな世界に閉じ込めといちゃいけねえ。あの子は日本の、いや世界の宝になる子です。喜んで応援しますよ」
「理解があって助かるよ――ところであんた、子供はいるのかい?」
「いや、女房のお千代はあんまり体が強くねえもんでね」
「そうかい。大都も上野のガキ共もあんたの子供みてえなもんか」
「そうなんでしょうね。あの子供たちも大都をあれだけ慕ってるんだ。大都に憧れて勉学の道に進むんなら応援しますし、そこからこぼれちまうようなのにはうちの商売手伝わせますよ。いずれにせよ、あいつらを路頭に迷わせません」
「あんた、若いのに大したもんだなあ。大都があんたのために一肌脱ごうって思うのも当然だ」
「それについちゃ申し訳なく思ってます。ガキのお遊びかと思ってたら『九頭龍団』なんて東京一の武闘派組織を作っちまった。そろそろ足を洗わせなきゃいけねえなって考えてたんですよ」
「新宿をどうにかしたら、かい?」
「……ご存じか知りませんが、皆が助け合わなきゃいけねえこのご時勢にてめえだけ美味い汁吸おうって魂胆が大っ嫌いなんですよ。その代表が新宿の唐河だ。あいつがどうやってのし上がったのか知りやせんが、今じゃ新宿、池袋を治めて『修蛇会』の由緒ある代紋まで手に入れようとしてる。ああ、関係ねえ話でしたね」
「ところがまんざら無関係でもねえんだよ。その唐河って男に会ったんだ」
「えっ、どういう伝ですか?」
「あんた、浅草にいるティオータ……藤太って男は知ってるかい?」
「もちろんですよ。年に一度の祭りの時くらいにしか見かけませんが、男気があって、腕の立ついい男です」
「ふーん、実はな、俺とティオータは友人なんだが、唐河はティオータの昔の子分なんだ」
「……デズモンドさんが宇宙人だとすると、藤太や唐河も、って事ですかい?」
「まあ、そこは詮索しねえでくれよ。とにかく俺たちは唐河に会い、そして大都に会い、お互いに衝突しねえように頼んだって訳だ」
「するってえと新宿には手を出すなって事ですね?」
「あんたが不満なのはわかるが、裏にはティオータが控えてる。あいつがいりゃあ、唐河だって無茶はできねえはずだ。ティオータに頼んであんたと唐河の手打ちをやってもらうからよ」
「そこまで言われちゃ仕方ねえですけど。後々に禍根を残しやせんかね」
わしは尚も数時間、伝右衛門と話し込み、その足で地下に戻った。
「よぉ、ティオータ。市邨伝右衛門に会ってきたぜ」
ソファに腰掛けていたティオータと有楽斎は首を傾げた。
「あん、何でそんな男に会ったんだ。それより大都とはどうなったんだよ?おいらたちはその話が聞きたくてここにいるんだ」
「話は最後まで聞けよ。大都を空襲の時に助けたのが伝右衛門だった。だからその礼に伺ってた」
「そういう事かい。それで大都が闇市のボスを狙ったのも合点がいくなあ」
「でもお前の子分の唐河の件があるだろ。だからお前に一肌脱いでもらいたい」
「ははーん、サーティーンと『九頭龍』の手打ちの後見人になれって事だな。いいぜ」
「飲み込みが早くて助かるよ」
「でもな、サーティーンのやってる事が果たして正しいのか、やっぱり大都に潰されちまった方がいいんじゃねえかなんて今も先生と話してたんだ」
「唐河がいなくなりゃ、次の馬鹿がのし上がるだけだ。それにお前が目を光らせてりゃ、唐河を生かしといてもいいんじゃねえか」
「馬鹿野郎、おいらがいつまでも生きてると思うな。それより大都はどうなったんだよ?」
「ああ、それか。今朝まで健人の言葉に従って遠野に一緒に行ってた」
「遠野……ずいぶんと遠いな、で?」
「結果はズバリだった。俺が知りたかったノカーノ来訪の秘密が解けたよ」
「そりゃあすげえな。でもよ、秘密がわかったって事は?」
「ああ、この星を去る時だ」
「おい、ちょっと待て。せっかく大都と再会したのに何、言ってんだ」
「大都にも言われた。『これでデズモンドの人生が送れるね』って――だからもう別れは済ませてきた」
「おい、それでいい訳ねえだろ」
ソファから立ち上がったティオータを有楽斎が押し止めた。
「デズモンドさん、ティオータの言う事はもっともです。この星で十四、五の子供が一人で生きていくのなど無理ですよ」
「そんなのは知ってるよ。だが大都は違う。奴は強くて賢い。俺たちが思うよりもずっと大人だ。俺はあいつと銀河のどこかの星で再会する約束をしたんだ。だったら俺もあいつの期待に応えなきゃ嘘だろ?」
「父の庇護を求める息子である前に一人の男であってほしいと願っている訳ですな」
「多分な」
「わかりました。でしたら大都君の件は私やティオータも精一杯気にかけましょう。その代わり、デズモンドさん」
「わかってる。俺は銀河で知らねえ者はいないほどの人間になる。そして大都と再会するよ」
「その心意気ですな」
「でもデズモンドよ。もう行く場所はねえんじゃねえか?」
ようやく怒りの収まったティオータが再びソファに腰掛けながら言った。
「いや、まだ行ってない最後の場所があるんだ――《智の星団》さ」
「あそこは……そもそも行けんのか?」
「『ウォール』があろうが『マグネティカ』があろうが、行けねえ事はねえだろう」
「――もう止めねえよ。好きにすりゃいいさ」
「ティオータ、色々と世話になったな。ケイジにもよろしく言っといてくれ――」
「私なら先刻からここにいるぞ」
いつの間にか広間の端の柱に背をもたれてケイジが立っていた。
「相変わらずびっくりさせるな。大都がよろしく言ってたぜ」
「うむ、私もデズモンドの意見に賛成だ。大都はもう大人だ。あいつの思うように生きさせるのがいい」
「さすがケイジだな。わかってんじゃねえか」
「むしろ心配なのはお前だ。遠野で聞き忘れた事があるんじゃないのか?」
「何……あっ、そう言えば大事な話を聞き忘れてた。ちきしょう、もう一度行かなきゃなんねえ。仕方ねえ、始宙摩に寄ってからちょいと行ってくるか」
「ふっ、ミイラ取りがミイラにならんよう、せいぜい気をつけるのだな」
何か言い返そうとする前に、ケイジは踵を返して道場に去っていった。
新たなる絵
その夜遅く、わしは高野山の始宙摩寺の入口、次元の裂け目の前に立っていた。慣れた雰囲気で異次元にするりと入り込み、寺に向かった。
花が咲き乱れていた遠野と違って、本堂までの両脇の道沿いは夜空を覆わんばかりの青竹が密生していた。
本堂の前では一人の若い僧が待っていた。確か大海という名だった。
「何だ。俺が来るのがわかってたのか」
「はい。そろそろおいでになる頃だと青海が申しておりました」
「青海さんは?」
「腰を悪く致しまして。本日は私がお相手をさせて頂きます」
「そりゃあ大事にしねえといけねえな。で、何か見せたいもんでもあるのかい?」
「はい。早速で申し訳ありませんが無限堂までご一緒頂けませんか」
「ふーん、新しい絵が出たんだな」
「とくとご覧頂きたく」
大海と一緒に本堂から無限堂まで歩いた。
以前と同じように道の両脇には二本の大樹が空を覆うように葉を茂らせていた。
「相変わらず立派な樹だな。種類は何だっけか?」
「以前申しましたように、種類ではなく名前で呼んでおります――そこの樹の根元に札がありますでしょう。おそらく大師の筆によるものと思われますが、左の樹は『アカボシ』、右の樹は『ユウヅツ』です」
わしは大海の説明を聞いて絶句した。
「――何だよ。こんな近くに答えは転がってたのか」
「この寺を開いた記念にタマユラ様とユウヅツ様がお二人でお植えになったと書いてあります」
「タマユラ。この間も山でその名前を聞いたなあ。誰なんだ?」
「北の山のサワラビ様の娘ですが、お子のできない体だったので、ユウヅツ様が山を継いだと聞いております。ですがお二人は大の仲良しだったそうで、ユウヅツ様が亡くなられた今もタマユラ様は寺に来ては、この樹を眺められております」
「ふーん」
わしは頭の中を何かが物凄いスピードで走り回っている感触に囚われた。
「先日も来られました。あ、そう言えばその時に師と同じく『デズモンド様がもうすぐ来られる』と申されておりました」
「わかった。少し黙っててもらえるかい」
ユウヅツ……ローチェの娘……大親友……離宮の池……黐木優羅
あの女、全部わかっていやがったな。もっともあの時に全てを話されたとしても、わしが実際に自分の目で確かめるまで納得しないのも知ってたんだろう。
無限堂の入口をくぐり、急勾配の廊下を登った。途中で重力制御が必要なほど勾配がきつくなり、わしらの足は地面を離れた。
「大海さん。前よりも上手になってるじゃねえか」
「修行の成果です――まずは右の壁をご覧下さい。新しい絵です」
「んと、確か右側は訳のわからねえサソリだかカニだかの絵だったよな」
軽口を叩いて右の壁を覗き込んだわしは新しい絵の異様さに出かかった言葉を途中で飲み込んだ。
それはただひたすらに全面真っ黒にぬりつぶされただけの絵だった。
「下の方に小さく『暗黒到来ノ図』と書かれています」
「うーん、これは大戦を意味してるのか、それとも銀河全体を指してるのか――いずれにせよいい知らせじゃねえ」
「やはりそうですか。これから世界は闇に包まれるのでしょうか?」
「大海さんよ。それはあんたみてえな若い世代次第なんじゃねえか。あんたはやがてじいさんの後を継ぐんだろうが、中に籠ってちゃいけねえなあ。もっと外に出て世間と触れ合わなきゃ」
「デズモンド様、今のお言葉、胸に刻み込ませて頂きます」
「そんなに固っ苦しく取らねえでもいいよ。だがこの寺が何のために建てられたのか、考えた事はあるかい?」
「星を読み、宇宙の運行を知り、世界の在り様を見つめる事だと」
「見つめるのは大事だが行動もしなきゃな。空海さんは行動してたろ」
「その通りです」
「さてと、見せたい絵はこれだけかい?」
「いえ、むしろ見て頂きたいのは左側の壁――どうぞ」
左側の壁に視線を移した。そこに当然あるはずだったわしの来訪図が描き変えられていた。
わしはじっくりとその絵を見つめ、低い声で唸った。
「如何ですか?」
「予想以上だ。面白え。俺はな、天に唾する事だって厭わねえ。何なら落ちてくる唾なんて簡単に避けてみせらあ。いや、もっとだ。いつかは天に届く唾だって吐いてやる。俺はそういう人間だぜ」
「デズモンド様、おっしゃっている事が支離滅裂ですが、混乱されているのはよくわかります」
三十分後、始宙摩を後にしたわしは山道でとうとう堪えきれずに高笑いを始めた。
「面白いじゃねえか。空海さん、モミチハさん、それにタマユラさんよ。これが宇宙の意志だってんなら、それに乗ってやるぜ――さあ、戻るか、遠野によ」
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