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Record 2 闇市の支配者
サーティーン
わしは大都の姿を求めて広い東京を探し回ったが、一向に手がかりが掴めなかった。
成果の上がらないまま時は過ぎ、1947年5月になったある日、ティオータがやってきて言った。
「よぉ、デズモンド。しけた面してんな」
「そりゃそうだ。大都が見つからねえんだからよ」
「いっちょ気分転換に出かけようぜ」
「出かけるってどこにだよ」
「新宿だよ。新宿」
「はあ、新宿に何があるんだよ」
「お前、疎いな。今や新宿は東京一の闇市の町だ。一番賑やかなんだぞ」
「だからそこに何があるんだよ」
「実はな、《歌の星》にいた時においらの舎弟だった奴が闇市のボスになってるんで、そいつを冷やかしに行こうと思ってな」
「そいつはパンクスかい?」
「いや、アンビスだ。さあ、とっとと出かけようぜ」
ティオータとわしは連れ立って新宿に繰り出した。新宿の東口は予想以上の人出で復員兵やらテキ屋やらがひしめき合っていた。
「おい、ティオータ。あっちにいる奴らは何の酒飲んでんだ?」
わしの質問にティオータは笑って首を横に振った。
「ありゃあ飲まねえ方がいい。カストリっていう質の悪い焼酎だ」
人波が割れて、柄の悪い一団が肩で風を切ってこちらに歩いてくるのが見えた。その中心にいるのは派手な赤い花模様のシャツを着た小太りの男だった。
「いたいた。ちょっと待ってろよ――おい、サーティーン」
中央にいた男はぎくっとして立ち止まり、ティオータの姿に気付いた。周囲を固める用心棒たちに何事かを囁いてからこちらに近付いて、辺りに聞こえないようにティオータの耳元で囁いた。
「兄貴。その呼び方は止して下さいよ。ここじゃあ唐河十三って名で通ってんだ」
「いいじゃねえか、わかりやすくて――それにしてもお前、ずいぶんと羽振りがいいな。大した出世だぜ。おいらに金魚のうんこみてえにくっついてたのになあ」
「本当に止して下さいよ。それより事務所で一杯どうです。そっちのお連れさんもご一緒に。お連れさんはMPじゃねえですよね」
「馬鹿野郎、闇市にMPなんか連れてくるもんか。おい、デズモンド。こいつが高級な酒をごちそうしてくれるみてえだ。行こうぜ」
ごみごみした闇市から解放され、花園神社の近くにあるバラック建ての事務所に案内された。
外階段を昇って二階の事務所に通されると、外観に不似合いな立派なソファセットとシャンデリアが飾ってあった。ソファの前のテーブルの上には外国たばこが無造作に山積みされていた。
「兄貴。ジョニーウォーカーの12年物、黒って奴でいいですかね?」
唐河の問いかけにティオータは手を叩いて喜んだ。
「おお、カストリじゃなきゃ何でもいい。しかしお前、いい暮らししてんなあ」
子分に酒とグラスを運ばせ、ソファに腰掛け、テーブルの上のタバコに火を点けてから、唐河は何か言いたげな表情をした。
「まずはともかく再会に乾杯しましょうや。乾杯」
琥珀色の液体が胃を締め上げた。
「かーっ、うめえな。デズモンド、どうだ、この酒は?」
「うまい。体中に染み渡るな」
「へへへ、そりゃどうも」
「ところでサーティーン、今しがた何か言いたそうだったじゃねえか」
ティオータに指摘された唐河はどきっとした表情に変わった。
「またその呼び方、まあ、いいや――いえ、実はね。心配事があるんすよ」
「どうせMPの手入れか何かだろ」
「そうじゃねえんですよ。兄貴、上野の『九頭龍団』は知ってますか?」
「聞いた事ねえなあ。何だそりゃ、新手の愚連隊か。だったらお前と一緒じゃねえか」
「愚連隊なんすかねえ。奴ら、上野の焼け跡や地下道に暮らしてる戦争孤児の集まりなんですよ」
「ガキか」
「そうなんすよ。だから別に酒や女が欲しい訳じゃなくて、ただ物をぶっ壊すのが面白いだけみてえです」
「ふーん、それで」
「奴ら、どうも闇市を襲うのが好きみてえでこれまでもあちこちの闇市が襲撃されてんです。で、近々うちの縄張りにも来るみてえで」
「何、びびってんだよ。相手は子供だろ」
「ところが『九頭龍団』の頭ってのが、まだ十五、六のガキだってのに滅法強いらしいんすよ。大の大人が何十人かかっても勝てねえって話で」
「ははーん、読めた。それでお前、おいらに用心棒になってもらおうと思ってこんな酒を振る舞ってる訳だな」
「まあ、そんな所です。お隣の方もずいぶんと腕が立ちそうだし」
「だってよ。どうする、デズモンド?」
「『九頭龍団』……ガキで腕が立つ――なあ、ティオータ、思い当たる節がねえか?」
わしの指摘にティオータは飛び上がらんばかりに驚いた。
「あっ、大都か。なるほど、ありえねえ話じゃねえな」
「唐河さんって言ったっけか。その話、乗らせてもらうぜ。ちょいとそこの頭に用事があるんでな」
「本当っすか。これで百人力だ――さあ、とっとと来やがれってんだ」
「おい、サーティーン。お前、おいらたちにあんまり居座られて、ただ酒飲んでほしくねえだろう。所詮、お前はサーティーン、近衛兵の中で十三番目の序列の小者だからな」
「うっ」
「心配すんな。こっちから出向いてやるよ。あんた、場所はわかるかい?」
わしは早くも立ち上がっていた。
「上野の山らしいっすけど」
「よし、わかった。俺は行く。ティオータ、ここで飲んでてもいいぜ」
「待てよ、おいらも行く――サーティーン、礼はたんまりとしろよ」
シェイクスピアを読む少年
わしらは上野に向かった。ここもやはり人でごった返していた。
上野公園の一角に目付の悪い少年たちの一団がたむろしているのが目に入った。
「ちょっとこいつらに聞いてみるか」
わしが近付くと少年たちがたじろぐのがわかった。
「何だ、てめえは」
一人の少年が立ち上がり、倍ほどの背丈のあるわしに食ってかかった。
「大丈夫、MPじゃねえし、危害を加えるつもりもねえ。お前ら、『九頭龍団』か?」
「だったら何だってんだよ」
「お前らのボスの所に案内しちゃくれねえかな」
「何、ねぼけた事言ってんだ」
「そのボスが俺の息子かもしれねえんだよ」
「つくんならもっとうまい嘘つけよ。うちのお頭はれっきとした日本人だ。てめえは外人じゃねえか」
「おい、待てよ」と言ってもう一人の少年が立ち上がった。「いつだったかお頭が言ってたぞ。自分には三人父ちゃんがいるってよ。本当の父ちゃんと……後は何だったかなあ。とにかく、お頭呼んできた方がよくねえか」
「だったらお前呼んでこいよ。この時間はいつもの図書館にいるだろう」
「図書館かよ。苦手だなあ」
「言い出したのはお前だかんな。責任取れよ」
「でも皆が睨むんだよなあ」
「わかった、わかった」
わしは口論中の少年たちの輪に割って入った。
「俺が行くから。図書館ってのはどっちだ?」
「あっちだけど、おれたちも一緒に行くぜ。てめえがMPだった場合、お頭をお守りしなきゃなんねえからな」
「勝手にしろ」
ひときわ体格の立派なティオータとわしの後を十人程度の少年たちがぞろぞろと付いて公園の中を歩いた。
図書館の前にある芝生の中で一人の詰襟の学生服姿の少年が一心不乱に本を読んでいるのが見えた。
わしは少年の姿を認めるや否や、言葉にならない奇声を上げ、突進した。
芝生の中に入り前に立ちはだかると、少年はゆっくりと顔を上げた。
「……デズモンド?」
わしは何も言わずにしゃがみ込んで少年を抱きしめた。
「大都、大都。会いたかったぞ」
「デズモンド、もう故郷に帰ったのかと思ってたよ」
「馬鹿野郎、戦争が終わってから毎日お前を探してたんだ」
「デズモンドはこの星を軽蔑してるんじゃないの?」
「……お前、そんな事、気にしてたのか」
「うん、だって酷い戦争で酷いやり方で人がたくさん死んで、それって連邦の精神に反してるだろ?」
「そんなのはどうでもいい」
わしはようやく大都から体を離した。
「お前、空襲の後、どうしてたんだ?」
「うん」
大都は読みかけのシェイクスピアを芝生に置いて座り直した。遠巻きにしていたティオータは大きく伸びをし、ぞろぞろと付いてきた少年たちも気配を察したのか、元の場所に帰っていった。
【大都の回想:大空襲の夜】
――あの夜、ぼくは木場にいた。丸太の上に乗っかって瞑想していたら、突然辺りが衝撃に包まれて、ぼくは水の中に落下したんだ。三月の冷たい水で溺れるかなと思ってたけど不思議に呼吸ができた。ああ、これがきっと師範の言ってた耐性だなって実感して水から上がった。
目の前はどこまでも続く炎の海だった。皆を助けなきゃと思って、ずぶ濡れの体のままで炎の中に飛び込んでいったんだ。
一軒の民家の前に小さな兄妹の影法師が見えた。手を引いて安全な場所へ逃げようとした。でもその手はまるで炭だった。ぼくが手を掴むとぼろぼろと崩れ落ちた。
ぼくは大声を上げて炭になった兄妹をそのままにして他の人を探した。
燃え盛る火の中で家も人もみんな炭に変わっていた。
ぼくは狂ったように赤く染まる町を歩き回った。
どうやら門前仲町まで歩いて、一軒の屋敷の前で倒れていたらしい。
そこの主人が明け方にぼくを発見して屋敷で介抱してくれた。でも一月以上も意識が戻らなかったんだ。
やっと普通に生活ができるほどに回復した時に、今度は新型爆弾の話を耳にした。
それを聞いた時に、何故か「ああ、もう終わりだ。デズモンドはこの星に失望して帰ってしまうだろう」って思って涙が止まらなかった。
戦争が終わって、ぼくは自分を助けて介抱してくれた人に恩返しをしようと誓った。
そこのご主人は『関東丸市会』というやくざの組の親分で、市邨伝右衛門という名のまだ若い義侠心に満ちた人だった。
彼は助け合うべき時なのに戦後の混乱に乗じて金儲けに走る人を忌み嫌い、その最たるものが闇市だった。
ぼくは表立っては動けない彼の代わりに世の中を正そうと思い、上野の戦災孤児たちを集めて『九頭龍団』を組織し、闇市のボスを襲撃した。
誰もぼくに勝つ事はできなかった。いつしか、ぼくと『九頭龍団』は闇市の後ろめたい人間の間で恐怖の存在となった――
「――なるほどな。確かにお前に勝てる奴なんていねえ。だがお前、今も本を読んでたじゃねえか。何々、シェイク・スピア、シップの部品みてえな名前だな」
「シェイクスピアだよ、デズモンド。ぼくは今、十四歳だから四年後には東京大学に入って物理学を学ぶ。そのために勉強を続けているんだ。約束したじゃないか」
「ああ、そうだったな」
「リーダーのぼくが成功する事であの子たちにも夢や希望を持ってもらえると思っているんだ」
「大したもんだ。じゃあ闇市襲撃は当分続けるのかい?」
「うーん、止めてもいいんだけどね。相手も銃器を密輸入したりしてどんどん重装備になっているから、いつか死者が出るんじゃないかと思ってびくびくしてる。同じ日本人同士、誰も死なせたくないし……」
「まあ、ゆっくり考えりゃいいや。だが新宿の東口の闇市の唐河って奴はティオータの子分だった奴だから勘弁してやってくれよ」
「何だ、そうなの。あいつが一番の大物だったんだけどティオータさんの知り合いじゃ仕方ないね――まあいいや。伝右衛門さんも文句は言わないだろうし」
「――ところでお前、あの約束は覚えているか?」
「えっ、何?」
「健人と三人で岩手を訪れるってやつだよ」
「うん、うん、もちろん」
「早速明日にでも行くか。健人はいなくなっちまったけどな。麹町には戻ったか?」
「ううん、あそこはあまりいい思い出がないから――手紙は読んでないの?」
「手紙……そりゃ何だ?」
「意識が戻ってから一度だけ麹町に戻ってデズモンドに置手紙をしたんだ。ちゃぶ台の上に置いておいたんだけど」
「ははーん。下河坂の野郎が処分したな」
「でもこうやってまた会えたからいいや。じゃあ今夜、この場所にまた集合でいいね?」
「ああ、いいぜ」
「それじゃ後で」
大都は本を小脇に抱え、ティオータにぺこりとお辞儀をしてから走り去った。