4.8. Report 4 大戦

Record 3 大空襲の夜

 健人が亡くなって間もなく、日本は世界を相手に戦争を開始した。
 大都は熱心にケイジの下に稽古に通った。ある日、わしが一緒に地下に出かけた時、ちょうどその場にいた有楽斎が話しかけてきた。
「デズモンドさん、聞きましたか?」
「ん、何をだい」
「《七聖の座》の恒星が光と熱を失ったそうです」
「叡智の終わりか――この星だけでなく銀河も激動の時代に突入するって事か」
「そうなるでしょうな」

 
 戦争は激化の一途を辿った。序盤、連戦連勝だった日本は敗戦を重ね、1945年には、東京の上空をB-29が我が物顔に飛び交う状況になった。
 3月9日、有楽斎から『ウォール』と『マグネティカ』についての話を聞いた。この二つの出現により、銀河の自由な行き来が不可能になったという。わしはますます暗い気持ちになった。
 広間で時間を潰していると大都が稽古にやってきたのが見えた。大都は国民学校の六年生で、体格も良くなり、視線の配り方にも剣の達人らしき凄みが芽生えつつあった。加えて頭の良さも備えており、その成長の様子を健人に見せてやりたかったなとつくづく思った。

 
「どうしたの、デズモンド。ぼんやりして。そんなんじゃあ空襲の時に逃げられないよ」
「余計なお世話だ。それよりお前、真夜中にも稽古に出てるみてえじゃねえか。そっちの方がよっぽど危ないぜ」
「気付いてたんだね。精神集中をするには暗闇が一番。わざわざ深川方面まで出かけてるんだ――今のぼくならデズモンドに一太刀くらいは浴びせられるかもしれないよ」
「やってみるか」

 わしは腰を浮かしかけたがすぐに思い直した。
「いや、止めとこう。腹が減るだけだ。お前の強いのは手合せしねえでもわかる。ケイジの奥義も身に付けたか?」
「それはぼくには無理みたい。資質が違うらしいよ。ぼくにはもっと違う力が眠ってるんだろうって」
「何だ、その力ってのは?」
「師範もよくわからないって言ってた。極限状態に追い込まれれば発動するかも」
「じゃあ毎晩の精神集中なんて意味ねえだろ?」
「それはさ、師範の域に少しでも近付きたいからだよ」
「ふーん、でもソルジャーにはならないんだよな?」

「ずっと言ってるじゃないか。ぼくは帝大に入って父さんみたいに物理学を学ぶんだ。そして理研に入って物質転移装置を開発する――ぼくは連邦民になってデズモンドみたいに色んな星に行くんだ」
「ケチの付けようがねえな。ソルジャーだろうが学者だろうがインプリントしてもらえるさ。だがあくまでもお前個人だ。この星はだめだな」
「……仕方ないよね。こんな戦争を続けていたら」
「ところでお前、もう耐性は身に付いたか?」
「えっ、師範は何も言わないけど――でも深川までは空を飛んで行ってる」
「きっと火の中だろうと水の中だろうと入っていけらあ」
「じゃあそろそろ行くね。ご飯は……こっちで食べてもいいかな?」
「いいぜ。まともな食糧があんのは地下だけだ。育ちざかりは遠慮せずに食え」

 
 わしは一人で地上に戻った。風の強い夕刻だった。最近、回数の増えた空襲が今夜あったら一たまりもないな、そう思いながら帰路に着いた。
 しばらくすると大都が帰宅した。資料を調べていると警報が鳴った。夜十時三十分、しかし空襲はなかった。
 茶の間でうとうとしている間に大都は真夜中の稽古に出かけたらしかった。物好きがどうせ木場の材木の上で飛んだり跳ねたりしているんだろう――だが止めた方が良かったか、わしはふと思った。

 日付が変わった頃、突然に空襲が始まった。わしは外に出た。
 東の空が真っ赤に染まっていた。爆撃は断続的に続いているようだ。
「ちきしょう。ありゃあ越中島の方じゃねえか」

 
 急ぎ足で半蔵門を越え、隼町の人気のない坂の上でヴィジョンをオンにしてティオータを呼び出したが、”On Duty”だった。
 次に有楽斎を呼び出すと、有楽斎の顔が小さく空間に浮かんだ。
「おお、デズモンドさんか。大変な事になった。こっちは無事だがそちらは?」
「ああ、大丈夫だが、大都が越中島方面に出かけちまってるんだ」
「何だって。私は今から醫院の方に戻らなけりゃならない。ティオータもてんやわんやだが、ケイジがすぐそちらに向かってくれる。そこで待っていてくれ」
「大火事で外に出れるのかい?」
「この地下まで熱が伝わってくるくらいだから、外はさぞや酷い有様だろう。何、私たちなら心配ない。これでも重力制御くらいはできる」
「後で地下に寄るよ。じゃあな」

 
 ヴィジョンを切ったわしの背後で突然笑い声が聞こえた。
「ひゃっはっは。見たぜ、この毛唐。とうとう化けの皮がはがれやがった」
 街灯のない坂の上に姿を現したのは特高の下河坂だった。
「今、誰かと無線で話してたよなあ。てめえが手引きしてこの大空襲を起こした証拠、確かに押さえたぜえ」
「おいおい、俺が手引きなどしなくても空襲はあるだろう。落ち着いてくれよ」
「いや、てめえは昔から怪しいと思ってた。あのアカの家に居候して神国日本を転覆させようと工作してたのはわかってんだ」

 下河坂は拳銃を取り出し、こちらに狙いを付けた。
「元憲兵隊長にどうやって取り入ったかは知らんが、おれの目はごまかせねえ。ここで野垂れ死にするがいいや」
 下河坂はお構いなしに拳銃を発射し、弾はわしの頬をかすめた。
「俺はこれから出かけなくちゃならねえんだ。頼むから今度にしてくんねえか」
 一歩近付くと下河坂は狂ったように声を荒げた。
「てめえ、逆らう気か。こっちに来るんじゃねえ」
 わしはずんずんと迫って、ついに拳銃を持つ腕を捉えた。
「な、頼むよ。邪魔しないでくれ」
 そんなに強い力ではなかったはずだったが、掴んでいた腕を放すと下河坂はバランスを崩し、そのまま永田町の方に坂を転がり落ちていった。
「ありゃ、やっちまったか」

 
 今度はケイジの声がした。
「デズモンド、何をしている?」
「おお、ケイジ。早いじゃねえか。実はな――」
 下河坂を坂の下に突き落とした事を話すと、ケイジは何事もないように言った。
「永田町であれば警察も軍隊もたくさんいるはずだ。助かるだろう――それよりも急がねばならん」
「急ぐってどこに行くんだよ?」
「まずは被害の様子を確認だ」

 
 ケイジとわしは空を飛んで神樂坂上に向かった。
「ここは神樂坂じゃねえか」
「ここからなら東京の様子が見渡せる――震災の時もそうだった」

 真っ暗な中、ケイジは黙って毘沙門天を祀ってある寺に入った。
 わしもケイジに付いて寺の境内に入っていくと、真っ赤な火の海と化した東京の東部が夜目にもはっきりと見えた。
「何だこりゃ、東は全滅じゃねえか」
 わしの言葉にケイジは答えなかった。
「――静かに。どうやら先客がいる」

 
 ケイジは滑る様に境内の奥に移動した。慌ててそちらに向かうと、確かに暗闇の中に人の気配がした。
「貴殿は震災の時もここにいた。今回もいると予想していたが、また会ったな」
 ケイジが言うと暗闇の中の男はどこか人をいらつかせる声で答えた。
「ご覧なさい。東京は終わりです。わずか三十年の間に二度も廃墟となってしまう。こんな都市が他にあるでしょうか。そして三度目の復興はなるのでしょうかねえ」
 暗闇の中の男がタバコに火を付けた一瞬、男の服と顔の一部がマッチの炎に照らされた。面長の顔に陸軍の軍服を着ていた。
「軍人か。軍人がこのような場所で何をしている?」
「ふふふ、その質問はそのままお返しします。異形の剣士と屈強な外国人が何をしているのですか?」
 それを聞いてわしはおかしくなった。
「俺やケイジを見て驚きもしねえ所をみると、あんたもさしずめこの星の人間じゃねえんだろ。『パンクス』で見た事はねえから、あっちか?」

 
「ほぉ、こちらの外国人の方はなかなか面白いですな。失礼ですがお名前は?」
「デズモンド・ピアナ。《オアシスの星》の歴史学者だよ」
「――驚きました。あの『クロニクル』の偉大なお方がこの星にいらっしゃるとは――いや、待てよ。そう言えば村雲がそんな事を言っていたかもしれません」

「村雲仁助の名前が出たからには貴殿はアンビスだな。それにしては見覚えがないが」
 ケイジの質問に男はからみつくような声で答えた。
「それはそうでしょう。デズモンドさんと同じく私もアンビスに間借りしている身ですから、ご存じないのも無理はない」
「どうも胡散臭えなあ。そんな人間にしちゃあ、ずいぶんと立派な身分のようだし――あんた」

「さて、そろそろ私はお暇しましょうか。あなた方のような危険な方々と長く話をして、ぼろを出さない自信がありません」
「待て」とケイジが言った。「震災の時に、ここから見ていて、私が気付いた途端に逃げたな。貴殿、私を知っているのではないか?」
「……なるほど。それで今夜もここに。残念ながら答えはノーです。私はあの時も今と同じように滅びた東京を眺めていただけです。そうしたらそこにたまたま異形のあなたがいた。それだけですよ」
「いや、あの時、私はほとんどの時間、気配を消していたはずだ。わずかに気配を現した一瞬に私を捉えた貴殿の力、それは私と会った事がある、いや、私と立ち合った事がある者でなければ――」
「ケイジ殿。記憶を失くされているようにお見受けしますが、あせってはいけません。来るべき時になれば記憶は戻るはずです。それではまたお会いしましょう」
 男が去ろうとしていた。ケイジは「待て」ともう一度だけ言ったが、追いかけようとはしなかった。

 
「不気味な奴だったが、今はそれどころじゃねえ。ケイジ、俺は行くぜ――ん、ケイジ、どうした?」
 わしは暗闇からゆっくりと現れたケイジの表情に違和感を覚えた。
「……あの男の去り際に間合いに飛び込もうと思ったが足が動かなかった」
「へえ、ケイジでもそんな事があるんだな。それともあの男が怪しい術でも使ったか。もしそうなら何か記憶があるんじゃねえのかい?」
「いや、そのような術に出会った事はないはずだが――急ごう。大都は越中島に行くと言っていたのだな?」

 
 越中島の上空にやってきた。
「麹町に向かった時も深川付近の出口は炎に包まれて使えなかった。この火勢では地上に降りて探すのは難しいな」
「ケイジ、大都の耐性は?」
「指導した訳ではないが問題ないはずだ。火の海であっても、川に飛び込んだとしても生きていられる――だがそれよりも心配なのは心の傷だ」
「大丈夫そうだと聞いて少し安心したぜ。これからどうする?」
「一旦、地下に戻る。有楽斎もティオータも人手が欲しいだろう」
「そうだな――大都、待ってろよ。必ず見つけてやるからな」

 
 パンクスの地下組織につながる地上の出入口の多くもビルが破壊され、家が焼け落ち、出入りはできそうになかった。ようやく原型を留めていたビルの入口から地下に降りると、入口の所でパンクスの一人のメンバーが険しい顔をして立っていた。
「これはケイジさんにデズモンドさん、ほとんどの出入口は誰も入れないようにこちら側から閉鎖をしました。この入口もいつまで持つか」
「ああ、いくら助けてやりたくっても、この組織が防空壕代わりに皆に知られるのはまずいもんな。で、無事な出入口は?」
「深川、城東、向島、本所、ほぼ全滅です。浅草の方も被害を受けたようです」
「どうにかしねえといけねえが、それにしても暑いな」
「この地下はぶ厚い鉄板に覆われていますが、それでも地上の熱が伝わってきます」
「可哀そうになあ。皆、焼け死んじまうじゃねえかよ。東京市民、いや都民か、を皆殺しにするつもりかよ」

「……それが、妙な噂が囁かれておりまして」
「何だよ、言ってみろよ」
「はい。実は今回の空襲はパンクスのいる東側だけを狙ったのではないか。アンビスが敵国のアンビスと結託したのではないかという話です」
「馬鹿も休み休み言えよ。そんな事する訳ねえだろ。他所の星から来た者同士、目的に違いはあれ、友好的に暮らしてるんだろ?」
「確かにそうですが」
「――わかった。じゃあ俺が確かめに行くよ。赤坂越えりゃあ、あっちの縄張りだったよな」
「デズモンド、私も行こう。アンビスの出入口を使わせてもらうつもりだろう?」
「まあな、困った時は相身互いじゃねえか」

 大広間に立ち寄ったが、ティオータも有楽斎も戻っていなかった。
「ティオータはいない。恐らく地上で救助活動を続けているのだろう」
「有楽斎の芝の醫院も怪我人が山ほど担ぎ込まれてるはずだ。パンクスにも被害に遭った奴はいるだろうし、急いでアンビスに頼みに行こうぜ」

 
 赤坂の地下に到着した。わしが左に行こうとするとケイジが止めた。
「デズモンド、そちらではない。その先は宮城だ」
「なあ、前から不思議だったんだが宮城の地下はどうなってるんだい?」
「デズモンド、何故、この東京が震災からわずか数年であそこまで復興したかわかるか。宮城の地下に東京を守る守護者たちがいるからだそうだ。だから触れてはいけない、みだりに立ち入ってはいけない。そう言われている」
「ふーん、そうかい」

 しばらく歩くと前方から数人の男たちが走ってきた。
「あ、ケイジ殿。ここから先はアンビスの支配地です。何のご用ですか?」
「ご存じのように東側は火の海で出入口がほとんど使えなくなっている。村雲殿でも誰でもいい、アンビスの出入口を我らに開放してくれるよう頼んではもらえないか?」
「そういう事ですか。わかりました。すぐに確認します」
 一人の元気な若者が背中を向けてヴィジョンで話をした。青年は振り向いてにっこり笑った。
「村雲から許可が出ました。どうぞご自由にお使い下さいとの事です」
「感謝する」

 帰ろうとするとわしらの背中に青年が声をかけた。
「あの、私たちの差し金で空襲が東側に集中したと言う者がいるようですが、そんなはずありません。明日はわが身、いつ西側だって空襲を受けるかわからないんです」
「わかっている。そんな馬鹿げた話をする奴はとっちめる」
 ケイジは青年に軽く手を振って答えた。

 
 大広間に戻ると有楽斎が疲れ果てた表情で椅子に腰掛けていた。隣の椅子では小さな男の子がすやすやと眠っていた。有楽斎はわしらに気付いて立ち上がった。
「デズモンドさん、大都君は?」
「この大火災の中じゃ探すのは無理だ。だがあいつなら心配ねえよ。連邦のソルジャーに負けねえ強さだからな――それよりその子は?」
「ああ、お会いになるのは初めてでしたな。私のせがれ、六歳になる釉斎です」
「へえ、あんたの子かい。母親は?」
「妻は《牧童の星》に帰しました」
「その方がいいかもしれねえ。芝の方は大丈夫だったかい?」
「爆撃はありませんでしたが、ここに来るまでの間、助けられる人はいないかと探し回りました――爆撃による破壊だけではありません。炎がまるで竜巻のように人々を飲み込んでいくのです。私と釉斎は人助けどころではなくなり、命からがらここにたどり着いた訳です」
「ただの爆撃じゃねえな。爆発による破壊じゃなく、最初から火災を狙っていやがったな。しかも風の強い日を選んでよ」
「どうしてそんな非道が行えるのでしょうか?」と有楽斎が呟いた。
「戦争ってそういうもんだって言っちまえばそれまでだが、人の尊厳もへったくれもねえ、ルールのない殺戮は最早戦争ですらないな。ただの虐殺だ」
「この星はどうなるのでしょうね」
「こんな事が続けばいつか滅びるな。過去にもあった愚かな星の仲間入りだ」

 
 明け方にティオータが戻って不機嫌そうな表情でソファに寝転がった。
「三十年前の震災は天災だった。だが今回は何だ、くそったれめ」
 吐き捨てるようにそれだけ言うと大いびきをかいて眠りこんだ。

 

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