4.8. Report 2 異界の人々

Record 4 異界

 一号台場から空を飛んで、まず東京の地下にあるパンクスに向かった。深夜だったので誰もいなかったが、警備の人間に伝えて、空き部屋で仮眠を取った。
 昼の少し前にティオータが起こしにやってきた。肩を乱暴に揺すられ、ソファで眠っていたわしは片目を開けた。
「デズモンド、無事だったか」
「ん、ああ……至って快適だぜ」
「そうかい。先生もいらっしゃる。目が覚めたら報告してくれとさ」
「わかった。シャワーを浴びたら行く」

 
「なるほど。空海か」
 話を聞いた天野有楽斎が言った。
「推測だぜ。監督がそう言ってたから間違いねえだろうけどな」
「何も問題はなかったな?」
「何でだ?関係は至って良好だった。互いに『監督』、『教授』って呼び合ってな」
「彼に評価されたのか。驚きだ」

「なあ、先生、あいつは一体何者だ?」
「ん、それはまあ、知ってどうなるものでもない。それよりもデズモンドさん、これからどうするつもりだ?」
「へえ、話せないような身分かい。まあいいや。とりあえず空海を追っかけるのが筋だなあ」
「大変だぞ」
「監督もそう言っていた。この国の至る所に出没してたらしいじゃねえか」
「もちろん眉唾な話もあるが、空海、又の名を弘法大師は日本各地で温泉を掘り当てた『温泉の父』とも呼ばれるお方だからな」
「ふーん、時間がかかりそうだ」
「まずは高野山だろうな。そこに総本山がある」
「そうするよ。空を飛んでってもいいが折角の機会だ。路面移動で行くよ」
「半日くらいかかるが平気か。日時を教えてくれればこちらで切符を手配する」
「そりゃあ助かる」
「何、大した事ではない」
「ああ、そうだ。先生宛に資料が届くと思うんで、届いたら知らせてほしいんだ」

 
 わしは日が落ちる頃、麹町区の須良家に戻った。
「デズモンド、お帰りなさい」
 大都が鉄砲玉のように飛んできてわしに抱きついた。その後ろから健人もにこにこ笑いながら顔を出した。
「デズモンドさん、ご無事で何よりです。成果はありましたか?」
「色々とな。お前の友達の……坂出君だっけか。どうしてる?」
「ははは、ここに来ていますよ。『デズモンドさんが帰って来る頃だね』って慌てて飛び込んできました」
「そりゃいいや。じゃあみやげ話をしてやろう」

 
「ふわぁ、空海ですか。話はとんでもない方向に向かいましたね」
 茶の間ではわしの前に健人と坂出、大都が行儀良く正座していた。
「坂出君、まだ驚いちゃいけねえよ。俺はマダムの家に寄った後、一人で都を歩いたんだ。もしかするとノカーノが宿泊した宿が見つかるんじゃねえかと思ったのさ」
「……で、どうなりました?」
「一軒の古い宿屋、昔は留学僧の宿坊をやってたらしいんだが、確かにそこの留学僧の部屋に西洋人の男が数泊していたって話を聞く事ができた」
「よくそんな古い話が残っていましたね」
「だろ。それには理由があるんだ。重陽の節句の晩、その女人禁制の宿坊に女性が訪ねてきたらしい――その女性ってのが異国のどえらい別嬪さんだったそうだ。宿坊に働く人間の一人がその女性を以前に都で見かけた事があったんで誰かわかったらしいが、その女性は前の后の侍女をしていて、西の山中で亡くなったはずだ。しかも姿形が当時と変わっちゃいない。こいつは幽霊に違いないって大騒ぎになったんだとよ。そうこうしてるうちに別嬪さんは西洋人の男と留学僧と一緒に忽然と姿を消したんだってよ。で、別嬪さんだったからこそ幽霊話が未だに語り継がれてるって訳だ」
「しかしそれでは死人が復活した事になります」
「そうかね。俺は死人を蘇らせる術を使う奴を知ってるぜ」

「えっ……だとするとあらゆる歴史を疑ってかからないといけませんね。でも何故、空海は彼女を日本に連れて帰る必要があったのでしょうか?」
「まあまあ、その辺をこれから調べようっていうんじゃねえか」
「しかし」と健人が口を挟んだ。「空海、弘法大師は日本のあらゆる場所に伝説が残っている方ですよ。果たして真実と言えるものに出会えますか?」
「確かにな。だがノカーノの名前が一緒に出てくりゃ、それが当たりだろ。まあ、まずは高野山に行ってくるぜ」
「そうですね。高野山金剛峰寺でならおとぎ話ではない事実も扱っているはずです」
「という訳で俺は当面、空海の行方を追うよ」

 
 数日後、天野有楽斎の手配してくれた汽車に乗り込み、和歌山にある高野山に向かった。大阪まで長時間かけて移動し、そこからまた汽車を乗り継ぎ、最後はケーブルカーのような乗り物で山の駅に到着した。
「うーん、この星に来てから一番疲れる移動だったな」
 わしは腰を叩きながら駅のそばのみやげ物屋の婦人に総本山までの道を尋ねた。
「ありゃあ、外人さんだったんやね。あたしゃ又、鬼が出たと思ったわ」
「よく言われるよ。こんな二枚目の鬼はいねえってのにな」
「まあまあ、金剛峰寺なら、ほら、この道降りてってあの右手の大きい寺や。気いつけてな」

 
 婦人に礼を言って山を降りた。広い境内は参拝者で溢れていた。戦争が近付いている割には、いや戦争が近いからこそ、神仏にすがる人が多いのだ。
 わしはこの星の人間を少し気の毒に思いながら山門に向かって歩いた。山門の脇で老婦人の団体と話をする若い僧を見つけたので、彼の話が終わるまで待つ事にした。
「ちょっと尋ねたいんだけどな」
「はい……ひっ、外国のお方ですか?」
「日本語は問題ないから安心してくれ。この寺で一番偉い人に会いたいんだ。俺はポルトガルの歴史学者、デズモンド・ピアナっていう者だ」
「は、は、はい。ではこちらにどうぞ」

 
 若い僧はおどおどしながらわしを奥の院まで案内してくれた。
「お待ち下さい。阿闍梨を呼んで参ります」
 しばらくすると若い僧が年長の僧を連れて戻ってきた。
 眼鏡をかけた中年男の表情を見て、わしは多くを期待できないのを直感した。
「拙僧が阿闍梨の玄果でございます」
「俺はポルトガルから来た歴史学者のデズモンドっていうんだが、こちらの空海さんとノカーノと呼ばれる男の関係を調査しているんだ」
「はて、ノカーノ。西洋のお方ですかな。残念ながら大師には西洋との接点があったという記録は残っておりませんな」
「資料は残ってないかい。何なら自分で調べるが」
「いえ、そういう訳にも参りません。壇上伽藍までお戻り頂けば、手がかりとなる文書があるかもしれませんが」
「ありがとよ。それじゃあ行ってみるわ」

 
 若い僧とわしは奥の院から元来た道を戻った。
 途中でわしは道が二手に分かれているのに気付いて立ち止まった。
「おい、こっちの道はどこに続いてるんだ?」
「はっ、何の事でございましょう。ご覧の通りの一本道。どこにも横道などありませんが」
「ああ、そういう事かい。なるほどなあ――なあ、あんた。もうここでいいや。俺は一人でその何とかに行けるから」
「えっ、いいんですか?」
「あんたも自分の仕事があんだろ。悪かったな。恩に着るぜ」

 わしは嬉しそうに山道を降りる若い僧を見送って一つため息をついた。
「どうせ降りてったって何も出てきやしねえ。ここは俺のやりたいようにやらせてもらうよ」

 
 わしは一見何もない木立の中に入った。そこには細い道が今来た奥の院の方向に戻る様に続いていた。
「普通の奴には見えない道か。空からも見えないんだろう。こんな事をできる力の持ち主がいるとは驚きだな」
 細道を延々歩くと木の生えていない開けた場所に出た。
「ふん、ご丁寧なこった。こっからはどこに連れてってくれんのかね」
 開けた場所の中心部でわしは大きく伸びをした。すると周囲がまぶしい光に包まれた。

 気が付けばわしは奥の院の見える場所に立っていた。いや、よく見ると奥の院とは微妙に異なる建物だった。周りの景色も少し違って見えた。
「異次元ときたか。こいつはすげえ」
 奥の院に似た木造の建物に近付くと一人の僧が血相を変えて走ってきた。
「……どなたですか?」
「嘘ついても仕方ねえからな。俺は《オアシスの星》のデズモンド・ピアナって者だ」
「他所の星のお方でしたか。ならばこの結界を越える力もありますでしょう」
「いや、なかなかのもんだよ。俺だから気付いたんだ」
「ずいぶんと自信がおありのようですな。で、ご用の向きは?」
「実はよ、ここの空海さんとノカーノ、こいつは七聖の一人なんだけどな、その関係を調査してるんだよ」
「そういう事でしたら、どうぞこちらへ」

 
 僧に連れられて建物の中に進んだ。奥の院に似ていると思っていたが、近付くにつれ、もっとずっと巨大な建物である事がわかった。
「この寺、寺でいいんだよな、何て名前だ?」
「始宙摩寺です。大師は金剛峰寺と一緒にこの始宙摩の寺を建立されました。人々を救うための、そして宇宙の危機を知らせるための寺です」
「宇宙の危機かよ、穏やかじゃねえなあ」
「ここでお待ち頂けますか。長老を呼んで参りますので」
 わしはがらんとした本堂を見回した。ここには仏具や仏像らしきものが全くなかった。

 
 先ほどの僧がヤギのような白いひげの老人を連れて戻ってきた。
「ようこそいらっしゃいました。私が長老の青海、これは大海にございます」
「俺は《オアシスの星》の歴史学者デズモンド・ピアナだ。よろしく」
「大師の事をお調べになられているそうで」
「実際にはノカーノっていう七聖の一人だけどな」
「ノカーノ殿……聞いた事がありませんなあ」
「しかしどうなってんだ。異界にこんな寺を建てて。まあ、ヌエに都を襲わせたくらいだから何か企んでたんだろう」
「……そのような話まで。これは隠し事ができないようですな――こちらにどうぞ」

 
 青海と呼ばれる老人と大海はわしを本堂の地下に案内した。大きな体育館のような部屋の中央には半径五十メートルはあろうかという大きな青銅製の鐘が天井から下がっていた。鐘のあまりの大きさのため、床の部分は深く大きく掘り下げられていた。
「何だい、こりゃ?」
「『退魔の鐘』にございます。大師が都を騒がせるヌエを鎮めるために造らせたものです」
「ん、大陸からヌエを連れて来たのは空海さんだろ?」
「左様でございますが、御所を襲わせたのは大師ではございません」
「どういう意味だ?」
「大師はヌエを何処かに預けておいでのようでした。そのヌエの暴走を心苦しく思い、自らの手で封じようとこの鐘をお造りになったのです」

「ふーん、この鐘、鳴らしてもいいかい?」
 鐘に近付いて言うと、青海は白い眉毛を下げて笑った。
「さて、無事に鳴りますか。なにしろ撞木がございませんしな」
「ありゃ本当だ。じゃあ拳で突きゃいいのかい?」
「デズモンド殿は豪快なお方ですな。この鐘はたとえ屈強な男が百人いても鳴りはしませぬ。世界に危機が迫った時のみ鳴るのだそうです」
「ふーん、これも空海さんの法力ってやつかね」
「さて、ここはもうよろしいですかな。もう一か所ご案内しましょう。大海、『無限堂』に参るぞ」

 
 異界にある始宙摩の寺、ここでは物の縮尺が狂っていた、否、こちらが正しいのかもしれなかった。わしは寺の隣に位置する小さなお堂に入った。
 畳八畳ほどと思えたお堂だったが、中に入ると幅二メートルくらいの板張りの廊下が延々と山に向かって九十九折に伸びており、その先端は見えなかった。

「何だこりゃ」
 廊下に向かって一歩踏み出したわしは、その傾斜の急さに思わず滑り落ちそうになった。
「修行をせんと、この廊下を登ってはいけんのですよ」
「なるほどな。こういうのは得意だぜ。重力制御しちまえばいいんだろ?」
「ほぉ、さすがですな」
 空中にふわりと浮きあがるわしを見て青海が感嘆の声を漏らした。
「で、これが見せたいもんって訳じゃねえだろう」
「左右の廊下には大師がしたためた壁画が飾ってあります。それをご覧に入れたかったのです」
「空海さんの絵か。面白そうだ。早速見ようぜ」
 青海とやや遅れて大海も廊下を登り出した。

 
「左の壁の最初の絵。これは『羅漢降臨ノ図』、この銀河の始まりを表していると言われております」
「十二人いるな」
「ほぉ、他の星でも同じ話ですか?」
「ああ、羅漢、又の名をArhatsがこの銀河を創ったと言われている。彼らは銀河の外、『上の世界』の住人だと言われているが本当の所はわからねえ。何しろ会った事がないからな」
「やはりわかってらっしゃる方に説明して頂くとこちらも勉強になりますな――左の壁、次の絵、これは『三界相闘ノ図』と呼ばれております」
「うんうん、その通りだ。空海さんはすげえな。次の絵は予想つくぜ。『聖者が何たらノ図』だろ?」
「いえ、次の絵は右側の壁の絵、『魔蠍転生ノ図』です」

 なるほど、右側の壁に初めて絵が登場していた。近寄って見れば、針のような尻尾をもたげた毒々しい真っ赤なサソリがこちらを威嚇するようにその禍々しい顔を向けていた。
「何だ、こりゃ。意味がわからねえ」
「あなたがおわかりにならないのでは我々には到底理解の及ばぬ所、掲げられた絵について大師も何の説明もしては下さいませんし」
「おい、ちょっと待てよ。その言い方じゃ空海さんがまだ生きてるみてえじゃねえか」
「はい、その通りでございます。初めに申し上げておくべきでしたが、弘法大師空海は今も存命です」
「千年か。ずいぶんと長生きだが異次元だから時間の経過は表の世界とは違うんだろう。あり得ない話じゃねえな――あんた、最後に会ったのはいつだ?」
「それが……直接お会いした事はございませんが、何かがあると絵が増えるそうです」
「ふーん、そりゃあますます面白いや。さあ、絵の説明を続けてくれ」

「かしこまりました。次に左側の壁に戻りますが、デズモンド様の予想通り『聖者誕生ノ図』となっております」
「やっぱりな。この人はサフィって名前だ。どうやら空海さんは俺なんかよりもこの銀河の歴史をずっとご存じのようだ」
「それは大師も喜ばれると思います。その次の絵は『五大弟子ノ図』、もう説明は不要、もとい、デズモンド様よりご説明頂けますかな」
「いいぜ。このでかいのがエクシロン、背中に羽が生えているのがルンビア、黒いベールをかぶっているのがニライ、目を閉じているのが盲目のウシュケー、そして残りの一人がアダニアだ。俺は数年前に彼らの足跡を訪ねる旅をした」
「左様でしたか。だがそんなデズモンド様も右側の絵には心当たりがあられない――次の絵はその右側です」
「どれどれ――ん、こりゃ、最初の絵と一緒じゃねえか」
「そうなのです。またも『魔蠍転生ノ図』です。これが何を示すのか」
「まるで判じ物だ。わからねえなあ。で、次は?」
「左に戻って、『聖者放浪ノ図』――おや、何かございましたか?」
「いや、何でもねえ。続けてくれよ」

 
 わしは『聖者放浪ノ図』でサフィらしき人物の隣に描かれている男を見て思わず息を呑んだ。それはトカゲの顔をした男でまるでケイジのようだった。
 しかしわしは自分の中に沸いた考えを改めた。ケイジの顔に似ているが、《幻惑の星》で聞いた限りではワンガミラの顔の違いはよくわからないらしい。これはおそらく典型的なワンガミラの顔だ。第一、ここに描かれているのがケイジだとしたら、現在の年齢は二千歳をはるかに越えてしまう。
 青海が言ったように空海がまだ存命なのもこの異界でだからこそ可能なのだ。通常の次元で何千年も生きるには尋常ではない何か、例えばマザーのように銀河を見守るといった特別な目的が必要だ。ケイジがその尋常でない存在だとしたら、自分はそれをもっと深く突き詰めなければならなくなり、『クロニクル』は全面書き換えとなってしまうかもしれなかった。

 
「よろしいですかな。次がこれ、『四王会談ノ図』にございます」
「《享楽の星》の大樹の下だな。実際にはここにいるのは暗黒魔王以外の三人と公孫威徳だ。暗黒魔王を倒す相談をしてるんだ」
「次に参ります前に、右側には三度『魔蠍転生ノ図』がございます。そしてこちら側に戻って『夜叉誕生ノ図』――」
「参ったな。空海さんは何でこんな事まで知ってるんだ。俺が長い時間をかけて調査した事実がこうやって絵になってるのを見ると複雑な気分だ」
「大師はすでに宇宙の真理に触れておられるのでしょう。そこでは時間の流れもなく、全ての知識が集まってくる、まさしく曼荼羅の中心なのです」
「なるほどな。それで何かあるとこっちに来て絵を描く。しかし誰に見せるために描いてんだろうな。こう言っちゃ悪いが、あんたたちのためとは思えねえ」
「さて、デズモンド様のようにわかっておられる方がここを訪れた時、何かをお伝えするためかもしれません――次に参りましょう。『七聖集結ノ図』にございます」
「これだよ。中央にいるのがデルギウス、寄り添ってるのがクシャーナとリリア、会話してるのがファンボデレンとメドゥキだ。瞑想してるのが曾兆明だろうから、この少し離れた場所で遠くを見てるのがノカーノだ」
「何と。デズモンド様のお探しの方がいらっしゃいましたか」
「ああ、だが空海さんは先を行ってるお人だ。これだけで知り合いかどうだったかはわからねえ。まだ絵は続くかい?」

 わしは来た方を振り返った。気が付けばずいぶんと登ったようで無限堂の入口は豆粒のように小さく見えた。大海は体を支えるのが辛くなっているようだった。
「もうしばらく。右手には四度『魔蠍転生ノ図』――」
「サソリの絵は何だか記号みてえだな。事ある毎に出てくるじゃねえか」
「左側に戻りまして、『天人破邪ノ図』にございます」
「……」

 
 わしは求めていたものを目の前にして言葉を失った。絵の左奥ではリリアの矢がノームバックらしき男の額を貫いていた。中央ではヌエを従えたノカーノが仁王立ちして虚空を睨み付け、そして右奥では空海らしき僧に守られた佳人が心配そうな表情を浮かべていた。
「青海さんよ。これが見られただけで十分だ。俺が最近知った事実はこの絵のまんまだ――ところでこの右奥の坊さんと美人さんが誰かわかるかい?」
「はて、僧形は大師の可能性がありますが、ご婦人はちょっと……」
「楊貴妃さんの侍女をしてたローチェとかいう女性らしいぜ」
「……それでは年代に齟齬がありますな。大師がご活躍を始めた時分にはすでに貴妃はこの世にはいらっしゃらなかったはずですから、この女性もそれなりの年齢に達しているはずです。それに貴妃の侍女をしていたのでしたら、乱の時に一緒に処断された可能性が高くありませぬか?」
「その通りだ。だがこの広い銀河には死人を蘇らせる術に長けた奴もいるんだよ」
「では大師は死人とお会いになられたという事ですか?」
「会っただけじゃない。この中央のノカーノと一緒にヌエとローチェを連れて日本に帰ってきた」
「理由がわかりませんな」
「そう。理由がわからねえんだ。それをこれから調査しようって訳だ――絵はもう終わりかい?」
「確か、これが最後……ややっ」

 
 それまで冷静だった青海の声の調子が突然に変わった。
「大海、最後にここに入ったのはいつだ?」
「はい。今朝も掃除で参りました。ここの掃除をできる人間は限られておりますので」
「その時に変わった事はなかったか?」
「いえ、特に」
「左様か」
 青海は冷静さを取り戻し、静かな声で告げた。

「デズモンド様、あなたが来られるのがわかったせいでしょう。大師が新たな絵を追加されたようです」
 青海が指差す左側の壁にはもう一枚の絵があった。その絵の中央に立っていたのはまぎれもなく、わし本人だった。
「こりゃ驚いたな」
「絵の名は……『史聖来訪ノ図』となっております。偉大な歴史学者が来られたという意味ですな」
「――なあ、青海さん。俺は空海さんに会ってみてえ。この先にいるんだろ」
 わしは急な傾斜で上に続く廊下の先を指差した。
「そう言われると思っておりました。我々はここにおりますので、どうぞ先に進んでみて下さい」

 わしは勇んで上に登った。どれくらい進んだだろう、ようやく無限堂の出口が見えて降り立ったが、扉は二重三重に鉄の鎖で縛られた上に封印の札が幾枚も貼られていた。
「本当の異界への扉って訳か。俺を受け入れるなら、《狩人の星》の時みたいにきっと封印は解かれるはずだ。つまりは先には進まない方が賢明か」

 
 わしは再び青海たちの待つ場所に戻った。
「だめだ。会ってはくれねえみてえだ。まあ、簡単にはわかっちゃいけねえから、試練を与えてくれてんだろ」
「そうですか。我々も勉強になりました。やはり他所の星の方と触れ合うのは刺激になります」
「青海さん、これからも絵が追加される可能性はあるんだろ?」
「そのようですな。絵が追加されればすぐにデズモンド様にお知らせ致しますので」
「おいおい、俺はいつまでもこの星にいる訳じゃねえ。でも連絡先は教えておくよ」
「これからどうされるおつもりですかな?」
「こっからは地道な調査だ。空海さんの足取りを追ってノカーノやローチェの事がわかればしめたもんだ」
「ご存じでしょうが、大師は日本全国に伝説を残されたお方。非常に広範囲に渡る作業になると思いますし、時局を鑑みれば円滑に進むとも思えません。本堂に戻ってその辺の相談を致しましょう」

 
 無限堂から本堂に戻る道の途中、道の両側に一本ずつ、二本の大樹があるのに気が付いた。二本ともまるで空を覆わんばかりに上に伸び、青々とした葉を茂らせていた。
「ずいぶんと立派な樹だな」
 わしが何気なく言うと、まだ若い大海が答えた。
「はい。この山が開かれた時に植えられたそうですので、樹齢千年になりましょうか」
「ふーん。何の木なんだ?」
「さて、ニシキギでしたか、モチノキでしたか、そんな種類です。皆は名前で呼んでおります」
「へえ。愛着あるんだな」

 
 同じ頃、アンビスの組織がある東京の地下で二人の男が出会っていた。
「おや、お珍しい。いつお帰りになられたのですか」
「たった今ね。研究の方はどうです?」
「ぼちぼちと言った所ですが――あなたがそんな事に興味があるとは知りませんでしたよ」
「人をまるで破壊者のように言わないで下さい」
「そうは申していませんよ。ただ芸術家の方は科学をお好きではないのかなと思いまして」
「ふふ、その通り。あなたの研究になど興味はない。あるのはあなた自身に対する興味だけですから」
「はて、何の事でしょう?」
「とぼけないでほしい、藪小路さん。あなた何者だ?」
「何者、ですか。アンビスには脛に傷を持つ者も少なくない、互いの過去には触れないのがルールではありませんでしたか。私があなたの過去を尋ねないのに、私の過去をほじくり出そうというのは感心しませんね」
「私のちっぽけな過去ならいつでも教えてやりますよ。だがあなたは違う。何のためにこの星にやってきたんです?」
「おやおや、大陸で黄砂に当たり過ぎましたか。妄想が激しいですな」
「そうやってシラを切るつもりですか。ヤパラムさん」
「……」
「他の名前も言いましょうか。ヤバパーズ、ヤーマスッド、ヤッカーム」

「……どうせあの『クロニクル』とかいう落書きを読んだのでしょうが、そこに気付くとは。何が目的ですか?」
 藪小路の口調が変わった。
「勘違いしないでくれ。ただあんたのやろうとしている事を知りたいだけだ」
 監督も先ほどまでの丁寧な口調とは打って変わって乱暴な言葉遣いになっていた。

「これは失礼。戦争と映画以外に興味を持って頂けるとは光栄ですな。ではお話し致しましょう――

 
 藪小路は黒眼鏡の男に自らの最終目的を淡々と話した。
「――軍部にも『最終戦争論』を説く男がいるが、規模が違うな」
「本質は同じかもしれません。最後の戦闘に勝ち、立っている者が勝者なのです。いかにそれまでの過程が素晴らしくとも、歴史を伝えていくのは勝者の側。下手をすれば全て勝者の偉業となってしまいます。私はその事を偉大なる先達、ユンカーより学びました」
「この星が最終決戦の地として選ばれた訳か。だが今行おうとしている実験には何の意味が?」
「私は現在の創造主に代わってこの銀河を簒奪しようと企む者です。しかしこの広大な銀河を統べるには自由に空間を行き来する事が不可欠です。これがない事にはこの広大な銀河を治めてもちっとも面白くありません」
「そのための実験か。人体実験をしていると聞いたが」
「そんなものは隠れ蓑ですよ。おっと少ししゃべり過ぎたようですね。ところであなたこそ私の秘密を知ってどうされるおつもりです?」
「ふふ、この戦争で死ぬつもりだったが気が変わったんだ。あんたのやる事を見届けてやるよ」

 

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 Report 3 頼られる男

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