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Record 3 麗人
「ところで野暮用ができてな。夜までには片付けるから、夜中の零時きっかりに大門の下で落ち合おう」
「俺は一人で待ってなきゃならんのか」
「客人にそんなつれない事をする訳がないだろう。ちゃんと私の部下を呼んである。後はその者に頼んでくれ。観光でも調査でもお好きなように」
監督はそう言うと待ち合わせ場所となっていたかつての離宮にわしを連れていった。
「大分待ったか?」
監督が声をかけたのは離宮の中にある池のほとりで佇む若い女性だった。
女性は断髪に釣鐘型の帽子をかぶり、仕立ての良さそうなベージュのスーツを着た、地下に置いてあった雑誌で見かけたモガだった。いや、その美貌からすると女優だったのかもしれない。
「別に」
「教授。紹介しよう、とは言っても互いに名前で呼んではいないし、彼女も通り名で呼ぼう。『女優』、それでどうだ?」
「構わんが。てっきり軍属が待ってんのかと思ったら、きれいな女性かよ。民間人だろ?」
「今は非常時だ。あんたの暇つぶしに付き合ってくれる軍人など皆無さ」
「それもそうだ。俺は教授って呼ばれてる。よろしく」
「よろしく」
監督は女優に近付いて、言葉を交わし、先ほどわしが手に入れた十数枚の紙束を手渡した。
「じゃあ後でな」
監督がいなくなり、離宮の池のほとりにはわしと女優が残った。
「どこか行きたい場所とかあるかしら?」
「いや、観光に来た訳じゃねえから、特に行きたい場所はないが」
「あら、そう」
「なあ、女優さんよ。一つ教えちゃくれないか。あんた、池のほとりでぶつぶつ独り言言ってたよな。何て言ってたんだ?」
「観察力が鋭い。さすがは教授ね」
「まあな」
「……監督から大体の話は聞いてるわ。あなたの期待にも応えられると思うけど」
「まずは俺の質問に答えてくれよ。何、話してたんだ?」
「冒険家が女の独り言に興味あるとは知らなかった――いいわ。教えてあげる。あたしの大親友の母親がこの離宮でお后にお仕えしていたの。だから今は亡き親友と会った事ないけどその母親に報告してたのよ」
「ふーん、って聞き流せる話じゃねえな。この離宮に仕えてた者の娘って言ったら、かなり昔の人間のはずだ。それと大親友って事は、あんた、幾つだ?」
「少しはこの星の歴史を勉強してるようね。でもこの星では多くの場合、女性に年齢を訊ねるのは失礼よ」
「そりゃそうだ。非礼を詫びるぜ。監督や俺みたいな化けもんを前にして全く動じないのを見ると、あんたも負けず劣らずだって事だな」
「偉大な歴史学者に理解してもらえるなんて光栄だわ」
「じゃあ俺のやりたい事を言うぜ。どうやら俺の探してるノカーノと空海さんがここに来たのまではわかった。その後、どこに立ち寄って、最終的に日本に行ったのか、その手がかりが欲しいんだ」
「千年近く前の事を、しかもこのピリピリした街の雰囲気の中で調べたいなんてどうかしてる。でも面白そうだから付き合ってあげる」
「そう言うと思ったぜ。やっぱりあんたもこっち側の人間だ」
「こっちだか、あっちだか知らないけど今日見つかったこの紙束、何が書いてあるか訳してみましょうか?」
「あんた、読めるのか?」
「教養はある方なの。いい、読むわよ――
――名はパレイオン。故あってこの屋敷に越してきた 皆。行ってしまった。皇帝、后、それに――
――この先はちょっとかすれてて判読できない。今のが一枚目」
――ヤパラムが死んだ日の事を聞いた 二人組の片方は留学僧――どこか引っかかる 留学生専用の宿坊が都に――そこを訪ねよう―― 宿坊で驚くべき話を―― 重陽の節句の晩、一人の女性の訪問者 女人禁制の宿坊に何故、女性が―― その数日前から異国の青年も――強い法力により宿坊の人間たちを操ったのではないか―― ――宿坊を訪れた女人 若く、美しい女性 私は訊ねた――先の后、玉環様よりも美しいかと そうではなく異国の顔立ち 一体――
――又、かすれて読めないわ。この後の紙は……延々とパレイオンの恨み辛みね。大した内容じゃないわ。あ、待って。最後の方に面白い事が書いてある――
――私は冷静さを失っていた――若い女性だったなら、后であるはずがない あの方が行ってしまわれてから既に数十年が過ぎているのだ 事実ならば、これは怪力乱神に他ならない―― ――又もや、宿坊近くの酒店主から怖ろしい話を聞く 重陽の夜、訪れた女人に、以前に会った事があると言う 面影が数十年前と変わらぬ事に驚き――その女人は后の侍女――
――肝心な部分が読めなくて申し訳ないけど、以上よ」
「あ、ああ、それだけわかれば十分だ。で、その侍女ってのは?」
「かすれてて読めないって言ったでしょ」
「そうか。あんたの大親友の母親も后の侍女だって言ってたから、その人かと思ってな」
「偶然よ。そんなにうまく話が進む訳ないじゃない」
「ふーん、まあ、あんたを信じるか。いずれにせよこの先は自分の力でどうにかしなきゃならねえって事だな」
わしらはその後、空海が宿泊していたらしき宿坊跡を訪ねたが、芳しい成果はなかった。
「千年も前の話じゃ、知ってる奴なんかいる訳ないな。さっきのオルガ婆さんが奇跡だった。だがこれだけわかれば十分だ。ノカーノと空海さんと若い異国の女性はヌエを連れて日本に渡った。後は日本で調べりゃいい」
「幸運をお祈りするわ」
「ありがとよ――おっ、そろそろ監督と待ち合わせの時間だから行かなきゃな。ところであんた、名前は?」
「『女優』だって言ったじゃない。それとも口説きたいの?」
「いや、あんたとは又、どっかで会うような気がしてよ」
「……いいわ。名前、教えてあげる。黐木優羅」
「もちき・ゆら。覚えとくぜ。俺の名前は言わないでもいいよな」
「もちろんよ。デズモンド・ピアナ」
優羅はデズモンドと城門の近くで別れ、一人きりになった。
「ふふふ、デズモンド・ピアナ。面白い男。あたしがローチェやユウヅツの名を教えなくてもあなたならいつかは山に辿り着く。そしてモミチハから……あそこには娘がいたはず。コザサとシメノ。コザサはもう山を下りる年頃だけど、この非常時で果たしていい男を見つけられるのかどうか……となると十分可能性はあるわね……ふふふ、ねえ、ユウヅツ。あたしが二人のために最強の男を見繕ってあげるから楽しみにしていてね」
夜中の零時にわしと監督は再会し、そのままシップに乗り込み、日本に戻った。出発した一号台場に到着し、わしはシップから飛び降りた。
「監督、色々と世話になったな。ありがとよ」
「いや、こちらもなかなか面白かった――そうだ、教授。このまま戦局が進めばきっとあんたはマークされ、国外退去となる。関連筋に『デズモンドはアンタッチャブルだ』と釘を差しておこう」
「すまねえな。恩に着るぜ」
「さらば」
監督と呼ばれる黒眼鏡の男はシップの中で高笑いをした。
「デズモンド・ピアナ。俺が面白がっているのは空海などではない。『クロニクル』の編者である貴様はまだその発見に至らないのだな。貴様の『クロニクル』に欠けているのはデルギウスとノカーノばかりではない。『Y』の男の存在に触れねばならないのだ。《古の世界》のヤッカーム、《享楽の星》のヤーマスッド、《歌の星》のヤバパーズ、そしてヤパラム――今はアンビスの幹部待遇となり、淵野辺の陸軍学校で研究を続けるあの男だ……この戦争で死んでもいいと思っていたが気が変わった。あの男が何をしでかそうとしているかきっちりと映像に焼き付けてやろうではないか」
黒眼鏡の男はいつまでも笑っていた。
(注:わしは『クロニクル』に何度か改訂を行っている。当然、今目にしているのは最新版の『クロニクル』だが、初版の『クロニクル』には《享楽の星》でのヤーマスッドとヘウドゥオスとの会話は含まれておらず、ノカーノの《青の星》訪問に至ってはチャプター自体が存在していない。 エピソード3までしかない各エピソードも現在のように9チャプター毎の構成とはなっていない。これはただ『ナインライブズだからエピソードもチャプターも九つずつだろ』という理由で整えた)