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Record 2 黒眼鏡の男
深夜零時、約束の第一台場に向かった。麹町区の家を出て増上寺の辺りを過ぎると人家もまばらになったので空を飛んでいった。
「ほお、空を飛んできたか」
約束の時間に地上に降り立つと、先に着いていた黒眼鏡の男が言った。
「まあな。ところであんたを何と呼べばいい?」
「そうだな。監督とでも呼んでくれ。そっちは?」
「教授かな」
「ふふふ、男同士の間抜けな逢引にふさわしいな。では行くぞ、教授」
第一台場の先の海中から黒塗りの流線型をした小型シップが浮かび上がった。
「へえ、これか。なかなかの代物じゃねえか」
「それはどうも。ペイムゥト製の古い型だ」
「あんた、いや、監督は《武の星》か《将の星》の人間か?」
「詮索好きだな。別にペイムゥトに乗っているからと言って、その星の人間だと断定はできまい。教授は何に乗ってきた?」
「ケミラ工房のドミニオンだ」
「ならば《鉄の星》出身か。そうではないだろう」
「なるほどな。筋が通ってら」
わしらは海上に浮かぶシップまで飛んで、機内に入った。
「では西安に向かうが、どこか場所は決まっているのか?」
「ああ、これを見てくれ」
地図を見せると男はしばらくして口を開いた。
「都の東、異教の寺が多くある地区だな」
「ヤパラム邸って名前らしい」
「何が見つかるのか楽しみだな」
「全くだ」
シップは一旦超高空に出てそこから西安目がけて急降下した。
「索敵技術が進んでいない星なのでここまで慎重にする必要はないのだが、今日はお客様もいるしな」
「無事に着きゃどうだっていいよ」
「教授、あんたどうも学者には見えない。修羅場を潜り抜けてきた冒険家って感じの落ち着きだ」
「さあな、他人と比べた事がないからわからないな」
「連邦はこんな星に興味があるのか?」
「それもわからん。連邦にはスポンサーになってもらっているだけだ」
「そろそろ着くぞ。まずは腹ごしらえだ」
シップを山の中に着陸させ、街に降りた。向かったのは雑然とした夜市だった。ここでは戦争とは関係なく、人々がいつも通り生活していた。
一軒の屋台の椅子代わりの木の箱に座り、監督は白く濁った酒を勧めた。
「かあ、しびれる酒だな」
「だろう。この混沌とした熱気の中で酒を飲み、正体もわからない獣の肉を食らう。これが人間の原点だとは思わんか」
「監督はロマンチストだな。てっきり人間に幻滅しているのかと思ってたよ」
「馬鹿を言うな。本能のままに行動する人間こそ美しいのだ。宗教の教えに従って戦争の本質を説く男がいるが、そんなものはまやかしだ。本能で必要な獲物を狩る、夜はこうして酒を飲み、女を抱く。監督としての仕事はその姿を網膜に焼き付け、記録する事だ」
「ははは、あんたは俺と似てるかもしれねえな。俺は文字で記録するが、あんたは映像で記録する訳だな。この星ではロゼッタを使うのか?」
「いや、そんなものすら発明されておらん。フィルムと呼ばれる薄っぺらな紙のようなものに映像と声を焼き付けている」
「ああ、『写真』と似たようなものか」
「そんな所だ」
「俺がやってるのとあまり変わりがねえな」
「大切なのは余韻だ。観る者に如何に余韻を残し、想像力を掻き立てさせるか、それが芸術だ。あんたの『クロニクル』だって、あんたが壮大な銀河の歴史書の一番のファンだからこそ、その余韻に浸ってこうして追加調査に赴いている。違うか?」
「考えた事なかったなあ」
「少々喋り過ぎたようだ。芸術の話になると歯止めが効かなくて困る」
「いいじゃねえか。まだ夜は長いんだぜ。あんたの映画の話をもっと聞かせてくれよ」
翌朝、わしらは連れ立って東のはずれにあるヤパラム邸に向かった。石造りの建物はすでに朽ち果て、庭には背の高い雑草が生い茂っていた。
「ここがヤパラム邸だ。中に入るだろうと思って管理を任されている男を呼んだ」
雑草をかき分けて現れたのは気の弱そうな痩せた中年男だった。
「陳です。この屋敷の管理をしています。日記を発見したのもあっしでさ」
「よろしくな」
男が鍵を使ってわしらを家の中に入れてくれた。内部は外以上にひどい様相を呈していた。おそらく金目の物は全て持ち去られた後だろう、残っていたのはぼろぼろの文机と足の取れた椅子、蜘蛛の巣が張ったまま床に転がる大きな鉄製の鳥籠だけだった。
「あの机をいじってたら日記が出てきたんでさ」
「仕掛けがしてあったんだろうな」
監督の言葉にわしは首をひねり、陳に尋ねた。
「でもよ、どうしてパレイオンの日記がこんな屋敷に残ってたんだ?」
「あ、あっしは管理を任されてるだけなんで……そういう事なら隣に住むオルガ婆さんに聞いたらいいんじゃないですかい。先祖代々、この地で暮らしてるらしいですから」
陳に付いてわしらは再び屋敷の外に出た。雑草の切れ目に大き過ぎる犬の首輪が落ちているのを横目に隣の屋敷へと向かった。
こちらも又、古い建築様式で建てられた屋敷の前で待っていると、腰の曲がった皺くちゃの老婆が迎え出た。
「誰だい、この人たちは。物売りなら結構だよ」
異国の魔女のような顔立ちをした老婆は陳にそう言ってから、わしらを胡散臭げに見回した。
「オルガさん、この人たちはね、学者さんだよ。隣のヤパラム邸の話を聞きたいんだとさ」
「ふん、戦争だってのに呑気なもんだね。で、何が聞きたいんだい。あたしゃ忙しいんだよ」
わしは「すまない。マダム」と頭を下げた。
「あら、嫌だよ、マダムだなんて」
「マダムの家はずっとここなんだろ。隣のヤパラムさんがいた頃の話って何か聞いちゃいねえかい?」
「そうさね、うちのご先祖がここに越してきたのが大帝国の皇帝様が都を捨てて逃げ出す前だから、もう千年近くになるかね。隣の家って言われても……うーん、あたしにゃわからないねえ」
「何でもいいんだよ。どんな些細な事でも構いゃしねえ」
「そう言えば、あたしのばあさんから聞いた昔話だけどね――
【オルガの回想:重陽の夜】
――あたしのばあさんのばあさんのその又ばあさんが娘時分に隣にはヤパラムさんが住んでた。物腰が柔らかくて博学だったから、この界隈の人気者だったそうよ。
でもあたしのばあさんのばあさんのばあさんのその又ばあさん、あら、何回言ったかしらね、がある夜、とんでもないものを見ちゃったのよ。
ヤパラムさんがお庭で飼ってた大きな犬、ヌエっていう名前で、人を見ても吠えないおとなしい犬だったんだけど、それが化け物に変身するのを見ちゃったのよ――
「ヌエ?」
ヌエという言葉にそれまで黙って聞いていた監督がぴくりと反応した。
「監督、ヌエってのは何だい?」
「後で話そう。今はご婦人の話を」
「ああ、そうだな――見間違いって事はねえよな?」
「ないわよ。どうして昔の事がこんなにはっきりと伝わっているかって言うと、その後にあんな事件があったからよ。この界隈じゃあ滅多に起こらないような大事件が――だから我が家で綿々と語り継がれてるの」
「大事件?」
「そうよ――
――重陽の節句でお月様がきれいな晩だったそうよ。あたしのばあさんの……遠いご先祖はまだ娘さんだったの。遠くから聞こえるお祭りの音色に身を委ねて二階の窓から月を見ていたら、隣の屋敷の庭に何だか大きな影が現れたんだって。ご先祖は『この間の化け物だ』と思って窓枠から目だけを出して様子を覗ってたら、案の定、ヌエだったのよ。
あたしも子供の頃に悪さをすると『ヌエが来るぞ』って散々脅かされたわ。ヌエっていうのは虎の体に猿の顔、尻尾には蛇がついているんだって。怖いでしょ。とにかく月夜に照らされてヌエはじっと隣の庭で立っていたそうよ。
何が起こるか、ご先祖が固唾を飲んで見守っていたら、屋敷の外に誰かやって来た。二人連れで一人はあたしやあんたみたいな異国の若者、もう一人は仏教のお坊さんみたいな恰好の青年だったそうよ。
ご先祖は夢中で身を乗り出したらしいわ。
すると屋敷に灯りがついて主人のヤパラムさんが現れた。ヤパラムさんと二人は何か話すと、そのままヤパラムさんの案内で屋敷の中に消えたのよ。
そこから先は、よくわからないけど庭で恐ろしい戦いが始まったんですって。
途中で助太刀も現れたりして、ヤパラムさん側に付いていた男は矢に倒れ、ヌエも異国の若者に手なずけられておとなしくなっちゃったのよ。結局、ヤパラムさんは屋敷の中に逃げ込み、青年たちは後を追って屋敷の中に入っていった。屋敷の中で何があったかわからないけど、屋敷の奥で青白いそれはそれは大きな火柱が上がったそうよ。
間もなく青年たちが庭に姿を現したんだけど、ヌエはまるで子犬みたいになって、異国風の若者におとなしく付いてどこかに行ったらしいわ――
「あんたのご先祖は全部見ていたのかい?」
「そうよ。その後もまだ頑張って、翌朝、おそるおそる一人で隣のお屋敷に行ったんだって。開けっ放しの扉を開けて中に入って、ヤパラムさんの名前を呼びながら部屋を探し回ったんだけど、ヤパラムさんはどこにもいなかった。おかしいなと思いながら庭に出ると、矢を眉間に受けた男の死体が転がっていたから、そこで初めて怖くなって大声で助けを求めたそうよ」
「結局、ヤパラムの死体は見つからなかったんだね?」
「そう。すぐに役人たちが駆けつけて検分が行われたんだけど見つからなかったらしいわ。それ以来、屋敷は化け物屋敷って呼ばれて住む人が――あ、ちょっと待って。ヤパラムさんがいなくなってしばらく経ってから、よれよれの姿の老人が住んだわ。ご先祖が尋ねると『元々ヤパラムにこの屋敷を斡旋したのは自分だから何の問題もない』って答えだったらしいのよ」
「パレイオンだな」
「そうそう、そんな名前だったわ。日記が発見されたんでしょ。何が書いてあったんでしょうね?」
「あははは、まあ、それを聞きに来たんだが――マダム、貴重な話、ありがとうよ。恩に着るぜ」
わしらはマダムの家を出て屋敷に戻った。
「監督よ。もう一つ、試したい事があんだけどな」
わしがぼろぼろになった文机のある部屋で言うと、監督は口の端を歪めてにやりと笑った。
「やりたい事は大体わかる。陳には相応の金を握らせてあるが、少しの間、どこかに行っていてもらおう」
「そうしてもらえるとありがたい」
監督は早口で何事かを告げて、陳は屋敷の外に出ていった。
「この辺かな」
わしは文机が置いてあったあたりのそこだけ少し色が違う壁の部分を思い切り拳で殴り付けた。漆喰で固めただけの土壁はわしの敵ではなく、たったの一撃で壁土がぼろぼろと崩れ落ちた。
わしは壁に開いた穴を注意深く観察した。
「予想通りだな。壁一面に何かを貼って、その上から漆喰で固めてらあ――なあ、監督。手伝ってくれよ」
わしらは三十分かけて、壁の漆喰を取り払い、土壁に貼り付けてあった数十枚の紙を回収した。
「他の部屋にもあるかもしれねえけど、めんどくせえから止めとくよ」
わしは回収した紙束に目を通しながら言った。どの紙にもインクが大分薄れてはいたが、よく読めない文字が書き連ねてあった。
「ふーん。俺には読めない文字だし――監督。ほらよ」
わしが紙束を渡そうとすると監督が怪訝そうな声を上げた。
「ん、何のつもりだ?」
「こういうもんは接収するんだろ。非常時だしな」
「ふふふ、それに翻訳もお願いする、か」
「そういうこった」
「わかった」
「ありがとよ」
わしらは屋敷を出て大路の方に歩いた。
「しかし興味深いな」
「へえ、監督も興味持ったかい?」
「ああ、婦人が途中まで言いかけたヌエの話の部分だ――ヌエとは時の朝廷の本拠である京都の御所を襲った怪物で、大陸から渡来したと言われているが、話が真実ならばヤパラムの屋敷を襲撃した二人組がヌエを日本に連れて帰ったと考えるべきだ。ではその二人組とは何者か?」
「異国風ってのはノカーノだな」
「そしてもう一人の修行僧は空海、多分間違いない」
「空海?よく聞く名だな」
「超人であったと言われている。日本全国津々浦々に神出鬼没に現れたと伝説が伝わっているが、シップに乗るか、空を飛べば移動など造作もない」
「まあな。ノカーノと知り合いだとしたらそうなるな」
「だがそんなのはどうでもいい。問題はノカーノ、或いは空海に懐いていたヌエが何故、時の朝廷を襲ったかだ。空海は国費で留学し、朝廷の保護の下で自らの山を開いたのだ。朝廷と争う理由は何だ?」
「さあな、俺にはよくわからねえ。でも空海の足取りを追えばノカーノの事もわかるって寸法だな?」
「上手くいけばいいな」
監督はにやりと意味ありげに笑い、自分よりもはるかに背の高いわしの腰をぱんぱんと軽く叩いた。