20XX.7.30 再び門前仲町
コンビニの店長にバイトを辞める旨を伝えた。一週間も経っていないのにすみませんとお詫びを連発すると、人のいい店長は笑顔で理由を尋ねてきた。
実はじいちゃんが帰って来るんです――
店長は「そりゃあ良かったね」と言って、喜んで送り出してくれた。
まさか「じいちゃんの帰還」という一言がバイトを円満に辞められる理由になるなんて。
じいちゃんの威光、恐るべしである。
美夜は順調にエピソード4を読んでいるようで、決してぼくには読ませてくれようとしなかった。
ならば久しぶりに登場人物を整理しようと思い立った。
エピソード6から1、2、3と来て今はInterludeにあたる4まで、およそ400人が登場している。
銀河の歴史書だから当然だろうけど、多くの人物の関係の交通整理をするのは大切な事だと思った。
高校の世界史年表のような形式の星の年表も必要だろうし、用語集も必要だろう。
でもそういうのはすでにじいちゃんが作っているかもしれない。
夕方近くになって美夜からメールが入った。
門前仲町 7時
以前一瞬だけ立ち寄った門前仲町のお屋敷にもう一度行こう、という意味だろうか。
門前仲町で会った美夜は上機嫌だった。
その理由を尋ねると美夜は笑いながら答えた。
「とても楽しいの。何かが始まる前の高揚感っていうのかしら、そう、運動会の前夜みたいな感じ。あたしも父さんに似たのかな」
美夜がお父さんの事を言うの初めてだね?
「そうね。あたしの父、美木村義彦はエピソード7に登場するはず。それが待ちきれないからかもしれないわね――これから会う、もえおばさんもそうよ。おばさんのためにも事実の世界を取り戻さないとね」
おぼろげながら予想していたもえおばさんの正体を美夜に尋ねた。
「その通りよ。さあ、もうすぐ家に着くわよ」
「おばさん、美夜です」
すぐに小柄な中年女性が現れた。年はそこそこいっているはずなのに少女のようにも見えた。不思議な魅力を持った女性だった。
「あら、美夜ちゃん。それにジウランさん」
「おばさん、いい。よく聞いてね。いよいよ事実の世界を取り戻すわよ」
「何、それは?」
「あ、ごめんなさい。アウラもヒナも、ミチもムータンも、皆、帰って来るわよ」
「まあ、それは素敵。もちろんセキやコウや順天も、それに他の兄弟たちも帰って来るんでしょ?」
「多分そうなるわ」
「懐かしいわねえ。美夜ちゃんもジウランさんも覚えてないだろうけど、皆でデズモンドさんのビーチハウスに遊びに行ったのよ。美木さんはあの通りの人だったから『私は遠慮します』って言って行かなかったの。だからあたしとセキが小さかったアウラとヒナと美夜ちゃんを連れて、コウと順天もミチとムータンを連れて来ていたわ。その時ビーチハウスで待っていたのが、デズモンドさんとジウランさん、あなただった」
「おばさん、その話、本当?」
「本当よ。嘘ついてどうするの。子供たちはすぐに仲良くなって、ずっと砂浜で遊んでいたわ」
「ジウラン、今のおばさんの話聞いたでしょ。あたしたち、事実の世界でも会っていたのよ」
訳がわからないまま、黙り込むぼくを見て美夜は更に言葉を続けた。
「鈍いわね。『忘れな草』はそこにあるじゃない。もしかしたらビーチハウスであたしたち、何か約束したかもしれないでしょ?」
何て前向きな考えなんだろう。それって――
するともえおばさんが突然に口を開いた。
「もう一人重要な人を忘れてる気がするのよね。ちょっと年長の男の子が……誰だったかしら。その人だけ思い出せないわ」
「おばさん、無理に思い出さなくてもいいわよ。あたしは『忘れな草』が見つかっただけで十分」
「えっ、それは何?」
「何でもないわよ、ね、ジウラン」
「あなたたち、仲良くてうらやましいわ。あの時と一緒ね――」
「おばさん、もうそれ以上言わないで。それ以上言われると嬉しくておかしくなりそうだから」
「変な娘ね。まあ、上がりなさいよ。久しぶりにご飯でも食べていきなさい。ね、ジウランさん」
暖かな雰囲気での食事だった。美夜は市邨もえさんの前では子供に戻っていた。
その席で、ずっと気になっていた疑問を口にした。
もっと小さかった頃にも、もえおばさんに会っていますよね――
「そうね。とても悲しい日だった。あなたのご両親があんな事になって」
じいちゃんは文月家とそんなに親しかったんですか――
「それは決まってるじゃない。だって……あら、どうしてかしらね。又思い出せないわ」
「ジウラン、いいじゃないの。デズモンド・ピアナも文月セキも知らない者がいないほどの有名人だったんだから、いくらでも親しくなる機会はあったんじゃないの?」
文月家はそうだろうけど、じいちゃんはただの変わり者だったんじゃないかなあ――
「ジウラン、おじい様を過小評価し過ぎよ。葉沢さんも言ってたじゃない。『戦前から生き延びる怪物』だって。有名に決まってるわよ」
尚も首を傾げるぼくを見て、もえおばさんが優しく言葉をかけた。
「ジウランさん、何か思い出したらお伝えするから。さ、楽しい話をしてちょうだい」
もえおばさんに見送られて市邨の屋敷を後にした。
美夜はすぐに腕をからめてきた。
「ジウラン、きっとあたしたち、事実の世界でも巡り会える。『忘れな草』も見つかったし」
うん――
「何、まださっきの事気にしてるの。だったらおじい様に聞いてみれば済むじゃない?」
あ、そうか――
「いよいよ明日はボスに会って、そしておじい様が戻ってくるんだね。その後はどうなるんだろう」
美夜もぼくも何気なく夜空を見上げた。そこに答えがあるのを二人とも避けるかのように、黙って駅までの道を歩いた。
登場人物:ジウランと美夜の日記