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Record 3 言葉の力
シップは《狩人の星》に到着した。大分くたびれていたがポートもあった。そこそこ文明の進歩した星のようだった。
「さて、どこに行きゃいいんだ?」
尋ねるとバスキアは「裏山にしましょう」と答えた。
「育った村に顔出さなくていいのかよ?」
「ええ、本来はそうすべきですが、現在、村の人たちは私たちがアラリアの調査をするのにあまり良い顔をしないんです」
「何でだよ。育ての親も村長も隠し立てしなかったんだろ?」
「はい。初めは良かったのです。成長して私も文字が読めるようになってからも、まだ村の人たちは好意的でした。ところがミネルバが書いた論文がいけなかった」
「ふーん……ちょっと待てよ。ミネルバはあんたより九つ年下だろ。でもポータバインドが発明されたのはずいぶん前だ。そしてあんたは現在、連邦大学の学生。どうなってんだ?」
「その話をまだしてなかったですね。実はミネルバは私よりも年上らしいんです。もちろん飛び級を繰り返すほどの天才でしたけど」
「あんた、年はいくつだ?」
「さあ、今となってはよくわかりません」
「ああ、訳わかんねえ――アラリアってのは皆そうなのか?」
「村長によれば皆例外なく年を取る速度が遅く、長命らしいです」
「話を戻すぜ。ミネルバはその論文で何を言っちまったんだ?」
「ちょっとした誤解です。『迫害されたためにアラリアは星を去った』とも取れる内容の一文があったんですよ。そりゃあ、村の人にとっては面白くないですよ」
「事実が解明されるまでは誤解も解けそうにねえなあ――じゃあ、裏山とやらに直行するか」
わしらはGMMとJBをシップに残して裏山に出かけた。
「ねっ、大した高さじゃないでしょう」とバスキアが言い、わしは頷いた。
しばらく山道を登ると、バスキアの言った通り道が二手に分かれる場所に出た。
「なるほどな」とわしが言うとバスキアは驚いて「あっ」と叫んだ。
「この道が見えるんですね。村の人たちは誰も気付かなかったのに」
「当り前だろう。『夜闇の回廊』や《魔王の星》のジャウビター山みてえな異次元につながるような場所や結界に守られた場所は嫌っていうほど見てんだ。このくらいは訳ねえよ」
「さすがデズモンドだ。さあ、急ぎましょう」
間もなくわしらは白い屋敷の前に立った。
「これがグシュタインの家か」
「中に入りましょう」
屋敷の中はバスキアの言葉通り、整然としていた。
「二階にグシュタインの書斎だった場所がありますよ」
急いで二階への階段を駆け上がった。
書斎は何の変哲もない状態だった。様々な本が棚に並び、文机があり、落ち着いた雰囲気のカーテンが窓にかかっていた。
わしはぐっと目に力を込めた。すると本棚の一か所にぽつりと黒い点のようなものが浮かび上がった。
遅れてやってきたバスキアに言った。
「バスキア、あれに気付いたか?」
「あれとは……何ですか?」
「どっかに通じてる扉だ。一緒に来るか?」
さらに目に力を込めた。本棚の黒い点がどんどん大きくなって、バスキアも尋常でない事態に気付いたようだった。
左手をゆっくりと今や一メートルほどの大きさになった黒い点に近付けた。指先が闇に触れたが、何の抵抗もなく飲み込まれていった。手首まですっぽりと闇に包まれた所でわしはバスキアに最後の確認をした。
「心の準備はいいか?」
「……はい」
「じゃあ俺の後を付いてこい」
わしはそのまま闇にダイブした。
それは今までに見た事のない、けれどもどこか懐かしい風景だった。わしらは青みがかった霧に包まれた丘の上に立っていた。丘からは煙る町並みが見下ろせた。
不思議な事にこの場所では全く音が聞こえなかった。けれども人を不安にさせる静けさではなかった。
「デズモンド」とバスキアが小さい声で言ったが、その響きの大きさに本人も驚いた。「ここはどこでしょう?」
「わかるはずねえだろ」とわしもできるだけ小さな声で言ったつもりだったが、声は周囲に響き渡った。
「町があるようですね。降りてみますか?」
「そうするのが一番だな」
わしらは丘の麓の町に入った。一見すると変わった点は見当たらなかったが、人が誰も歩いていなかった。
「誰もいませんね」
「ああ、あそこで聞いてみよう」
わしは町の中心と思しき場所に建っている、こじんまりした役所のような教会のような建物を指差した。
建物の中に入った。できる限り小さな声で誰かいないか尋ねると一人の婦人が現れた。
婦人は満面の笑みをたたえ、バスキアに話しかけた。
「やっと来たわね」と言ってから、わしをちらりと見た。「あら、そちらの方は?」
「――この方がここまで私を連れて来てくれたのです。もしかすると……アラリアですか?」
「アラリア――そんな呼び方されていた事もあったわねえ。でもそっちから人が来るなんて。ミネルバ以外にはね」
「そうじゃないかと思ってました。彼女は天才ですから。私なんか、今だってこちらのデズモンドさんの助けがなければここにたどり着く事はできなかった」
「あら、あなた」と夫人はわしの方を向いた。「デズモンドさんって言うの。よろしく。大したものね。あなたも『見える人』なの?」
「俺は言葉に力をセットする方法を知りたかっただけだ。だから目に力を入れてたら、たまたま見えたんだよ」
「ああ、私たちの力ね。それだったらもう心配ないわ。だってここに来る事ができたんですもの。言葉に力を仕込んでおくのなんて簡単よ」
「アラリアってのは言葉を操るのかい?」
「全員って訳じゃないわ。バスキアみたいに根っからのソルジャーもいるし」
「――私はソルジャーなのですか?」
「本当に大器晩成ね。まだ気付いていないなんて。デズモンドさんに稽古をつけてもらうといいわ。すぐに目覚めるわよ」
状況が全く整理できなかった。ただこの場所に長居をするのは良くない、直感でそう感じた。
「あんまり時間をつぶすのは良くねえようだ」
「その通りよ。こことそちらでは時間の概念が違うからぼやぼやしてると十年くらいすぐに経っちゃうわ。空間がつながっている内に帰りなさい」
「では」とバスキアが勢い込んで言った。「最後に一つだけお尋ねします。アラリアは何故、《狩人の星》を捨てたのですか?」
「捨てた訳じゃないわ。元々予定通りの行動。ある人に頼まれて一定期間だけ移住したの。その目的を答えるのは勘弁してちょうだい。で、予定通りにこちらに帰る日が近付いたんだけど、グシュタインとあなた、それにミネルバが『帰りたくない』って言い出したの。で、あなたたちを残して戻ってきたの」
「そんな――どこの世界に幼い子供を置き去りにする法があるんですか?」
バスキアは婦人に食ってかかった。
「あら、『幼い』なんて一言も言ってないわよ。『小さかった』あなたたちだけど五十年は生きてたわ。あなたたちは自分の意志で残る事を決めたのよ」
「にわかには信じられません」
「ミネルバは記憶を取り戻したけど、あなたはまだみたい。どうやらグシュタインが色々と細工をしたようね……そのうち思い出すわよ。きっとここに来た事がきっかけになるわ」
「私の父や母はこの町にいるのですか?」
「ここには私しかいない。そして私が死ねばアラリアはあなたとミネルバだけ――さあ、もう帰らないと空間が動いてしまうわ」
婦人はそれだけ言って背中を向けた。去っていく途中で一度振り返り、わしにこう言った。
「デズモンドさん、言葉の力、上手くお使いになってね。バスキアの事、よろしく頼みます」
わしはようやく我に返った。
「バスキア、色々と不満だらけだろうが戻ろう。早くしねえと戻れなくなるぜ」
「あ、ああ、そうですね」
未練たらたらのバスキアを追い立てるようにして、元来た丘の上まで引っ張っていった。
わしらがくぐり抜けてきた黒い闇は少し形を変えているように見えた。
「ほら、見なよ。空間がつながったのは偶然ってやつだ。固定する技術なんて知らねえから、もう歪み出してる。とっとと帰るぜ」