4.5. Report 1 失われた民

Record 2 アラリアの碑

 風邪をこじらせたノータを残してわしらは出発した。
「目の前に見えるのが《流浪の星》か?」
 わしが傍らの青年、バスキアに尋ねると、バスキアは黙って頷いた。
「そうです。そしてこの先に《狩人の星》があります」
「ふーん、どんな場所だい?」
「気候は温暖、文化レベルも低くなく、人々は平和に暮らしています」
「でもそれはあんたが言ってるアラリアじゃねえ人達なんだろう?」
「――私とミネルバが石碑を発見したのが始まりでした。長い話になりますが聞いて頂けますか――

 

【バスキアの回想:アラリア】

 ――私とミネルバはキルフという名の集落で育ちました。
 ごく普通の環境でした。
 ただ二人とも両親がいなかった、後でわかったのですが、親切なご夫婦たちが私やミネルバを実の子のように育ててくれたのです。
 ミネルバは私より九つ年下、家が近所だったし、周りに同世代の子供が多くなかったのでよく遊んであげました。
 彼女は九つも若いのですが、五歳くらいになると、おしゃまというのでしょうか、まるで母親のような口調で私と対等にやり合うようになり、私もそんなミネルバを本当の妹のように可愛がりました。

 
 ある日、私たちは裏山に探検に出かけました。そこは大人たちから『絶対に入ってはいけない』ときつく言われていた場所だったのですが、その日に限ってする事がなくなってしまったのです。
 初めにミネルバが「ねえ、裏山に行ってみましょうよ」と言い出しました。
 私は大人に怒られるのが嫌だったので「あそこは化け物が出るぞ」と脅したのですが、ミネルバは「男のくせに怖いんでしょ」と言い返しました。
 そうなると後には引けません。「怖い事なんかあるものか」と言って裏山に登る事になりました。

 キルフの村は山々に囲まれた場所にあり、裏山と呼ばれるその山も別段高い訳ではなく、子供でもその気になれば登れるような代物でした。
 なのに大人たちは誰もその山に登ろうとしない、いえ、むしろその山の存在自体を否定するかのような様子でした。

 
 私たちはピクニック気分でした。
 うららかな陽射しの下、鼻歌交じりに歩くと、道が二手に分かれる場所に出ました。
「おや」と思いました。麓から見た時には頂上まで一本道が続いているだけで、そのような横道はなかったからです。
 ミネルバは「どうしたの?」と聞きました。理由を話すと「だったらこっちの道を行きましょうよ。探検なんだもの」と言って、横道にずんずんと分け入っていきました。
 私は慌てて彼女の後を追いました。幸いにして道は整備されていて歩きにくい事もなかったので、迷子にならずに戻るのは容易いだろうと安心しました――

 

「ふーん、異次元に続く道が見えたんだな?」
 わしが呟くとバスキアは目を丸くして頷いた。
「よくおわかりですね。話を続けます――

 

 ――しばらく進むと突然開けた場所に出ました。ここでも私は不思議な気分に襲われました。この場所は村から見る裏山の裏に当たる部分になるのかしら、何だか今登っている裏山が普段見ている山の形とは違っているような気がして仕方ありませんでした。
 そして私たちはあるものを発見したのです。開けた場所の奥に子供の腰の高さくらいの石碑が立っていて、さらにその奥に道が続いていました。
 石碑には文字が書いてありましたが、読めない文字でした。私に読めなかったのですから年下のミネルバに読めるはずないのですが、何故か彼女は石碑を見つめたままで時折、「うんうん」と頷いていました。
 少し気持ち悪くなりましたが、奥に続いている道を進みました。ミネルバが追いかけてきました。石碑の文字が読めるのかと尋ねると、彼女は曖昧に笑うだけでした。

 そして道の突き当りに白い屋敷が建っているのを発見しました。
 ミネルバはさして驚いた風でもなく、それどころか「グシュタインの屋敷ね」と謎の言葉を吐いて屋敷のドアを開けようとしました。
 私は慌てて止めましたが、彼女は「大丈夫よ。誰も住んでないから」と言って、屋敷の中に入っていきました。
 私も急いで後を追いましたが、そこで息を呑みました。

 屋敷は整然と片付けられていて、とても誰も住んでいないようには見えなかったのです。それどころか、ついさっきまで人がいたような気配がしていました。
「やっぱり誰か住んでるよ。さあ、ミネルバ、帰ろう」
 彼女はそれには答えず、謎めいた微笑みを残して、奥の部屋に進みました。そして大きな本のようなものを手にして戻ってきました。
 それは私がずっと欲しいと思っていた昆虫図鑑でした。
「ミネルバ……これは」
「ここには欲しいものは何だって揃ってるわ――そう、今日からここを二人だけの秘密基地としましょうよ」

 私は誘惑に勝てませんでした。勝手に他人の屋敷に忍び込んだ罪の意識はどこかに吹き飛び、ミネルバと探検を続けました。
 まさに天国でした。彼女の言った通り、欲しかったものが全てそこにはありました。
 夢中になって時間を過ごし、あやうく家に帰るのを忘れる時もありました。

 
 それ以来、私とミネルバは暇さえあれば裏山に遊びに行くようになりました。
 ある日、何が書いてあるのかよくわからない本を手に取って図版を見ていると、ミネルバが私の傍にやってきました。
 彼女は興奮しているようでした。
「ねえ、バスキア。とうとうわかったの。聞いてくれる?」
「うん、ぼくも君に聞きたい事があった」
「だったら先言いなさいよ。あたしのはものすごい発見だから後回しにしとくわ」
「あのさあ、君は……例えばこの本の文字が読めるの。ぼくが今までに習ったものとは全然違うんだけれど」
「……難しいから中身まではわからないけど――どうしてバスキアには読めないの?」
「言ったじゃないか。習った文字、村の皆が使ってるのとは全然違うって」
「バスキアは覚えてないのね」
「えっ、どういう事?」
「だったらあたしの発見を先に話した方がいいみたいね。いい、びっくりしないで聞いてね――

 
 この屋敷のご主人は前から言ってる通り、グシュタインって人なんだけど、可哀そうに何年か前に病気で亡くなったの。でもグシュタインには孫のように可愛がっていた二人の子供がいた――

「ミネルバ、何を言い出すんだい……」
 そう、それはあなたとあたし。あたしたちもこのお屋敷で暮らしていたのよ――

「……そんな空想話はたくさんだ。じゃあ聞くけど、ぼくらの両親は本当の両親じゃないとでも言うつもりかい?」
「そうよ。グシュタインが亡くなる前に、残されるあたしたちを不憫に思って今の家に預けてくれたの」
「それじゃあ、ぼくらは兄妹とでも?」
「どうやらそれに近いみたい」
「近い?」
「最後まで話を聞いて――

 
 グシュタイン、バスキア、そしてあたしは『アラリア』って呼ばれる民族の生き残りなの。アラリアは遠い昔に集団でこの地を訪ね、そしていつの間にか去っていった。
 去るにあたって、残りたい者は残ってもいい、という事になったらしいわ。でも手を挙げたのはグシュタインとあたしたちだけ。他の皆は元の場所に帰りたくって仕方なかったらしいの。
 そうしてこのお屋敷での三人の生活が始まった――

「……しかし、よくもそこまでの話を創作できるもんだ」
「創作じゃなくてよ。これ」と言ってミネルバは一冊の古い日記帳を取り出しました。「ここに全部書いてあるのよ。あたしの事も、バスキアの事も」
「だから、こんな文字読めないって――もういいよ、この話は。それよりもさ、ここに来てるのが大人たちにばれたみたいなんだ」
「別に大丈夫よ。ここには来れっこないんだから」
「またそんな事を」

 
 案の定、その晩、両親に呼ばれました。
 ミネルバの一言が妙に引っかかっていたせいもあって、全てを洗いざらい打ち明けたのです。
 その時の両親の引きつった顔ったらなかったです。ひどく怒られると思っていたのに当てがはずれてしまい、その晩はそれっきり何もありませんでした。

 翌日、私とミネルバ、両方の両親と共に村長の家に行きました。
 村長は私の父から話を聞くなり「うーん」と言って黙り込みました。
 やがて村長は私に「何故そこまで克明に語れるのか」と問い質しました。
 答えられないでいると、ミネルバが例の本を取り出して「これに書いてある」と言いました。
 私はあきれました。大人相手にまであんなほら話をするなんて。
 すると村長はにこりと笑って「やはり血は争えんか。そこに書いてあるであろう事は全て真実じゃ」と言ったのです。

 村長が話してくれた内容はミネルバの話とほぼ同じものでした。
 新たにわかった事として――

 

 話の途中だったが、わしはバスキアを止めた。
「長え話だな。ノータの風邪が治らなくてここにはいねえんだから、お前、代わりに後で文章起こしとけよ――つまりこういうこったな。アラリアの生き残りのグシュタインが亡くなって、あんたとミネルバは里子に出された」
「その通りです」
「あんたは何も覚えちゃいなかったが、ミネルバはアラリアの言葉が理解できた――言語学者になるくらいだから言葉には敏感だったんだろうな」
「はい」
「あんたはどうだったんだ。言葉を理解できたのかい?」
「それを言おうと思っていたんです。結論から言うと、後になって私にも理解できるようになりました。誰に教わるでもなく、ある日突然に言葉が意味を持って飛び込んできたんです。上手く表現できないですけど」
「――そりゃあ興味深いな。言葉に力を持たせると聞いちゃ黙ってらんねえ。あらかじめ設定したタイミングに内容が飛び込んでくる、まるで時限爆弾だ。いや、茶化してる訳じゃねえぞ」
「そう言って頂けると話をした甲斐があります」
「俄然興味が湧いた。早いとこ、そのグシュタインの屋敷に行ってみようぜ」

 

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