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Record 2 百枚護符
わしらがエリオ・レアルに着いた同じ頃、《念の星》は緊急事態に陥っていた。
「陸天様、間に合うでしょうか?」
他の僧から陸天と呼ばれた若い修行僧は作業の手を休めて静かに答えた。
「間に合わせなければならぬのだ。心配している暇があったら黙って護符に念を込めろ」
陸天は『念塔』の一番奥の道場をちらっと見た。
師である陸音が道場に籠ってからどれくらいの時が過ぎただろうか、数時間おきに道場から魔王を封印するための文字が書かれた護符が届けられたが、師が出てくる気配はなかった。
おそらく師は命を削りながら、道場の中で一心不乱に護符に文字を書き込んでいるのだ。
道場に入られる前に師は言われた。今一度、魔王の鎧を封印するには百枚の護符が必要だと。
こちらに届いた護符は全部で九十八枚、その一枚一枚にさらに自分たち弟子が念を込めていた。
ようやく最後の一枚が道場から届けられ、念を込め終え、護符を丁寧に白木の箱に詰め終わった所で陸音が姿を現した。
「準備はできたか?」
「はい、しかし師のお体が」
「わしは良い。陸天、お主の推力が頼りじゃ。大丈夫か」
「平気でございます。全速力で《魔王の星》に向かいます」
「頼んだぞ」
ジャウビター山から少し離れた別の山の頂上に二人の人物が立っていた。
「やはり来ましたな」
「ふっ、よりによってこんな時に来るとは。あのデズモンドという男は何かを持っているのかもしれん」
「ム・バレロ様、Arhatのような物言いはお止め下さい。それよりもあの男をどうなさるおつもりですか?」
「別にどうもしないが」
「それで良いのですか?」
「構わん。あの男よりも鎧がどうなるか、そちらに興味がある」
「と言いますと?」
「《念の星》から修行僧が来る。再び鎧を封印するつもりだ」
「真でございますか?」
「うむ。念塔がどれほど人の力を増幅させるのか見てみたい」
「もしも封印に成功すれば?」
「さあな、成行き次第だ。妨害するかもしれんし、静観するかもしれん」
「そうですか」
「がっかりしているのか、マンスール。お前もたまには自分の力で何かを作り出してみたらどうだ。死人をいじっているだけでは進歩がないぞ」
「厳しいお言葉ですな」
「せっかくこれだけの瘴気が溢れ出しているのだ。新しい術に目覚めるかもしれんぞ」
「なるほど、その通りですな――実は私め、先ほど見かけたあのニーダムとかいうデモ隊にいた男、あの男を見てひらめくものがあったのです」
「早速、瘴気の影響を受けたか。ではそのニーダムとやらの下に向かおうではないか」
「はい」
「いや、しばし待て。どうやら《念の星》の者が着いたようだ」
ジャウビター山の山道を不思議な集団が登っていた。先頭は枯れ木のように痩せこけた白髪の老人で、老人を守るように体格の良い坊主頭の若者たちが従っていた。リーダーらしき若者は紫色の袱紗に包んだ四角い箱を大事そうに抱えていた。
わしらは山の中腹でこの不思議な僧の一団に出会った。
「おい、あんたたち、この先は瘴気が強くていけねえ。危険だぜ」
わしの言葉に先頭の老人はにやりと笑ってみせた。
「ほぉ、瘴気を感じ取る人間がいるとは。おんし、この星の者ではないな?」
「ああ、《オアシスの星》のデズモンド・ピアナっていうんだ。じいさんたちこそどっから来たんだい?」
「わしは陸音じゃ。わしらは鎧を再び封印するために《念の星》から来たのじゃよ」
「やっぱりそうかい。今も皆で魔王の鎧の封印が緩んだんじゃねえかって話してたんだが、そんなに深刻な状況かい?」
「うむ。長老の見立てではかなりまずい事になっているという。ここで話を続けるのも何じゃ。登りながら話を続けんか?」
「いいぜ。さあ、行こう、行こう」
「師よ、無関係なこの方たちを連れていっては危険ではありませんか?」
陸音の後ろに立っていた陸天がたまらず口を挟んだ。
「陸天、わからんか。この方たちはお強いぞ。山頂で起こるかもしれぬ妖かしの数々、この方たちに対応してもらえばよかろう。さすれば、わしらは封印に集中できる」
「さすが、じいさん。お見通しだね。実は俺たちも誰かに見張られてるし、どうしたもんかと思って、ここでうろうろしてたんだ。喜んでお供するぜ」
ム・バレロとマンスールは一行が山を登るのを遠くから見ていた。
「ム・バレロ様、どうやら意気投合のようですよ」
「気にいらんな。静観は止めだ」
ム・バレロがそう言ってから足で地面に模様を描くと、小動物の骨がわらわらと足元に集まり出した。
小さな山となった骨に呪文をかけようとしてム・バレロは思いとどまった。
「マンスール、何をぼっと突っ立っている。お前もそのニーダムとやらの下に行った方が良いのではないかな?」
「はっ、そうでした。早速ここに連れてまいります」
マンスールが慌てて山を降りるのをム・バレロは無言で見送った。
「ふん、死人使いが一皮むけるか、それとも小者のままか――どうでもいいが」
気を取り直したム・バレロが呪文を唱えると、そこには骨でできた獅子が出現した。
「行け。骨獅子よ。せいぜい奴らと遊んでこい」
わしらは山頂に着いた。目には見えないが山頂には様々な邪悪なものが蘇る気配が立ち込めていた。
「何だこりゃあ。墓場で出産するとしたらこんな雰囲気かもしれねえな」
「ほっほぅ。デズモンドはなかなかの詩人じゃな。左様、長い時間ここに留まればわしらとてどうなるかわからん。瘴気に侵され、あってはいけないものに変貌してしまうじゃろう――陸天、鎧の場所はわかったか」
すぐに険しい顔付きの陸天がやってきた。
「あそこに大きな岩戸があります。鎧はその奥かと」
「うむ」
陸音は幅が大人三人分はありそうな大きな岩に近付き、じっくりと眺めた。
「さすがは威徳殿じゃ。瘴気が漏れぬようほぼ完璧に封印をされ、その後千年以上に渡って瘴気が外に出るのを防いでいたのだろうが、ほれ、みい」
陸音が指差す先は岩と地面が接しているあたりで、その周辺だけ岩がぼろぼろと剥げかかっていた。
「地震の影響じゃな。このままではやがて岩全体に亀裂が入り、鎧がむき出しになる。そうなれば千年分の瘴気が山から町に広がり、この星は無残な事になってしまうな」
「想像したくねえなあ」
「すでに瘴気に惹かれて良くないものが集まろうとしておる。デズモンド、わしらはただちに百枚護符による封印の儀式に入る。おんしは――」
「ぬかりねえよ。面白いもんが山を登ってくる気配がしたんで、GMMとアンは途中で食い止めるためにもう出かけた」
「さすがじゃな。ではわしらは封印の儀式を始めよう。陸天、護符を――」
陸天が袱紗をほどいて箱の蓋を開け、そこから護符の束を慎重に取り出した。
「では参る」
陸音は弟子から受け取った一枚の護符に念を込め、それを岩戸の剥げかかった部分に近付けた。護符は陸音の手を離れ、静かに岩の剥げかかった部分にぴたりと吸い付いた。
「次じゃ。陸天、急げ」
「しかしお体が」
「そんな事は言っておられん。デズモンドたちが食い止め切れん場合も想定しておけ」
GMMとアン、それにJBは山頂から山道を降りた。
「GMM、足は大丈夫?」
「心配するな。それにしてもあの山頂、アンはどう思った」
「着いた途端にそこかしこから声が聞こえたわ。それに見られてる感じ、ううん、ただ見てるだけじゃない、憎しみのこもった目。長時間いたら精神がおかしくなっちゃうわ」
「だな」とJBが言った。「おれは早々とリタイアするぜ。デズモンドは平気なのか?」
「あの人は何も感じないみたいだから心配ないんじゃない――それよりこっちもなかなか危険よね?」
「ゆっくりとだがこちらにやってくるな。JB、離れていた方がいいぞ」
GMMの言葉にJBは頷き、道の端に避難した。アンは銃を構え、道をそろそろと降りた。
「さあ、出てきなさいよ。相手してやるわよ」
何かが地中を進んできたかと思うと、アンの手前で大きく飛び上がり、その姿を現した。
「骨?」
骨でできた獅子、その異様さにアンが気を取られている隙にそれはアンの頭上を飛び越えていった。
「えっ、しまった」
アンは必死になって骨の獅子を追いかけながら『火の鳥』を発射しようとしたが、そいつは再び地中に潜った。
「GMM、気を付けて。そっちに行ったわよ」
「わかった――メテオ!」
呪文と共にGMMの頭上に数十個の隕石が現れ、地上に降り注ぎ、地中の何かは動きを止めたようだった。
「GMM、やったの?」
アンがGMMに近付いてきて言った。
「わからない。油断するなよ」
アンとGMMは地表の微妙な変化も見逃すまいと警戒を緩めずに辺りを歩いた。
すると突然二人がいる場所の先、五十メートル以上向こうで骨の獅子は地上に飛び出した。
「くそっ、山頂には登らせんぞ」
GMMとアンが追いかけようとするとさらに地中から数体の骨でできた獣が現れ、二人の行く手を遮った。
骨の狼、骨の熊、骨の牛、骨の馬、骨の鼠……そのどれもが虚ろに空いた穴の目に青白い炎を宿しながら、牙をむき、涎を垂らし、向かってきた。
「化け物め。アン、とっとと片付けてデズモンドの下に向かうぞ」
「『火の鳥』!」
「メテオ!」
わしは山頂付近で落ち着かずにうろうろと歩き回った。
「なあ、何枚までいったんだ?」
「……陸天、今何枚じゃ?」
「はい。四十二枚目です」
「まだ半分かよ」
「慌てても仕方ないじゃろう。一枚ずつに念を込めないと意味がないでな」
「そうなんだろうけどよ――どうやら俺の出番みてえだ。ちょっと騒がしくなるかもしれねえが我慢してくれよ」
息を大きく吐き、封印の行を続ける陸音たちに背を向けた。
目を凝らして下りの山道を見つめていると不意に地面が盛り上がり、それが姿を現した。骨組だけのライオンだった。
ライオンは十メートルほどの距離を取った。牙をむき出し、骨でできた右の前足で引っ掻く仕草をして、威嚇した。
「そんなに封印されちゃ困るか。そんなんじゃ前世の業は落ちねえぜ」
ゆっくりと山道を降りた。
拳を握りしめ、間合いに入るとおもむろに右の拳をライオンの顔面に振るった。
あるはずの手ごたえがなく、ライオンはわずかに左側の位置に移動した。
それを見て続けて左の拳を振るったが、再びライオンは別の位置に移動した。
「なるほど、パンチが当たる前に体をバラバラにする訳かい。それじゃ当たらねえやな」
感心しているとライオンが前足を振るって襲いかかった。右足、左足の攻撃を避けた所に、凄い跳躍力で空洞となった鋭い牙を持つ口がそばまで来た。
「おお、危ねえ――でもこれじゃあきりがねえな」
わしは敵の攻撃をかわした。右足、左足、牙が襲ってきて、わざと避ける事をせずに左腕で受け止めた。牙が腕に食い込み、鋭い痛みが襲ったが、お構いなしに右の拳をライオンの顔面に叩きこんだ。
「くひゃん」
ライオンは情けない声を出して地中に潜った。
「今のは手ごたえがあったんだがな」
わしは腕をさすりながら構えを取り直した。
胸の辺りが妙に熱かった。触れてみると、それは首から下げていたソントンの娘、ベアトリーチェが出発前にくれたお守りだった。
「ん、こりゃあどういうこった――」
わしが不思議に思っていると、GMMとアン、JBが山道を登ってくるのが見えた。
「デズモンド、奴は?」
「地面に潜った」
「グランドマスターメテオをお見舞いしようか?」
「止めとけ止めとけ。折角、岩戸を封印しようっていうのに山自体が破壊されちまう」
わしらは慎重に地面の様子を見ながら警戒を続けた。
「大分苦戦しているようじゃの」
声のする方角には封印の儀式を行っているはずの陸音が立っていた。
「あれ、封印は終わったのか?」
「まだ途中だが、おんしらが魔物を倒せんのでは封印も行えん」
「俺たちの事はいいから儀式に集中しなよ」
「まあ、そう言うな。ほれ、これを使うがいい」
陸音はそう言って一枚の護符をわしに投げて寄越した。
「これは――封印に必要なんだろ?」
「魔物が倒せんのでは意味がなかろう。次に魔物が姿を現した時に護符を魔物の顔を目がけて投げつけるがよい。ではな」
陸音はすたすたと山頂の方に戻っていった。
「何だ、あのじじいは。でもせっかくだから使わせてもらうか」
わしらは慎重に山頂の方に移動した。
陸音と陸天のいる岩戸が見えた。瘴気は大分弱まったが、まだ平衡感覚を失わせた。
突然地面が盛り上がり、ライオンが陸音に向かって飛びかかった。わしは地面を蹴り、自分でも驚くような跳躍力でライオンの前に出て、その顔面に思い切り護符を叩きつけた。
ライオンは地面に落ち、断末魔の喘ぎを残し、そのまま動かなくなった。
「ふぅ、手間取らせやがって。おい、じいさん、こっちは終わったぜ。封印は大丈夫なんだろうな」
「まあ、見ておれ。一枚足りないがな」