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Record 4 囁く山
美しい都、ムスク・ヴィーゴに別れを告げる日、イサがポートまで見送りに来てくれた。
「旦那たち、おいらは戻らなきゃならねえがくれぐれも頼むぜ。《享楽の星》の方がずっとでかいから、皆、あっちの奴らの言い分を鵜呑みにしてんだ。シロンたちはあっちの星を転覆させようとしたテロリストだってな。でもそんなはずはねえ。覇王の軍は理由もなしに他の星に攻め入って人を殺すような真似はしねえんだよ」
「ああ、俺もそう思う。まあ、期待して待ってろよ」
観光シップは次の目的地、《誘惑の星》に着いた。
山と湖に囲まれた緑の多い、美しい星だった。
「さてと、今いるのはミースラフロッホっていう低地だ。シロンの生家は山を登った中間にあるらしい」
「この星ではシロンの評判はどうなのかしら。故郷でも酷い言われようだったら何だか可哀そう」とアンが悲しそうな声で言った。
「どうしたい、アン。ずっと元気がねえじゃねえか」
「だってそうでしょ。あたしにはわかるもん。シロンは悪くないって。なのに――」
「だったらその悪い評判を拭い取ってやろうじゃねえか。俺たちの手でな」
わしらは足の悪いGMMとJBをミースラフロッホに残したまま、雪に覆われた山を登った。
山の中腹でアンが足を止めた。
「どうした、アン?」と言うと、アンは「しっ」と指を唇に持っていった。
「誰かが……ううん、山が囁いてるわ」
「お前いつから詩人になった。ソントンの悪影響か」
「あんたたちには聞こえないの?」
アンは周囲を見回し「あ、あそこ」と言って指差した先では確かに山の稜線がもぞもぞと動いているように見えた。
よく見ればそこだけでなく、辺りの大地も、山全体が一定のリズムで動いているようだった。
「あなたたち、出てらっしゃいよ」と最初に発見した稜線に向かってアンが声をかけた。
するとそこからウサギを一回り大きくしたくらいの白い毛に覆われた生き物が何匹も現れて、こちらに向かってきた。
「何だ、こりゃ」
「どうやら、ミラ王女が話していた耳熊のようね。すごい臆病だって聞いてたけど、何か話したい事があるみたい」
わしはアンの言葉に首を傾げた。
「おい、そんな事言ったって、奴らと話せる訳ねえだろう」
「そんなのわかんないわよ。シロンはドードと話ができたんでしょ」
こちらに恐る恐る近付いてきていた耳熊たちは「ドード」という言葉を聞いて、一瞬動きを止めた。
「ああ、ごめんごめん。びっくりさせちゃった。驚かすつもりはないから――話があるんでしょ」
五メートルほどの距離を置いてもじもじしていた耳熊たちだったが、やがて意を決したように一匹の耳熊がアンの前におずおずと進み出た。
気が付けばいつの間に集まったのだろう、わしらは何百、いや何千という数の耳熊に前後左右を取り囲まれていた。
(あんたたち、シロンを調べに来た人たちだろ?)
「ええ、そうよ」
耳熊が長い耳をパタパタ動かしたかと思うとアンが答えを返したので、わしとノータは目を丸くした。
「おい、アン。気は確かか」
「黙ってて。今この子たちと話をするんだから」
(こうやって人と話すのは、めったにないんだ)
「らしいわね。とっても臆病だって聞いたわ」
(でもあんたがシロンの事を想ってくれてるのがわかるから話すんだよ)
「うん、あたしはシロンに少しでも近付きたい。向こうは迷惑かもしれないけどね」
(そんなことないって。シロンもきっと喜んでる。夜闇の回廊に行けば、きっと話をしてくれるはずだよ)
「本当、嬉しいわ。必ず行くから。チオニの北の都にあるのよね」
(ドノスのせいでたくさんの人が死んでるんだよ。もうこれ以上、死人を増やしちゃいけないんだ)
「あら、でもドノスはチオニの戦いで死んだんじゃないの?」
(まだ生きてるよ。表に出てこないだけさ。どうしてかわかる?)
「……復讐されるから?」
(そう。シロンとスフィアンとドードの夜叉王がドノスを倒すんだ。皆、その日が来るのを今か今かと待ってる)
「ちょっと待って。シロンたちは夜叉王となったのだから年齢とかあんまり関係ないかもしれないけど、ドノスは千年以上も生きてる計算になるわよ」
(あいつは化け物さ。どうやって生き永らえてるか知ってるかい?)
「わかんないわ」
(人体実験を繰り返して永遠の若さを保ち続けてるんだ)
「えっ、本当。だとしたら許せないわね」
(起源武王もシロンも奴の汚い罠にはまって命を落としたんだ)
「あたしたちに何とかできればいいんだけど……」
(ドノスはそう簡単には表に顔を出さないって話だよ。いくつもの次元を超えた場所で守られてるんだって)
「大変そうね」
(それに……あんたたちじゃないみたいだ。ドノスを表に引きずり出すのは)
「どういう意味――大体、あんたたち、何で色々知ってるの?」
(ごめん、ごめん。たまにドードが話しかけてくるんだよ。ドードはおいらたちの守り神だからね。で、ドードが言ってたのは、あんたたちが来るけど、まだその時じゃないって)
「わかった」とアンは言ってわしとノータの方を向いた。「デズモンド、ノータ。何か聞く事はない?」
「あ、ああ。おめえが話してくれたんならいいと思う。後でノータが文章に起こしてくれるだろうよ」
「うん、アン、バッチリだよ。全てを記録する」
「という事」とアンは耳熊たちに言った。「安心して。シロンの真実を世界に伝えるから」
満足げに頷いて戻っていこうとする耳熊たちにアンが声をかけた。
「ねえ、この後、山を登ってシロンの実家を訪ねようと思うんだけど」
すると先ほどのリーダーらしき耳熊が振り向いて答えた。
(トーントの町にはシロンにつながるものは何もないよ。カジノだか知らないけど、下らない遊び場が建ってるだけさ)
「えっ――シロンの故郷なのに何もないの?」
(ああ、言ったろう。シロンはまっとうに評価されてないんだ)
耳熊たちはのそのそと山を登って姿を消した。