4.1. Report 1 七聖と叡智

Record 3 星間コンピューティング ORPHAN

 或る晩、連邦大学ダレン校の学生、メル・ヒーピアは不思議な夢を見た。
 ボードには見覚えのない図や公式が書かれていた。夢の中のヒーピアは必死でその公式を書き留めた。
 全てを書き写し、ほっとしたヒーピアはそこで目が覚め、自分がベッドの中にいるのに気付いた。

 
 翌朝、研究室に着き、浮かない顔をしていると物理学教授、アントン・チョモスキーがやってきて話しかけた。
「ヒーピア君、どうしたんだね。何か考え事でも」
「いやあ、教授。実はですね」
 ヒーピアは奇妙な夢の話を伝えた。チョモスキーは話が終わると静かな声で言った。
「確か昨夜は《七聖の座》の惑星直列だったはず……と言う事はデルギウス王の予言通り、『銀河の叡智』が発現したのでは?」
「教授。私の見た夢が『銀河の叡智』だとでも言うのですか?」
「うむ。ヒーピア君、夢の内容を覚えているね。今すぐにそれをボードに書いてくれないか」

 ヒーピアは言われるままに夢の中の公式をボードに書き殴った。全てを書き終えるとチョモスキーに気乗りしない声で問いかけた。
「しかし夢の中の事ですからね。ご覧の通り支離滅裂な内容ですよ」
 ボードを見つめるチョモスキーの顔が段々と紅潮していくのがわかった。
「……君、支離滅裂なものか。これ、この部分の数字をこう変えて、ここにこう加えてあげると、どうなるかね?」
「ん、どうなるって……あ、教授、これは――僕、皆を呼んできます」
「そうしてくれたまえ」

 
 ここからチョモスキーと研究室の生徒たちの不眠不休の日々が始まった。そして二年後についに『ORPHAN』と名付けられた星間コンピューティングの実現に至った。
 『ORPHAN』はホスト&スレイブともクライアント/サーバーとも異なり、その名の通り、親を持たないコンピュータの処理形態であった。
 リクエストが発生すると、まずは自分のCPUで処理可能かどうかを判断する。これは自分のCPUが他のCPUからのリクエストを処理している場合もあれば、自分のCPUだけでは処理し切れない場合もあるためだ。
 処理できないとなった場合、リクエストは『アゴラ』と呼ばれる待機中のCPUが集まる場所に行き、そこで処理が行われる。
 一つ一つの処理ユニットがリクエストを受け、処理を行い、処理を流し、終了した処理を受け取り、表示する機能を持つ訳で、敢えてこれらの全体の流れを統括するユニットは持たない。各星の中央部に位置するコンピュータは巨大なデータストレッジとして、過去の情報を蓄積しているだけである。
 マザーコンピュータが不在の事から『ORPHAN』と名付けられたこの処理形態、ヒーピアがボードに書いた公式は必要なCPUの数であった。それによれば、その数は無限大に近ければ近いほど良い、ポイントは一つ一つの処理ユニットの性能の向上を目指し、それらを繋げる事であった。

 最初の公式実験はダレンと《七聖の座》デルギウスとの間の通信だった。それまでの通信は単一の星に限られていた。
 ダレンの研究室のモニターにデルギウスの大学キャンパスに設置された特設モニターの前の人物が映った時には大歓声が上がった。
 こうして星間を結んだ処理はその第一歩を踏み出したのである。

 その後、映像の通信だけでなく、各星の中央コンピュータに存在する文書の検索も行えるようになった。
 だがその前提となる処理ユニットの増加が最大の問題であった。無限大に近いほどに処理ユニットを稼働させない事には、星間コンピューティングを実用化するのは難しかった。
 連邦は加盟した星々の建造物に処理ユニットを組み込んだ。当初はモニターの付いたごつい箱型だったが徐々に小型化し、電化製品や文房具などにまで組み込めるようになった。

 
 名誉あるその名もチョモスキー研究室にセザル・モートンという学生がいた。
 モートンは処理ユニットの小型化に心血を注いだ。そしてついに腕に取り付ける『ポータバインド』という形の処理ユニットを生み出した。

 モートンはこの処理ユニットを連邦各星の企業、ピエニオス商会やケミラ工房に売り込んだが、その結果は芳しいものではなかった。
 業を煮やしたモートンは《商人の星》で『モートン・タッチストーン社』という企業を自ら興し、ポータバインドの普及に努めた。

 ポータバインドが最初に爆発的に売れたのは、遠く離れた《虚栄の星》であった。モートンは本社をヴァニティポリスに移し、社名を『タッチストーン』に変え、ポータバインドの販売を行った結果、《虚栄の星》での使用率は全体の九割以上になった。
 そこから星間コンピューティング実現のためにはポータバインドが欠かせないデバイスとなっていった。

 

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