3.9. Story 3 《賢者の星》

3 退魔

 《青の星》、ノカーノたちが去った山も新しい時代を迎えていた。
 サワラビが山の主の座を正式にユウヅツに譲る事となった。

 穏やかな春の陽射しの下、砦の数百人の女性の見守る下、前髪を目の上で切り揃えた少女、ユウヅツがサワラビに手を引かれて祭祀場に向かった。
「ユウヅツや。鎮山の剣はアカボシが持っていったが、ここにあると思え。練習した通り、剣の下で山を守る宣言をするのじゃ。よいな」
「はい。ばば様――ヌエの姿が見当たらないんだけど」
「又、山中を遊び回っとるんじゃろ。さ、気にせずに儀式を始めるぞ」

 
 剣が置かれていた神棚の前で正座した二人の耳に砦の入口の方で叫ぶ声が聞こえた。
「何事じゃ」
 二人が儀式を中断して入口に向かうと砦の女性たちが困惑した表情を浮かべていた。
「サワラビ様。タマユラ様が――」
「……通すがよいぞ」

 
 砦に入ってきたのは大唐風の服を着、大唐風の髪型をした若く美しい女性だった。
 女性はゆっくりと二人の下に近付き、腰をかがめてユウヅツに正対した。
「あんたもあたしと同じで他所の星の人間の子なんだって?」
「タマユラ」
 サワラビの声は枯れていた。
「何をしに戻ってきたのじゃ?」

「あら、山の主が変わるって聞いたから見にきたんじゃない。あたしにはその権利があってよ」
「まあ、そうじゃが」
「しっかりした子で良かったわね。あたしみたいにならない保証はどこにもないけど」
「おんし、又、その事を」

「あの」
 ユウヅツがおそるおそる口を開いた。
「どなたですか?」
「ごめん。紹介がまだだったわね。あたしはタマユラ、そこにいるサワラビの娘よ」
「えっ」
「大丈夫よ。あたしはとっくに山を下りた身だから」
「……能力の問題?」
「あはは。やっぱり子供だけどしっかりしてる。ううん、能力の問題じゃないのよ。あたしの場合は――」
「タマユラ!」
 サワラビが大声を上げたがタマユラはお構いなしに続けた。
「いいじゃない。この子も知っておく必要があるわ。あたしはね、次代に子孫が残せないの。多分、かか様が契った相手がそういう星の民だったんでしょうね」
「……」
「だからこの山はあなたがしっかりと守っていって。あたしは好き勝手にやらせてもらうから」

「タマユラよ」
 サワラビの声はこれまでで一番しわがれていた。
「わしを恨んではおらんのか」
「そりゃあ、子供ができないとわかった時の皆のがっかりした様子にはずいぶんと傷ついたわ。でもこうやって立派な後継者ができたのなら、何の憂いもない。だからこうして来たんじゃない」
「本当にそれだけか?」
「かか様。たまには親らしい事をしてよ。晴れてこの山と無関係になったあたしに餞別を頂けないかしら?」
「何が望みじゃ?」
「鎮山の剣と言いたい所だけど、もうここにはないんでしょ。それにあたし、剣なんて振り回さないし」
「はっ、もしや」
「今日、ここに来る途中で面白いものを見つけたのよ――ヌエ、おいで」

 
 タマユラの声を合図にヌエがのっそりと現れた。
「この子を頂いてくわ。いいでしょ」
「おんし、何を企んどる」
「ヌエはね、あたしには心を開いてくれたの。ね、ヌエ」
「馬鹿な。ヌエはここにいる皆に懐いておるわ」
「本当かしら。じゃあこういう事ができる?」

 次の瞬間、砦にいた全員が己の耳を疑った。
 ヌエがしゃべった、いや、心の中に直接話しかけてきたのだった。
(サワラビ、おれはタマユラと一緒に山を下りるぜ。その方が楽しそうだ)

「何という事じゃ――だがいかんぞ。おんしが何をしようとしておるかくらいはおおよその見当がつく」
「ヌエがそうしたいって言うんだから仕方ないでしょ――じゃあそろそろ行くわ」
「待て。この山にせめて数泊していかんか?」
「かか様の魂胆は読めているわ。空海に来てもらうつもりでしょ。でも無理よ。あの人は今、二つの山を開くのに忙しいみたいだから」
「どうしても行くのか」
「朝廷に弓弾く者だったはずなのに変わったわね。やっぱりこの子、ユウヅツが原因?」
「その通りじゃ。その父、ノカーノと話して思った。この山の真の使命はいつの日か世界の救世主を生み落とす事じゃと」
「大層ご立派ね。好きにやればいいわ。あたしはこの星で好きにやらせてもらうから……でも素材さえ揃えばそれも面白いかも」
 会話は終わり、タマユラはヌエを連れて山を下りていった。

 
 それから数日後、空海が山を訪ねてきた。
「サワラビ、ユウヅツに後を任せたようだな――ん、サワラビ、どうした?」
「おお、真魚か。実はな――」

「――なるほど。そういう事か。タマユラめ。力はあるのにひねくれている」
「ねえ、空海のおじ様。タマユラさんの力って?」
 ユウヅツが質問をすると空海は相好を崩して答えた。
「あ奴は天候を操る。特に冷気、水を氷に変え、吹雪を起こす」
「そんなすごいんだったらヌエは必要ないでしょ?」
「騒ぎを起こしたいだけだ。ヌエを手に入れた今、それを使って遊ぼうとしている」
「遊び?」
「ああ、極めて危険な遊びだ――」

「ユウヅツよ」
 サワラビが口を開いた。
「わしらは元来、奉ろわぬ者、朝廷に憎しみを抱いて暮らしてきた。今、タマユラがやろうとしておるのはそれじゃ」
「つまりヌエに都を襲わせようとしているんだよ、ユウヅツ」

「のぉ、真魚。何か手立てはないかの?」
「タマユラの性分からして止めるのは無理だな。まあ、それは親であるお前の方がよく知っているか。だがヌエをおとなしくさせる事はできるかもしれぬ」
「どうやって?」
「鐘だ。巨大な『退魔の鐘』を造り、その音色を洛中に響き渡らせる。これによりヌエの心は安らかになる」
「しかしそのような巨大な鐘があるのか?」
「ない。これから鋳造せねばならぬ。そして完成した鐘に真言を吹き込む。それから巨大な撞木、これを私が開いた始宙摩の山から切り出さなければならぬ」
「時間がかかるの」
「うむ。早速取り掛かろう」

「ねえ、空海のおじ様」
 再びユウヅツが話しかけ、空海は笑顔になった。
「ん、何だ?」
「あたしも都に行ってみたい」
「な、何を言い出す、ユウヅツ。遊びに行く訳ではないのじゃぞ」
 サワラビが慌てて止めたが、空海は笑顔のまま答えた。
「うん、お前もどうせ年頃になれば都に行く。今から様子を見ておくのも良いかもしれぬな」
「これ、真魚。おんしはユウヅツに甘過ぎるぞ」
「そう言うな。これはノカーノとの約束。私が父の代わりを務めると宣言したのだ」
「ばば様。そういう事よ」
「まったく」

 
 その数か月後、予想通り、都はヌエの脅威に晒される事となった。
 だがどこからとも知れぬ鐘の音が聞こえるようになると共に、ヌエも出現しなくなった。

 ヌエは長い眠りにつき、タマユラの行方は杳として知れなかった。

 

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 ジウランと美夜の日記 (7)

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