3.8. Story 2 死人返し

2 クシャーナとリリア

 ヤパラムの屋敷に急いでいたノカーノは夜の大路で突然に足を止めた。尋常ではない、それでいてよく知ったような気配が近付くのを感じたせいだった。
 宿坊にいるはずの空海が追いついてきた。この気配だったろうか、少し違う気もした。
「空海、どうしたんだい。宿坊にいないと」
「結界を張れと言っただろう。彼女を結界の中で眠らせたから外にも出られないし、安全だ」
「なるほど。では一緒に行こう」

 
 空には鮮やかな丸い月が出ていた。大路をはずれた異国の区域は重陽の節句とは無縁のように静まり返っていた。
 ノカーノはヤパラムの屋敷の扉に手をかけ、音もなく庭に滑り込んだ。凝った造りの庭園を進むと目の前に巨大な生き物、ヌエが横たわっていた。
 月の光に照らされたヌエはむくりと立ち上がった。姿は虎の体に猿の顔、尾には蛇が鎌首をもたげていた。ヌエは目をぎらぎらと光らせながら襲いかかろうとした。
「とんでもない番犬のお出迎えだ」
 ノカーノはその化け物に近づき、ゆっくりと指先で眉間を押した。ヌエは糸の切れた操り人形のようにくたっとなり、目を閉じて再び横たわった。

 ノカーノは「ふぅ」と小さく息を吐き、屋敷の扉をノックした。しばらくすると邸内に灯りが点いて足音がした。
「こんな夜中にどなたかな?」
 扉を開けたのは主人のヤパラムだった。
「ヤパラム様、夜分に申し訳ありません。どうしてもお話を伺いたいのです――屋敷の方は皆、節句に?」
「……ええ、まあ、中にお入りなさい」
 ノカーノたちはランプを手にした主人の後に付いて客間に入った。
「ヌエはずいぶんと変わっていますね」
「うふふ」

 
 客間のテーブルの上にはすでにお茶の用意ができていた。
「ヌエをおとなしくさせるとは。やはりなかなかの手練れですな――ノカーノ殿」
「時間がありません。単刀直入に言いましょう。あのローチェは正気を失っているようですが」
「ほぉ、どのように?」
「その、うまく言えませんが――」
 空海が後を引き取ったが、なかなか言葉を切り出せないでいた。そんな空海をちらっと見てノカーノが言った。
「あれでは、まるでニンフォマニアです」
「そこまでは面倒見切れませんな。私はローチェに良く似た女性を探し出すのは承知しましたが、その女性がどんな性格かまでは責任を持てません。どうするかはあなたの今後の教育次第ではありませんかな――それに考えてもごらんなさい。この世界の人間は多かれ少なかれ『サチリアジス』であり、『ニンフォマニア』であるのです。さあ、こんなつまらない用事でわざわざ時間をつぶさず、あなたの星に帰る支度をお始めなさい」

「奥で聞き耳を立てている方も同じご意見でしょうか。そちらからは『無事で帰してなるものか』という殺気を感じますが」
「……あなたは思慮の浅いお方だ。せっかく平和なままでお別れできると思ったのに――おい、ノームバック。ばれているようだぞ」
 客間の奥にもう一つある扉を開けてノームバックが現れた。
「へっへっへ。最初からこうすりゃ良かったんだ。こんな奴ら、消しちまえばよ」
 ノームバックは腰にぶら下げていた紐の付いた金属の輪のようなものを両手に一つずつ持っていた。輪の外側に鋭い刃がついている所から、投げて相手の喉首をかき切る武器だろう。
「ノカーノ殿。ここでは手狭です。外に出ましょう」

 
 ヤパラムに促され、ノカーノと空海は月に照らされた中庭に出た。ヤパラムはぐっすり眠っているヌエに近付き、耳元で何かを囁いた。
「こいつは寝起きが悪くてね。今起こしましたが、動き出す前に決着をつけないと大変な事になりますよ」
 ヤパラムが剣を抜き、ノームバックは少し後方に立ち、刃のついた円盤をじゃらじゃら言わせた。ノカーノは空海を守る様にして距離を取った。
「空海、君は私の後ろに隠れているんだ」
「二対一では圧倒的に不利だ」
「大丈夫、どうにかなるよ」

 
 ヤパラムの抜いた剣から炎の雨が降り注いだ。それを避けた所を狙ってノームバックが刃のついた輪を投げた。ノカーノは空海を守りながら必死に攻撃を躱したが、とうとう何度目かの連携攻撃でノームバックの攻撃を避けきれなくなった。
「しまった」

 
 その時、後方から弧を描いて飛んできた矢が刃の付いた輪を打ち落とした。
「ノカーノ、大丈夫?」
 ノカーノはゆっくりと振り返り、微笑んだ。
「リリア、さっき感じた気配は君のものだったんだね」
 屋敷の塀の上に立ったリリアは小さく笑った。
「クシャーナもいるわ」
 扉を荒々しく開けて庭に現れたのはクシャーナだった。
「ノームバック、ヤバパーズ、長かったぞ。お前たちの行方を探して数十年、なかなか尻尾を出さなかったが、ようやくこの星にいるのがわかった。今日こそ絶望の内に死んでいった人々の恨みを晴らさせてもらおう」
 クシャーナは手に持っていた鉄の刺又を振りかざした。

「おやおや、七聖の半分近くが集合ですか。ここでお三方に死んでもらえれば連邦もさぞや弱体化する」
「まとめて返り討ちだぜ。それ!」
 ノームバックが投げた輪をクシャーナの刺又がきれいに絡め捕った。
「おっ、しまった」
「リリア、今だ」
 リリアの放った矢が眉間を貫き、ノームバックはその場で奇妙なダンスを踊ったかと思うと、ばたりと倒れた。
「ふふん、やるではないか。だがこれならどうだ?ノームバックが仕入れてきた異世界の獣だ」

 
 そう言いながらヤパラムはなかなか起き上がらないヌエの顔面を蹴飛ばした。夜に鳴く不吉な鳥のに例えられる吠え声を上げてヌエが立ち上がり、クシャーナに向かって突進した。
「うおっ」
 クシャーナはヌエの突進に跳ね飛ばされた。
「クシャーナ!」
 塀から飛び降りたリリアもヌエの尾の一撃で倒れた。
「くそっ!」
 助けるために近付いた空海もヌエの突進にあえなく弾き飛ばされた。
「クシャーナ、リリア、空海!」
 倒れた三人は起き上がれないようだった。その様子を見たヤパラムは満足そうに笑った。
「うふふ、ノカーノ殿。一気に形勢逆転ですな。おい、ヌエ……どうした?」
 ノカーノは静かにヌエに近寄った。ヌエは先ほどまでの勢いはどこに行ったのか、庭の端に後ずさりをした。
 頭に手を当てると、ヌエは子犬のようにおとなしくなった。

 
「……ノカーノ殿。あなたを甘く見ていたようだ。かくなる上は私が――」
 異変に気付いたヤパラムの言葉が途中で止まった。ノカーノの背中から白い炎のようなものが立ち昇っていた。
「ねえ、ヤパラム。あなたのおかげでほんの僅かだけど記憶が戻った。私には大した能力があるみたいだ」
 そう言う間にもノカーノの体はどんどん白い炎に包まれていく。
「……貴様、まさか、貴様が……派遣された『星間火庁』の人間か?」
「君の言葉が理解できないし、自分でもこの力の凄さがわからないんだ。悪いけど君で試させてもらう」
 ヤパラムは白く燃える炎と化したノカーノを見て後退を始めた。『焔の剣』を投げ捨て戦う気がないのを強調した。
「待て、まあ、待ってくれ。落ち着いて話をしよう。私を消滅させるなんて、そんな。さすがの私も消滅させられては」
「なるほど……消滅するのか」
「止めろ、止めるんだ――」
 ヤパラムは屋敷の中に逃げ、ノカーノがそれを追った。

 
 ヤパラムは必死だった。このままでは自分は消される。そうなる前に何とか自分の細胞の欠片を何かに植え付けておくのだ。そうすれば何千年の後には再び復活できる。
 屋敷の長い廊下を走った。右の部屋、左の部屋……とうとう一番奥の書斎まで来た。
「ヤパラム、そこまでだな」
 追いついたノカーノの体からは白い炎が噴き出していた。ノカーノは両腕を前に突き出し、狙いをつけた。
「なあ、頼むから。ノカーノ、何でも言う事を――」
 両手から放たれた白い閃光がヤパラムを襲った。光に包まれたヤパラムは煙のように消えて、後には何も残らなかった。

 

先頭に戻る