目次
4 悪魔の企み
ノカーノたちは豪勢な客間に案内された。
「しばらくお待ち下さい。主人に声をかけてきますので」
男が去って、二人は客間の調度品を見て回った。
「これは凄いな。まるで正倉院のようだ――ノカーノ、見ろよ。この天女の彫られた花瓶を」
「『空を翔る者』か。この辺りにもいるのだな」
「……外の世界ではそう呼ぶのか。それにしても――
空海の言葉は客間の扉が開いた音によって遮られた。
「これは失礼しました。お席にも案内せずに」
二人が振り返った所に立っていたのは中肉中背の紳士だった。大尽というからにはもっとでっぷりと太った人物を想像していたがどちらかと言えば面長で、鼻の下にヒゲを蓄えていた。
男はにこりと微笑みながら、すでにお茶の用意がされている客間の中央のテーブルに二人を案内した。
「この屋敷の主人のヤパラムと申します。逃げ出したオウムを捕まえて下さったそうで、改めてお礼を申し上げます」
極めて穏やかな口調だったが、その言葉の端々からは例えようのない、あえて例えるなら遠くで聞こえる機械のきしむ音に似た不快なものが滲み出していた。
ノカーノも空海もほんの一瞬顔をしかめたがすぐに笑顔に戻って答えた。
「いえ、困った人を助けるのは当然です」
「これでも私は様々な人に会って広い世界を知っているつもりです。外見から判断させて頂くと空海殿は留学僧、これは簡単ですな、そしてノカーノ殿は……ずばり、この星の方ではありませんな」
「……驚きました。実はここにいる空海にも見抜かれたのです」
ノカーノが苦笑いしながら答えるとヤパラムは満足そうに頷いた。
「私は空海殿のように真理を求め、日夜研鑽しているような真面目な人間ではありません。空海殿はどうやってノカーノ殿の素性を見抜かれたのか?」
「彼の周囲だけ雰囲気が異なっていたのです」
「なるほど。オーラというものですな」
「ヤパラム殿はどうやって?」
「何、簡単です。私はずっと西に絹を売る商いを行っており、ここまでの財を成しました。人様の着る服や布には人一倍鼻が利くのです。ノカーノ殿の着ておられる服、これはどう見てもこの世界の素材ではない、そこで当てずっぽうで言ってみました」
「いや、そのような発想に及ぶ事自体が素晴らしいです。ヤパラム殿は前にも他所の星の人間にお会いになった経験があるのではありませんか?」
「……西に続く『絹の道』は果てしなく長く、険しいのです。道中では様々な怪異や不思議に遭遇したものです」
「ところでノカーノ殿」
ヤパラムが話題を変えた。
「何の目的でこの星に来られたのですかな。まさか観光という訳でもありますまい」
ノカーノはお茶を一口啜ると、ゆっくりと話し始めた。
「実はある人間の頼みで人探しにやってきたのですが、その尋ね人はすでにこの世にいない可能性が高い事がわかりました」
「ほぉ、それはお気の毒でしたな。おそらくこの星の人間の寿命は短すぎるのかもしれません」
「いえ、寿命ではなく殺されたのではないかと」
「それは又、穏やかではありませんね」
「ヤパラム殿」
空海が話を引き取って語り出した。
「十年以上前、この帝国に起こった乱を覚えておいでですか?」
「それはもちろん」
「遥か遠くの蜀の山中で時の后、楊玉環が死を賜った。ノカーノの探す人間とはその后の侍女だったのですよ」
「ふむ、深い事情がおありのようですな。差し支えなければ詳しくお話し頂けませんか?」
「私に人探しを頼んだ人間、名をデルギウスと言います」
「なっ」
それまで穏やかに話を続けていたヤパラムが突然大声を出したので、ノカーノも空海も驚いてその顔を見つめた。
「ヤパラム殿。デルギウスをご存じなのですか?」
「……もちろんです。先ほど申したように西の砂漠で出会った異形の者が話をしていたのを聞いた事があります。その方は《鉄の星》の王にして銀河連邦の指導者。合っていますかな?」
「その通りです」
「ようやく思い出しました。ノカーノ殿と言えばデルギウス王と共に連邦創設に尽力した七聖の一人に名を連ねる傑物でしたな」
「えっ」
今度は空海が大声を出した。
「ノカーノ。お前、そのような大物だったのか。何故、最初に言ってくれなかった」
「聞かれなかったから答えなかった。それに私はぼんやりした人間だから他の六人のように何かしたという訳でもないんだよ」
「しかしな――」
「空海殿」
平静さを取り戻したヤパラムが会話に割って入った。
「話を続けましょう。これは大変な事になりました」
「いえ、ヤパラム殿。話は終わりです。その女性、ローチェという名ですが、后と一緒に亡くなったらしいのです。ですから私は戻ってありのままをデルギウスに伝える。それだけの事です」
「――本当にそれでよいのでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
「今の状況を冷静に分析してみましょう。まず空海殿。もしこのままノカーノ殿がこの星を去ってしまえば、貴方は世界の心理に辿り着く機会を永遠に失う。違いますか?」
「……確かにそれはそうです」
「このお方は私がこれまでに遭遇した異形の族とは格が違います。銀河連邦という星々をまとめ上げる組織の創設者のお一人。生きている間にこれだけの人物に会う僥倖はそうそう訪れません」
「ヤパラム殿。申し上げたように私はただのぼんやり者。そのように持ち上げないで下さい」
ノカーノは慌ててヤパラムの言葉を否定したが空海の目の色は変わっていた。
「ノカーノ。正直に言おう。私はお前からもっともっと外の話を聞きたい。すぐに帰るなどと言わないでくれ」
「わかった。空海、君が満足するまでこの星に留まってもいい。だが私の使命が終わった事については何も変わらない」
「ノカーノ殿」
ヤパラムが再び口を開いた。
「ここからが非常に大事な部分です。次に貴方のお立場、このまま手ぶらで戻ったとしても事情が事情、決して責めを負うような事にはならないがデルギウス王はどうお考えになるでしょうね?」
「彼も納得すると思います」
「果たしてそうでしょうか。単なる人探し、例えば世話になった人物にお礼がしたいような場合であれば、わざわざ連邦の重鎮である貴方をこの星に赴かせるか。私はそう思いません。他の人には知られたくない事情があったのではありませんか?」
「……確認はしませんでしたが、ローチェは大切な女性だったのかもしれませんね」
「私もそう考えます。となると想い人を失ったデルギウス王の悲しみは如何ばかりか」
「だからと言って死んだのでしたら仕方ありませんよ」
「まだ死んだと決まった訳では――どうです。私がそのローチェと言う女性の安否を調査を致しますが」
「そんな。お会いしたばかりの方に厚かましいお願いはできませんよ」
「いや、そうではありません。私はそれをしないといけないのではないかと感じているのです」
「何故です?」
「私はデルギウス王なる方をよく存じ上げませんが、この広大な宇宙をまとめあげるだけのお力を持っております。もしもこの星からの悪い知らせが王の下に届き、それが王の不興を買ったとしたならば、ノカーノ殿はどう責任を取って下さいますか?」
「つまりデルギウスがこの星を攻めるという意味ですか。それでしたら心配には及びません。あいつは人格者ですから一時の感情で愚かな行いをするような人間ではありませんよ」
「そうあって欲しいものです。ですが、それでも尚、私はこの星を代表するつもりで責任を持ってローチェ殿の安否を確認したい」
「――もちろん『死んだ』というのは仮定の話ですから、生きていればそれは喜ばしい事です」
「でしょう。それをするのがこの星の人間の務めです」
「ちょっと待って下さい」
空海が会話に割って入った。
「今のヤパラム殿の広い見地に立ったご意見、非常に感銘致しました。ですが根本的な疑問があります」
「何でしょう?」
「調査の結果、ローチェが生きていたとしたなら、既に相当の年齢のはずです。つまり……言いにくいですが、老境に達している。その老女をノカーノに連れ帰ってもらうおつもりですか?」
「空海殿。貴方は勘違いをなさっているようだ。事実はあくまでも事実。おっしゃるように亡くなっているか、生きていても老人か、そのどちらかでしかありません」
「そうですよね。勘違いとは如何様な事ですか?」
「どちらの場合にしても事実には哀しい結末しか待っておりません。私が言いたいのは、事実とは別の王が心安らかになるような物を探す、そう、つまり積極的に運命を変える事です」
「それは一体?」
「私の予想ではローチェは后と運命を共にしてすでにこの世にはおりません。そこで必要となるのが、王がお会いした当時のローチェに似た人物です。その者をノカーノ殿に連れ帰って頂ければ、必ずやデルギウス王の御心は安らかになり、この宇宙の一層の発展へと繋がるでしょう」
「しかしそれでは……」
「空海殿。仏の道に仕える貴方には承服し難いでしょうが、色恋の力を見くびってはいけません。現にこの国の先の帝は稀に見る名君であったのに、傾国と呼ばれる魅力的な后と出会ったが故にこの国を滅ぼしかねなかった。もし仮に、デルギウス王が最愛の人を失った怒りに任せて、この星を襲撃したとしたらどうなされるおつもりか?」
「うーむ」
「ヤパラム殿」
再びノカーノが口を開いた。
「正直な所、デルギウスに良い知らせが持ち帰れないという事実には切ないものがあります――なあ、空海。ここはヤパラム殿の好意に甘えてみてもいいのかもしれない」
「しかしなあ」
「デルギウスは連邦のために全てを犠牲にして生きてきた。その男が一人の女性を気に掛けるなどよほどの事だ。彼が初めて見せた人間くささと言ってもよい。何としても願いを叶えて、彼に一人の人間としての幸せを掴んでもらいたいんだ」
「長年、王に付き添ってきたお前の気持ちはよくわかる。本物のローチェが后と共に亡くなったのも想像がつく。だがローチェによく似た女性の気持ちはどうなる。会った事もない男の住む遠くの星に嫁ぐのだぞ」
「確かにそうだな――だとするとロゼッタ映像で我慢するしかないか」
「お二方」
ヤパラムが優しい口調で声をかけた。
「万事、私にお任せ下さい。ローチェという名から察するにここより西の人間、五日もあればよく似た人物を探し出し、かつ、納得してもらった上でお二人の下にお届け致します」
「しかしそんな事が人の道として許されるのでしょうか?」
「空海殿。この広い宇宙では様々な事が行われているそうです。ここから遠く離れた《享楽の星》の王は、領民を使って永遠の命を保ち続けていると聞きます。更に言うならデルギウス王、この方も銀河連邦と言う組織により銀河の摂理をがらりと変えてしまった。果たしてこういった方々の行為を罪と呼ぶでしょうか?」
「いや、それは」
「本当の罪とはそれができる立場にありながらそれをしない事、今で言えば最愛の人との再会という王のたっての願いを踏みにじる事なのです。それによりこの星が滅ぼされでもしたならば、空海殿、悔やんでも悔やみ切れないでしょう」
「それはその通りです」
「時に空海殿。貴方は都の宿坊に滞在されておられますか?」
「ええ、留学僧専用の」
「ご存じかどうかわかりませんが、明日から重陽の節句で都は大賑わいです。節句が続く五日間の最後の夜に空海殿の宿坊の扉を叩く者、それがローチェに良く似た女性です。その女性をデルギウス王に会わせるといい」
「しかし誰もローチェの姿形を知りません」
「それについてもお任せ下さい。これでも私は様々な経験をしています。では五日後――」
「ヤパラム殿」
ノカーノが真剣な口調で訊ねた。
「『死者の国』より死者を呼び戻すつもりではありませんよね?」
「はははは。さすがに私も死者の魂を蘇らせる事などできません。ましてや仏の道に仕える空海殿の前でそのような」
「まあ、死者の声を聴くくらいは差し支えないかもしれません――個人的には興味津々です」
「ノカーノ殿は実に面白いお方ですな」
「ついでに尋ねますが、あの庭の大きな生き物、あれは何でしょうか?」
「ほぉ、あれに目を付けましたか。あれはヌエという名の生き物。さる人物から譲り受けました」
「空海。では君の家で待っていればいいのだな?」
屋敷の外に出たノカーノが尋ねた。
「ああ、そうなるな」
「空海。あのヤパラムという男、どう見る?」
「怪しいな。実に怪しい」
「『死者の国』の話を持ち出しても少しも不思議と思っていなかった――おそらくあの男も他所の星の人間だ」
「私もそう思うよ。だがあの男より知識の劣っている自分が不甲斐ない」
「君らしいな――それに屋敷に別の人間の気配があった。私たちを案内した男とは別の、もっとこう、邪悪というか」
「ふぅ。いずれにせよ五日後を待とう。私はそれまでお前がこの星にいてくれるのが嬉しいんだ」
ヤパラムの屋敷ではノカーノが言ったもう一人の男、体格が良く、左目に眼帯をし、毛皮を身にまとったノームバックが客間に姿を現していた。
「おい、ヤバパーズ、いや、ここではヤパラムか。いいのか、あんな依頼を受けちまって」
「前にも言ったろう。私に傷を負わせたデルギウスを決して許しはしない。だが今やあちらは日の出の勢い、おいそれと近付く事すらできぬ。それを向こうから飛び込んできたのだ。この機会を逃す手はない」
「デルギウスの頼みを聞いてやるだけではないか。とんだお人好しだ」
「このまま銀河連邦が発展し続ければやがてはサフィを始めとする歴代の聖人の祝福を受けた銀河覇王が誕生する。早く覇王が誕生してくれてその最終決戦に勝ちたいのは事実だが、やはり目障りなデルギウスに挫折を味合わせたいのだ」
「よくわからんな。大体、良く似た女などいるか。おれはローチェを知っているが后に負けず劣らずの美人だったぞ」
「ふふふ、『死者の国』から本人を蘇らせるに決まっている――だがただ蘇らせる訳ではないぞ。蘇ったローチェにはひたすらノカーノを愛する心を植え付ける。そうすれば、わざわざ聖人を派遣してまでローチェを手に入れたかったデルギウスは飼い犬に手を噛まれた状況に陥り、敗北感を味わう事となる」
「ずいぶんとささやかな復讐に思えるが」
「相手は『全能の王』だ。小さな挫折であっても受ける傷は我らの比ではないはずだ」
「ふーん、そんなものか。おれはそんな事よりも昔のように大手を振って金稼ぎがしたいぜ。最近じゃあ、どこに行ったって連邦のシップが警護していやがる」
「ならば連邦と一戦交えるか」
「嫌なこった。勝機がない」
「であろう。だったらおとなしくするしかない」
「へっ、おれもあんたみたいに長生きできりゃ余裕も生まれるんだけどな」
「それなら、《享楽の星》のドノスに頼んでみるか?」
「止めてくれよ。化け物になってまで生きたくはねえよ」
「ふふふ。そうだな。では私はこれからその化け物を呼び出すとするか」
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