3.8. Story 1 デルギウスの願い

3 異国の白い鳥

「やはり亡くなっているのかなあ」
 回教街の手前の広場でぼんやりと突っ立ったまま、空海が言った。
「仕方がないさ。死んだ者は帰ってこない。デルギウスも納得するはずだ」
「――ところでノカーノ。貴殿はすぐに戻らねばならぬのか?」
「いや、それほど緊急な用事ではないし、今すぐという訳ではない」
「そうか。だったらしばらく私に付き合ってくれないか。何、色々と宇宙の話を聞きたいだけだ」
「私でいいのか。専門家ではないので上手く説明できないぞ」
「何を言ってるんだ。この大宇宙を自由自在に飛び回っている君はそれだけで何百倍も真理に近いのだ。どんな下らぬ話でも拝聴に値する」
「ははは、ではご高説を賜らせるか」
「そうこなくちゃ――だがその前に腹ごしらえをしよう」

 
 回教街の二階建ての食堂で食事を取ったノカーノと空海は街の反対側に出た。
「いゃあ、しかしノカーノと話をしていると時間の経つのを忘れてしまうなあ」
「空海、それは嬉しいがそろそろ宿坊に戻らなくていいのか?」
「手に入れるべき経典はこちらに着いてすぐに頭に入れた。後はお迎えが来るまでぶらぶらとしていればいいのさ」
「若いのに優秀なんだな」
「先刻のパレイオンを正気に戻したお前の力に比べれば大した事ではない――お前がずっとこの星にいてくれればな」
「そうもいかないさ。ところで私たちはどこに向かっているんだ?」

 ノカーノに言われ、空海は周囲を見回した。いつの間にか賑やかな回教街の先にある都のはずれの異国の建物が並ぶ住宅街に来たようだった。
「やっ、これはしまった。話に夢中で反対の方角に出てしまったようだ。まあ、いい。のんびりと戻ろう」

 
 踵を返した二人の背後で叫び声が聞こえた。
 二人が振り返ると、人通りのない通を一人の男が何事かを叫びながらこちらに向かって走ってくるのが見えた。
 男の只ならぬ様子に言葉のわかる空海が呼び止めて二言、三言、言葉を交わした。

「どうやらこの男の務める屋敷の主人の飼っている鳥が逃げ出したらしい」
 ノカーノが男の腰回りを見ると空っぽの大きな鉄製の鳥籠が下がっていた。
「ああ、きっとあの鳥だ」
 上を見ていた空海が言い、ノカーノも上空に視線を移した。一羽の白い鳥が輪を描いて悠然と飛んでいるのが見えた。
「ノカーノ、お前は空を飛べるだろうがこの人を驚かせてもまずい。ここは私に任せてくれ」

 空海はノカーノの返答を待たずに、僧衣の袖をまくり上げ、鳥の飛ぶ上空に向かって掌を広げたままの右手を勢いよく突き出した。
 白い鳥はまるで矢を射られたように一瞬動きを止めた後、地上目がけて落ちてきた。
 事態を察したノカーノがするすると近くの屋敷の塀に上り、そこから屋根の上までひょいひょいと渡っていき、落ちてきた鳥を受け止めた。

 
「さあ、逃げた鳥ですよ」
 ノカーノが男に言った。
「大丈夫。気を失っているだけだから」
 空海も唖然として言葉を失っている男に近寄った。
「それにしても見た事のない鳥ですな。何という種類ですか?」

 ようやく我に返った男はぐったりした鳥を急いで鳥籠の中に押し込み、ほっと溜息をついた。
「この鳥は主人のヤパラム様がどこぞの商人から頂いたもんで、南の方の大層珍しい鳥なんだそうだ。確かオウムとか言ったかな」
 ノカーノも空海も鉄製の籠の中で息を吹き返した白い大きな鳥を見つめた。
「ふーん、お大尽なんだな――では私たちはこれで」

「お待ち下さい」
 二人は男の声に再び足を止め、振り返った。
「是非、お礼を。そうだ、お屋敷にお越し頂けませんか。きっと主人のヤパラムも喜びます」
「いや、困った人を助けるのは当然の事。礼には及びませんよ」
「見ればお二方とも異国の方。主人も異国出身なので話が弾みます。是非」
「ふむ、ノカーノ。どうだ、特に予定もないし、お言葉に甘えようではないか」
「空海、君は好奇心の塊だな」

 
 二人は異国の住宅群の中でも飛びぬけて立派な屋敷に案内された。男が先に屋敷に入り、綺麗に手入れされた広大な中庭を散策した。
「しかし空海。さっきの攻撃は凄かったね」
「大した事じゃない。軽く気を放っただけさ」
「なるほど。体内のエネルギーを波動に変えたのか」
「それよりもノカーノ、お前の身のこなし。かなりの手練れだ。王の補佐をする文官というよりは武官だったんだろ?」
「食事の時にも言ったように過去の記憶がないんだ。あの時は鳥を助けたい一心で勝手に体が動いた」

 しばらく中庭を歩く内にノカーノが動きを止めた。
「なあ、空海。あれは?」
「何だ?」
 ノカーノの示す方向を見た空海は途中で言葉を飲み込んだ。
「……築山……だろうか」

 二人の視線の先には雪に覆われたような白い小山が見えた。
「山ではないな」とノカーノが言った。「生き物だ」
「なっ」
「この星では珍しくないんだろう?」
「馬鹿な。あんな大きな生き物など聞いた事がない」
「君にもわからない事があるんだね」
「白い毛並みは犬のようだが、大きさは牛よりも大きい。背中を向けて眠っているようだが正面に回り込んでみるか」
「気を付けた方がいいぞ。さっきのように気を放ったりしたら、相手も本気になってこの都を破壊する」

 
 二人が前に回り込もうか思案していると、男が迎えに来た。
「お待たせしました。主人のヤパラムが礼を言いたいそうです。どうぞ、屋敷の中へ」

 

先頭に戻る