3.8. Story 1 デルギウスの願い

2 留学僧空海

 数日後、《青の星》に到着した。大帝国の都はすぐに見つかり、ノカーノは都に入った。
 王宮は厳重に警護されていたので、城内に入るための方法を探るべく都の人たちに聞き込みを行った。
 そこで不思議な事に気が付いた。言葉が通じないはずだとデルギウスは言っていたが、ノカーノには彼らの話す言葉が理解できた。
 だが都の誰もがローチェという名の女性は知らないと答えた。途方に暮れたノカーノが都の大路の辻にぼんやりと立っていると声をかける者があった。

 
「あなた、そこのあなたですよ。あなた、他所の星の方ですね?」
 我に返って相手を見ると若い僧だった。この都の多くの人間とは少し違う顔立ちだった。
「あなたは?」
「私は日本からの留学僧、名は空海と申します」
「ノカーノです」
「何をしにここに?」
「人を探しています」
「この世界一の都でたった一人の人間を――あなたはかつてこの星に来ていたという人攫いではありませんよね?」
「違います。でも何故、私が他所の星から来たとおわかりですか?」
「いつでも宇宙の事を考えているせいか、そういった事に勘が働くのです。ところでそのお探しの方の特徴やお名前は?」

「特徴はわかりませんが名はローチェ、皇帝のお后、楊玉環という方の侍女をされているそうです」
「何と……ノカーノ、それですと探すのは難しい。その女性は亡くなっている可能性が高いですね」
「やはりこの星の方は寿命が短いのでしょうか?」
「いや、寿命ではなく、恐らく騒動に巻き込まれて亡くなられたと。私が生まれる十五年以上前ですから、仔細を存じ上げている訳ではありませんが」
「デルギウスはさぞやがっかりするだろうな」
「ですが亡くなったと決まった訳でもありません。少しでも手がかりを探しましょう。私も微力ながらお手伝い致しますよ」
「それは助かりますが、あなたの修行の妨げになりませんか?」
「いや、机に齧りついて写経するより、あなたのような方から話を聞く方が、より曼荼羅を感じる事ができそうです。どうかお気になさらずに」
「はあ、そうですか」

「いきなり王宮を訪ねる訳にもいきません。まずは回教街にでも向かいましょう。お名前から察するに西の国の方のようですし、知ってる方がいるかもしれません」
「付いていきますよ」

 
 ノカーノは空海と連れ立って大路を北東に向かった。空海から様々な質問を浴びせられ、それらに答えつつ、ノカーノは嬉しい気持ちになっていた。
 やがて広場のような場所に出ると、そこでノカーノが足を止めた。
「ん、どうした。ノカーノ。賑やかな回教街はまだこの先だぞ」
 すっかり打ち解けた空海が旧来の友人のように話しかけたが、ノカーノは四辻の脇で襤褸切れのように蹲る一人の男を凝視していた。
「――あの男性。あの方はこの場の方たちと違う。何か知っているに違いない」
 空海もノカーノの視線を目で追い、慌てて首を横に振った。
「いやあ、あの御仁はだめだ」
「何故だ。顔立ちはどちらかと言えば私に近い」
「うーん、そういう意味ではないんだ。あれは物乞いだ。まともな話など……おい、ノカーノ」

 
 ノカーノは空海にお構いなしに襤褸を纏った男に近付いた。
「失礼ですが」
「……」
 男は黙ったまま、ノカーノを胡散臭そうに見上げた。一瞥をくれただけで下を向いたが、すぐに再び顔を上げた。その顔には驚きとも怒りとも悲しみともつかない表情が浮かんでいた。
「……お前は」
「やはり。貴方は私の友人、デルギウスに会っていますね」
「……デルギウス……そうだ、その名だ。何故、もっと早く来てくれなんだ?」
「貴方の名は?」
「……、……、何じゃったろう。思い出せん。だがあの時、ここに戻ってくると約束……ん、よく見るとデルギウスではない。似た雰囲気だが違う」

 遅れてやってきた空海が場を取り成すように口を開いた。
「状況を整理しよう。この人はノカーノ。デルギウスに言われてこの星にやってきた。目的はある女性を救い出すためだ。おじいさん、ここまではいいね?」
「ああ、うう」
「そして貴方はデルギウスの名を覚えていた。さしずめ通訳でもしていたんじゃないか」
「……そうじゃ……わしの名はパレイオン。あの野蛮なノームバックと帝の仲立ちをしたのがわしだ」
「ではローチェの事もご存じですね?」とノカーノが尋ねた。
「ああ、可哀そうに。あのお方たちには――

 

【パレイオンの回想】

 あのデルギウスという男が去って間もなくの事だった。
 奴隷として売られたはずの人間が都に帰還したのを目の当たりにして、わしは全てを理解した。
 ノームバックの奴隷貿易は終焉を告げたに違いない。
 これからはデルギウスが帝の後見となってこの地を守ってくれる。
 だがデルギウスは姿を見せなかった。

 そうしている内に王宮の様子ががらりと変わった。
 ノームバックを恐れていた実力者たちが表立って行動を開始し、我が物顔で城内を闊歩し始めたのだ。

 わしは王宮で后の次女をしていたローチェの下に向かった。
 彼女はわしの故郷の言葉を理解する、数少ない気の許せる相手だった。
 わしはこう伝えた。

「なあ、ローチェ。近頃、王宮の様子が妙だ。万が一という事もある。どこかに身を隠してはどうかな?」
「后がお隠れにならないのに私だけ逃げ出す訳にはまいりませんわ。それに――」
「ん、何だ?」
「いえ、何でもありません」
「そうか。それにしても少し前にここを訪れたデルギウス殿という他所の星の王、あの方がこの大帝国をお救い下さると勝手に期待していたのだが」
「……きっとお忙しいのです。この星だけでなく、他の星々も回ってらっしゃるのでしょう」
「そうだといいが」

 嫌な予感は的中した。
 帝たちは権力争いに敗れ、更に西の山中に落ち延びた。
 わしはその行軍に加わらなかった。いや、ノームバックがいなくなり、わしの存在意義などとうに無くなっていたのだ。

 出立の夜、再び彼女に会った。
「ローチェ、今ならまだ間に合う。アヴァールに戻ってはどうだ?」
「パレイオン様こそ。都に留まられるよりヴィザンツにお帰りになられては如何ですか?」
「……結局、デルギウス殿は来られなかった」
「仕方ありませんわ。自分の星は自分たちで守らねば。ノームバックから又別の星の人間にすがるのでは何も変わりません」
「お主は強いの。お主こそ国の、いや、この星の宝かもしれん」
「いえ、私など。玉環様のように辺りを明るく照らすのではなく、その光を浴びてひっそりと生きているだけです」
「……だがその光ゆえにこの大帝国が存亡の危機に瀕しているのは皮肉な話だ」
「さ、パレイオン様。早く王宮を去らないと兵士に捕まってしまいます」

 逃げ延びる途中の西の山中で后は帝より死を賜ったと聞く。
 恐らくローチェも后と運命を共にしただろう。
 可哀そうな方たちよ――

 

 パレイオンの独り言のような話が終わると空海が静かに口を開いた。
「パレイオン殿。よくぞ話して下さった。しかし何故、物乞いなどされておる?」
「わしは悲しみのあまり、自暴自棄になった。飲めぬ酒に溺れ、正気を失っていたのは事実だ。だが今、あんたの連れの顔を見た途端に全ての記憶が蘇ったのじゃよ――失礼だが、あなた方のお名前は?」
 名を問われたノカーノが隣の空海の表情を盗み見ると険しい顔をしていた。
「私たちは名乗るほどの者ではありません。旅の者と留学僧、それだけですよ」
「わかった」
「ところでパレイオン殿」と空海が幾ばくかの硬貨を手にしながら言った。「ここにわずかばかりの金がありますので、当面の生活には困らぬでしょう。だがその後はどうされるおつもりか?」
「金なら心配要らぬ。これでも貯えがある。それにまだやらねばならぬ事が残っておる」
「やらねばならぬ事?」
「うむ。わしはこの大帝国に起こった悲劇の真実を記さねばならぬのだ。では達者でな」
 パレイオンは少しおぼつかない足取りで回教街の雑踏に姿を消した。

 

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