3.2. Story 1 大帝国

2 月下麗人

 その晩、デルギウスたちはパレイオンの働きかけにより王宮内に宿泊する事を許された。パレイオンは自宅に戻り、部屋にはデルギウスとアンタゴニスだけが残った。
「先生、帝は何を考えているのでしょうか?」
「自分の身を守るのに精一杯で、それが星を滅ぼす原因になるとは気付いていないのだ」
「しかし私たちがノームバックを倒せば、この国は……」
「仕方ない。自らの力で国を守れないのであれば滅する運命にあるのだ。気に病む必要はない」
「はい」

 
 床に着いたがデルギウスは寝付けなかった。隣で寝息を立てるアンタゴニスを起こさないようにそっと外に出ると、どこからか微かな楽器の音色が聞こえた。
 煌々とした月の光に照らされた中、音のする方にゆっくりと向かった。
 中庭に面した廊下に座って、こちらに背中を向けて楽器を弾く女性の姿が目に入った。彼女の奏でる楽曲は物悲しく、デルギウスは心を打たれ、そのまま聴き入った。
 曲が終わりデルギウスが小さく拍手をすると初めて女性は振り向き、困惑したような、恥ずかしがるような表情になった。この国の多くの人とは違う、どちらかと言えばパレイオンに近い顔立ちの若い女性だったが、様々な人種の特徴を備えているようにも見えた。
「無礼とは知りながら聴かせて頂きました。ではお休みなさい」

 
 どうせ言葉が通じない、デルギウスが背中を向けて部屋に戻ろうとした時、女性が口を開いた。
「……あの」
 驚いたデルギウスが振り返ると女性は庭に裸足のまま降りた。
「デルギウス様でいらっしゃいますよね?」
「ええ、驚いた。パレイオン殿の他にも私たちと似た言葉を話す方がいらっしゃるとは」
「はい。私は西のアヴァールの生まれ。とは申しましてもアヴァールは遊牧民の末裔。様々な民族の血が混じり合い、本当にアヴァールなのか、この大帝国の土着の者なのかも怪しいのです」
「失礼ですがお名前は?」
「申しおくれました。ローチェでございます」

 
 青白い月がローチェを正面から照らした。少し困ったような憂いを帯びた瞳に色白の肌、すらりと伸びた手足が淡い緑のドレスから覗いていた。
 デルギウスは雷に打たれたように全身が痺れるのを感じた。
 この女性こそ自分が探していた女性、様々な民族の複雑に混じり合った容貌、この星の全てを表していると言っても差し支えなかった。
 デルギウスはどうにか言葉を絞り出した。

 
「何をなさっている方ですか?」
「私は帝のお后、玉環様の侍女を長年に渡って務めております。玉環様とはそれこそ姉妹のように幼い頃より一緒に暮らしてまいりました」
「なるほど」
「王宮の者がアヴァールから使節の方がいらっしゃったと申していたのでお会いできるのを楽しみにしておりました」
「あ、それは」
「わかっております。デルギウス様はアヴァールのご出身ではありません。きっとパレイオン先生がお気を遣われたのですね」
「どういう意味ですか?」
「ノームバック卿もその場にいられたとの事です。卿に知られるとまずい場所から来られたのではありませんか」
「貴女は色々な事をご存じなのですね。その通りです。アンタゴニス先生と私は遠い《鉄の星》から参りました」
「パレイオン先生が何かおっしゃっていませんでしたか?」

「ええ。ノームバック卿を討ち、この星の悪しき行為を止める。そのために明日、《歌の星》に発ちます」
「やはり。私からも是非お願い致します。ご武運をお祈りしておりますわ」
「……しかし後ろ盾を失えば、帝や后、それにあなたの身が」
「そんな事はどうでもいいのです。正しくない事の上に築かれた繁栄はいずれ滅びます」

 
 デルギウスは何故、自分がそんな行動に出たのかよくわからないまま、突然ローチェの手を握りしめた。
「私が貴女を助けます。どうか安全な場所に逃げて下さい」
「まあ、何をおっしゃいますの」
 ローチェは慌てて手を引っ込めようとしたがデルギウスは離さなかった。
「私は、私は貴女を危険に晒したくない」
「大丈夫です」
「どうでしょう。私と一緒に旅に出ては。それであれば安全です」
「それはできませんわ。玉環様のお傍を離れる訳にはまいりませんもの」

「確かに……ノームバックを退けた後、又ここに戻ります。私が貴女、いえ、貴女だけでなく后たちも守ります」
「嬉しいですが無理をなさってはいけません。デルギウス様はきっとお忙しい身でしょうから」
「何、大した事ではありませんよ。私自身、この旅がいつまで続くかわかっていないのです」
「きっと大きな目的を帯びた、大切な旅……こんな場所に留まっていてはいけません。そもそも何故、私を助けたいと思われたのですか。今、お会いしたばかりなのに。お戯れにも程があります」
「冗談ではない――貴女をお救いする事はこの星を救う事。そしてこの私自身も……そう思えてならないのです」
「デルギウス様は詩人ですのね。わかりました。お気持ちだけはありがたく頂戴しておきます」
「気持ちだけではありませんよ」
「一つだけ約束して下さい。もしも約束が果たせなくても私は貴方を責めはしません。ですからデルギウス様もご自分を第一にお考えになって」
 ローチェはゆっくりとデルギウスの手をほどき、一礼をすると背中を向けて去っていった。

 デルギウスはローチェの手を握っていた手を差し出したままで途方に暮れた。自分は何故、あんな行動を起こしたのだろう、あまりにも鮮やかな月の光のせいだろうか、『全能の王』にもその答えは見つからなかった。

 
 翌朝、出発するデルギウスたちを王宮の人が見送ってくれた。帝の隣には后の玉環がいて、その後にローチェの姿もあった。ローチェは前を見つめたまま無言だった。
「帝には《歌の星》に向かうとは申し上げておりませんので、そのおつもりで」
 パレイオンがやってきてそっと耳打ちをした。
 デルギウスはもう一度だけローチェと話をしたかったが、後ろ髪を引かれる思いでシップの置いてある山へと出発した。

 

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 Story 2 人攫い

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