目次
3 託宣
こうしてアンタゴニスはデルギウス、そして現王のたっての頼みでその弟ディーティウスの家庭教師となった。
アンタゴニスにとってデルギウスとディーティウスの兄弟ほど手のかからない生徒はいなかった。二人とも教えた事はすぐに理解し、アンタゴニスの発した言葉の何十倍もの知識として蓄積させていった。アンタゴニスは歴史、文学、生物学、植物学、化学、天文、あらゆる分野に精通していたが、二人の生徒は苦もなくその全てを吸収していった。
デルギウスが約四百プロード、十八歳になったある日、アンタゴニスが言った。
「デルギウスよ。今日は課外授業を行おう。摂政殿の了解は取ってある。外に行くぞ」
「先生。どこに向かわれるのですか?」
「《巨大な星》だ」
「弟は?」
「今日は留守番をしてもらおう」
プラのポートからシップに乗り込むとアンタゴニスが言った。
「デルギウス、シップの操縦はできるな」
「はい。近場にしか出かけた事はありませんが」
「知っていると思うが、かなりの推力を出さねば《巨大な星》には何日かけても着かないぞ」
「わかっております」
「大陸の南にホーリィプレイスという大きな町がある。そこが目的地だ」
デルギウスは期待以上の推力を発揮し、《巨大な星》が見えてきた。
「ヒガントに来た事は?」
「昔、父に連れられてアンフィテアトルに」
「芸術の街だな。これから行くホーリィプレイスは少し違うぞ」
「それはナーマッドラグの事ではありませんか?」
「かつてはそう呼ばれていたが、町は大きくなり、今はナーマッドラグもホーリィプレイスの一部だ」
「巨大宗教都市ですね」
「行けばわかる」
「これは……」
ポートから町に向かって歩く間にデルギウスが驚きを口にした。ポートを出た所にいきなり「ようこそ、ホーリィプレイスに」という毒々しい原色のサインボードがあったのを皮切りに「大人の安らぎ」、「魅惑の夜を貴方に」、「素敵な妖精との一夜の思い出を」……広い道の両脇と言わず、建物の上部にまでびっしりと扇情的な文句が並んでいた。
「ホーリィプレイスは星で一番の歓楽街だ」
デルギウスが首を傾げているとアンタゴニスは更に続けた。
「デルギウス、お主、女の方はどうなのだ?」
「どうなのだ、とおっしゃいますと?」
「好きな女子はおるのか?」
「いえ、なかなか出会う機会もありませんし」
「興味がない訳ではないのだな?」
「も、もちろんです」
「ふむ。この町であれば大抵の嗜好に対応可能だが、お主はごく普通で構わんのだろう?」
アンタゴニスがにやりと笑い、デルギウスは声をひそめた。
「先生、ここに来た理由は、その、私の……」
「馬鹿を言うな。お主の筆おろしのためにわざわざこんな所まで来たりはしない。どうしてもと言うなら用事が済んだ後、一人で行くのだな」
「そんなつもりでは」
「全能の王となるお主が唯一間違いを起こすとすればそこだ。色恋沙汰で道を間違えるでないぞ」
「はい。肝に銘じます」
デルギウスとアンタゴニスは猥雑な熱気に満ちた大通りを歩いた。まだ日が高いというのに、街角の女性たちは挑発をし、男性たちは袖を引いた。
デルギウスは苦笑いをしながら尋ねた。
「先生、一体どこに向かっているのですか?」
「先ほど言ったろう。ナーマッドラグ地区はこの町の一番奥だ」
「……まだまだこの通りを歩いていかねばならないのですね」
左右に交差する大通りで区切られた地区を幾つか越え、ようやく町の雰囲気が一変した。決して立派な教会が建っている訳ではないが、そこかしこにあった看板はなくなり、厳粛な空気が町を支配した。
「ここからがナーマッドラグ。同じ聖サフィの教えであっても、お主が信奉するアダニア派とは違ってプ ララトス派は自由を重んじる。だからこそ歓楽街とも共存できるのだ」
「多様性という事ですか?」
「さあ、自らの欲求に正直なだけだ。聖サフィはどちらも認めたからそういう意味では多様性かもしれんがな」
「私にもそのような懐の深さが必要でしょうか?」
「それもわからんな。多様性を認めれば統治はそれだけ難しいものになる。箍をはめてしまえばやり方は一つだ。『全能の王』が何を目指すか、それ次第だ」
「何を目指すか――考えた事もありませんでした」
「この先にいる人物からそのヒントが聞けるかもしれないからこそ、お主をここに連れて来たのだ」
やがてアンタゴニスは一軒の民家の前で立ち止まった。
「おかしいな。この辺だったはずだが」
首を傾げるアンタゴニスの傍に一人の男がすすっと近寄って耳打ちした。アンタゴニスは頷いてからデルギウスを手招きし、二人は男に付いて細い路地に入った。
路地の奥にひっそりと小さな一軒家があった。そこからは不思議な楽器の音色が流れていた。男は家の中に入り、デルギウスたちにも中に入るように合図した。
小さな庭があり、そこでは褐色の肌をした一人の血色の良い婦人が楽器を爪弾いていた。アンタゴニスの顔を見ると演奏を止め、口を開いた。
「来たね。何年ぶりかね」
「ご無沙汰をしてしまって。家の場所を変わられましたか?」
「最近は物騒な事も多くてね。あまり表には出ないようにしてるんだよ」
婦人はデルギウスを見て言った。
「あんたが『全能の王』だね」
「デルギウス、こちらの方は……マザーだ。その呼び名でよろしいですね?」
「ああ、皆が呼ぶからそう呼んどくれよ」
「デルギウス・センテニアにございます」
デルギウスは不思議な緊張と妙な安心の両方を感じながら挨拶をした。
「知ってるよ。アンタゴニス、あんたがここに立ち寄ったのは――もう二十年前になるかね。その時から二人で話をしてたんだよ」
「先生は聖サフィのお導きで私の下に来られたとおっしゃっておりましたが、マザーもそうですか?」
「ふふふ、サフィかい」
「何故私を?」
「あんた、銀河の歴史は学んだかい――サフィが現れ、『持たざる者』は銀河の勝者となった。その後、四人の王が登場したけれど誰も覇権を手にできなかった」
「はい。先生が教えて下さいました」
「時代は次の局面に突入している。そしてその舵取りは『全能の王』であるあんたがしなきゃならない」
「……私が、ですか?」
「あんたがどんな風にこの銀河をまとめ上げるかまでは知らない。持たざる者のためだけの世界を造り上げるのか、一部の星だけを対象とした繋がりを作るのか――あんた次第だよ」
「マザー、私は今まで他の星を巻き込んで何かを行おうなどと考えた事がありませんでした。おっしゃられる通り銀河はあまりにも広うございます。私一人の力でやれる事などたかが知れております」
「わかってるじゃないか。何もあんた一人でやるんじゃないんだよ――まずは世界をくまなく旅して仲間を探すんだね。そうすれば自ずとやるべき事、できる事がわかってくるよ」
「仲間、ですか?」
「そうだよ。サフィにも弟子たちがいたろ。あんたにも協力者が必要さ」
「目から鱗が落ちたようです――しかし先生。先生は今までにこのような話を一度たりともしてくれなかったではないですか」
「私はサフィの声に導かれただけで先の事まで見通すような力は持っておらん。お主をどこに出しても恥ずかしくない人間に育てる事だけが私の使命だ。そして今お主とマザーを引き合わせた事により、私の使命は半分終わったも同然だ」
「先生、何をおっしゃいますか。これからも私とディーティウスを鍛えて下さらなければ困ります」
デルギウスの剣幕に困った表情を見せるアンタゴニスを見てマザーが助け舟を出した。
「まあ、そういう訳さ。旅を終えたらまたここにおいで。次にやるべき事を考えようじゃないか」
「はい」
「でも注意しなよ。悠長に旅をしてたら一生なんてあっという間だからね……あんたに許された時間はそんなに長くはないんだよ」
「どういう意味でしょうか?」
デルギウスの問いかけにマザーはアンタゴニスを意味ありげにちらっと見てから続けた。
「あんた自身が言ったろう。銀河はあまりにも広いって――他に何か聞きたい事はあるかい?」
「あまりに沢山あり過ぎて何からお尋ねすれば良いのか――マザーは聖サフィをご存じなのですか?」
「ふふふ、古い友人だよ」
「もう一つだけ。もしも私がこのまま行動を起こさなければどうなるのでしょうか?」
「選ばれたあんたがそうするんなら文句は言えないね。でもその代償はきっと高くつくよ――さあ、話はここまでさ。また会う日を楽しみにしてるよ」
マザーはそれだけ言って楽器の演奏に戻った。
《鉄の星》までの帰路、デルギウスは尋ねた。
「先生、私は今すぐにでも行動を開始しないといけないような気がしています」
「わかった。だがまだ会っておかねばならない人物がいる。それに《鉄の星》の内政をどうするのかも考えないといかんしな」
「弟にも協力してもらいましょう」
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