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2 《牧童の星》からの客人
プラの街は色めき立っていた。
現王と王妃の間にはデルギウスとディーティウスの二人の息子があった。
恒星を持たないこの星には相変わらず暦という概念がなかったが、定期的に星の内部から地表に向かって起こるエネルギーの放出、これをプロードと呼んだ、を時間の区切りとする考えが定着していた。
プロードは大抵二週間に一度発生したので、一年はおよそ二十四プロードという事になる。
兄のデルギウスは約二百プロード、八歳、弟のディーティウスは約百プロード、五歳という年勘定だった。
今日はデルギウスがプラの大門の試練を受ける日だった。タランメールが大門を建立して以来、歴代の王子がこの試練に立ち向かったが、ただ一人として大門を開けるのに成功した者はいなかった。
しかし今回は違った。デルギウスは文武に優れ、神童と呼ばれていた。人々は、きっと今回こそプラの大門が開き、『全能の王』が誕生するだろうと期待をしていた。中にはデルギウスは学問には秀でているが武力に問題があると言い張るひねくれ者もいたが、ほとんどの人はこの利発な少年に好意的だった。
王宮から中央の広場を左に迂回して、反対側の大門まで真紅の絨毯が敷き詰められた。王宮から出た隊列は先頭を軍楽隊、次に王と王妃、王妃に手を引かれたディーティウスがゆっくりと歩いた。その後をたった一人で正装した小さなデルギウスがしっかりとした足取りで続き、最後尾を家臣や近衛兵たちがのんびりと歩いた。
軍楽隊の演奏の中、デルギウスが大門に到着した。広場に集まった何千人の市民の前で、まずは近衛兵たちが開門に備えて人々を遠ざけた。
続いて現王の宣誓、サフィ教アダニア派の司教による祈りが捧げられ、いよいよデルギウスは一人で大門の前に立った。
デルギウスが一つ大きく息を吐き、目を閉じて両手を上げると、人々も水を打ったように静まり返った。
「何処かで私たちを見守って下さるArhatsよ。私に力をお与え下さい」
デルギウスはまだ声変わりの済んでいない透明な声で門に向かって叫んだ。
人々が固唾を飲んで見守る中、重たい鉄の門がかすかに動いたように見えた。気付いた人々の間からどよめきが起こった。
しばらくすると今度は誰の目にも明らかに扉がじりじりと動いているのがわかるようになった。今まで一度も開いた事のない鉄の扉の蝶番がきしむ音が聞こえると、人々の間から歓声が上がり始めた。
いよいよ鉄の扉は左右に開いていった。人々は「がんばれ」と応援を送り、拍手で後押しをした。
扉の前のデルギウスは上を向いたまま微動だにしなかった。扉の隙間から暖かな風が吹き込んでデルギウスの金髪を揺らした。
扉はとうとう全開になった。デルギウスはようやく目を開け、荒い息をついた。
人々は目の前で起こった奇跡にしばしの間、声を出す事も忘れていたが、やがて広場は熱狂に包まれた。
「全能の王の誕生だ!」と誰かが叫び、広場の全員が「デルギウス」の名を大合唱で連呼した。
現王や王妃、家臣たちも嬉しそうにデルギウスを見つめた。肝心のデルギウスはぽかんとして開放された門を眺めていたが、やがて振り返り、初めて笑顔を見せた。
現王が門の前に進み出て近い将来にデルギウスに王位を譲り自分は摂政となる旨を宣言し、広場の興奮は最高潮に達した。
《鉄の星》に『全能の王』が誕生したのである。
この騒ぎをじっと見ていた一人の小柄な男が静かに喧騒の輪を離れた。男は王たちが王宮に戻る頃合を見計らい、背後から声をかけた。
「王よ。しばしお待ちを」
「何用ですかな?」
「私はアンタゴニス。導きにより《牧童の星》より参りました」
「それは遠い所から。ご覧のように今は取り込み中でしてな。用があるなら明日また出直してはくれまいか?」
「わかりました。私はホテル・シャコウスキーに滞在しております。明朝王宮を訪ねましょう」
翌朝、再びアンタゴニスは広場に顔を出し王宮に向かった。今日も街はお祭り騒ぎだろうが、早朝だったのでまだ人出はわずかだった。アンタゴニスは王宮の門番に気軽に挨拶をして、中に入った。
遠来の客と朝食を共にしようという王の提案で食堂に通された。
食堂にはすでに王と王妃、デルギウスとディーティウスの兄弟が席に着いていた。アンタゴニスは空いている席に案内された。
「アンタゴニス殿……でしたな。《牧童の星》から来られたと言われていたが」
「左様です。大分前、ちょうどディーティウス様が誕生なされた頃でしょうか、聖サフィのお告げがあったのです。私はそれに従い、昨日ここに参りました」
「昨日とは……いくら《牧童の星》がここから離れていると言っても、来るのに何昼夜もかかるものですか?」
「まさか。《巨大な星》に立ち寄ったりしておりました。それもこれも『全能の王』のためです」
「……どうもアンタゴニス殿の言われる事はよくわからんですな――デルギウス、お前はどう思う?」
「きっと私のために様々な情報を集めて下さっていたのでしょう」
「おお、聖サフィが名指ししただけの事はある。意図をそこまで理解しているとは」
「父上、私はアンタゴニス様に教えを乞いたく思うのですが、いかがでしょうか?」
「うむ。お前がそう言うのであれば、そうするのが良かろう。何しろお前は遠くない未来に王になるのだからな」
「ではそうします。アンタゴニス様、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「あ、うむ、ああ。もっと私の素性を聞かんでもよろしいのか。こんなにあっさりと決まってしまうとは」
「この星ではまず信頼する事から始めるのです。信頼を失えばその人間は星に居られなくなる、それだけでございます」