2.6. Story 1 カウントダウン

 Chapter 7 Despair

1 都の噂

 開明大司空が自らの意志で” Mutation ”の人体実験を行うようになってから数か月が過ぎた。
 チオニの北の都では『夜闇の回廊』が日に日に大きくなっているという報告があったが、さほど話題にはならなかった。
 それよりも都の人の興味をそそったのは、南の都のはずれの大きな森に棲むという怪物の話だった。

 実際に見た者の話によれば、真夜中になると南の森から鳥の体に人間の顔を持った化け物が飛んできて聖樹の枝に留まり、南西の貧民街の方を見ながら涙を流す。
 そして夜が明ける前に南の森に帰って行くという事だった。

 貧民街に家族を持つ者が何らかの事情で怪物になってしまい、変わり果てた姿を見せる訳にもいかず、人が寝静まった夜中に家族の顔を見に飛んでくるのだろう、泣かせる話じゃないかと、怪物に対する同情的な意見が多かった。
 南の森は『忌避者の村』、へたに調査をしたりせずにそっとしておいてやろう、と都の人々は噂し合った。

 
 その話は王宮にも当然伝わった。
 ある朝、イソムボが言った。
「ドノス様、最近、話題になっている忌避者の村をご存じですかな?」
「ああ、悲しい話じゃないか。事実なら、そっとしておいてやるのが人情というものだね」
「左様にございますな。しかし気になるのは、何故、そのような怪物が生まれたかという事ではございませんか。この聖樹の庇護を受けるチオニで斯様に奇怪な事件が起こったなどと言う話は過去に聞いた試しがございません」
「……世の中にはわからない事がたくさんあるんじゃないかな。特に最近は移民も多い――ほら、この間来られた武王殿の将軍のケイジ殿みたいな方もいらっしゃる訳だし」
「はあ、ですがワンガミラはかつての世界では正式に認められた種族だったそうです。今回のような鳥の胴体に人の顔、『空を翔る者』でもなく、突然変異としか思えません」
「突然変異、ミューテーションってやつだね……それにしてもイソムボはなかなか博学だね」
「いえ、若い頃より雑多な書物を読み漁ってきただけ。いつか知識が生かせればと思い、ドノス様にお仕えするようになりましたが、行政の実務ばかりでとんと忘れておりました」
「ふーん、ヘウドゥオスだけでなくイソムボにも学問を教えてもらわないとだめだね」

 一瞬の会話の沈黙を狙ったかのようにイソムボが畳み掛けた。
「……ヘウドゥオス殿ですか。実に不思議なお方ですな。この城に来て大分経ちますが、ただの一度もまともにお会いしておりません」
「彼は極端な人見知りなんだよ」
「左様でございますか――大丈夫でしょうか?」
「ん、何がだい?」
「……思い切って言わせて頂きます。私はどうもあの方に不吉な影を感じてしまうのです。あの方が王宮に来られてからというもの、夜闇の回廊の巨大化や忌避者の村の怪物といった不可解な出来事が起こっております。相変わらず起こる失踪や殺人事件の犯人も捕まっておりません。それにこの王宮でも不思議な噂が広まっております――この城の一番奥に誰も入れない秘密の部屋があると。私も一度ならず、その部屋を探そうと城内を探索しましたが、一番奥に近付けば、いつの間にか元の場所に戻っている有様。何がどうなっているのでしょうか?」
「イソムボ、君は少し疲れているんだ。この城の一番奥は私の居室に決まっているじゃないか。そこであればいつだって入れるだろう?」
「いえ、城の者たちが申しているのはドノス様の居室ではございません。王の居室の更に奥にもう一つ鍵のかかった扉があるそうなのです」
「そんなはずはない――でもわかった。私も十分注意しよう。そんな覚えのない部屋が忽然と現れたらいい気分はしないからね」
「はあ、差し出がましいとは思いましたが、私は常にドノス様の身の上を案じております」
「心に留めておくよ。ありがとう」

 
 イソムボが出て行くとヘウドゥオスが影のように現れた。
「ヘウドゥオス様、イソムボはかなり怪しんでいるようです」
「……これだけ巨大な都の管理を一手に引き受けているので生かしておいたが潮時だ」
「えっ?」
「行動を起こす時が来た」
「何の?」
「暗黒魔王を封じた三つの勢力を軽く見てはいけない」
「私と敵対するという意味ですか?」
「さあ、だがそうなる前に先手を打て。三つの勢力が協力して攻めたら、お前も魔王の二の舞だが、一つずつであればどうにかなる――それにこちらで手を下さんでも、もうすぐ死ぬ奴もいる」
「……?」
「イソムボは適当な口実を見つけて処断してしまえ――全てお前の目指す理想郷の実現のためだ。どうせ今夜も実験を行うのだろう?」

 

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