2.3. Story 1 開明王ドノス

2 無意識下の殺人

 ヘウドゥオスは王宮の一室を与えられた。イソムボがこの他所者を怪しんだのは当然だったが、ドノスの学問の師であれば断る理由がなかった。
 その男は一日中自室に籠ったまま、ほとんど外に出なかった。いつ食事を取り、睡眠を取っているのか、王宮内で働く人々の間で様々な噂が囁かれた。
 一度だけ侍女が部屋に入った事があった。ヘウドゥオスは「誰も部屋に入らないように」と城の人間には申し渡していたが、別段施錠されている訳ではなかったので、侍女はつい他の部屋と同じように中に入ってしまったらしかった。
 驚いた事にその部屋には学者が使うような本も実験器具も何もなかった。それどころか部屋を出た事のないヘウドゥオス自身の姿もそこにはなかったという。
 その一件が伝えられて以来、「ヘウドゥオスという人間は実在しない」、「幽霊の類ではないか」という嘘とも真ともつかない話が王宮内で囁かれるようになった。

 ドノスは激務の傍ら、三日に一度、ヘウドゥオスの部屋を訪れていた。一体、そこでどんな会話がなされたか、ドノス自身が何も言わなかったのでイソムボは秘かに心配した。
 最初の数十日はドノスの様子に変わった所は見られなかった。むしろ今までよりも積極的に都の発展と難民の救済を考え、施策を実行するようになり、開明王の名はいよいよ高まった。

 
 ある晩、ドノスは並々ならぬ決意を胸にヘウドゥオスの部屋を訪れた。侍女が見たのと違い、部屋の中は様々な書籍で溢れ返っていた。
「ヘウドゥオス様、貴方のご指導のおかげで都の人たちも恵まれない人たちも喜んでくれています。ありがたい事です」
「礼には及ばん」
 ヘウドゥオスは相変わらず黒いローブをすっぽりかぶっていて顔の表情がわからなかった。
「実は今日こそはあの件を伺いたく思います」
「あの件?」
「イソムボの娘のハンナの行方です」
「……知りたいか。ならばその娘と最後に会った時の様子を思い返すのだ。さあ、言ってみるがいい」
 ヘウドゥオスの声はどこか違う場所から聞こえてくるような眠気を誘う響きを持っていた。

「……はい。ハンナが行方知れずになった晩、聖なる樹の傍でばったりと。私は視察の帰り、ハンナはイソムボの使いで私を待っておりました」
「ふむ、それで?」
「はい。月が一つも出ていない暗い夜だったので『暗い夜道の一人歩きは危険だ。家まで送ろう』と言いましたが彼女は固辞し、そこで別れました」
「……本当にそうか?」
「と言いますと?」
「本当の事を思い出してみろ、と言っているのだ」
「いえ、私は嘘など――」
「ならば」
 ヘウドゥオスは立ち上がり、机の上の香炉に火を灯した。すぐに不思議な甘い香りが部屋中を満たした。
「お前の意識の奥底を表にあぶり出すがいい」

 
 ドノスは不思議な感覚に包まれた。自分は間違っていたのか、そうだ、あの夜――
「――私はハンナを樹の裏手に連れ込みました。すると彼女が声を上げて抵抗したため、口を押えている内にぐったりとしたのです。私は想いを遂げましたが、その後に首を絞めて……いえ、首を絞めたのが先だったでしょうか、とにかくそのまま王宮に逃げ帰ったと思います……」
「そうではあるまい」
「……はい。今、彼女は城の一番奥、私だけが鍵を持つ部屋に眠っています」
「ふふふ。それが本当のお前の姿。お前は元々、闇に生きる者だ」

 ヘウドゥオスが香炉の火を消した。ドノスは我に返り、きょときょとしていたが、急にわっと泣き出した。
「そんな、私が、わたくしが、そんな」
「見苦しいぞ、ドノス。樹が光でお前が闇。それがどう間違ったか、お前は開明王などと呼ばれて祭り上げられた。そろそろ本来の自分に戻るべきではないかな?」
「いえ。こんなのは信じられません。貴方は私を操作しようとしている」
「ならば城の一番奥の部屋に行くがよい。愛しのハンナが待っているぞ」

 次の瞬間、ドノスは城の一番奥の部屋の前にいた。これは夢ではないのか。そもそも城にこんな部屋があったか。震える手で懐を探ると確かにこの部屋の扉のものらしき鍵が入っていた。ドノスは半分べそをかきながら鍵を取り出し、部屋の扉を開け中に入って叫び声を上げた。

 
 次の日からドノスの様子は一変した。イソムボが何を尋ねても上の空で碌に返事もしなくなった。恒例の視察も取り止め、一日中ぼんやりとして椅子に座っている事が多くなった。

 

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