2.1. Story 1 シロン

2 ドード

 王都、ムスク・ヴィーゴでも人々が賑やかに勝利を祝った。通り過ぎる兵士たちの隊列に町中の家々から花が降り注ぎ、広場では歌や踊りの騒ぎが始まっていた。
 ムスク・ヴィーゴは《魅惑の星》の開闢の祖から連なる名家、ムスクーリ家の下で繁栄してきた都会だった。

 

【《魅惑の星》ムスクーリ家の歴史】

 ムスクーリ家は《魅惑の星》の有力な指導者の家系だった。
 星は肥沃な大地と豊穣の海に覆われ、人々はさしたる争いを起こす事もなく、平和な日々が続いていたが、《古の世界》の崩壊を契機に新しい時代が訪れた。
 自分たちとは異なる外観の人間たちが星を訪れるようになり、これを捕えて一攫千金を目論む者が現れた。その代表がダルトン家だった。
 一方、《祈りの星》のウシュケーを教主としたバルジ教のシップが星を訪れたのを契機に宗教に目覚める者もいた。敬虔なバルジ教教徒となったムスクーリ家はその代表だった。

 ムスクーリ家とダルトン家は抗争に突入した。
 当初、戦線は膠着したが、当主チキ・ムスクーリが勇猛果敢なテオを将軍に迎えてから状況は一変した。
 テオはダルトン家を打ち破ると、勢いそのままに星に幾つか存在した有力者の支配地を次々に征服していった。その電光石火の偉業からテオは『閃光』と呼ばれるようになった。
 チキは一人娘のヴィオラの婿としてテオを迎え入れ、ムスクーリ家の支配は盤石のものとなった。

 《誘惑の星》で発生したローランダーとハイランダーの間の領地争いの仲裁を求められた覇王テオは、幼馴染のツクエ、ドロテミスの力を借り、これをわずか数日で収めた。そのまま覇王の軍勢は駐留を続け、星の半分を支配した。

 続いて覇王たちは《幻惑の星》に向かった。
 《幻惑の星》に最近入植した人間の中に旧来からのバルジ教徒を弾圧しようという動きが高まっているという、ムスクーリ家を訪れた《祈りの星》の司祭の報告がきっかけだった。敬虔なバルジ教徒の覇王は直ちに《幻惑の星》に軍を向けた。同じバルジ教を信奉するワンガミラと友好を深める一方で、軍備を整えていた反バルジ教の一団を制圧し、星を事実上征服するのに成功した。
 そうして、今まさしく凱旋してきたのだった。
 かつて他の星からの支配を恐れたムスクーリ家の先祖の憂いはいずこ、他の星を征服する立場となったのだ。

 

 覇王の軍は大歓声の中、ムスクーリ家の屋敷に入っていった。
 屋敷と言っても、ほぼ城塞と呼ぶにふさわしい規模の大きさを誇っていた。厳重な警護の高い壁の向こうには、練兵場や兵舎を備えた建物が並んでいた。

 シロンはきょろきょろと辺りを見回しながら、ドロテミスに付いて敷地内に入った。
 ドロテミスは「ここで待っていろ」と言い残して、シロンを入口脇の兵士の詰所に残したまま、敷地の奥に姿を消した。
 しばらくすると一人の若い兵士が走ってきて手招きをし、シロンは言われるままに敷地の奥に向かった。

 
 敷地の奥には覇王の軍が勢揃いして座っていた。一番奥の中央には覇王が座り、その左には当主のチキ・ムスクーリだろうか、白髪の老人、右手には顔をヴェールで覆った女性が座っていた。
 その前にはドロテミスとツクエを先頭に、男たちが六列になって覇王と向かい合うように座った。
 シロンが到着したのに気付いたドロテミスが振り向いて、前に来るように手で合図をした。
 シロンが急いで走りながらドロテミスの横に座り、頭を下げると、覇王が声をかけた。

「おお。先ほどの子供、確か名はシロンだったか。軍に入りたいという事だったな」
「はい。ご無礼のほどは重ねてご容赦下さい」
「気にするな。ドードに噛み殺されるやもしれんのに前に立ちはだかったその勇気、誉めてやるぞ」
「ははー」
「あの凶暴なドードが牙を向けなかっただけでも珍しいのに、しかも笑った、これは凄い事だ。どうだ、シロン。お前をドードの世話係に任命しようと思うが」

「……我が王よ。それは」
 ドロテミスがたまらず口を挟んだ。
「ん、ドロテミス。どうかしたか?」
「ドードの世話と言いますが、これまで何人がドードによって命を落としたり、負傷したりしたかご存じですか。本日の一件も、たまたまドードの機嫌が良かっただけかもしれませんぞ」
「私はまだドードの力を全て引き出せているとは思えんのだ。それは何故か。誰もドードと心を通い合わせる事ができないからだ。シロン、お前、動物は好きか?」
「あ、はい。《誘惑の星》では耳熊を始めとする動物たちと暮らしておりました。ですが、あのドードのように大きな耳熊は見た事がございません」
「やはりな――お前はどちらの出身だ?」
「ローランドとハイランドの間の地域です」
「ふむ、どうやってこの星に来た?」
「最近航行を開始した定期船に……ですが金がないので」
「はははは、これはいい。密航してまで我が軍に入ろうというのだからな。その度胸、ますます気に入った。ではドードの世話、よろしく頼むぞ」

 
 シロンは兵舎の脇の家畜小屋に案内された。小屋では数人の男たちが黙々と仕事をしており、そのうちの一人がシロンの下にやってきた。
「おめえか、ドードの世話しようっていう物好きは」
「物好きじゃありません」
「まあいいや。こっちは命をさらす危険を冒さないで済む。食事は日に三回、遠征があった日には必ず水浴びさせてから食事だ。エサはペイラ草だ。こいつ、肉食に見えるだろ。ところが草食なんだ――後は様子を見ながら付き合ってけや。せいぜい噛み殺されないようにな」

 
 日が沈み、空にピンク色の月が出る頃、シロンは水の入った桶とブラシを両手に持ってドードの小屋に向かった。
 ドードは小屋の中で目を閉じて伏せていた。大きさは二メートル以上あるだろうか、耳熊に特徴的なふさふさの長い耳を垂らして眠っているようだ。
 ドードはシロンが近付くのを察知したのか目を覚まし、不思議そうな表情をした。
(さっき会ったな。何故、ここにいる?)
 シロンはくすりと笑ってから言った。
「ドード、今日からぼくが君の世話係だよ」
 突然シロンが自分の問いかけに答えたのに驚いたのか、ドードは目を丸くした。
(お前、シロンといったな。おれの言葉がわかるのか)
「いつもこんな風に直接相手の頭の中に向けて話をするのかい?」
(だが誰もそれを聞き取れない。お前が初めて……いや、二人目か、シロン)
「それは不満が溜まるね――まずは水浴びだけどいい?」
(ああ、頼む。左の前足の裏に棘が刺さっているようだが抜いてくれるか)
「お安いご用。ちょっと棘抜きを借りてくるよ」

 シロンは怪訝そうな表情の前任者から棘抜きを借り、小屋に取って返した。ドードの左足を自分の膝の上に乗せて棘を抜いていると心配した前任者がやってきた。
「うゎ、お前。何やってるんだ。危ないぞ」
「いえ、大丈夫です」
「おれはお前が殺されても何の責任も持てないからな。じゃあな」
 男は怯えたような声を上げて去っていった。
(ははは、愚かな男だ)
「無理ないよ。君の声が聞こえないんだもの。でも《誘惑の星》に住む普通の耳熊はもっとこう、ふわふわしてて、ぬいぐるみみたいだったけどなあ」
(突然変異だ。空だって飛べるぞ)
「ふーん、それで覇王にお仕えできるんだね」
(うむ、優秀な王だ。奴に天下を取らせたいが――)
「ドード、どうしたの?」
(何でもない。それより今日の飯もペイラ草か)
「うん、そう聞いてたけど――何か食べたい物があったら言ってよ。リクエストに答えられるかもしれないし」
(おお、それはいいな。待てよ、少し考えるからな)
「はいはい、どうぞごゆっくり」

 
 翌朝、夜が明けきらぬ内から覇王の軍の調練が始まった。シロンも容赦なく叩き起こされ、ドードを覇王の下に連れていった。
 調練に連れて行ってもらえないシロンは小屋の掃除をし、覇王たちの帰りを待った。

 昼前に覇王の一行が戻った。ドードを預かる時に覇王がシロンに声をかけた。
「シロン、明日より調練に付いて参れ」
 あまりにも突然の命令にシロンがまともに返事をできないでいると、ドロテミスが助け舟を出した。
「シロン、我が王はな、今朝のドードの調子があまりにもいいんで、お前がドードに何をしたのかが気になってるんだ」
「いえ、普通に話をしただけです。足の裏に棘が刺さっているからと言うので抜いてやりました」
「やはりな。お前はドードと心を通じ合わせる事のできる人材だったか」
 覇王は満足そうに言い、ドロテミスは大きな手でシロンの頭を乱暴に撫で回した。
「良かったじゃねえか。お前も晴れて軍の一員だ」

 

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