目次
3 ワンガミラ
目の前に白っぽい色の星団が見え、シップはその内の一つの星に接近した。リングを持った星で三つの惑星を持っていた。
大気圏内に突入すると見渡す限りの沼地が広がった。
シップを上空で停め、外に降りて歩き出した。沼には木の板が何枚も橋のように渡されていてどこまでも続いているようだった。
慎重に一枚の板の上に乗った。しばらく歩くと沼の中から何かが飛び出した。明らかにサフィの喉元を狙ったそれは、直径一メートルくらいの青白いぶよぶよした球体で、大きな口に鋭い牙、申し訳程度に手と足がついたグロテスクな生き物だった。
不意をつかれたサフィは避けるのに精一杯で板の上で尻餅を着いた。『焔の剣』をシップに置いてきたので体術だけでどうにかするしかなかった。
サフィは素早く立ち上がり、沼に潜ったその生物が再び襲ってくるのを待った。
そいつは再び沼から飛び出して、喉元を狙ってきた。サフィは慌てずに右足でその生物を蹴り飛ばした。義足を装着した右足に軽い痛みが走ったが、その生物は口から水を吹いて、立っていた板の上に落ち、びくんびくんと痙攣した。
一息ついていると沼のあちらこちらで泡がぽこぽこと浮かび上がり始めた。
「……一匹ではないようだ。戻るか、それとも先に進むか」
立ち止まっているサフィに生物の一斉攻撃が始まった。次から次へとぶよぶよした塊が襲いかかった。
サフィは巧みに攻撃を避けながら先へと進む事にした。途中でどうしてもジャンプをしないと越えられないような渡し板の途切れた場所に出た。
逡巡するサフィに切れ目の向こう側から声がかかった。
「バリニアラよ、これより先はワンガミラの地。早々に立ち去るがいい」
「やはりここは沼地に住む者の地。私はそちらに参りたいのですが」
サフィはひっきりなしに飛び出すぶよぶよの生き物の攻撃を避けながら前方の声に答えた。
「最近はバリニアラの訪問が多いな。名は何と言う?」
「サフィ・ニンゴラントにございます」
「何……するとウシュケー様の師に当たる方か?」
「ウシュケーをご存じですか」
「うむ、今から板を渡そう。ボーリオは気にしなくていい。わしらの食物だ」
「この球のような生き物はボーリオと言うのですか。どんな味がするのでしょうね」
「後で食わせてやる。それ」
突然、大量の矢がサフィの周囲に降り注いだ。慌てて空中に逃げ出し、下の沼地を見下すと、何匹ものボーリオが矢に射られて水面に浮かび上がった。いつの間にか、沼地の切れ目にも板が掛かっていた。
サフィは地上に降りて再び板を渡り出した。板を渡り終わると沼地は湿地帯に変わった。
背丈ほどもある葦の茂る湿地帯を進むとそこだけ円形に整地された広場に出た。
「ウシュケー様に会われてからここに参ったのか?」
広場にいた男はフードの付いた白いローブを着ていたが、顔は赤茶色のトカゲだった。
「いえ、ウシュケーはよくここに?」
「何も聞いておらんのか。わしの名はン・ガリ。この《幻惑の星》に住むワンガミラ、沼地に住む人の長だ」
ン・ガリはそう言って、広場の中心に立つ一メートルほどの、恐らく流木を加工したものだろう、九つの頭を持った蛇の像を指し示した。
「ウシュケー様の教え、すなわちバルジ教の本尊という訳だ」
「……ウシュケーが考えついたとは思えませんが」
「ウシュケー様がわざわざここまで布教においで下さった時の事じゃ。わしらワンガミラの神をバルジ教の本尊にしようと言い出された」
「ほぉ、元々その像は何を表しているのですか?」
「世界で最も『強き者』。出現すればこの世界に大きな爪痕を残すと言われている。それが汚れた世界を浄化するナインライブズと一緒になった」
「なるほど、土着宗教との同化か――うん、ウシュケーらしくて実にいい」
「サフィ様、あなたは違う考えか?」
「人それぞれ考え方は異なります。ただ道程は違っても行き着く先は同じはず。その意味でウシュケーの教義は素晴らしいと申し上げましょう」
「ウシュケー様にお伝えしたら、さぞかしお喜びになられる」
「ところで」とサフィは居住いを正した。「この星以外に文明の存在する星はありますか?」
「先ほども言ったように《祈りの星》、さらにその星団には《長老の星》もある。この近くで言えばここと同じ星団に《魅惑の星》、《誘惑の星》、《蠱惑の星》があるが互いの交流はほとんど無い」
「《魅惑の星》には行きました……最も文明が発達しているのは?」
「やはり《祈りの星》だ。シップを使用して自由に星間を行き来しているのはあそこだけだ。この星団の四つの星はいずれもウシュケー様の来訪を驚きと共に受け止めた。それ以外の星の話を聞きたければ、若い者に訊くがいい」
「若い者?」
「命知らずのあなたが沼に入ってくれたおかげでボーリオがたくさん現れた。若い者たちは今、ボーリオを捕獲しに行っている。もうすぐ帰って来るから訊けばいい」
サフィがン・ガリと一緒に広場で待っていると沼の方から笑い声が聞こえた。やがて二十人ほどのトカゲの顔をしたワンガミラが長い木の棒にたくさんのボーリオをぶら下げて現れた。
「おお、旅の方。あんたのおかげで大漁だったよ。あいつら用心深いからこんな風に大挙して出てくる事はないんだ」
一人の男が嬉しそうに言ったが、サフィにはン・ガリの顔と区別がつかなかった。
「そうそう、あんたが強かったから恐怖でパニックに陥ったんだ。あの蹴りはなかなかのもんだったぜ」
別の一人のトカゲ顔がすまして言った。
「最初から見ていらしたのですか?」
サフィは困惑して尋ねた。
「お前たち、早くボーリオを女たちに渡してしまえ。こちらの方はウシュケー様の師匠に当たる方だ。お前たちに聞きたい事があるそうだ」
ン・ガリがざわつく男たちを一喝し、彼らは森の中に走っていった。
夜、広場には大きな焚火が焚かれ、住民たちが集まった。もちろんサフィもン・ガリの隣に座り、目の前に置かれたボーリオの丸焼きに苦笑していた。
「サフィ様、先刻のご質問、何が目的かな?」
ン・ガリは見た目と違って、淡白な味わいだと言われるボーリオの丸焼きに齧り付きながら尋ねた。
「私は『知る事』に飢えています。住んでいた《古の世界》が滅びねばならなかった理由、創造主、あなた方のような以前の世界の人、そしてナインライブズ、文明の進んだ星に行けばこれらがもっと明らかになるのではないかと思っています」
「そういう訳でしたか。おい、お前ら、この辺りで文明の発達した星を知っているか?」
ワンガミラたちは一瞬静まり返ったが、やがて口々に意見を言い始めた。
《祈りの星》、《巨大な星》、すでに聞いた名前の中に《享楽の星》と言う聞き慣れない星の名があった。
「《享楽の星》、それはどこですか?」
サフィの問いかけに一人のワンガミラが答えた。
「いや、行った事はないんだけどな。でっかい星らしい」
「ありがとう。そこにしよう」
「良かったな、サフィ様。あなたが全てを知る事を願っておるぞ」