目次
2 ソーンビィ
ルンビアは空から大地を見回した。眼下にはなだらかな丘が連なっていて、周辺には砂漠が広がっていた。
緑の木々に覆われた丘の数は全部で六つ、中心の丘を五つの丘が取り囲むように綺麗に放射状に並んでいた。
丘から離れた砂漠の周囲には小さな村が点在していた。ルンビアは一旦、地上に降りて丘に向かって歩こうと考えた。
カーキ色のマントを羽織った一人の少年が砂嵐に近い強風の中で目を輝かせてこちらを見つめていた。少年はおずおずと近寄ってきた。
「あの……」
「やあ、君。この星の名は何と言うんだい?」
「……《虚栄の星》です……あの、あなたは神様ですか?」
「ああ、この背中の翼を見てそう思ったんだね。でも残念ながらぼくは神じゃなく、君と同じ人間だよ。ぼくの名前はルンビア」
「あ、ドミナフです」
「ドミナフ、聞きたい事があるんだけど、あの丘はとても暮らしやすそうなのに、何故、集落は砂漠にしかないんだい?」
「……丘には恐ろしい山賊がいるからです」
「ふーん、あの丘が発展すればきっと素晴らしい都会になるのにな」
「ノコベリリス様もそう言われてました」
「ノコベリリス?」
「あ、すみません。私の暮らす『嘘つきの村』のお大尽です。さっき空から地上を見降ろされた時に、西の方に大きなお屋敷がありませんでしたか。ノコベリリス様はそのお屋敷のご主人で、私はそこで暮らしているんです」
「嘘つきの村?」
「ごめんなさい。ちゃんと説明しないといけませんよね。この星では良い物には悪い名前を付ける習慣があるんです。《虚栄の星》とか嘘つきの村みたいに」
「何でそんな習慣があるんだい?」
「そうしないとすぐに悪い奴に襲われるからです」
「へえ、ずいぶんと物騒だね。じゃああの丘には逆に良い名前が付いていたりするとか」
「その通りです。中心の丘がフェイス、信仰ですね。そして北から時計回りにカインドネス、テンペランス、ジェネロシティ、モデスティ、ペイシャンスという名が付いています」
「……よほど悪い山賊が住んでいるんだね。君や君のご主人のノコベリリス様が成敗しないのかい?」
「そうしたいのはやまやまですが、そんな具合に村を留守にしたらソーンビィの思う壺です」
「ソーンビィ?」
「しーっ、声が大きいですよ」
ドミナフは心配そうにきょろきょろと辺りを見回した。
「どうやら聞かれなかったみたいですね。あいつはすごく耳がいいんで気をつけないと」
「そのソーンビィってのは何者だい?」
「この星に大昔から住んでるという巨大なトビネズミです。この星で奇妙な名前を付ける習慣が広まったのもあいつのせいなんだそうです。いい物やいい事があると聞きつけて、それをぶち壊しに来るんで、皆、わざと変な名前を付けてソーンビィに襲われないようにするって。頭はあまり良くないんでしょうが、いたずら好きで困った奴です」
「確かに名前次第で助かるのなら、頭は良くないね」
「耳や鼻が発達してるんで、すぐに嗅ぎ付けるんです。村も何度か襲われそうになりました」
「山賊を追い出して丘に町を造る前にソーンビィを退治するのが先か」
「私は今日、用を言いつかって、この先の村に行った帰りだったのですが、そこで空に浮かぶ、おとぎ話に出てくる神様と同じ白い翼を持つルンビア様を見かけました。きっと神様が私の願いを聞き入れて下さったのだと思ったんです」
「さっきも言ったように、ぼくは神様じゃないけど君に協力しよう」
「ああ、やっぱりルンビア様は神様です。村に戻ってノコベリリス様に会って下さい。徒歩だとソーンビィに見つかるかもしれないので空から行きましょう」
ノコベリリスの屋敷は古い木造の大きな二階建てだった。ルンビアに抱きかかえられたドミナフは敷地内に降り立ち、急いでルンビアを屋敷の中に案内した。
「ノコベリリス様」
ドミナフが部屋に駆け込むと小柄な老人が椅子に座って書き物をしていた。
「ドミナフか。ご苦労だったね。おや、そちらのお方は?」
「この方はルンビア様です」
「……この星の方ではありませんな」
「はい。私は《古の世界》より参りました」
「聞いた事がある名です。しばらく前に滅びたと、旅の商人が言っておりましたが」
「その通りです。種族の争いが収まらず、創造主の怒りに触れたために罰を受けたのです。私の父母の家系はその互いに争う種族の長でした」
「それは何と言えばいいのか。とするとご両親は?」
「母は死にました。父は生き永らえて別の星にいます」
「そうでしたか。私は身寄りのない子たちを引き取ってこの屋敷で育てています。ドミナフもそういった子の一人。ルンビア様もご自分の家のようにくつろがれるが良いでしょう」
「ありがとうございます。ノコベリリス様は何の仕事をされているのですか?」
「ご覧の通り、年寄りですので今は隠居の身。幸いにして若い頃に鉱石の交易で一財産を成したので、好き勝手させてもらっております」
「今しがた『旅の商人』とおっしゃられましたが、やはりシップを使って他所の星と交易をなさったのですか?」
「シップと言いましてもおそらくあなたが乗ってこられたような立派なものとは違い、極めて貧相なものでした。この星からですと近くの《狩人の星》に行くのが精一杯でしたが、あちらの星には存在しない希少金属を独占的に扱っていたため成功しただけの話です」
「その資産を不幸な境遇の子らに使うその志、素晴らしいと思います」
「仕事にかまけたせいで家族を持つ機会もありませんでしたし、この星の未来を考えれば当然の責務です」
「ノコベリリス様」
ドミナフが目を輝かせて言った。
「私はルンビア様を見た時に神様が降りてきて下さったのかと思いました」
「ははは、背中の美しい翼だな。確かに神々しいですな」
「でも本当に神様かもしれないのです」
「ん、どういう事かな?」
「ソーンビィを退治して、六つの丘を解放すると約束して下さいました」
「……これ、ドミナフ。無理を言ってはいかん。ソーンビィも丘の山賊も一筋縄でいく相手ではない。申し訳ありませんな、ルンビア様」
「ノコベリリス様、冗談ではありませんよ。私は本気でソーンビィを退治し、丘の山賊を追い出そうと思っているのです」
「いや、しかし何故、そこまでこの星のために?」
「私はこの星に可能性を感じるのです。あの丘さえ解放されれば素晴らしい都市が出来上がる。私は銀河で一番の都市を造りたいのです」
「……わかりました。ルンビア様がソーンビィを退治し次第、この村の総力を挙げて丘を奪還いたしましょう。さすれば他の砂漠の村も呼応するはずです」
「ところでドミナフ、君を連れて行きたいんだけど何かできるかい?」
「はい。弓を少々嗜みますがソーンビィには通用しないと思います」
「どうしてだい?」
「あいつは砂の上では無敵です。私の放つ矢など、たとえ急所に命中しても蚊が刺したくらいにしか感じないでしょう」
「急所に命中させる自信はあるんだね?」
「……もちろんです」
「それは心強い。ソーンビィは砂の上では無敵と言うからには、反対に水のある場所は弱いという事だね?」
「誰も試してはおりませんが、そういう事になるかと。でも砂漠には川もオアシスもありませんよ」
「大丈夫さ。ぼくに任せて。ノコベリリス様、ドミナフをお借りしますよ」
砂漠の中心に向かったルンビアとドミナフだったが、一歩進む毎に砂嵐は激しさを増した。途中でルンビアが幾度か妙な動作をした。地面に手をかざして、頷いたり、首を傾げたりしていた。
「ルンビア様、どうされました?」
「すぐにわかるよ。もう少し、こっちの方角に進もうか」
やがてルンビアは砂漠のど真ん中で立ち止まった。
「よし、ここだ」
ルンビアはしゃがみ込み「水脈」と唱えた。砂地にじわりと水が浮かび上がり、やがて水が地面からちょろちょろと湧き出して、砂漠に小さな水たまりが出来上がった。
「ルンビア様、こ、これは?」
「地下を流れる川の水を呼び寄せたんだ。もう何か所か必要だな」
ルンビアはさらに何か所かで「水脈」を唱えた。数か所目での水の噴き出しは思いのほか激しく、水は数メートルの高さまで上がり、小さな池ができた。
「よし、これだけあればどうにかなる。ドミナフ、ソーンビィは来るかな」
「来るも何も……あそこに」
ドミナフが指差す先に砂嵐の中で光る二つの目が見えたかと思うと、巨大な生物が猛烈な勢いで走ってきた。
「こらー、何してるんだ」
現れたのは後足が異常に発達した全長が三メートルくらいはありそうな灰色の巨大なトビネズミだった。二本の上の歯が牙のように口からはみ出していた。
「ソーンビィか」
問いかけにトビネズミは大きな鼻息を鳴らした。
「お前は誰だよ。大事な砂漠に水なんか引き込んで。確かそっちは『嘘つきの村』のガキかな」
「ぼくの名はルンビアだ。ソーンビィ、いたずらを止めないなら退治する。おとなしくすると約束できるならここで暮らしてもいいぞ」
「あーん、いきなり何言ってんだ。お前、おいらに敵うと思ってんのか」
「やってみるかい」
ルンビアはドミナフを抱きかかえ、空に飛び上がった。
「逃がさないぞ」
ソーンビィは後足で思い切りジャンプをして空中のルンビアたちに飛びかかった。
「水壁!」とルンビアが呪文を唱え、二人の前に水のヴェールがかかり、噛み付こうとしたソーンビィは顔面をしたたかに水の壁に打ち付け、砂漠に墜落した。
「あいてて。ちきしょう。これならどうだ」
ソーンビィの周囲から竜巻の柱が立ち上がり、三本の大きな柱になった。竜巻は恐ろしい速さで渦を描きながら襲いかかった。
「ルンビア様、あれに巻き込まれたら、一たまりもないですよ」
「うん、こっちも攻撃だ。ドミナフ、あいつの急所はわかるよね。そこに向かって矢を放つんだ」
「え、こんな矢じゃ、あいつにダメージなんて与えられないですよ」
「いいから撃つんだ」
ルンビアが片手で体を支えたままの体勢で、ドミナフは弓をきりきりと引き絞った。
放った矢は襲い掛かる竜巻に跳ね飛ばされて舞い上がり、力なく地上に落ちた。
「はははは、何だそりゃ。そんなんじゃ、おいらを倒せないよ」
ソーンビィは笑い、ルンビアたちは竜巻の柱に取り囲まれてしまった。
「ドミナフ、あいつは油断している。もう一発撃つんだ」
ドミナフは再び矢をつがえ、弓をきりきりと引き絞った。矢を放つ瞬間にルンビアが「水流」と唱えると、矢は激しい水の流れに押し出され、猛烈な勢いで飛び出した。
矢は竜巻の柱を突き破り、薄ら笑いを浮かべていたソーンビィの額に命中した。
「ふぎゃん」
ソーンビィは情けない声を出して仰向けにばたりと倒れた。
竜巻の柱は消え、ルンビアたちは地上に降りた。
ソーンビィは断末魔の痙攣の後、動かなくなった。
「ちょっとかわいそうですね。そんなに悪い奴でもなかったのに」
「仕方ないよ。さあ、ノコベリリス様の屋敷に戻ろう」