1.7. Story 3 メテラク

2 テグスター

 ニトの町はザンデ村から海を渡った東の島にあった。リンドの用意したぼろぼろの船で海を渡り、東の島の港に着き、しばらく歩くと小ぢんまりとした町が見えた。
「ピロデはこの辺一帯の勢力のリーダーです」
 背中に大剣を背負ったリンドの説明にエクシロンが問い返した。
「相手は誰だい?」
「北のロードメテラクを根城とするロンヴァータという人物です。正直な所、戦況は芳しくありません。我が方は押されている上に……」
「何だよ、話を途中で止めんのは良くねえぞ。続きを言えよ」
「それはピロデに聞いて下さい」

 
 町で一番大きな屋敷にピロデは住んでいた。小柄で頭の禿げ上がった意志の強そうな男だった。
「どうした、リンド――ん、そちらのお方は?」
「ピロデ、あの星が震えた日を覚えてますか。その後に現れた謎の僧形が言っていた『勇者が来りて、争いを収める』、その勇者様が現れたのです」

「おい、リンド」とエクシロンが口を挟んだ。「勇者だの僧形だの、何言ってんだ。ちっともわからねえよ」
「失礼しました。しばらく前になりますが、突然、この星が大きく揺れたのです。星読みはこの世界のどこかで大爆発が起こったのではないかと見立てました――」
「ああ、それならきっとおれの住んでた《古の世界》だ」
「やはり。実はその振動があったすぐ後、この地に顔をすっぽり隠した謎の僧が現れて、『滅びた星より勇者が来て、この星を救う』という託宣を下したのです」
「ふーん、不思議な話だな。もっともおれが気にしてんのは、その坊主が誰かって事だけどな」
「お知り合いではありませんか。何しろ消えるようにいなくなったものですから、こちらも名前すら聞けませんでした」
「まあ、そいつの事はでどうでもいいや。で、おれに星を救ってほしいって寸法かい」
「はい」
 リンドは再びピロデと向き合った。
「今、お聞きになった通り、エクシロン様は遠い星より、空を飛ぶ船を駆り、メテラクまでおいで下さったのです」

 
「エクシロン殿。遠い所をご苦労であったな――しかし長い間続く戦乱の中で幾人もが『我こそがこの争いを収める勇者なり』と名乗りを挙げ、無残に敗れ去るのを見てきた。すっかり疑り深くなってなあ」
「信じられねえってか。そりゃあ当然だ。見ず知らずの人間を信じる方がどうかしてらあ。で、二、三百人倒してこいって注文か?」
「これは物分りがいい。実はここから南に行った森に怪物がおるんだが、それを退治してはくれないか。首尾よくやり遂げたなら貴殿を信頼するとしよう」
「ピロデ、それは――」
「この試練が乗り越えられないようではこの星の戦乱を収めるなど元より不可能な話」
「今まで誰にもそれを言い渡した試しなどないではありませんか。何故、エクシロン様にだけ」
「エクシロン殿であれば、もしかすると……と思うからこそ。わしはそれだけ期待をしている」
「何でもいいや。その怪物はどんな奴だ?」
 エクシロンがあくびをしながら尋ねた。
「おお、受けて下さるか。そいつの名はテグスター。大きな虎のような姿の怪物じゃが、強く、そして動きはすばしっこい。並みの人間では太刀打ちできんようで、これまでも幾多の豪傑が挑んだが、帰って来た者はいない」
「関係ねえよ。何回負けたって倒れる度にもう一度立ち上がってりゃ、いつかは倒せるさ」
「まことに心強い限り……リンド、お前も同行し、事の次第を見届けるがいい。もちろん手を貸して構わんぞ」

 
 エクシロンとリンドは連れ立って南の森へと続く道を歩いた。道の脇には小さな白い花が一面に咲き乱れる野原が広がっていた。
 雷獣がエクシロンの腕に吊った盾から勝手に抜け出し、花の咲く野原に駆け出していった。あっけに取られて見ていると、雷獣は野原に寝そべり、ごろごろと転がった。

 しばらくそうやった後に、雷獣は立ち上がって一つ吠えた。
「ああ、ここはいい星だ。《古の世界》もいい所だったがここは最高だ」
「何だよ、何が起こったかと思ったぜ」
「なあ、エクシロン。前に黄龍が言ってたろ。おれは何回目だかの世界の生き残りだ。おれには雨虎って言う双子の弟がいた。それにゲンキっていう亀やキリン、皆でここみてえな花畑に住んでた記憶がある」
「いきなり何言い出す。おめえはよ――」
「雷獣殿」とリンドが声をかけた。「もしやあなたはテグスターもご存じなのではありませんか?」

「ああ、知ってるよ」
「……エクシロン様をテグスターに会わせないように時間をつぶされていたのですか?」
「いや、そういう訳でもない。色々と考えてたんだよ」
「おい、雷獣。言いたい事があんならとっとと言えよ」
「そうだな。実はな、テグスターっていうのも何回目かの世界の生き残りなんだ」
「へえ、じゃあおめえの友達か?」
「いや、おれたちは創造主の造った『聖獣』だが、あいつはどっか別の創造主に造られた『異世界獣』だ。他にもウェットボアとかガイサイとか友達にはなりたくないような変な奴らばっかりだったな」

「……なあ、前から不思議だったんだが、前の世界の生き残りっていうがどうやって生き残るんだ。毎回、シップで脱出って訳でもないだろう?」
「創造主の中にワンデライって方がいるんだ。その方は世界が終わる時におれたちを救い出してくれるんだよ。自分が造り出した命をただ捨てるのは惜しいって考えたんだろうな」
「ふーん、で、お前とテグスターは前の世界で知り合いだったのか?」
「ああ、だから奴の弱点も知ってる」
「別に教えてくれなんて頼まないぜ」
「わかってるよ。だがその弱点に気が付かなきゃ、お前は間違いなく殺されちまう。それほどに奴は強い」
「お前がいるのがわかったら、あっちも警戒するだろうよ」
「ところがな、こっちは覚えていてもきっと向こうは覚えてない。頭のいい奴じゃないんだ」
「何だよ、そりゃ。そんな奴に負けるはずねえだろ」
「いや、勝てねえよ。だからおれがあれこれとアドバイスしてやるべきかどうか迷って、野原で寝転がってた」
「そりゃご親切に」
「おれが指示を出してお前が闘う――もちろんリンドにも手伝ってもらうぜ。リンド、その大剣はお前の得物か?」
「は、はい。大剣で空気を切り裂く技を身につけております」
「そいつはいいや。多少、勝ち目が出たかな。じゃあテグスターに会いに森の中に向かおうじゃないか」

 
 野原を越え、緑の木々の鬱蒼と茂った森に入った。
「この辺でいいだろう」
 雷獣は森の中ほどの少し開けた場所でエクシロンたちを呼び止めた。
「さて、お出ましだぜ」

 森の奥からテグスターが現れた。虎によく似た異世界の獣は人間のように二本足で歩き、エクシロンたちの前で立ち止まった。
「おれに挑戦に来たか。なかなかやりそうだが、後ろの奴と一匹も一緒か?」
「いや、おれたちは機を見て加勢するだけだ」
 雷獣の言葉にテグスターは驚いたような表情を見せた。
「って事は、こいつ一人でおれに挑むのか。身の程知らずめ――まあ、いい。力を測ってやる。かかってこい」

 
 テグスターは不敵に笑い、隙だらけの体勢になった。
「そんじゃお言葉に甘えて」
 エクシロンは剣を抜かずに素手のまま、懐に飛び込んだ。くっと体を沈み込ませ、渾身の右アッパーを振り上げた。
 顎を砕いた手応えを感じたが、テグスターがそのままの姿勢で立っているのに気付き、息を呑んだ。
「なかなかいいパンチだ」
「化け物め。一歩も動いちゃいないじゃねえかよ」
「この程度じゃおれを倒すのは無理だな――心してかかってこい。今度は反撃するぞ」

 
 エクシロンは間合いを取り直し、再び突進した。懐に入り込んだと思った瞬間に目の前のテグスターが消えた。
「こっちだ」
 いつの間にか背後に回り込んだテグスターが、振り返ったエクシロンの横っ面を張り飛ばし、エクシロンは猛烈な勢いで吹き飛ばされ、ごろごろと地面に転がった。
「くぅ、効いた」
 エクシロンはすぐに立ち上がり再びテグスターに向かったが、闘牛士が暴れ牛をいなすようにひらりと避けられ、逆に脳天に一撃を浴びて、顔面から地面に叩きつけられた。その後も何度も立ち上がっては、攻撃を試みたが、相手に触れる事すらできず、サンドバッグのように打ち込まれた。
「うぅ、参ったな」
 エクシロンはのろのろと立ち上がり、折れた奥歯を吐き出した。

「気力は認めるが、それだけではおれには勝てん。その唯一の気力さえ、圧倒的な力の差を前にして揺らいでいるはずだ」
「……全くその通りだ」
「ほぉ、殊勝だな」
「あんた、何だってそんなに速くて強いんだ?」
「そろそろ限界のようだし、教えた所で反撃もできまい――実はな、おれの本体はここではない別の世界にある」
「何だい、そりゃ?」
「『空穴』というのがあってな、おれの本体とここにいるおれはその穴を通じてつながっている」
「へえ、『空穴』かい。見てみてえもんだな」
「残念だな。おれにもどこにあるのかわからんのだ。体のどこかにあるらしいが」

 ふらふらな状態のエクシロンは後方の雷獣を振り返り、続いてリンドに視線を移し、一つ頷いた。
「いい話を聞いたぜ。てめえでもわからないって事は、見えねえ場所って事だ」
 エクシロンは残った力を振り絞り、「うぉー」と吠えながら、テグスターに向かった。
「リンド、打て!」
 突然の雷獣の叫びにリンドは面食らった。
「え、でもエクシロン様が」
「いいから打て!」

 向かっていくエクシロンの背中に向けてリンドが大剣を振り下ろすと、その剣先から、かまいたちのような空気を切り裂く波が二人を目がけて飛んでいった。
 拳を回り込んで避けたテグスターはかまいたちに襲われそうになり、慌てて両腕を上げて体を躱した。その瞬間、左の脇の下に小さな点が光って見えた。
「エクシロン、剣を抜け!」
 エクシロンは急いで剣を抜き、振り上げた。雷獣が雷を落とし、感電したテグスターの動きが一瞬止まった。
 エクシロンはその時を逃さず、左の脇の下の光る点に剣を突き立てた。
 すると左の脇から脇腹にかけてぽっかりと穴が開き、その奥に黒々とした宇宙空間が広がっているのが見えた。
 テグスターはこの世のものとは思えない叫び声を上げ、体がその穴にみるみる間に吸い込まれていった。やがて全てが穴にすっかり吸い込まれ、最後にはその穴も消えた。

 
「何だったんだよ、こいつは」
 エクシロンが肩で息をしながら言った。
「な、言っただろ。普通に戦っても勝ち目はないって」
 雷獣がすました顔で言った。
「な、何はともあれ、エクシロン様はテグスターを倒しました。ピロデ様に報告に戻りましょう」

 
 報告を受けたピロデは信じられない表情を見せた。
「リンド、まことにエクシロン殿はテグスターを仕留めたのか?」
「はい、毛皮などの証拠を手に入れる間もなく、テグスターは本体のいる別の空間に引き込まれていきました。もうここには現れないと思います」
「……何という事だ。エクシロン殿、お疑いして申し訳なかった」
「いいってことよ」
「貴殿こそ真の救世主。わしの所有するこの大陸の南、そこの軍勢の指揮を全て貴殿に任せようと思う。かくなる上はロンヴァータを倒し、この星に平和をもたらしてはくれまいか?」
「言われるまでもねえよ。そのためにこの星に来たんだ」

 

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