1.6. Story 3 氷原の魔物

3 アビー

 サフィたちはサディアヴィルに戻った。
「プララトス。君はこれからどうするつもりだい?」
「おれかあ。ショコノに戻っても仕方ねえしなあ。実はアダニアに正式に弟子入りしようと思ってんだ。大陸の東にヌエヴァポルトっていう小さな町があって、いつかはそのはずれで寺院を開こうって考えてる」
「私で良ければ喜んで協力させてもらう」
 アダニアは照れくさそうに微笑みながら言った。

 サフィが「アビー、君は?」と尋ねた。
「あたしかい。あたしも住む町は決めてるんだ。ヌエヴァポルトの西、ショコノの北にあるナーマッドラグっていう町で面白おかしく暮らすよ」
「……」
「サフィ、あんたは――やっぱり出ていくのかい?」
 反対にアビーが尋ねた。
「ああ、この星はアダニアに任せ、弟子たちと新しい星を見つける」
「いつ頃?」
「こういうのは早い方がいい。里心が付く前に出発したいな」
「ふーん、じゃあ今夜は、ぱーっとやろうよ。旅立つ人の送別会だよ」

 
 その夜、サディアヴィルで盛大な送別会が催された。
 ニライとウシュケーはあまりにも多くの人間が共に旅立ちたい希望を持っている事に面食らったが、結論として第一弾は百人だけで新たな星に向かい、落ち着いた所で残りの者が移住を開始するという結論に達した。
 そして第一弾のそれぞれ百人ずつの旅立つ人を前に移住の心がけを説いた。
 エクシロンとルンビアは誰も連れて行く気はないようで、勝手に飲んだり食ったりを続けた。

 アダニアはたった一人で燃え盛る篝火を見つめていた。
(ビリヌ、トスタイを操っていたギラゴーとヤッカームはいなくなった。仇を取ったというべきなのか――だがそれでお前が戻る訳ではない)
 アダニアは篝火に木の枝を一本くべた。ぱっと火の粉が飛び散り、アダニアの顔が明るく照らされた。
(ビリヌ、私はお前を思って暮らすのは止める。これからはここにいる人々のため信仰と共に生きていく。許してくれるな)
 篝火の炎が一層強くなり、アダニアにはそれがビリヌの返事に思えた。

 
 物思いにふけるアダニアの下にサフィがやってきた。
「やあ、アダニア。邪魔していいかい?」
「あ、サフィ様。もちろんでございます」
「ありがとう。ここに着いた時の約束通り、君に言葉を贈ろうと思う。どうだろう?」
「これほどの名誉はございません」
「そんなに堅苦しく考えなくてもいいよ――

 

 あなたには『戒律』の名を授けましょう。
 そのままに生きなさい。あなたの生き方が私の教えそのものになっていくのだから。

 

 ――これが私から君に贈る最後の言葉だよ」
「『戒律』ですか。私にぴったりのような気がいたします」
「プララトスを受け入れる事ができた君だから、何も心配はしていない。この星を発展させるんだよ」

 
 アダニアとの別れを済ませたサフィは人々の笑顔を満足気に眺めていたが、やがてその場を離れた。
 建設途中の礼拝堂の裏手の山の近くにある小さな湖までぶらぶらと歩くと十八弦の音が聞こえた。

「アビー、ここにいたんだね」
 サフィは湖のほとりの岩に腰かけて十八弦を弾くアビーの隣に座った。
「お別れはもう済ませたのかい?」
「アダニアとサディアヴィルに残る人たち一人一人とは話をした。プララトスとも話した。後の弟子たちは別れる時に言葉をかけようと思ってる――後は君と話すだけだよ」
「あたしと?」
 アビーは十八弦を弾く手を止めた。
「うん、君がどこから来たどういう人間なのか、私は何も知らないんだ。君は誰も知り得ない事を知っている――そう、私が会った『大公』と同じようにね」
「何だ、口説かれるのかと思ってた」
「口説けば一緒に行ってくれるのかい?」
「あはは、わかってるくせに。あたしはここに残ると決めた。そしてあんたは新しい旅に出ると決めた」

 
「アビー、君はあの時、『比翼山地』でシャイアンの出現を止めてくれた人なんだろう?マックスウェル大公と同じ……『上の世界』の住人なのだとしたら、こちらの世界に住み続けるのにどういう意味があるんだい?」
「どういう意味って言われてもね。あたしはこっちの世界が気に入ったんだよ。他に理由なんてないよ」
「マックスウェルは、上の世界の住人たちは私たちからすれば永遠とも思える命を持っていると言った」
「こっちの世界で暮らしたらどうなるかなんてわからないよ。まあ、びっくりするくらい長生きするだろうけどね」
「やはり口説くのは無理だね。私はあっという間に死んで、君は残りの途方もない時を未亡人として過ごす……そんな辛い話はあっちゃいけない」

「よくもしらじらしい」
 アビーは笑って岩から飛び降りた。
「あんたは死にはしない。弟子たちと別れたら、あんたはその準備をするんだろ?」
「それもお見通しか。それがどういう事か、私自身にもよくわかってないんだけどね」
「大丈夫だよ。あんたならできる――できるって」

 アビーはサフィに体を預けた。
「あたしがこっちに来た理由は『死者の国』を越えたという救世主を見たかったからだよ。会えて良かった」
「……アビー。私はそんな立派な人間じゃないよ」
 アビーの体に手を回していいのかわからずに、サフィの手は虚空を彷徨った。

「私が何故、サフィ・ニンゴラントと名乗っているか知ってるかい?」
「さあ」
「ニンゴラントという言葉の中には今は亡き両親、ニザラとコニの名が入っているんだ。今でも両親の死に納得がいっていない、私はぐちぐちした小さな人間さ」
「人間くさくていいじゃないか」
 アビーはサフィにすっかりもたれかかった。
「安心して。この世界はあたしが見守る。あんたは好きな事をしなさい」
「……アビー、これを持っていてくれ。大公がくれた『万物誌』だ。もう私には必要ない。これを必要とする次の世代の者に渡してやってくれないか」
「あいよ」

 自然にサフィの手がアビーの体に回された。二人のシルエットが一つになり、世界は動きを止めた。

 

 翌朝、日が昇る前に出発しようと静かに立ち上がったサフィの腕をアビーが掴んだ。
「もう行くのかい?」
「ああ、そのつもりだよ」
「あんまり気が進まないんだけど渡す物があったんだ」
「何だろう」
「幼馴染に頼まれたんだよ」
「その人がわざわざ私に?」
「サフィ、あんた、創造主に会った事あるだろ?」
「ああ、遠目に見かけただけだけど」
「創造主の中にはあのアーナトスリみたいな馬鹿もいるけど、皆が皆ああじゃないんだ」
「それはわかるよ。では君の幼馴染というのは?」
「創造主の一人で名前はエニク。優しいいい娘さ」
「その人が私に何をくれる?」
「『死者の国』を生きたまま越え、《古の世界》の崩壊を遅らせ、人々を無事に脱出させた。あんたは新しい世界の指導者として認められ、この箱庭に種を蒔かなきゃならない」
「私は自由気ままに旅をしたいんだけど」
「だから種を蒔いて回るんだよ」

 アビーはそう言って小さな麻袋をサフィに渡した。
「これは?」
「種さ。あんたやあんたの弟子が行く様々な星にその袋の中の種を一摘みずつ植えていくだけ」
「それに何の意味があるのかな?」
「さあ、あたしには詳しい事はわからないけど、その種が蒔かれた星は祝福を受けるって話だよ。もっともいつになるかは創造主の気持ち次第だろうけどね」
「……どうやらその種をもらわないという選択肢はなさそうだね」
「そうだね。あんたの義務みたいなもんだね」
「わかった。では行く先々で種を蒔いていこう。早速、この星にも蒔いた方がいいのかな?」
「そうしてくれるかい」

 サフィは袋から出した茶色い種を近くの土地に一粒植えた。
「これでいい?」
「上出来。この星は祝福を受ける」
「本当かな。中には災厄をもたらす種も入ってるんだろ」
「そこまでわかってて引き受けてくれるんだね。嫌なら止めてもいいよ」
「アビーの頼みを断れる訳ないじゃないか」
「嬉しい事言ってくれる。たまには連絡してよね」
「その域に達する事ができるといいんだけど――じゃあ私は行くよ。アビー」

 

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 Chapter 7 弟子たちの旅立ち

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