1.3. Story 6 漂泊

3 偽救世主

 サフィはホーケンスには戻らずにワジに向かった。居留地に入るとウシュケーが出迎えに現れた。
「やあ、ウシュケー」
「サフィ様。今朝、ネボリンド様に呼ばれました。何でも昨日シップが空を飛んだとか」
「その通りです。ネボリンド様は気にされている風でしたか?」
「いえ、『こちらも早く制作に着手しないと』と張り切って申されていました」
「それを聞いて安心しました。ウシュケー、よろしく頼みます」
「サフィ様……お気をつけて」

 
 サフィがホーケンスに戻って世界の中心亭で遅めの昼食を取っているとエクシロンとルンビアが戻った。
「兄い、どこ行ってたんだい?」
 エクシロンが疲れ果てた顔で尋ねた。
「レイキール王とネボリンド王の下さ。やはり昨日の一件が広まっていたようでね。おかげでレイキール王を説得できたよ」
「兄さん、父さんも当然ご存じのはずです。そろそろ話をされた方が良いのでは?」
「いやいや、ルンビア、もう一か所残ってるぜ」
「というと?」
「南のマードネツクキャンプさ。おれの昔の部下であそこから逃げ出してきた奴に聞いたんだけどな。あそこのリーダーも救世主を名乗ってるらしいから、きっと兄いを良くは思ってないだろうなあ」
「マードネツクのリーダーは素晴らしい方だと聞いていたし後回しにしていたんだよ。明日にでも行ってみよう。リーバルン様は最後だ――ところで試験飛行はどうだったい?」

 
「ああ、昨日よりは慣れたかな。大分、力の配分がわかってきたよ」
「やはり訓練が必要のようだね」
「まあな。でもルンビアは違う。どんどん先に行ってるよ」
「ルンビア、空の上はどうなっているんだ?」
「はい。空気が薄くなるだけでなく気温も上がるみたいです。機体があの熱に負けないように速度をうまく調整しないといけません。そこを抜ければ完全に暗黒の世界となります」
「やったな、ルンビア。君は星の外の空間に出た初の人間だよ」
「そうなんですか」
「星の外に出るための条件を整理してみよう。まずは重力制御、そして『推力』、最後は無酸素耐性。シップを操縦する人間にはこれだけの事が必要になる」
「操縦しねえんなら『推力』は要らないだろ。後の耐性は少し訓練すりゃどうにかなるんじゃねえかな」
「そうでないと困るな。訓練についてはトイサルに相談してみよう」
「飯にしようや。もうくたくただぜ」

 
 翌日、サフィはエクシロンと連れ立って、マードネツクに向かった。ルンビアはホーケンスで宇宙空間の調査と機体の耐久性の試験を継続していた。
 マードネツク難民キャンプはヤシの木に似た暑い地方に育つ樹木に囲まれた平地に立つ砦だった。さすがにここまでは三界の力も及ばないせいか、全体にのんびりとした雰囲気が漂っていた。
「エクシロン、リーダーは何という名前なんだい?」
「確か、ダンデディとか言ったかな」
「マードネツクとは『マーを待つ地』という意味だ。ダンデディ様は持たざる者の祖であるマーと話をされているのかな?」
「さあ、いんちき野郎じゃないか。兄いみてえな本当の救世主は他にはいないと思うぜ」
「そうかな。別に救世主が何人いたっていいじゃないか」
「……兄いは時々、面白い事言うな」

 
 サフィは砦の右側の見張り小屋の前に立ち、よく通る声で叫んだ。
「私はミサゴのサフィと申します。ダンデディ様にお会いしたいのですが」
 見張り小屋からは返事がなかったが誰かを呼びに行くような動きがあった。しばらくすると一人の男が見張り小屋にやってきて言った。
「本当にサフィ殿ですか?」
「はい。隣にいるのはエクシロン、元、西の海岸の山賊ですが、今は私の仲間です」
「わかりました。今、門を開けます」

 
 砦の門が開き、中に入った二人をニライと名乗る人物が待っていた。背丈はそんなに大きな方ではなく、だぶだぶのローブにフードを深くかぶり、顔もスカーフのようなもので隠していたので、かろうじて目が見えるだけだった。

「サフィ殿。何故、ここに来られた?」
「何故、と言いますと?」
「ダンデディは自らを救世主と名乗っています。ところが最近、どこに行っても救世主サフィの話題で持ち切りです。世間から隔絶されているはずのこのキャンプ内でさえあなたの噂ばかり。面白いはずがありません」
「ダンデディ様が真の救世主であればそのような些細な事を気にされるとは思えませんが」
「……それはそうですが」
「非常に重要なお願いをしに参ったのです。話をさせては頂けませんか?」
「そこまでおっしゃるのでしたら止めは致しません。どうぞ中にお入り下さい」

 
 砦の中に広場があり、広場は人で埋め尽くされていた。一番奥に高い櫓が組まれていてその上に一人の男が立っていた。
「あなたが来られたというので力を見せつけたいのでしょう」
 ニライがサフィの耳元で囁いた。

 
「よくぞ参られた。サフィ殿。もっともここに来るのはわかっておった」
 台上の男がサフィに向かって叫んだ。金髪を眉の所で切り揃えた目つきの鋭い中年男だった。
「ダンデディ様でいらっしゃいますね。本日はお願いがあって参りました」
 サフィは台に近付き下から声をかけた。
「言わないでもわかる。私の力を必要としているのであろう」
「その通りでございます。これをご覧下さい」
 サフィはぐいと手を伸ばし、設計図をダンデディに手渡した。

「……これは?例の空を飛ぶ船かな?」
「はい。是非、マードネツクでも作って頂きたいのです」
「何のために?」
「私はこの世界が滅びるのを見ました。その滅びの日にこの世界を脱出するためのシップなのです。ダンデディ様もその幻を見られたのではありませんか?」
「いや、私は救世主、そのような軽々しい嘘を口にしていたずらに人心を惑わす事はしない」
「しかしここにいる人々を救わないと――」
「どうやら貴殿はとんだ騙り、偽物の救世主のようだな。真の救世主である私にはそのような未来は見えない。これ以上我が民を惑わすのであれば即刻ここから出て行ってもらおう」
「偽物の救世主と呼ばれようが構いません。この世界は滅びるのです」
「救世主は一人いれば十分。貴殿のような偽物はやがてこの世界の笑い者となる。今のうちに救世主の看板を降ろした方が身のためではないかな?」

 拳を握りしめてダンデディに殴りかかろうとするエクシロンをサフィが必死で押し止めた。
「エクシロン、止めるんだ」
「ほう、馬脚を現したな。山賊などを連れて何が救世主だ。大方、この砦を奪いに来たのであろう」

 
 砦の中に戻ろうとするダンデディの背中に向かってニライが言葉を投げかけた。
「ダンデディ様。こういうのは如何でしょう。ダンデディ様とサフィ様とで力比べをして頂いて、どちらが救世主にふさわしいかを決めるというのは」
「ニライ。それはどういう意味だ?」
「はい。判定はここにいる者たちにやってもらえばいいでしょう。彼らは元々、救世主を頼って各居留地から流れ着いた者、救世主が二人いたのでは彼らの気持ちも揺れ動きます。彼らを安心させるためにも、是非――」
「……そこまで言うなら仕方ない。サフィ殿、如何かな?」
 ダンデディは自分の足元にいる三百人ほどの信者を前にして勝ち誇ったような顔を見せた。

「兄い。こんなの勝負じゃねえや。こいつらはダンデディの信者だ。不利に決まってらあ」
「わかりました。その勝負をお受け致しましょう。ただしどんな奇蹟を見せるかは私に選ばせて頂けませんか?」
「いいでしょう。言ってみなさい」
「はい。空を飛ぶというのはどうでしょうか?」
「お安いご用だ。では貴殿もここに上がってくるがよい」

 
「私から参ろう」
 台上でサフィと並び立ったダンデディが言った。
「エクシロン様、気を付けて下さい。ダンデディの目と声に引き込まれてはいけません」
 エクシロンの隣で様子を見ていたニライが耳打ちをした。
 ダンデディが何事かを呟き始めると三百人の信者の体が一斉に左右に揺れ出した。そして「はっ」と一つ気合を入れたのを合図に信者の視線はダンデディに釘付けとなり、「おお、飛んでおられる」という感嘆の声があちらこちらで沸き起こった。

「おい、こりゃあ、いんちきじゃねえか」
 ぎゅっと目を閉じ、耳を塞いでいたエクシロンが恐る恐る目を開けると、ダンデディが台の上に立ったままなのに聴衆がどよめいていた。
「これは催眠術と呼ばれるもの、奇蹟でも何でもありません」
 ニライが吐き捨てるように言った。
「兄い、このまんまじゃあ負けちまうぜ」

 
 エクシロンが心配して見ている中、台上のサフィは一歩下がって大きく息を吸った。
「マーよ。この浅はかなる術が効かなくなるように力を貸したまえ」
 大地に青と黒の光が走り、三百人の信者は一瞬にして雷に打たれたようにびくりと体を震わせた。そしてさっきまでの熱狂はどこに行ったのか、冷ややかな目でダンデディを見つめた。
 自分の術が切れたのに気付いたダンデディは「ちっ」と舌打ちをしてから、再び術をかけようとしたが、一向に効き目がなかった。

「ダンデディ様、勝負はあったようですね」
 サフィに声をかけられたダンデディが振り返るとそこには空中に浮かぶサフィの姿があった。聴衆は本当に空を飛ぶサフィに驚嘆し、歓声を送り始めた。
「あのような術を用いて人心を惑わせているのはあなたではありませんか」
「やったぜ、兄い」
 エクシロンは隣のニライと握手をしてサフィに近付こうとした。

 
 その時、聴衆の後方から「ぐわぁ」という大きな悲鳴が上がった。その場にいた全員が声の方に注目する中、ニライが突然に走り出した。
「しまった。術の力で治ったと思い込まされていた怪我人や病人が正気に戻ったのです」
 ニライに続いてエクシロンとサフィも声の主の下へ急いだ。そこでは数十人の人が苦痛に蹲り、這いつくばっていた。

「兄い、どうしようか?」
「とりあえず、後でゆっくり治療するとして今は眠っていてもらおう」
 サフィは地上に降り立ち、胸を押さえて苦しむ男の前に屈み込み、静かに額の中心を親指で押した。すると男は静かに寝息を立て始めた。
 同じように人々の額を押して回り、二十人ほどいた苦しむ人々は皆、おとなしく眠りについた。
「これでひとまずは安心だ。ところでダンデディは?」

 
 遠くに小さく見える櫓を振り返ったが、そこにダンデディの姿はなかった。
「あ、あの野郎。どさくさまぎれに逃げやがった」
 サフィたちは歓喜する人たちをかき分けながら櫓まで走って戻った。
「ちきしょう。どこに行ったんだ。一発ぶん殴ってやらねえと気がすまねえ。兄いもそうだろう」
「ああ、さすがにあのような男が救世主を名乗るのは許せないな」

 
「ははは、これを見ろ」
 声のする方を見上げると砦の屋上にダンデディが立っていた。右手には大きなナイフを持ち、左手に幼子を抱えていた。
「ああ、カリゥ」
 突然、ニライが叫んで座り込んだ。
「あの子はあんたの――」
「はい。息子です。ダンデディに人質に取られているのです」
 屋上のダンデディはナイフをちらつかせながら笑った。
「てめえら、恥をかかせやがって。いいか、今すぐにここを出て行け。そうじゃねえとニライのガキの命はねえ。ここにいるこいつらの命はおれのもんなんだ。どうしようがおれの勝手だ」

 
「さすがにやり過ぎだ」
 サフィが前に出ようとするのをエクシロンが止めた。
「いや、兄い。ここはおれに任せてくれ」
「サフィもエクシロンも引っ込んでろ。こんな下衆はおれが始末する」
 雷獣の声が聞こえたかと思うと、エクシロンの左腕から黒い塊が目にも止まらぬ速さで飛び出し、あっという間に屋上のダンデディに飛びかかった。そのはずみでダンデディの左手からカリゥが弾き出され、屋上から落下した。

「カリゥ!」
 地上に激突する寸前にエクシロンがカリゥを抱きとめた。
「ニライ、せがれは無事だぜ」
「エクシロン、よくやった――雷獣は?」

 屋上に雷獣が姿を現した。雷獣はにやりと笑ってからエクシロンの左腕に戻った。
「雷獣、ダンデディは?」
 サフィが盾に戻った雷獣に尋ねた。
「屋上でおだぶつさ」
「殺す事はなかったのに」
「サフィ、甘いな。あんな奴、生きてたって碌な事しねえよ」
 雷獣が持ってきたのだろう、サフィの手元にはいつの間にか設計図が戻っていた。
「仕方ないな」

 
 サフィは再び台の上に立ち、聴衆に向かって話し出した。
「皆さん、聞いて下さい。ご覧の通り、ダンデディは怪しげな術で皆さんを惑わせておりました。これからはここにいるニライが皆さんの良き指導者となるでしょう」
 カリゥを抱きしめていたニライは突然の提案に唖然とした。
「サフィ様、それはいけません。私はダンデディに仕えていた者。そんな資格はありません」
「カリゥを人質に取られ、仕方なく従っていた。皆さん、わかっていると思いますよ」
 聴衆は一斉に拍手を始め、サフィとニライの名前を呼んだ。
「さあ、ニライ。改めてこの設計図を渡しましょう。ここの皆さんを救って下さい」
「サフィ様、あなたこそ真の救世主です」
「さて、さっき眠りについてもらった方たちの治療を致しましょう」

 

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