目次
2 幻の城
「これは……?」
サフィたちは城の近くまで飛んだが、城は海の上に建っているように見えた。
「『水に棲む者』の城じゃないですか?」
「そうかもしれない――でもまるでこの世界の建物とは思えない雰囲気だ。何だかゆらゆらしているし」
「降りてみましょう」
サフィとルンビアが地上に降り、城の周りを一周して正面に戻ると、上がっていた跳ね橋がぎりぎりという音を立てて下りた。
「跳ね橋が下りますよ。中に入りましょう」
「油断しちゃいけない。誰かが出てくるかもしれないよ」
しばらくの間待ったが誰も現れる気配がなかった。
「まるでぼくらを待っていたみたいですね」
「中に入ろう」
跳ね橋を渡って城内に入ると辺りは漆黒の闇に包まれた。
「ルンビア、大丈夫かい?」
「はい」
「気をつけるんだ。この城はどこかおかしいぞ」
サフィはルンビアの手を引きながら、一歩一歩慎重に前に進んだ。やがて前方にかすかな光が見えた。
「……おかしいな。ずいぶん歩いたはずなのに城の端まで行き着かないなんて」
ようやく光の正体が扉の隙間から漏れているのだとわかる距離まで近づいた。
「ルンビア、あの扉を開けるぞ」
「兄さん、嫌な予感がします」
「でも先に進まない訳にはいかないだろう」
扉を開けるとそこは『世界の中心亭』の個室だった。
「あれ、ここは?」
「ルンビア、そんなはずはない。これは幻だ」
「そうですよね――」
ルンビアが言い終わらない内に、外で何か大きなものが落ちたような激しい音が立て続けに起こった。
サフィたちが急いで個室の扉を開けて目の当たりにしたのは、この世の物とは思えない地獄絵図だった。
ホーケンスの街は怪物たちによって破壊されようとしていた。体中に目のついた龍が逃げまどう人々を踏みつけ、風船のように膨らんだ龍が空から毒の息をまき散らした。そして全身に鎧のような装甲をまとった龍が手当たり次第に建物を破壊していた。
「止めろ、止めるんだ!」
「ルンビア、しっかりしろ。幻だ」
サフィはルンビアの手をつかみ、世界の中心亭に戻ろうとした。扉を開け、ルンビアをそこに押し込むように急き立て、自分も中に入り、後ろ手に扉を閉め、肩で息をした。
「……兄さん、一体何が起こったんですか?」
「はあ、はあ、わからないけど、もう大丈夫だ――」
元の場所に戻ったと思ったがそこは何もない空間だった。暗闇のような空間に二人で浮かんでいた。空には無数の星が瞬き、目の前には一際大きな星が映っていた。
「ここは?」
「わからない。もしかすると目の前の星が私たちの暮らす大地かもしれない」
二人は空間に漂いながら目の前の星を眺めた。すると星の中心部から真っ赤な炎が湧き上がった。やがて炎は色を変え、漆黒の蛇のような姿になり、星全体を呑み込んでいった。
「ああ、星が」
「これも幻だ。気をしっかり持つんだ」
星は漆黒の炎に包まれて、やがて大爆発が起こった。サフィもルンビアもまぶしさに目を開けていられなくなった。
二人が目を開けると今度は狭い室内だった。不思議な機械が並んだ中に二人は立っていて、部屋はどうやら動いているようだった。部屋の中心にはそこだけ周りの床と違う色の一角があった。
サフィが試しにその上に足を置くと、体が引っ張られる感覚と共に部屋の動きが速くなったような気がした。
「これも幻ですよね?」
「ああ、だが一体どこにいるのかがわからない――城主の方、私たちにこのような幻を見せてどうなさるおつもりですか?」
サフィの呼びかけに応じるかのように辺りが再び眩い光に包まれた。目が慣れるとそこは城内の王の間のようだった。玉座には長い黒髪の男が座っていた。
「やあ、待っていたよ。サフィ君にルンビア君。救世主、いや、救世主となるべき男かな」
「あなたは?」
「私の名はマックスウェル、『異世界の大公』と呼ばれている」
「異世界とは何ですか?」
「君は頭が良いようだ。あんな光景を見せられても恐慌をきたさない。その冷静さに敬意を表して質問に答えよう――まず『異世界とは?』という質問だね。君が今住んでいる星は、銀河という空間にある。異世界というのはその銀河の外にある別の宇宙空間だ。さあ、次は?」
「その異世界の方が何故ここに?」
「言葉使いも丁寧でますます気に入ったよ――異世界の住人は君らから見れば驚くほど長い命を持っている。つまり退屈な日々も長いのだよ。今回、久々に楽しい出来事が起こりそうだと思い、このようにして出てきた。これでいいかな」
「楽しい出来事とは何でしょう?」
「たった今、君の眼で見たろう。間もなくこの星は龍に破壊され、最後には爆発する」
「あれはあなたが作り出した幻に過ぎないのではありませんか?」
「いや、幻ではない。あれが創造主の意思だ」
「何故私にそのようなものを見せ、このように話をされるのですか?」
「君が立ち上がらないと手遅れになるからだ。空の王や黄龍の特別な接し方を見てもわかるだろう。君は救世主になるべくして生まれた存在なのだよ。なのに君はなかなか行動を起こさない。このままではせっかくの銀河もあっけなく終わってしまう――いいかね。私はこれまで創造主の度重なる創造と破壊には傍観者の立場を貫いてきた。だが今回はちょっかいを出してみる気になったのだ。君とルンビアという創造主の予測を裏切る存在に大いに刺激を受けたからね」
「私には理解できません」
サフィは傍らのルンビアを見たが、ルンビアも「訳がわからない」と言いたげな表情をしていた。
「理解できようができまいが君は行動しなければならない。そうしないと失望した創造主はこの星だけでなく銀河全体を見捨てる」
「でも、どう行動すれば?」
「ここに数枚の紙がある。そこにはどれも同じ図が描かれている。どう使うかは君の自由だ」
マックスウェルは紙の束をサフィに手渡した。サフィとルンビアがそれを見ると何かの設計図のようだった。
「これは……ぼくらが三つ目の幻で見た――」
ルンビアの言葉にマックスウェルは満足そうに頷いた。
「その通り。この世界から脱出するための『シップ』の設計図だ。この星の爆発を止める事はできない。君は脱出後の新しい世界の救世主になるのだよ」
「そんな……」
「君はこれから各地を回り、多くの人に会い、君の理解者に設計図を見せ、できるだけ多くの人がシップで脱出できるよう協力を仰ぎたまえ。脱出に成功した後は君の指導の下でその協力者たちが各地に散らばる。そしてこの箱庭は躍動し、発展する――そのくらいはやらないと創造主に興味を抱かせるのは無理だ」
「マックスウェル大公、あなたも創造主ですか?」
「ふふふ、私は彼らとは違うよ。同じような『上の世界』の住人で顔見知りではあるがね」
「この城はどうやって?」
「空間を繋いだ、という説明で理解してもらえるかな。私の城は異世界にあるままでこの場所と繋がっている。今、君たちは銀河の外にいるとも言える」
「……私にとってはこの大地が世界の全てでした。夜空に輝く星々は散りばめられた飾りに過ぎないのだと考えていました。でもあの二つ目の幻で私たちの住む世界もそういった星々の一つに過ぎないのだと気付き、そしてその星々が銀河なのだと知り、銀河の外にもまた別の星々があるのだと理解しました。間違っていますか?」
「そこまでわかれば大したもの。君が脱出するのはそういった星のどこかになるのだよ」
「そのような星々の一つに過ぎないこの大地が、何故、銀河の存続を左右する重要な役割を担っているのでしょう。他の星でもここと同じように三界の諍いが起こっているのではありませんか?」
「ふふふ。現在の銀河ではこの星の文明が最も進んでいる。だからこの星が実験場として選ばれたのさ。他の星はこれまでの世界と同じように惰眠を貪って、いや失礼、平和に暮らしているよ」
「『実験場』、『これまでの世界』?」
「それに答えるのは容易いが、さすがの君をもってしても今は理解できないだろう」
そう言ってからマックスウェルはいつの間に用意したのか黒い表紙に金の飾り文字のついたぶ厚い一冊の本をサフィに投げて寄越した。
「それを読みたまえ。君なら文字の方からすり寄ってくる」
「この本は?」
「『万物誌』、創造主が造ったこの『九回目の世界』までの歴史が書かれている」
「何故、私にそこまで――」
「言っただろう。退屈しのぎだよ」
会話が途切れ、マックスウェルはつまらなそうにあくびをした。
「さて、もう十分かな。目的も達成したし、空間は閉じさせてもらうよ」
「この星がなくなってしまうのは悲しいですが、後世に伝えるためにせめて名前を知りたく思います。今、私がいる星を何と呼べばよろしいのでしょうか?」
「君はどこまでも良くできた人間だ。そうだね、《古の世界》とでも呼べばいいのではないかな」
「……古の……世界」
「ここから先は君自身の力で切り開きたまえ。では新しい世界で又会おう」
いつの間にかサフィとルンビアは元の海岸線に戻っていて、城は跡形もなく消え去っていた。いや、マックスウェルの言葉を借りれば、元の世界に戻っていったのだ。
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