目次
2 最初の任務
その日の内にサフィとルンビアは宮殿の脇にある小さな石造りの小屋に移り住んだ。食事は自炊、ミサゴとも宮殿とも接触は禁止され、プトラゲーニョとスクート以外は誰も知らない引っ越しとなった。
昼前にスクートが小屋にやってきた。
「おはようございます」
「やあ、朝飯は食ったかい?」
「はい、ミサゴでも自炊していましたので」
「すまないな。下の食堂にも宮中の食堂にも行かせる訳にはいかないんだよ。まあ、秘密任務って訳だ」
「はい」
「早速、最初の任務……というか連絡だ。ホーケンスの『世界の中心亭』、サフィは行った事あるよな、そこに昼までに行ってほしい。おれが聞いてるのはそれだけだ」
「トイサルの所ですか?」
「うん、そうだ。あ、飛馬車は使えないから、サフィは昨日見せた力を使ってくれよな。昼までには楽に間に合うはずだ……あと、これ、お前の服な」
スクートが手渡したのは空を翔る者の親衛隊の制服だったが、服の背中には翼を通すための大きな穴が開いていなかった。
「スクート様、ありがとうございます」
「礼なんか必要ない。おれからのプレゼントだよ」
サフィとルンビアは急いで山を降りた。ホーケンスの街並みが見えるとルンビアが興奮した口調で話し出した。
「兄さん、ぼくはホーケンスに行くのは初めてなんです」
「私も久しぶりだよ」
ホーケンスの市街に降り立ち、そこからは徒歩で世界の中心広場を目指した。やがて広場の脇に立つ”世界の中心亭”が見えた。
サフィが先頭に立ち、店のドアを開けようとドアノブに手をかけた瞬間、「そっちじゃねえぞ」と声がかかった。
驚いていると、店の裏手からトイサルが姿を現し、黙って手で「来い」という合図をした。
サフィたちは裏口に回り、店の中に入った。
「ちゃんと覚えとけよ……って言っても、前に来た時は子供だったか、サフィ」
トイサルの雷のような大声に首をすくめながら、サフィはにこりと微笑んだ。
「立派になったな。こいつがルンビアか。トイサルだ、よろしくな」
ルンビアも頭を下げた。
「階段を上がった個室に、もう待ち人は来てるぞ。ゆっくりしてきな」
サフィは呼吸を一つ整えてから個室のドアをノックした。「どうぞ」という聞き覚えのある声に促されてドアを開けて中に入った。
二人が中に入ると、リーバルンが笑顔で座るように手で示した。
「やあ、サフィ、とうとうこの日が来たね」
「はい。あっと言う間の数千日でした」
「君に礼を言わなければならない。私との約束を守って共に働こうとしてくれた事だ」
「はい――」
サフィが何かを言いかけた時、トイサルが飲み物と食事を乗せた大きなお盆を持って部屋に入ってきた。
「さあ、遠慮しないで飲み食いしろよ。今日はおれのおごりだ。何しろ久しぶりの再会だからな」
乾杯が終わるとリーバルンは静かに話し出した。
「さて、これから君たちが行う仕事について話をしようか。視察官とは何をするべきかだが、それは単なる視察ではなく、もっと難しい仕事になるはずだ。あ、トイサルもここにいてほしい」
リーバルンは立ち上がり、かつてのトイサルと同じように壁にかかっている地図をテーブルの上に置いた。
古の世界 全図 (別のウインドウが開きます)
――この世界は広いとも言えるし、狭いとも言える。私たちはこの『比翼山地』を中心としたごく一部を世界だと思っている。それは『水に棲む者』も『地に潜る者』も一緒だ。
私は君たちに残りの世界を見てほしいと思っている。まずはここ、『風穴島』だ。どうもここは『混沌の谷』と同じ雰囲気が漂う、つまり何かが生まれそうだという意味だ。
風穴島の調査が終わったら、そこからが本題だ。西の海岸線の山賊のアジト、南のマードネツクの難民キャンプ、サソー、ワジの居留地、君たちには持たざる者を取りまとめてもらいたい。
それが新しい世界への第一歩だ。わかってもらえるかな――
「リーバルン様、持たざる者の力を結集させれば、三界は今までのように奴隷を使役できなくなる可能性があります。それどころか――」
「三界については心配しなくて――いや、正直に言おう。あの『精霊戦争』によって、三界の溝は埋めようがないほど深くなった。もう三界には期待しない方がいい。唯一、残された希望は君がまとめ上げる持たざる者だ」
「三界を打倒して革命を起こすような真似はできません」
「サフィ、一つ興味深い話をしようか。空を翔る者、これはその名の通り、空を飛ぶ事ができる、言い方を変えれば重力に対して適性があると言える訳だね。でも閉鎖された空間が苦手な者もいる、つまり、閉所には耐性がないという事になる。水に棲む者はどうか、無酸素に対して適性があるが、乾燥に対して耐性がないため地上に長時間いられない者がいる。地に潜る者は毒に対して適性はあるが、立体の空間認識に耐性がない者がいる。ここまでは理解できるね?」
「はい」
「では持たざる者はどうか、その名が表す通り、何に対しても適性もないし、耐性もない――だが私は君が空を飛ぶのを見た。しかも無酸素も毒も訓練を積んでいるというじゃないか。つまり、最も潜在能力のある種族なんだよ」
「私の場合は、たまたまです」
「サフィ、持たざる者は負け犬じゃない。君を見習って多くの人が耐性や適性を身につければ、必ずやこの世界を引っ張っていける」
「そうなった場合、三界はどうなりますか?」
「その時に初めて自分たちの犯した過ちに気付くかもしれない。そして互いに寄り添って生きる事の大切さを知る……もう手遅れかもしれないけどね。でもその寄り添って生きる象徴となるルンビアがいれば目が覚めるのは早いかもしれない」
サフィは目を真っ赤にして涙をこらえた。
「リーバルン様、約束したじゃありませんか。三界も持たざる者も平等に暮らせる新しい世界を作っていこうと。今のお話では、三界が持たざる者に変わるだけで何も新しくなっていません」
「……サフィ、君の言う通りだ。でも時間がないんだよ。限られた時間の中で三界の諍いは収められない。最も可能性のある者に期待するしかないんだ」
「納得できません」
「もちろん私だって精一杯努力する。今の話は極論だったと笑い飛ばせるのが理想さ」
「……はい」
「じゃあ前途を祝して、改めて乾杯をするとしよう」
サフィとルンビアが帰り、トイサルがリーバルンの残る個室にやってきた。
「よお、詳しくは知らねえが、お前、大丈夫か?」
「もちろん大丈夫さ」
「もう何の夢も希望もねえのはわかるがよ」
「夢や希望ならある。サフィやルンビアたちがそうさ」
「お前、あいつらに龍を探させるつもりか?」
「……」
「サフィの力を持ってすれば、か……とんでもねえ事になるかもしれねえな」
「その時はその時さ。この世界は用済みって事だよ」
「まあいいか。おれもいい加減疲れた。世界が終わるのをこの目で見届けてやるよ」
「ああ、その時には私もここに来る」
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