目次
3 火の行方
精霊の力を借りた三界の戦いは水に棲む者と地に潜る者との間の争いに変容し、終結の糸口は見えなかった。
ネボリンドは膠着した戦況を打開するには他の精霊の協力を得る事が必須と考え、再び混沌の谷を訪ねたが、すでにアウロスの姿はなかった。
そんなある日、ミサゴに不思議な人物が現れた。
頭からすっぽりと茶色のフードをかぶっていて顔がわからなかったが、居留地の門の所に立って、出入りする人をただ眺めていた。
ミサゴの住民は破壊された居留地の修復に忙しく、妙な男がいるのはわかっていたが、特段、気にも留めなかった。
昼過ぎにサフィが薪を拾うために裏山に向かうのを見て、男はその後をついて歩き出した。
サフィは男が付いてくるのを気にせずに裏山で薪を集めた。
担げるだけの薪を担いだ所で、サフィがおもむろに口を開いた。
「先ほどから私を見張られているようですが何のご用ですか?」
「見張っていた訳ではない」
フードをかぶった男が木の陰から顔を出した。
「君に会わせたい人がいる」
いつからそこにいたのか、フードの男の隣には枯れ木のように痩せた老人が立っていた。
「アウロスと申す。私を見て何か感じぬか?」
「……よくわかりませんが、この世界の方ではないような」
「この世界ではない、か。面白い事を言うな。此度の三界の争いが精霊によって起こされたのは知っているだろう。私はその精霊の長だ」
「三界の長の下に赴かれるのならともかく、私ごときに用があるとは思えませんが」
「サフィ、いくつだ?」
「はい。四千日になりました」
「なるほど。未だ世に出ず。目覚めるのが少しばかり早かったか――まあ、それはどうでもよい」
「おっしゃられている意味がよくわかりません」
「わかるように説明してやる。私たち精霊は目覚め、地に潜る者には土の精霊が、水に棲む者には水の精霊が、そして空を翔る者には風の精霊が力を貸している」
「はい」
「では持たざる者はどうするか、それを確認しにここに来たのだ」
「……何故、私に。ミサゴであればプントというリーダーがおりますし、サソーやワジにもそれぞれ指導者がいるはずです。尋ねる相手をお間違えではありませんか?」
「物事を総合すると、指し示す場所はここなのだ。サフィ、お前の意見が聞きたい。火の精霊の力を必要とするか?」
「……でしたら私の個人的な意見を述べさせて頂きます。私たちは永久なる炎、決して消える事のない炎を欲しております。特にサソーでは幾人も寒さのために亡くなっているそうです。彼らを凍えさせる事のない温かな炎を何卒、私たちに分け与え下さい」
「この火の精霊、フレイムの力を使えば、三界と対等に渡り合う事も可能になるかもしれないのだぞ。それを望まぬのか?」
「そのような形で力を得て争いに参加した所で、手元に何が残るのでしょう。それよりも貧しさの中で亡くなっていく人の数を一人でも減らす方が重要です」
「……わかった。こことサソーとワジだな。願い通り、消える事のない炎を配る事にする――だがそれとは別にお前には渡す物がある。フレイム、剣を」
フレイムは一振りの剣をアウロスに差し出した。アウロスは剣を鞘から抜き、サフィに言った。
「この剣は精霊が鍛えた”焔(ほむら)の剣”だ。これを授けよう」
「あ、ありがとうございます。私が頂いてもよろしいのですか?」
「私たちはしばしの間、世界から消える。この剣は新時代を切り拓く者に持っていてほしいのだ」
アウロスとフレイムはサフィに剣を渡し、去った。
男たちが去って、残されたサフィはある結論にたどり着いた。
「今のは創造主、アウロ様?」
水に棲む者と地に潜る者の戦いはその後もしばらく続いた。
両者共に如何にすれば戦闘を終結に導けるか、出口を模索していたが、そのきっかけは突然に訪れた。
水に棲む者の王族たちは攻撃の及ばない北の海に避難していたが、ローミエ王女が心労が原因で亡くなった。
レイキールは直ちに喪に服す事を決定し、地に潜る者に休戦を申し出た。ネボリンドは休戦を受け入れ、数十昼夜に渡って世界を破壊した精霊による攻撃はようやく止んだ。
休戦が成立した翌日には水に棲む者の領地から水の精霊、オーの姿は消えた。それは地に潜る者の領地においても同様だった。
一体、この戦いは何だったのか、荒廃した領地を見渡しながら誰もがそう感じていた。いたずらに母なる大地を穢し、この星の寿命を縮めただけではないか――
誰も訪れる事のなくなった混沌の谷には不思議なものが出現した。
それは高さが五十メートルほどの塔で、淡い水色の光を帯びて空中に漂っていた。
同じ頃、山鳴殿ではリーバルンの下をヴェンティが訪れていた。ヴェンティはにこにこと笑っていた。
「リーバルンさん、ようやく終わりましたよ。これで私も帰れる」
「……水に棲む者と地に潜る者の争いですか?」
「はい。もう、オーもテラもいません。私も消えさせてもらいます。では――」
「ああ、ちょっと待ってくれ。ヴェンティ。聞きたい事があるんだ」
「何でしょうか?」
「君たちが目覚めた本当の理由は何だったんだい?」
「さあ、詳しい事はアウロスにしかわからないでしょう。私たちが目覚めたのは歴史の必然だった、としか言えませんね」
「……それぞれが三界に味方すれば、世界はさらに混乱するのは自明の理。それが必然だったと言うのか?」
「けれどもあなたとあの持たざる者の少年は、私たちの力を用いて争う方向へは進まなかった。結果としてあなた方は世界を救った」
「世界を救うなら、もっと他にやりようがあるのだろうが、私にそこまでの力はない。ほんの少し死期を遅らせただけさ」
「ご自分をそこまで卑下される必要はありません。あなたが蒔いた種は、あの少年にしっかりと引き継がれますよ――ではお元気で」
次の瞬間、ヴェンティの姿は消えていた。