1.2. Story 5 精霊戦争

2 風の守り

 ネボリンドがアウロスと会った三日後、空を翔る者の宮殿、『山鳴殿』は突然の災害に見舞われた。
 初めは小石のようなものがぱらぱらと空から降った。やがて石のサイズは大きくなり、最後には恐ろしく鋭利な石の柱が降り出した。
 宮殿は閉鎖的な空間を嫌う空を翔る者のために建てられていたので、屋根や天井の数が極端に少なかった。そのせいで人々は逃げ場を失い、右往左往する羽目に陥った。
 アーゴは王宮内の人々、及び住民たちに安全な上空に避難するよう指示を出した。持たざる者たちにも自らの作業所内に籠って、決して外に出ないように命令を下した。

 三十分ほどで石の雨は止んだ。プトラゲーニョがただちに被害状況をまとめさせた所、怪我人二十五名、建物の半壊箇所多数、幸いにして死者は出なかった。
「原因は何だ?」
 プトラゲーニョは部下に問い質した。
「現在調査中ですが、まだ不明です」
「空から石が降るとは、天変地異か」

 
 翌日もその翌日も石の雨が降った。
 アーゴ王はプトラゲーニョとスクートを王の間に集めた。
「プトラゲーニョ、これは自然現象か、それとも意図を持った攻撃か?」
「はい。現在、調査中ですが――」
「我が王」
 スクートがおそるおそる切り出した。
「以前、混沌の谷を調査した時に、精霊が目覚める予兆がありました。今、まさに精霊が目覚めたんではないでしょうか?」
「ん、スクート。それはお前の意見か、それとも?」
「……もちろん私の意見です」
「まあ、誰の意見かは問題ではない。続けるがよい」
「はい。すでに三界のいずれかが精霊との契約を済ませ、その力を用いて攻撃しているのではないかと」
「うむ、石の雨、という事は地に潜る者か――スクート、私の名代として直ちに混沌の谷に赴き、精霊の協力を求めるのだ。他の者は今後の攻撃に備えて住民たちを避難させておけ」

 
 その頃、混沌の谷では水に棲む者の大臣、ヤッカームがアウロスに会っていた。
 本人は乗り気ではなかったがレイキールの命を受けたので仕方なかった。
 目的はもちろん、精霊の協力を求める事だった。

 アウロスの脇には、細い体に大きな目の全てが黒目の、とても人には思えない青い物体が立っていた。
「わかりました」
 アウロスはヤッカームの申し出に答えた。
「ではこのオーを連れて行くがよろしいでしょう――しかしあなたは」
 アウロスは何か言いかけたが、そのまま口をつぐんだ。
「アウロス殿。お気に障る事でも?」
「――いや、別に。ただ報告だけはさせてもらいますかな」
「報告?」
「気に病まれる必要はありません。あなたのような予定を乱す存在を好ましくないと思う者もいれば、面白いと考える者もいる」
「なるほど。そういう訳ですか。どうぞ、ご自由に――ところで精霊が去った後、この星はどうなるのでしょうな?」
「……私には何とも。祝福を受けるか、それとも――」
 ヤッカームはにやりと笑い、アウロスはそれ以上何も言わずにオーを残して去った。

 
 同刻、スクートは『比翼山地』の北西の端、海岸沿いにひっそりと建つ小屋にいた。
「どうした、スクート。又、やって来て。私が言った通りをちゃんと父上には伝えたんだろうね」
「もちろんですよ。そしたら我が王の名代で混沌の谷に行けって。そんなのおれには無理ですって」
「ふむ。父上のやりそうな事だ――わかった。私が行こう」
「そうしてくれますか。ルンビアの面倒はおれが見てますから――あれ、ルンビアはどこです?」
「ふふふ、きっと海に潜っているよ」
「えっ、大丈夫なんですか?」
「心配だとしても私よりもはるかに上手に泳ぐのだから助けようがない。あの子には半分ナラシャナの血が流れているんだよ」
「確かにそうですよね。おれも泳ぎに誘われたら困るな」
「心配ないよ。賢い子さ。サフィが躾けてくれたおかげで手がかからない――ではルンビアの所に行こうか」

 
 小屋を出て沖合に向かって進むとテニスコート半面くらいの広さのごつごつした岩が海面から突き出ていた。リーバルンとスクートはその岩に降り立ち、リーバルンが言った。
「ほら、スクート。ご覧よ。あそこ」
 リーバルンが指差すのははるか遠くの波打つ沖合だった。その沖合から突然に白い塊が飛び上がり、空中で一瞬静止した後、再び海面に垂直に飛び込んだ。
「あれは……ルンビア?」
 沖合の白い塊は何度も何度も水中から空中、空中から水中へのダイブを繰り返した。上空で一瞬だけ静止した時のルンビアには祖父のアーゴ、父のリーバルンと同じ立派な白い翼が背中に生えていた。

 
 リーバルンは指笛を吹き、それに気付いたルンビアが戻ってきた。
「こんにちは。スクートさん」
 大人の膝くらいの背丈しかないルンビアが体を一つ震わせると、盛大な水しぶきがリーバルンとスクートに振りかかった。
「や、やあ。なあ、ルンビア、翼を濡らすと飛ぶのが大変じゃないか?」
 スクートが尋ねるとルンビアはきょとんとした顔で答えた。
「さあ、皆さんはそうなんですか?」
「どうやらルンビアは特別らしいんだ」とリーバルンが言った。「空を飛ぶのも水の中にいるのもどちらも得意、すごい子だよ」
 リーバルンに誉められたルンビアは少し照れくさそうな顔をした。

「ううん、僕なんか全然です。サフィ兄さんはきっともっとすごいはずです」
「ルンビア、君はサフィを覚えてるのかい?」
 スクートが驚いて聞き返した。
「私がサフィの凄さを言い聞かせているんだよ。サフィがこの世界を救うために立ちあがった時に力となれるのは弟のお前だけだとね」
「父さん――」
 ルンビアは言葉を途中で飲み込んだ。
「ん、どうした、ルンビア。言いかけたなら最後まで言わないといけないぞ」
「いえ、何でもありません」
「おかしな奴だ――ところでルンビア、父は今から混沌の谷まで出向かねばならない。すぐに戻るがその間、スクートと留守番をしていてくれないか」
「は、はい」
 スクートはルンビアの表情が急に明るくなったのを見逃さなかった。隠れて暮らす父を子供なりに気遣っているのだとわかり、目頭が熱くなりそうになるのを必死で堪えた。

 
 ヤッカームと入れ替わるようにしてリーバルンが混沌の谷に到着した。以前、調査で訪れた時よりも地に潜る者の警備の人数が増えているようだった。
 リーバルンは警備に見つからないように上空から谷の全景を見渡した。以前の調査では何も発見できなかったが、地に潜る者が接触に成功したのだとしたら、谷の奥深くのどこかに入口があると当たりを付けた。
 リーバルンは胸元のバーズアイを握りしめ、谷に向かって降りた。

 
 その日、山鳴殿には石の雨だけではなく、氷の柱まで容赦なく降り注いだ。
 住民の避難を指揮していたアーゴ王は、降ってきた氷柱に打たれ、傷を負った。

 
 リーバルンは谷の奥深くで見張りをしていた二人のモグラのような男に当身を食らわした。
 この一帯だけは空気の澄み方が異なっている、おそらくここに間違いない、リーバルンは谷の奥につながる細い切通しを歩いた。
 やがて開けたドームのような場所に突き当たった。両脇から谷が屋根のように広場を覆っている。道理で空からではわからなかったはずだ。

 
 二つの人影がゆっくりと歩み寄った。
「来られたようだの」
 声をかけたのは枯れ木のような老人だった。隣にいるのは髪の毛を針のように立たせた少年だった。
「あなたは?」
「私は精霊の長、アウロス。隣はヴェンティ、風の精霊にございます」
「実は精霊に頼みがあって参ったのです」
「私たちの力をお使いになりたいのでしょう」
「いえ、違います。今、行われている攻撃を止めて頂きたいのです」
「……おやおや、空を翔る者は好戦的と聞いておりましたが、今のは私の聞き間違いでしたかな。せっかくお越し頂いたが、その頼みを聞き入れる訳には参りませんな」
「ではどうすれば?」
「このヴェンティをお貸し致しましょう。彼をどう使うかはあなた方次第でございます」
「……わかりました。ご協力感謝します」

 
「一つだけよろしいか。あなたはヴェンティの力を使って他勢力を攻撃する事を考えておられない。何故、そうしようとはなさらないのでしょうな?」
「私はかつて闇に魅入られ、自らの手でこの世界を滅ぼそうとした事がございますが、その時に知ったのです。この世界はそう長くは続かないと」
「うむ。闇に堕ちると同時に未来の扉を開けなさったか。にしても戦わない理由にはなっておりません。それとも、『坐して死を待つ』心境に到達されたのか?」
「いえ、決してそんな。私の中にわずかに残る希望、それが育てばこの世界を救済してくれるのではないかと考えると、いたずらに疲弊してこの世界の死期を早める訳にはいかないのです」
「なるほど。リーバルン殿、なかなかに面白いお方だ。あなたの願いが通じる日が来ればよろしいですな」

 
「私からも質問させて下さい。あなた方、精霊は何の目的でこの世界に復活されたのでしょうか?」
「はて、目的ですか。考えた事もありませんな。私たち精霊は自由に生きる種族、そうしたいから復活しただけ――」
「それでは説明になっておりません。消えた精霊の祖、アウロがアウロスと名を変え、精霊たちを三界に派遣し、この世界をさらなる混沌に陥れようとする。そこに何の意志も働いていないとは考えられません」
「……さすがはリーバルン殿。意志と言えばそうなのでしょう。この世界が存続するに足るか否かの踏み絵を私たちが提供している。この説明で如何でしょうか?」
「やはりそうですか。戦う道を選んでしまった者たち、そして私のように何もできない者。この世界が滅びるのは最早必定ですね」

 
「いや、まだ救いはあります。あなたの先ほどの言葉にあったかすかな希望。それ次第で、この世界も捨てたものではないとなるのではありませんか?」
「ですが、その者は持たざる者、しかもまだ少年です。彼がここに来る事はありません」
「……」

「お願いがあります。その者を訪ね、彼の考えに触れては頂けませんか?」
「ミサゴのサフィですね。ご希望通り、彼と話をしましょう」
「やはりわかってらっしゃったのですか。是非、そうして下さい」
「本当にあなたは変わったお方だ」
「私にできるせめてもの罪滅ぼしです。私は世界を変えると言っておきながら、むしろ対立を一層深めてしまった。今できるのはサフィを助けてあげる事だけなのです」
「わかりました。サフィとあなたに三界の祖、そして精霊と龍の祖の庇護がありますように」
「ありがとうございます。アウロ様」

 
 リーバルンから任務を引き継いだスクートがヴェンティを連れて宮殿に戻ると、アーゴ王は比翼山地の奥深くの鉱山脇に設けられた避難所のベッドに横たわっていた。
「我が王、大丈夫ですか?」
「スクートか。何、大した傷ではない――」
 アーゴはそう言ったが、頭と体に巻かれた包帯が痛々しかった。
「精霊に会えたようだな」
「はい。風の精霊ヴェンティです」
「どうやら、地に潜る者の土の精霊に加えて水の精霊も攻撃を仕掛けてきたようだ。我々には風の精霊が協力してくれるのだな」
「それについてなんですが――」
「言いたい事はわかっている。プトラゲーニョが色々と文句をつけるかもしれないが、この件に関してはお前に任せる」

 
 プトラゲーニョが避難所にやってきた。
「地だけでなく、水まで攻めてきた。そちらの風の精霊が我らの味方という訳だな?」
「将軍、その件ですが」
「何だ、スクート」
「我が王がお倒れになった今、まずはリーバルン様を呼び戻すのが先決じゃないかと思います。その上でリーバルン様の意向に従いませんか?」
「むぅ、それもそうだな。しかしリーバルンはどこにいる?」
「それならおれがひとっ飛びして連れてきますので、しばしお待ちを」

 
 数時間後、スクートがルンビアの手を引いたリーバルンと共に戻った。リーバルンはルンビアに告げた。
「ルンビア、この人がプトラゲーニョ将軍だ」
「こんにちは」
「おお、ルンビアか。大きくなったな。いくつになった?」
「千昼夜を越えました」
「もうそんなになるか」
「さあ、ルンビア。まずはおじい様のお見舞いに行こう」

 リーバルンはルンビアを連れて部屋を出て、一人で戻った。
「父上には何よりの見舞いとなったようだ。すっかりおじいちゃんの顔だった」
「――リーバルン、状況はわかっているな」
 プトラゲーニョが苛立ったような声を上げた。
「ああ、私に考えがある。聞いてくれないか」
「何だ?」
「こちらからは一切攻撃を仕掛けない。攻撃をヴェンティに防いでもらうんだ」
「また、何を言い出すかと思えば。やられっ放しで黙って耐えろというのか」
「頼む。私の言う通りにしてくれないか。攻撃に対して攻撃で返していたら、この世界は滅びる」
「……お前がそこまで言うなら従おう。だが限度というものがあるぞ」
「大丈夫。向こうだってそんなに長くは続けられないはずさ」

 
 その日以降、飛来する石つぶてと氷柱は突風によって途中で空に吹き上げられ、山鳴殿まで到達しなくなった。
 こうして宮殿には完全な防御体制が構築された。

 その後も数日間、攻撃は続いたが、ある日、変化が起こった。石つぶてが突然に水に棲む者の領地、『白花の海』に降り注いだのだ。
 空を翔る者への攻撃が一向に功を奏さないのに業を煮やしたネボリンドがギラゴーに命じて攻撃対象を変えたためだった。

 
 ホーケンスの隠れ家でこの知らせを聞いたヤッカームは一人微笑んだ。
「愚か者どもめ。これでこの星の命運は半分尽きた。私もそろそろお宝を頂戴して出ていきたいがサフィの成長を待たねばならん」
 ヤッカームはゆっくりと立ち上がり、家を出た。
「さて、まずはレイキール坊ちゃんと対策を練ろう。あの血の気の多い小僧であれば答えは決まっているが」

 ヤッカームの予想通り、レイキール王は激怒して氷柱を淡霞低地に打ち返し、両者は戦闘状態に突入した。
 空を翔る者はこの状況下にあっても攻撃を仕掛ける事はなく、戦局は泥沼の様相を呈した。

 

先頭に戻る