1.2. Story 4 絶望の翼

2 悪魔の独白

 その日以降、リーバルンは『風穴島』の調査をスクートに任せ、宮殿にある広大な書庫に入り浸った。
 そしてとうとう求めていた物を発見した。その書物は書庫の一番奥に、何重にも紐で括られて保管されていた。
 リーバルンは震える手で紐を解いた。書物の背には金色の文字で『翼の神』と書かれていた。
「あったぞ。この本に書かれている内容が真実であれば――

 リーバルンはその本を読みふけった。睡眠も食事も取らずに、薄暗い書庫の机にかじりついたまま、微動だにしなかった。
 どのくらいの時が経っただろう、リーバルンは本を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「これが蘇れば――ナラシャナ、待ってておくれよ。この不毛な世界を終わらせてから、私も君の下に行く」
 リーバルンが宮殿の外に出ると夜の帳が降りていた。リーバルンは『比翼山地』の奥の山々に挟まれた台地を求めて飛び立った。

 
 翌朝、リーバルンの行方不明が知らされ、宮殿は緊張に包まれた。
 プトラゲーニョが蒼ざめた顔で一冊の書物を手にアーゴの下に駆け付けた。
「我が王よ。これを……」
「――『翼の神』の書。どこでこれを?」
「リーバルンの居室です」
「――プトラゲーニョ。この件は私に任せてくれんか。お前はスクートと共に来るべき戦に備えて国土の護りを固めるのだ」
「しかし我が王よ――」
「王としてではなく、出来の悪い息子を持った父として責任を取らねばならぬ。頼む」
「はっ」
 プトラゲーニョが去り、アーゴは『翼の神』のページをぱらぱらとめくった。
「――急がぬと手遅れになるな」

 
「ここはどこだ?」
 人も住まない険しい岩山に分け入ったリーバルンは、夜が明け、深い霧が薄くなるにつれ、露わになる風景に息を呑んだ。
 見た事のない幾つもの奇岩がにょきにょきと大地から伸び、聞いた事のない鳥の鳴き声が聞こえた。

「異界への入口ですよ」
 突然に背後から声をかけられ、リーバルンは慌てて振り返った。
「――貴様。何故ここに?」
 リーバルンにゆっくりと近付いたのは『水に棲む者』ヤッカームだった。
「『空を翔る者』に伝わる神、シャイアンを蘇らせようとなさっている。その瞬間を拝見したいと思いましてね」
「……悠長な事を言っているが、シャイアンが蘇ればお前もその犠牲、いや、お前には真っ先に犠牲になってもらう」
「生憎ですな。シャイアンにそこまでの力がありますか。なにせ私は不死身、犠牲者とはなりません」
「ナラシャナを死に至らしめたのも元はと言えばお前の策略が引き金だろう。何があってもお前を血祭りにあげる」

「……リーバルン様。あなたは大きな勘違いをなさっている。ナラシャナ様が亡くなられたのは、愚かなる三界が肩肘を張り合い、互いに歩み寄ろうとしなかったせい。空を翔る者と水に棲む者がもう少し賢ければ、あのような犠牲が出る事などなかった――つまりあなたにも大いに責任がある」
「……ヤッカーム。お前は空を翔る者だけでなく、自らが仕える水に棲む者まで愚か者呼ばわりするのか?」
「愚か者を愚かと呼ばずに何と呼べば良いのでしょう。それに私は水に棲む者に対する忠誠心などこれっぽっちも持ち合わせておりません。愚か者は早晩滅び、賢い者だけが生き残る――三界がどうなろうと知った事ではございません」

 
 しばしの沈黙が流れた後、「ふぅ」とリーバルンは大きく肩で息を一つした。
「お前に聞きたい」
「結構ですな。まずはさしずめ私が何者かという所でしょう。一介の水に棲む者が何故、空を翔る者の支配する奥地にのうのうと入りこめるのか――何故なら私はこの箱庭宇宙ではない『上の世界』の住人ですから」
「上の世界?」
「左様。この世界を造った創造主と同列。被創造物から見れば創造主側の世界の住人。すなわち上の世界です」
「その人間がどうして水に棲む者の振りをして居座っている。目的は何だ?」

 
 ヤッカームは傍らの石に腰掛け、リーバルンも少し離れた所の石に腰を落ち着けた。
「じっくりと話して差し上げましょうか、それともご質問なさいますか――

「時間もあまりない。こちらから質問させてもらおうか」
「承知しました」

「ワンクラール王もお前が手にかけたのか?」
「私は何もしておりません。そんな真似をすればあのでかい魚が黙ってはいない」
「ブッソン殿だな――お前は水に棲む者の遺物を奪い取り、三界の統一を目指すつもりか?」

「やはりどんなに優秀でも世間を知りませんな。この広い宇宙にはこの星と同じような星が幾万とあるのです。私はそれら全ての星を統べる王を目指しております。こんなちっぽけな星一つに拘ってはおりません」
「その幾万と存在する世界もこの世界と同じ在り様なのか?」
「そうですな。千差万別としかお答えしようがありません。文明の発達した星、未開の星、それは趣深いものです」

「なるほど。しかしお前の企みをこの世界の創造主は黙って見ている訳ではないだろう」
「それは創造主たちが作った箱庭にどれだけ愛着を抱いているかに依りましょう。残念ながらこの箱庭の創造主たちには問題がありそうですがね」
「貴様の付け入る隙は幾らでもあるという事か」

「ご注意なさる事です。申し上げたように私の興味はこの宇宙全体に向いておりますが、この星だけに関して言えば最早命運は尽きようとしております」
「命運とは何だ?」
「さあ、私は創造主ではありませんので。ただこんな星などいつ無くなってもおかしくはありません」
「長い時間をかけて造り上げた世界を創造主がそう簡単に手放すものか?」
「勘違いをなさってますな。こちらの世界で言う『長い時間』がそのまま上の世界での時間経過だとお考えですか。そのような状態であれば造った箱庭と一緒に年を取り、観察どころではなくなります。時間の経過というのは一様ではないのです」
「お前も違う時間の尺度の下で生きているのか?」
「その通りです。私は創造主のように空間を移動する力こそ持っておりませんが、転生を繰り返し、永遠の命を保つ事ができるのです」

「シャイアンも奪い取るつもりか?」
「まさか。水に棲む者の秘法、それも『凍土の怒り』だけで十分です。モンリュトルの乗り物、シャイアンまで手に入れるには及びません」
「では何故ここに来た?」
「申し上げたでしょう。シャイアン復活を見届けようと。もしシャイアンがこの星を破壊するなら、早い所凍土の怒りを奪ってここから脱出しなければなりません」
「そんな事はさせない。貴様を真っ先に殺すと言ったはずだ」

 

「できますかな――リーバルン様。シャイアンを復活させ、この世界を滅ぼそうとする今のあなたと、凍土の怒りを手に入れ、銀河を支配しようとする私は同じ。闇に堕ちた者同士にしかわかり合えぬ事は多々あるものです。私はあなたの唯一の良き理解者なのですよ」
「又、言葉巧みに人の心を操ろうとしているな」
「お好きに解釈して下されば」
「だがお前の言った事は事実だ。私がお前を殺したとしても、それは正義の鉄槌などではなく、闇に堕ちた者同士の醜い争いに過ぎない……私は既に道を踏み外そうとしている」

「そこまで思い詰める必要はございません。あなたが手を下さなくともこの星は自ら滅びの道を突き進んでおります」
「私が手を下さなくとも……」

「――さあ、急いでシャイアンの下に。思わぬ邪魔が入るかもしれません」

 

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