目次
1 マリス
経過報告
8月15日朝、蒲田が冴えない表情で『都鳥』に現れた。
「――M町の事件ですが暴力団同士の抗争で決着します。飛頭蛮が謎の武器を用いてあのような行為に及んだとして、すでに修蛇会、飛頭蛮の双方から容疑者が出頭しました」
「やられた方からも?」とリチャードが訊き返した。
「いわゆる『落としどころ』です。捜査本部の苦肉の策ですよ」
「糸瀬の屋敷が選ばれた理由は?」
「近くの公園と間違えて邸内に侵入したんだそうです」
「ふーん、面白いな」
「おそらくD坂の一件も事故で決着するし、H島も食中毒のままですね」
「真相を伝えたのは?」
「直属の上司の西浦だけです。いつもにこにこしている人ですけどさすがに顔色を変えました。今頃は中央には伝えているでしょう」
「中央……この星を動かす人間か?」
「そんなんじゃない。警察組織の元締めですよ。後は重村さんのいた調査室とかも動き出すかもしれません」
「なるほど。大吾が末端の人間だというのはよくわかった。だが誰よりも真実を知るお前は貴重だ」
「それって褒められてるんですよね。ところで昨日の地下鉄の事件ですが詳細がわかりました。行方不明になったのは12時半に池袋駅到着予定の丸の内線最終電車、その前の駅では確認されていますので、池袋駅に到着するまでの間に忽然と消えた訳です。運転士と乗客で八十九人……文月君、その中には山坂哲郎も含まれている」
「蒲田さん、大丈夫ですよ、山坂さんがいれば。あの人、すごく強いし」
「リチャードさん」
蒲田はリンをちらっと見てからリチャードに尋ねた。
「何が起こったんでしょう?」
「わからない。ただ――」
「ただ、何ですか?」
「最悪の事態も想定しておいた方がいい」
憔悴した蒲田が帰った後、リンが言った。
「リチャード、助けようよ。山坂さんも他のお客さんも皆」
「リン、私はこれからオンディヌのシップに向かう。今夜は戻らないかもしれない」
「わかったよ。でも今夜も何かあったらどうやって連絡取ろうか?」
「お前はまだポータバインドを使えないし、困ったな」
「テレパシーでも使えればいいのにね」
「口というコミュニケーション器官を保有する生物は、普通は脳に直接話しかける方法は取らない」
「あれ、そう言えば、どうしてリチャードは僕の話す日本語が理解できるの?」
「インプリントされた『ポリオーラル』による言語変換の賜だ。バインドの基本機能だ」
「何だかわかんないけど。インプリント受けるまでは電話連絡だね」
「それはありえないが――試してみたい事がある」
「今度は一体、何?」
「すぐにわかる」
連続爆破
その晩、夕食後にリンと沙耶香がテレビを見ていると画面に臨時ニュースが映し出された。
「文京区M町 XX-XXでビル爆発炎上」
「沙耶香、これ、君の家の近所だよね」とリンは声をかけた。
「ええ、でもこの住所は大通り沿いですわ」
十分後にまた臨時ニュースが入った。
「文京区M町 00-00でビル爆発炎上、警視庁は連続爆破事件と見て一帯に避難警報を発令」
「これは?」
「やはり大通り沿いですが、少し飯田橋方面に下った辺りかしら」
「いやな予感がする。ちょっと出かけるよ」
リンは立ち上がった。
灯りの落ちた一階の店内ではカウンターに並んで腰かけた源蔵と静江が真剣な顔で話し合っていた。リンはくすっと笑ってから外に出た。
リンは昼頃から降り続ける雨の中、スクーターで現場に向かった。飯田橋交差点のあたりで警察の道路規制が行われていて先に進めなかった。
ごった返す人波の中で規制に当たる警察官に尋ねた。
「何かあったんですか?」
「ああ、連続ビル爆破だ。M町から江戸川橋まで上る形でもう十件以上のビルが爆破された。このへんも危ないかもしれないから早く立ち去りなさい」
自然で気配を消して規制線の中に入った。
M町の方に歩くと大通りに沿って左右のビルがいくつも煙や炎を上げていた。
「こんなにたくさんのビルに前もって爆弾を仕掛けておくのは不可能だ。つまり誰かが爆破して回っている。でもそんな人、どこにも見当たらないし――」
そう考えた矢先に、先ほど警察が規制線を張っていた飯田橋付近でものすごい爆発音が聞こえた。
「しまった」
凄惨な現場と化した飯田橋交差点付近に戻った。自然を解いて犯人らしき人物を探そうとしたが、もうもうと立ち込める煙、泣き叫びながら逃げ惑う人々、血まみれで倒れる人々に遮られ、なかなか思ったように進めなかった。
もたもたするうちに今度は九段下方面にいった所のビルが爆発した。
九段下の爆破現場に着くと、その先でも爆発が始まっていた。
「くそ、早く追いつかなきゃ」
突然、リンの頭の中にリチャードの声が飛び込んだ。
(リン、調子はどうだ?)
「えっ、リチャード。でもここにはいないし、本当にリチャード?」
(ああ、お前の意識とシンクロできるよう試験的にオンディヌがリプリントしてくれた。今、オンディヌのシップの中だ。元々は《武の星》で『スピリット・アシミレーション』と呼ばれる精神を周りの物に同化させる――)
「リチャード、それどころじゃないんだよ」
リンはリチャードに今の状況を伝えようと意識を集中した。しばらくするとリチャードから返事があった。
(リン、噂に聞いただけだが、私が鉄を精製するのと同じく空気中の成分から爆弾を造り出せる人間がいるらしい)
「何、それ?」
(だがその人物は死んだと聞いている。姿が見えないとはまるでお前と一緒だな。又一人、気配を消す人物の登場だ)
「呑気な事言ってる場合じゃないよ」
(リン、どういうルートを通って爆破が起こっている?)
「ええと、M町から江戸川橋、飯田橋を抜けて今は九段下にいる」
(ちょっと待て、調べる――おい、その先は大変な場所だぞ、王宮だ)
「……ビルじゃないから多分平気だよ。その先は?」
(うむ、大手町に抜けるか半蔵門に抜けるか、大手町だと東京、半蔵門だと桜田門、どちらを進んでも日比谷という場所にぶつかるな)
「桜田門には警視庁があるよ」
(大吾の職場か。そして日比谷には糸瀬の泊まるTホテルがある、そこが最終目的地だな)
「何それ?」
(ロックめ、ゲームだとでも思っているな。糸瀬をどうこうする大義名分などないはずなのにわざわざそこを目指している)
「Tホテルで待ってれば絶対に会えるけど、それじゃあ遅いね」
(向こうはこちらの慌てふためく様子を見て笑いたいだけだ。何としてもその前に止めるぞ。今いる場所で敵がどちらのルートを行くか見極め大手町であれば……竹橋あたり、半蔵門であれば桜田門の手前で止めるんだ)
「難しそうだね。リチャードは来れるの?」
(私が行っても気配を消す相手だとすると見えないからな。だがお前ならどうにかなるかもしれない。互いに気配を消せば同化するのではないか)
「わかった」
リンが九段下に急ぐと、ほどなく次の爆発の音が聞こえた。
「あっち、半蔵門の方だ」
先回りして千鳥ヶ淵の先で待った。まだどこかで爆発音が聞こえ、こちらに近づいてくるようだった。
いよいよ爆発音が近付いた。リンは自然を発動し、気配の消えた相手を見極めようと意識を集中した。
来た、七、八歳くらいの可愛らしい金髪の少年が笑顔を浮かべたままレインコートも着ないで歩いていた。
リンは予想もしなかった相手の姿に息を呑んだ。
見えない爆弾犯
「ねえ、君」
前から鼻歌交じりにやってきた少年は、空中に両手をかざして空気をかきまぜるような仕草を途中で止めてリンを見つめた。
「……お兄ちゃん、ぼくが見えるの?ぼくはマリスだよ」
「僕はリン。君、マリスがビルを爆破してるの?」
「そうだよ、見せてあげようか」
マリスが両手を空中にかざして、数秒間、空気をかきまぜるような仕草をすると、もやっとした塊ができ上がった。
「こうやってね、これを持ってね、ビルに向かって投げるんだ。そうすると、ほら」
かきまぜた空気の塊を投げるとリンの左手前方のビルの入り口付近で大きな爆発が起こった。
「えっ、何をしたの?」
「えへへ、わかんなかった、もう一回やろうか?」
「いいよ、いいよ」とリンは慌てて言った。「……ねえ、マリス、話があるんだけど」
「なに、なに?」
マリスは無邪気な瞳でリンを見つめた。
「あのね、もうビルを爆破するの止めないかなあ」
「うーん」
マリスは少し考え込んだ。
「リンは止めてほしいんだね。でもロックと約束しちゃったからなあ。この星は悪い星だから壊すんだって。約束は破れないなあ……ぼくの欲しいものわかるなら別だけど」
「欲しいもの、おもちゃか何かかな?」
「ブー、残念でした」
そう言ったマリスが両手を空中にかざした。
「マリス、何やってるの?」
「罰ゲームだよ」
マリスの手がリンの方に向けられると近くで爆発が起こり、その爆風で千鳥ヶ淵のお堀近くまで吹き飛ばされた。
「……マリス、だめだ」
リンは堀の土手に植えられた桜の古木の根元で意識を失った。どのくらい経ったろう、リチャードの声が響いてきた。
(リン、どうした、大丈夫か。すぐにカプセルに入れてやるからな)
何かを言おうとしたリンだが、あまりの痛みで、又、意識が遠のいた。
目を覚ましたのはオンディヌのシップのライフカプセルの中だった。
「あ、いたた」
「まだ無理しちゃだめよ」
「マリスを止めなきゃ」
リチャードがやってきて言った。
「爆破は今、桜田門に差し掛かるところだ。まだぎりぎり日比谷の手前で止められる」
マリスは桜田門にいた。
――このあたりにはいっぱい人がいる。黒い人たちの持ってる鉄の指は怖そうだ。でもぼくが見えなきゃ誰もぼくを止められない――
鼻歌交じりに警視庁の建物の中に入り、建物から出て数十秒後に大爆発が起こった。
オンディヌのシップが桜田門上空に停止した。
「警視庁も霞ヶ関のオフィス街も爆破されているな」
「もう一回マリスの所に行ってくるよ」
リンは地上に降りると、自然を身にまとって走り出し、間もなく前方にマリスの姿を認めた。
「マリス」
マリスは声に振り向いた。
「あ、リン、また来たんだ、無事だったんだね」
「僕にもう一回チャンスをくれないか?」
「チャンス?」
「うん、君のほしいもの」
「えっ、ほんと?じゃあ当ててみてよ」
「欲しいものは……この星……かな?」
「ブー、はずれ、そんなもの要らないよ。じゃあ罰ゲーム」
マリスは猛烈な勢いで爆弾をリンに投げつけた。寸前で避けたが、爆風で舞い上がった瓦礫が額に当たり、血が流れた。
「もう一度」
「えー、何度やっても同じだよ、でも言ってみなよ」
「花」「月」「夢」、リンは回答を繰り返した。はずれるたびにマリスは爆弾を投げ、リンは傷だらけとなり、体力の限界が近づいた。
「……もう一回、もう一回だけ」
「……無理だよ、止めようよ」
「いや、もう一回だ。いいかい、君の欲しいものは……『友達』だ」
「あーあ、最悪……もう飽きちゃった、つまんないや。今日は帰る」
マリスは踵を返すと走り去った。
「待って、マリス……」
リンは膝から崩れ落ちた。