9.2. Story 3 時間の輪

 ジウランの航海日誌 (10)

1 渚にて

 男は浜辺に座り、海を見ていた。
 男は全裸だったが、気にする風でもなく、ただ呆けたように海を見続けていた。
 朝が来て、夜になり、又朝になった。
 人の来ないその海岸では、海を見続ける全裸の男は話題にはならなかった。

 
 ようやくある日の昼過ぎに一人の少年がビーチに現れ、男の傍にやってきて、隣に座った。
「何してるの?」
 いきなり尋ねられた男は面食らったように少年の顔を見てから、にこりと笑った。
「さあ、何をしてるのかな」
「大丈夫だよ。迎えに来てくれるから」
 再び男は面食らったような顔になった。
「……誰が来るんだい?」
「おじさんが本当に必要としている人」

「君は?」
「ぼくはパブロ。安心して。ここはぼくの秘密のビーチだから誰も来やしない」
「だったら本当に必要とする人も来ないだろう?」
「大丈夫だって。もう呼んだから」

「……君は何者だ。ひょっとすると私を知っているのか?」
「ぼくはパブロさ。そしておじさんの名前はリチャード」
「……リチャード。そう言われればそんな気もするが、別の名前があったような気もする」
「昔の事だよ。今のおじさんはリチャード。それだけ」
「そうか、そうだな。名前などどうでもいいな」
「そうだよ。ぼくのパブロだって仮の名前だもん」

「ははは、パブロ。君は楽しい子だな。もう一つだけ教えてくれないか。どうして私は裸なんだ?」
「それはね、余計な物を全部脱ぎ捨ててここに来たからだよ」
「余計な物か。一体何だったんだろう」
「あ、もうこんな時間だ。帰らないと母さんが心配するからまたね」
 少年は走り去り、後には夕日を浴びて浜辺に座るリチャードだけが残った。

 
 翌日の午後もパブロはリチャードの下にやってきた。
「おじさん、もうすぐ来るよ」
「なあ、パブロ。その人は誰なんだい。思い当る節がないんだ」
「わからなくても平気だよ。向こうはおじさんをよく知ってるから」
「楽しみだな。ところで君は昨日、『母さん』と言ってたな。父さんと母さんが近くにいるのかい?」
「うん、母さんは町で花屋やってる」
「そうか。大切にしないとな」
「……あれ、『母さんに会わせろ』って言うと思ってたのに」
「いや、昨日、あれから考えた。今ここにあるのは君が教えてくれたリチャードという名前を持つ男だ。それだけで十分じゃないかってな」
「ふふふ、おじさん、もう大丈夫だね。じゃあ、ぼく、行くから」
 パブロはそう言うと走って去っていった。

 
 それからどれくらい経っただろうか、ビーチに二人の女性が現れた。
 一人は青い髪、もう一人は緑の髪で双子のようによく似ていた。
 二人は座っているリチャードを挟むように両隣に腰かけた。

「……」
「やあ」
「……『やあ』ってあなた、大丈夫?」
 青い髪の女性が口を開いた。
「大丈夫って。この通りさ」
「あなた、自分が誰だかわかる?」
 緑の髪の女性が尋ねた。
「私は……リチャード。それが全てだ」
「……お帰りなさい、リチャード。あたしがシルフィ。こっちはオンディヌよ」
「あ、ああ」
「いつまでもそんな姿でいる訳にもいかないわ。行きましょう」
「どこに?」
「あなたがいるべき場所よ」

「わかった」
 リチャードはゆっくり立ち上がってからぽつりと言った。
「君たちは私を知っているのか?」
「ええ、ずっと昔、あなたが生まれた時から知ってるわ」
「そうか――ところでパブロも友人か?」
「え、ええ。まあね」
「あの子は不思議だな。全てを見通しているようだった」
「――そうね。さ、行きましょう。《精霊のコロニー》に」

 

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