8.9. Story 1 アイシャ

 ジウランの航海日誌 (8)

1 アーナトスリ消滅

荒ぶる創造主

 一瞬の出来事の後、マリスたちは砂漠の真ん中にいた。
「ここが」
「あれがクゼの別宅。あそこに目指す相手はいる」

 ドワイトが指差す先にはまるで城塞のように巨大な住居が砂漠の中でゆらめいていた。
 ドワイトが金属製の扉に近付き、二、三度手をかざすと扉は音もなく、上に開いていった。
「ほぉ、どうやらクゼもいるようだ」

 空調の効いた涼しい中庭にはクゼが乗ってきたと思われる最新型の移動車両が置いてあった。
 ドワイトは勝手知ったる足取りで青い水を湛えたプールのある中庭を横切り、白い建物の中に入っていった。

 中は大広間になっていた。左手には高価な絵や壺といった調度品が並び、右手には螺旋階段が上に伸びていた。
「おや、あそこに人が――」
 ドワイトの言葉に従い、マリスたちが螺旋階段に近付くと、そこには腰から下がどこかに行った上半身だけの亡骸があった。
 抱き起すとそれはクゼだった。
「クゼだ。息をしてない」

 ドワイトがクゼに近寄り、その額に指を触れると死んだと思っていたクゼが目を覚ました。
「……あいつは……狂ってるぞ……気をつけろ」
 それだけ言ってクゼは再び目を閉じた。
「時代の寵児ともてはやされた時期もあったが、哀れな最期だ」

 
 ドワイトはクゼの遺体を振り返りもせず、敷地内のもう一つの建屋に向かった。
 中に入ると体育館のようにがらんとしていた。体育館のように見えたのは中の家具や調度品が全て破壊されていたせいだった。空調が壊れているのか、ひどく暑かった。

 部屋の中央では上半身裸でだんだら模様のパンツ姿の男が肩を小刻みに震わせて仁王立ちをしていた。
「やあ」
 ドワイトが声をかけると男は振り向いた。
「先生じゃねえか。来てくれたんだな」
「ふむ」
「そうだよな。そのためにもう一度十七個の石を集めてくれたんだろ」
「残念ながら違うのだよ」
「何でだよ。こんな箱庭、もう要らねえ。先生も同じ考えじゃねえのかよ」
「この銀河は残さねばならない。愚かな企てをした君は罰せられねばならないのだ」
「……先生、あんた自ら手を下すのか」
「いや、私ではなく、ここにいる十七個の石を集めた青年さ」
「ちょっ、先生。冗談は止めてくれよ。こんな――」
「アーナトスリ君。『こんな虫けら』とでも言いたいのだろうが、そこが君の悪い点、被創造物の可能性を一切認めない事だ」
「へっ、虫けらだろ。簡単に踏みつぶせる存在さ。指先一つで消してやるぜ」
「ここにいる青年が文月の者でもかい?」
「それを聞いちゃ、ますます黙ってられねえな。ただ消すんじゃなく、なぶり殺しにしてやるよ」

 

勝負の立会人

 アーナトスリが舌なめずりをしてマリスを見た時、一人の人間が音もなく部屋に入ってきた。
「邪魔するわよ」
 現れたのは地味な黒髪の文学少女のような女性だった。
「……エニクじゃねえか。何しに来た?」
「久しぶりじゃない?」
「まさか、おめえとやり合わなきゃいけないのか。でもよ、勝負がつかねえぞ。いざとなりゃ、おめえは時間を操作して過去に戻しちまうからな」
「安心なさいよ。立会人よ……創造主が被創造物に消される歴史的瞬間の目撃者になるの」
「なっ、どいつもこいつも、おれが負けるような口ぶりでいやがる――先生、とっとと始めていいか?」
「もう少し待ちたまえ。もう一人の立会人が来る」

 
 ドワイトの言葉が合図となったかのようにもう一人の人物が現れた。
「父さん!」
 普段冷静なハクが思わず大声を出した。
 リンは黙って笑顔をハクに向けるとドワイトに近付いた。
「ごめん、ジノーラ。遅くなって」
 ドワイトも黙って微笑んだ。
「あれ、エニク。どうしたの?」
 リンはドワイトの背後にいたエニクに声をかけた。
「立会人よ。あなたに借りを作りたくないけど仕方ないわ。この後話できるかしら?」
「僕も話があったんだ。母屋を借りっぱなしでさ、正式に譲ってもらう段取りをつけなくちゃって思ってる」
「大した自信ね」

 
「おめえら、いい加減にしやがれ。とっとと始めるぞ」
 蚊帳の外に置かれたアーナトスリが大声を上げながら最後に入ってきたリンを睨みつけた。
「おい、文月。てめえはおれと同じでエネルギーの申し子だ。おれはこの箱庭を造ったが、てめえは星を生き返らせた。どっちが優秀か、ここで決着付けたっていいんだぜ」
「どっちが優秀かなんて、そんなの創造主たる君に決まってるじゃないか」
「いや、てめえの力からすれば箱庭だって十分に造れるはずだ」
「どうでもいいけど戦うのは僕じゃない」

 リンはそう言ってからマリスに近寄った。
「……リン、リンなんだね。ようやく会えた」
「立派になったね、マリス。あの時、君を守ってやると言いながら守れなかった。でも息子たちが君を蘇らせて成長させた。それで少しは肩の荷が降りたけど、君に直接詫びたかった。許してほしい」
「リン、何言ってるの。許すも許さないもないよ。むらさきもコクもセキも、皆、リンの意志を継いだんだよ。今度は僕が恩返しをする番さ」
「それを聞いて安心したよ――いいかい。これから僕が言う事をよく聞くんだ。君がこれから戦う相手はこの銀河の創造主の一人。これまでに戦った誰よりも桁外れに強い。だから僕と心を合わせるんだよ。言ってる意味はわかるかい?」
「うん」

 
「おい、涙の再会はいい加減にしてもらいてえな。どうせすぐに消えちまうんだからよ」
 アーナトスリが少し離れた場所からやる気満々の表情で声をかけた。
「わかった。今行くよ」
 リンはそう言ってマリスの肩に手を触れた。
 マリスの頭の中にリンの声が直接響いた。
(いいかい、マリス。僕らは一つだ。同じ気配を消す者同士、相性はいいはずさ。あいつの出すエネルギー波は本能で避けるんだ。いいね)

 

親殺し

 マリスとアーナトスリはがらんとした部屋の中央で向かい合い、リン、エニク、ハク、デプイはジノーラを中心に部屋の端でこの様子を見守った。
「いくぜ。すぐに楽にしてやるからよ」
 いきなりアーナトスリの周囲が激しく光り、辺りは白一色に包まれた。
 危機を察知したハクとデプイは一瞬早く空中に逃げ出した。二人が地上を見下ろすとクゼの邸宅は跡形もなく消え去り、一面の砂漠が広がっている。
 それよりも驚いた事には、対峙する二人はもちろん、リン、エニク、ドワイトは何事もなかったかのようにその場に留まっていた。

 
「へっ、なかなか楽しませてくれそうじゃねえか」
 裸の上半身を上気させたアーナトスリが言った。
(……リン。今のは僕の力。それとも君が?)
 マリスは心の中でリンに訴えかけた。
(大丈夫だ、マリス。君ならできる。あいつの攻撃は見切ったはずだ。あとはどうやってこちらの攻撃を叩き込むかさ)
 マリスは小さく頷くと再びアーナトスリに向き合った。

 
「これならどうだ!」
 マリスはアーナトスリの手から放たれた白い光の槍を見て取ると、自らの掌からもエネルギー弾を発射して正面から受け止めた。
 マリスは驚き、リンに訴えかけた。
(……リン、これはリンの力だろ?)
(気にしないで。このまま押し切って、チャンスとなったら君の攻撃の番だ。久しぶりに大爆発させればいいさ)
(えっ、僕はもうそんな無茶してないよ)
(知ってるよ。始宙摩で心を磨いた君が生み出した『爆陣』、あれを使うんだ)

 
 アーナトスリの光の槍とマリスの放ったエネルギーは空中でぶつかりあったまま、押し合いを続けた。
 このままの状況が続けば星が破壊される、空中で見ていたハクが心配して地上を見下ろすと、ドワイトがハクを振り返り、笑いながら小さく目配せした。
「すっごいぜ」
 ハクの隣に漂うデプイが声を上げた。
「あのおっさん、どういう仕組みかわからねえが、二人の発したエネルギーをどっか別の場所に逃がしてるんだ。だからここは安全だ」
「なるほど。しかしそれがわかるデプイも相当なものだ」
「止してくれよ。あんなの見せられちゃ恥ずかしいだけだよ――にしても、マリスにあんな力があったとはな」
「多分、父がマリスの力を引き出してやっているんだ」
「あんたの親父もすげえ……そうすっとこの勝負は」

 
 デプイの言葉通り、徐々にマリスの放つエネルギーがアーナトスリを押し始めた。
「くそっ、そんなバカな」
 アーナトスリは顔を真っ赤にして押し返そうと試みたが、徐々に光の波はアーナトスリに迫っていき、いよいよ腕に届く寸前までになった。
(マリス、今だ!)
 リンの言葉が聞こえ、マリスは「爆陣」と心の中で唱えた。
 次の瞬間、アーナトスリの体の周囲で無数の爆発が起こり、アーナトスリはマリスの放ったエネルギー波をまともに食らい、もんどり打って倒れた。

 
「やった!」
 空中のハクが叫んだが、すぐにアーナトスリは立ち上がった。にやりと笑うと、マリスにゆっくりと近付いていった。
「面白い真似をしてくれるじゃねえか……まさか、このおれが下等な被創造物に消されるとは……思っても……」
 アーナトスリは立ち止まった。その姿が静かに薄くなっていき、熱気が和らいだ。やがて姿が完全に消え、そこを一陣の風が吹き抜けた。

 

マリスの願い

 初めに動いたのはエニクだった。エニクは拍手しながらマリスに近寄った。
「――お見事だったわ。もっとも半分は誰かさんの力みたいだけど」
「ええ、僕の力じゃありません。リンがいなければ消えていたのはこちらでした」
「面白いもの見せてもらったわ。かつてはリチャードと心を通じ合わせてロックを打ち破ったリンが今度はマリスと心を合わせた。本当に飽きない」
 エニクはそう言って踵を返したが、すぐにマリスに向き直った。

「そうだ、約束を守らなきゃだった」
「約束?」
「あなたは石を集めたんだから、願いを叶える資格がある――で、どうするの。この箱庭を統べる?」
「いえ、それは自力で成し遂げます」
「大した心がけね。じゃあ願いは何?」
「――色々な人の願いを背負っているんで」

「ふぅん、例えばチオニの樹?」
「何故それを?」
「安心なさいよ。あなたの弟のヴィゴー君だっけ、彼が責任を持って育ててくれる」
「そんな事までご存じなんですね」
「それにあなたにとってチオニは敵の本拠地よ。移植はあなたが支配するようになってからでも遅くないんじゃない?」
「考えもしませんでした」

「お人好しね。それから鉱山で倒れた娘さんも心配要らないわ。あなたのお姉さんたちがうまくやるはず。癒しの力を持つ『異世界の女王』が向かっている頃じゃないかしら」
「むらさきが。だったら安心ですね。となると目下の心配事は……」

「あなたの恋人も大丈夫。すぐに戻るわ――何だ、叶えたい願いなんてないじゃない」
「……これはどうでしょう。アーナトスリのようにこの銀河を消滅させるなんて二度と思わないで下さい。それが僕の願いです」
「あら、優等生だこと。いいわよ。まだ批判的な者はいるけど、アーナトスリみたいな馬鹿じゃないから安心して。じゃあそれが願いって事でいいのね」
「はい」

 エニクはマリスの返事を待たずに振り向いて歩き出したが、再び立ち止まって、今度はリンの方を向いた。
「リン、近い内に遊びに行くわ」
「うん、待ってるよ」
「先生、立会人になってね」
 ドワイトは黙って片手を上げ、エニクの姿は消えた。

 
 ハクとデプイが空中から降りてリンに話しかけた。
「父さん、久しぶり」
「やあ、ハク。元気そうだ――そっちはマリスのパートナーのデプイだね」
「どうも」
 デプイが緊張した面持ちで挨拶した。
「父さん、これで良かったのかな」
「誰にもわからないんだから、いいも悪いもないさ――ねえ、ジノーラ」

 ジノーラと呼ばれたドワイトを見てハクは首を傾げた。
「……ドワイト卿ですよね」
「そうともいうね――さて、私もそろそろ戻ろうか。リン、あまり長い間、持ち場を離れるのもよくないぞ」
「そうですね」
 リンとドワイトは連れ立って歩き出したが、ドワイトが立ち止まりハクに言った。
「ハク、物事には始まりと終わりがある。しかしそれがあまりにも長きに渡ると、不変なようにしか見えない」
「はあ」
 ハクが言葉の真意を聞き返そうと思った時には、すでにリンとドワイトの姿は消えていた。

 

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